第十八話 嵐の前後の静けさ
ここはとある地方都市。一見のどかで平穏な町だが、度々悪の影が忍び寄る。
悪の権化を排除し、平和を地に取り戻す者。それが、我らがヒーロー。我らがご当地ヒーローなのだ!
「痛たた……。くっ、まだ完治しないのか」
町随一の憩いの場である公園に、苦悶に満ちた声が流れる。
彼の名はクラブソルジャー。頭部と左腕は人間のものでありながら、右腕の代わりに巨大なカニのはさみを持つ、悪の組織『ダークグローリア』に属する怪人である。漆黒のマントをなびかせながら、人々を恐怖のどん底に追いやっていたはずだったのだが。
「しかし、左腕が動かせないのは厳しいな。これでは剣が振るえぬ」
現在この怪人は、自由のきかない身体に苛立ちを募らせながら、ベンチに腰掛けて愚痴をこぼしていた。
前回公園に出没した際、レッドとブルーの暴走劇を止めるためにラリーに使用されたボンバーボールを切って捨てたのはよかったが、健闘もむなしく爆発させてしまった。幸いにも咄嗟によけようと試みたため爆風の直撃はすんでのところで回避できたが、それでもかなりのダメージを受けてしまったのだ。
左半身を中心に傷を負い、左足は包帯でぐるぐる巻き。左腕はがっちり固定された挙句に三角巾で吊るはめになっていた。
「これまで受けた傷の中ではまだマシな方だが、このカニばさみでしか戦えないと思うと心細いな。今、ヒーロー達から集中攻撃を受けたら……。いや、弱音は吐いていられぬ。例えどんな状況に置かれようとも、総裁の気持ちに応えようという心構えを持たねば部下として失格だ」
総裁は総裁で、戦力にならない部下を派遣している時点で最高指導者としては失格かもしれないが。
忠誠心が異様に高いクラブソルジャーにはみじんもない発想であるが、ほとんどの怪人ならばそう考えるところであろう。
「ううむ、だからといってこの身体ではどうも」
「クラブソルジャーさん……ど、どうしたんですか! その怪我!」
「あ、いや、その……痛たた」
独りでブツブツ言っていると、薫子が心配そうにしながら駆けてきた。その手には、手提げ付きの小さな箱を抱えている。
「またトロワーファイブにやられたんですか? クラブソルジャーさんは、何も悪いことなんてしていないのに」
「悪の怪人としてはちょっと心苦しい言葉だが……痛っ。まあ、たいしたことはない。特に気遣う必要はないぞ」
「でも……」
薫子は暗い面持ちで、手と足に巻かれた包帯を交互に見る。
どうして彼女は、怪人をここまで気遣うことができるのだろう。そして、何故彼女が悲しそうにしていると、かすり傷一つないはずの胸がこんなにもかきむしられるように痛むのだろう。
「…………」
自身の心情に戸惑いながら、クラブソルジャーはどうにか話題を怪我からそらそうと模索する。苦し紛れに目についたのは、彼女の手の中にある箱だった。
「あ、そ、そうだ。薫子殿、その箱は一体?」
「え、これですか? これは……」
薫子はベンチに座り、そっと箱を開ける。
中に入っていたのは、カップのような容器に入った黄色い物体と、使い捨て用のスプーンだった。
「えっと、この黄色くて柔らかそうなものは」
「プリンです。この間作ったのは和菓子だったので、洋菓子にも挑戦してみたんです」
「はあ、これがプリンか。名前は聞いたことがある」
一応、怪人としては勉強熱心な部類に入る彼であるが、今まで実物を見るという機会にはあまり恵まれていなかった。なので、知識はあれども実物を目にしたところでいまいちぴんとこないことも多いのである。
「よければと思って作ってきたんですけど、その腕ではちょっと難しいですかね」
「あ……」
片や包帯でぐるぐる巻きの状態で自由がきかず、もう片方はカニばさみ。スプーンの使用が必須の食物を、この腕でどうやって摂取すればいいのか。
指摘を受けてはたと気がつくクラブソルジャーであるが、どうしたらいいものか名案が浮かばない。かといって、彼女の手料理を食べるチャンスはどうしても逃したくはない。
「うー……」
軽く唸りながら悩んでいると、薫子が様子を伺いながらこんな提案をしてきた。
「あの。よければ私が、口まで運びましょうか?」
「……は?」
「だからその。私がスプーンでプリンをすくって、口に運んでもいいですか?」
それはその。つまり、あれですか。よく母親が子供にやっていたり、恋人同士が愛を語らいながらやっていたりする、お口を開けてあーん的なことをやると申し出てくれているというわけでしょうか。
「あ、あーっと。ええと、それはつまり……?」
話を理解するなり、クラブソルジャーは動揺して目が泳ぎ始める。
薫子は恥ずかしそうにしながら、パッと顔をそむけた。
「いやっ! 別に、カップルとかがやってるような、ああいうやらしい意味で言っているわけじゃないですよ! 私はただ純粋に、クラブソルジャーさんにプリンを食べてもらいたいというだけで」
「わ、わかっておる! 薫子殿が、そんな恋人同士がやっているようなものを怪人にしようだなんて、考えているわけがない! これは善意……そう、善意の申し出なのだ。だからその、決してやらしい意味合いは含まれておらぬ!」
互いに言い聞かせるようにしながら、自身の行いと解釈を強引に正当化する二人。人間と怪人という関係性である以上、こうでもしないと先に進めない。
「じゃ、じゃあ……」
薫子はもじもじしながら、スプーンを手に取ってプリンを一口分すくう。そしてそれを、クラブソルジャーの口元に運んだ。
「どうぞ、食べてみて下さい」
「あ、ああ」
何故だ。何故やらしい意味合いなど含まれていない行為であるというのに、こんなに胸がドクドクと鳴り続けるのだ。
「では……むっ!」
高鳴る鼓動を押さえつけながら、プルリと揺れる黄色い物体を口に含む。すると、彼の表情はみるみるうちに一変した。
「な、何だこれは……!」
なめらかな舌触りに、ひんやりとした触感。そして口いっぱいに広がる、甘い味と香り。これは本当に、この世に存在する食べ物なのか?
「う……美味い……」
クラブソルジャーの顔には、頬を伝う一筋の光が。なんと、予想を遥かに超越したプリンの美味さに心を打たれ、感涙してしまったのだった。
「な、泣いてるんですか?」
「ああ。まさかこの世に、おはぎよりも美味いものが存在しているとは」
「少し失礼かもしれないですけど、クラブソルジャーさんが所属してる組織って、そんなに食べ物が美味しくないのですか?」
「料理に関しては美味しい、美味しくないの次元ではないな。まだ加工前の調味料を食った方が幾分か……。何せ、食堂の一番人気メニューが角砂糖だからな」
「か、角砂糖ですか……」
怪人界の驚愕の粗食っぷりに、人間である薫子は困惑するより他はなかった。
……この人を悪食から救えるのは、私しかいない。もっと頑張って料理を勉強しよう。
彼女にそんなことを誓わせてしまったことに、果たしてこのカニ怪人は気がついただろうか。
「あの。もう一口食べますか?」
「あ、ああ。できれば頼む。こんな美味い物、滅多に食べられたものではないからな。……そなたの手で口に運ばれる機会など、もう一生ないかもしれぬし」
「えっ……クラブソルジャーさん。今、何て」
「そこまでだ、怪人!」
「!」
どこからともなく、高らかな声が飛んでくる。
クラブソルジャーが振り向くと、そこには逆光に照らされたいくつかの影が差し込んでいた。
「……帰らなきゃ、まずいですよね」
「そ、そうだな。う、うむ……」
「プリン、また作りますから。もちろん、他のものも……。では、また」
「あ、ああ。また……」
薫子が箱を抱えて去るのを見届けてから、再び影の方を向く。
「早く出てこい。パターンは大体わかっているぞ」
「ふふふ、残念。今日の俺達は、一味違うんだよ……とうっ!」
どういうわけかは一切不明であるが、謎のBGMが流れてくる。そして、それと同時に影の持ち主が正体を現した。
腕に特殊なブレスレットを光らせ、シャレていながらも高性能であるスーツを身に着けている。仮面をつけ、素顔を隠したヒーローが、その名を地に轟かせる!
「正義の戦士、トロワーレッド!」
「勇気の戦士、トロワーブルー!」
「博愛の戦士、トロワーピンク!」
「……………………………………」
「「「四人合わせて、トロワー……」」」
「ちょっと待たぬか!」
ヒーローポーズの途中だが、ここでクラブソルジャーの一喝が入った。
トロワーファイブ達はがくっとずっこけてから、仮面越しに怪人を睨んだ。
「何だよ。いいところなんだから止めんなよ」
「止めるに決まっておるだろう。何の予告もなくメンバーが増えていたりしたら」
怪人はつっかかってきたレッドに言い返しながら、赤でも青でも桃でもないメンバーを凝視する。
そこにいたのは、白いヒーロースーツを着た華奢な人間だった。
「何なのだ、そいつは。名も名乗らず無言のまま立ち尽くしおって」
「何って、この方は新メンバーのトロワーホワイトですよ。見ればわかるでしょう」
「大方の見当はつくが、我はそいつが突然湧いて出てきた理由について聞いておるのだ」
ブルーの情報不足の解説に辟易しながら、クラブソルジャーはホワイトの方に視線を戻す。
「ついでに言うと、何故先程から一言も話さぬのだ。名乗りを上げる際も無言であったし、全員でトロワーファイブと叫ぶ時も声を出していなかったな」
新メンバー加入と言えば、過去に一度イエローが入ってきたことがあるからまだ何とか納得できる。だが、こいつは一体なんなのか。一言も話さず、ずっと棒立ちのまま微動だにしない。正直、やる気があるのかも疑問である。
「あのですね、これにはまた深い事情というものが。ホワイトは、極度の人見知りな上にシャイなのですよ。新しくヒーロー職に就いたばかりで右も左もわからないから少しの間、研修期間として在籍させてほしいと上役から頼まれたのですが、僕らもどう接すればいいのか非常に困っています」
ヒーローが、恥ずかしがり屋で人見知り? 明らかに向いていないのでは?
追加された解説を聞くなり、クラブソルジャーは顔をしかめた。
ただでさえ自分を理不尽に負傷させておきながら、何の反省もしていなさそうな爆弾魔どもを目の前にして気分が悪くなっているというのに、この物静かでやる気のなさそうな新人は何なのか。そしてこいつを、怪人としてどう扱えばいいのか。
仲間がわかっていないことを、ましてや敵である彼が把握することは不可能であった。
「でもぉ、ホワイトちゃんは悪い子じゃないのよ? 気立てだっていいし~」
ピンクはホワイトの肩に手をかけ、ベタベタしながらフォローを入れる。声を出さないせいで判別に困っていたのだが、その様子から中の人は女性であると察することができた。
「……」
「え?」
ここでホワイトが、ごにょごにょとピンクに耳打ちをする。
先輩女子隊員は力強くうなずくと、怪人に向き直った。
「あのねえ。ホワイトちゃん、戦いたいって。地域に仇なす怪人を、早くこの手で倒したいらしいですよ」
「は⁉」
馬鹿かこいつは⁉ 包帯でぐるぐる巻きになっている怪人を、早くやっつけたいだと⁉
無口っぷりからは想像がつかない過激な意思表示に、クラブソルジャーは呆然とした。
ここは、流石はヒーロー。その正義感は伊達ではないな……と解釈すべきなのか。それとも、流石はトロワーファイブ。入ってくる人材に、まともな者はなしとあきらめるべきなのか。
「……」
彼女はシャイというわりにはファイティングポーズを決め、シャドーボクシングまで始めている。この調子だと、後者の方が有力そうである。
「あのな。我は見ての通り怪我をしていて、戦うどころか悪事を働くのもままならないのだ。何もしていない我を倒したところで、地域を救ったことになるとは言い難いぞ」
「……!」
クラブソルジャーは、妙に張り切る新人に向かってなるべく冷静な口調で正論を述べた。
すると彼女は、ビクッと肩をすくめてからピンクに近づいていく。
「……。…………」
「ふんふん」
「…………。……。…………」
「え、そうなの! それは~……う~ん」
「……」
通訳というか、メガホン係が悩ましそうにすると、ホワイトはしゅんとしながらその場にしゃがみ込んでしまった。
そのやりとりだけでは何の情報も得られない男達は、モヤモヤとした気分に襲われる。
「ピンクさん。ホワイトさんは何とおっしゃってるのですか」
しびれを切らしたブルーが問うと、さらに「う~ん」という声が。少し間をあけてから、さらに言葉が継がれる。
「あのですね~。ホワイトちゃん、この日を楽しみにしてたらしいですよ。ヒーローに憧れてて~、初出勤の日はぜーったいに怪人やっつけるって決めてたんですって~」
「何ぃ⁉」
ここで急に大声を上げたのはレッドだった。
突然の豹変に仰天する周囲であるが、驚くのはまだ早かった。
「おい、クラブソルジャー!」
「うわっ!」
いきなりずかずかと接近してきたかと思うと、レッドはクラブソルジャーの胸ぐらを掴み、ブンブン振り回し始めた。
こいつ、とうとう気が狂ったのか? いや、おかしいのは元からだったか。
そんな考えがちらつく中、窒息しそうになりながらなけなしの抵抗を試みる。
「な、何をするっ……ゲホゲホッ。ぐっ……くっ!」
「てめえ、女の子を悲しませるとか最低の悪事かましてんじゃねえぞ! 例え世界が許しても、俺だけは絶対許さねえからなーっ! 怪人なら怪人らしく、ちゃんと悪事を働けーっ!」
「な、何言ってるのだ、貴様は!」
「うるせえっ! トロワーパンチ!」
「ぐわあっ!」
思いがけないタイミングで頬を殴られたため、ベンチから転がり落ちてしまう。
悪事を働かないことを理由に成敗された怪人は、おそらく彼が初めてではないだろうか。
「ああもう、先輩。ホワイトさんからの好感度を上げようともがいたところで、無駄だと思いますよ。彼女にだって、好みというものがあるのですから」
ブルーのぼやきにより、レッドの奇行の原因が一瞬にして明らかになる。
この肉食系馬鹿は、新人の女の子に手を出すためにポイントを稼ごうと躍起になっていたらしい。
「何だと! ブルー、お前は俺に、フラれる前に恋をあきらめろって言うのか? アピールという行為によって、可能性をゼロではない状態にできるんだぞ。ゼロがゼロじゃなくなるってことは、成功する可能性が出てくるってことなんだぞ!」
「はあ。言ってることが、負け犬の遠吠え感丸出しですね。いいでしょう。それでは、本人に確認してみましょう」
そう言うと彼は、くるりとホワイトの方に向き直り「レッド先輩のこと、あなたはどう思います?」と実にストレートな表現で尋ねた。
すると彼女は、それに対し至極正直に返答してみせた。
「…………」
両腕を胸の前でクロスさせ、首を力強く横に振る。それはすなわち、ノーということ。
「うぐおっ!」
それを受けたレッドは、生々しい声を上げながらその場に倒れ伏してしまった。
仮面をつけているため推測でしかないが、もしかすると吐血しているかもしれない。
「……。……」
「えーっとお、なるほどぉ。ホワイトちゃん、レッドさんのことは生理的に受けつけないそうです」
「ぐはあっ!」
しかも、清らかなスーツカラーに似合わず案外毒舌家のようで、追撃により出血量はさらに増えた模様だ。
「さてと、これで先輩は心身ともにコテンパンのはず。これを怪人の仕業ということにして、退治することにしましょうか」
「おい!」
不自由な身体を必死に起こしている途中での、青い詐欺師の外道発言。これはこれで充分聞き捨てならない。
「隙あらばいつも怪人に罪をなすりつけようとしおって……む。ブルーよ、もしやこうなることを想定して、ホワイトに話題を振ったのでは……」
「いえいえ、これは偶然の産物ですよ。まさか先輩が、ホワイトさんに恋をしていたとは。まあ、彼女が新加入すると聞かされるなりメンズエステに通い始めたり、事前に購入済みだった女の子のハートを掴むためのテクニック集を一から読み直していたり、普段は決してやらない筋トレを全力投球で取り組んでいたことは事前にリサーチ済みでしたが」
「貴様、絶対察しがついていただろ」
自分の作戦を成功させるためには、事前調査をも抜かりなく行う男。人間でありながら、下手な悪の怪人などよりもうんと恐ろしい。
「……。……」
「えーっとぉ。ホワイトちゃん、ブルーさんの意見に乗っかって戦う気満々だそうです。ほら、レーザーソードまで出してご機嫌ですよぉ」
「……♪」
しかも、新人の心を掴むのにまで成功するとは。計算高さもここまで来ると、嫌悪を通り越して尊敬したくなる。
「はあ。何故我がこんな茶番に付き合わなければならぬのだ。やってもいない罪をなすりつけられ、貴様らの新人教育に協力させられ、今日はろくなことがない」
「……きれいな女の子に、プリンをあーんしてもらっていた方が何を言いますか」
「なっ……!」
見ていたのか、あの場面を!
ブルーからの指摘に、クラブソルジャーは青ざめる。
「あ、あれは決してあーんなどではない! あれは貴様らのせいで腕を負傷し、どうすることもできぬからやむなく」
「でも、あれは立派なあーんでしたよね? 誰がどう見ても、それはそれは立派なあーんでしたよねえ?」
「や、やめろ! それ以上言うと」
額にじっとりとした汗が浮かぶ中、ちらりとそこらでぶっ倒れているレッドの方を確認する。
「な……何か、リア充の匂いが……リア、ジュー……」
案の定と言うべきか、気絶していてもなお過剰な反応を示し始めている。この非モテ肉食獣は、恋人達に関わる用語を聞くと阿修羅に変貌する性質を持っているのだ。
「だから、あれには何のやらしい意味合いはないのだ。それを、とやかく言われる筋合いはない!」
「ええ~。ブルー君ったら、そんな面白そうな場面見てたのお? ねえねえ、どんな感じであーんしてたんですかあ?」
「それはもう、世界最大級のあーんでしたよ。あれがラブシネマでしたら、名シーンとして未来永劫語り継がれる次元の」
「何も知らないピンクに嘘を教えるでない!」
「リアー……ジュー……」
「レッドもレッドで反応するな!」
これは低レベルのラブコメなのか。それとも、単なる出来の悪いコントなのか。
レーザーソードで懸命に素振りをしているホワイトをそっちのけで、面倒な方向に話が進んでいく。
「吹聴をやめる条件として、ホワイトさんと戦うことを提示します。彼女は、ヒーローを志望する若者が減る中で、自ら職に就くことを志願した貴重な人材なのです。特に、女性ともなると希少性はさらに跳ね上がります。そんな彼女に、怪人と戦えなかったというだけでやる気をなくされて辞職されたりなどしたら大損害なのですよ」
「しかし……」
ヒーローの人材難に関しては、嫌というほど聞かされている。だが、何故怪人がそれをフォローするために協力させられなければならないのか。
「いいのですか? もう一度あの件について触れれば、おそらく阿修羅は目覚めますよ」
「うぐっ」
哀れなカニ怪人の脳裏に、かつてのトラウマがよぎる。
本当にあれは、生死に関わるほどの問題であった。思い出すだけで、味わわされた苦痛までが蘇ってくるようだ。
「わ、わかった。本気を出すのは難しいが、付き合ってやろう」
今この状態で奴に暴れられては、確実に死んでしまう。名誉の戦死ならばともかく、恨みと嫉妬によるリンチで散るのはごめんだ。
クラブソルジャーは、泣く泣く条件を飲むことにした。
「あなたは本気を出すと案外強そうですから、ある意味ではちょうどいいかと。ではホワイトさん。初陣ですよ」
「……♪」
やっとお呼びがかかったホワイトは、嬉しそうにスキップをしながら怪人の元へ歩み寄った。
そんな姿を見ていると、こいつはシャイなどではなく、どちらかと言うと不思議ちゃんと称される部類の人間なのでは? という疑念さえ湧いてくる。
「……」
彼女は前半のやる気のなさそうな態度からは想像がつかないほどしっかりとレーザーソードをかまえ、真っ直ぐ正面を見据える。
こうなった経緯こそ気に食わないが、毅然とした姿勢を見せられれば戦士としての血がうずく。
「ほう、剣のかまえはなかなかだな。よし、かかって来い。稽古の手伝いくらいなら協力しよう」
「…………!」
あからさまな挑発を受けると、ホワイトは無言のまま猛進し、怪人の腹部目がけてレーザーソードで切り込んだ。
「ふん」
しかし、クラブソルジャーは負傷していない方の足を軸にし、ひらりと攻撃をかわす。
勢いあまった彼女は、止まることができず転倒して地面に転がり込んだ。
「……」
それでもめげずに再び剣をかまえ、怪人に向かって切りかかる。
「甘いな」
「……!」
だが今度は、その巨大なカニばさみに刀身を挟まれ、身動きを取れなくなってしまった。
「どうした。それで終わりか?」
「……」
「なら、こちらから終止符を打つとしよう」
「……! ……!」
レーザーソードに込められる力は強くなったが、それでも彼の右腕が持つ怪力を押し切るとまではいかない。
とうとう彼女はカニばさみを振り上げられた拍子に尻餅をつき、武器から手を放してしまった。
「全く、この程度の実力で我に挑もうとするとは。これでは殺されに来たようなものではないか」
クラブソルジャーは冷淡に言い放つと、その自慢のはさみでレーザーソードをいともたやすく真っ二つにしてしまった。
敗北した新人は、それを見ながらガタガタと震える。
「そうだ。これでこそ悪の怪人というものだ。何か、久々に仕事をしたという感じがするぞ。ああ、我の心はまだ堕落しきってはいなかったか……」
久し振りに怪人らしい仕事をした彼は非常に満足そうであるが、ヒーローが負けるという結末に対し早速クレームが飛び交うはめとなった。
「ちょっと、クラブソルジャーさん! 新人相手にやり過ぎよぉ!」
すっかりホワイトの保護者みたいな立ち位置となっているピンクが、モンスターペアレントばりの気迫を放ちながら足音を立てて近寄ってきた。
それに押されたクラブソルジャーは、女相手にビクッとたじろぐ。
「な、何だ。我はしっかりと、そこのホワイトと戦ってやったぞ」
「だからあ! 初めて戦う子相手に、やり過ぎだって言ってるんですよぉ! ここは普通、彼女の心意気に免じて負けてあげるところですよねぇ!」
「馬鹿者! 負けたら我が切り殺されるではないか!」
こちらは多少手を抜いてはいたものの、絶対に相手は殺す気でこちらに挑んでいた。いや、絶対そうに違いない。
ヒーローからの滅茶苦茶な要求にカチンときたものの、言い返す間もなく次の口撃が始まる。
「だってえ、あたし達の仕事が怪人をやっつけることなんだから仕方がないじゃない。ほら、ホワイトちゃんだってあんなに悲しんでますよぉ」
保護者が指差す方を向くと、彼女は地面に膝をついたまま目の辺りに手を当てて泣くようなジェスチャーをしている。
あんなものを見せられても、心が揺らぐどころかかえってわざとらしくて腹立たしいと感じてしまうのはいけないことなのだろうか。
不服に思いながら眉間にしわを刻んでいると、今度はブルーが歩み寄ってくる。どうやら、モンスターペアレントなのは母親だけではないようだ。
「あれはまずいですね。もしかしたら彼女、傷心のあまりヒーローをやめると言い出すかもしれませんよ。この責任は、どのようにしてとっていただけますか?」
「何をふざけたことを言っておる。我は充分に手加減をしたし、殺さぬ程度に稽古をつけてやっただけだ。それで何故、苦情を言われなければならぬのだ」
「……!」
クラブソルジャーの率直な一言を耳にするなり、ホワイトは先程よりも大げさなジェスチャーをしながら泣き崩れた。
それを言語化して通訳するように、ブルーがさらに攻め寄る。
「今のはひどいのではないですか? 怪人相手に負けた上に、かなり手を抜いていたと目の前で吐き捨てられればプライドがズタズタですよ。あなたには、デリカシーというものがないのですか?」
「悪の怪人にデリカシーを求めたのは、おそらく貴様が初めてではないのか?」
「これは言葉の暴力であり、心を粉々に破壊する卑劣な行為です。こんなこと、許されてはならない。罰せられて当然の所業です」
「普段から猛毒を吐き散らしている、貴様にだけは言われたくないな」
今の言い分は、事情を知っている人間からなら九割くらい賛同を得られそうであるが、そんなことは自分達を正義の存在として定義づけているヒーロー達の知ったことではない。
貴重な新人のハートをへし折った悪者に制裁を。そのことしか頭にないのだから。
「反省の色はなし、と。ピンクさん。これはもう、極刑でいいですよね?」
「うんうん。普通にいいと思います! 賛成でーす!」
「は……?」
え、あの、極刑って何ですか。ひょっとして、いや、そんな。
嫌な汗が、頼んでもいないのにじっとりとにじみ出てくる。その直後、過保護な両親どもはとんでもない行動をとり始めた。
「あーっ! ホワイトちゃんがクラブソルジャーさんに泣かされちゃいました~!」
……ぴくっ。
ピンクの過剰な大声に、死体と見間違うほど微動だにしなかったレッドの身体が微かに揺れた。
「これは大変ですねーっ! 女の子を泣かすことほど重い罪は、果たしてこの世に存在するのでしょうかーっ!」
……ぴくぴくっ。
ブルーの声に、さらに身体が揺れ動く。
そしてその反応は、さらに強くなる一方だった。
「こういうのって~、ポイント稼ぐチャンスなんじゃないですかね~? 女の子って、ピンチを救われると生理的に無理でも心を開くことがありますよ~!」
「いや、ちょっと貴様ら。や、やめっ」
「そうですよーっ! 例え日頃から女性運に恵まれない先輩でも、傷ついている時に手を差し伸べてあげれば希望はありますよーっ!」
「わ、我が悪かった。だからその」
クラブソルジャーは懸命に制止しようとするが、その願いは決して届かない。
そしてついに、禁断の一言が二人の口から飛び出した。
「「ついに来た! 今こそ、彼女獲得のスーパーチャンス!」」
ぴくっ。ぴくっ。ぴくぴくぴくっ!
「か、彼女……リア充への道ーっ!」
ガバッと起き上がったレッドの手には、一体いつ持ったのかレーザーソード。その背中には、メラメラと燃える執念が具現化した、邪気に満ちたオーラ。
奴はとうとう目覚めてしまった。ヒーローを越えた、危険な存在として。
「てめえ、女を泣かすとか世界最大の禁忌を犯しちまったみたいだなあ……? そうかそうか。そんなに、俺の手にかかりたかったというわけか……」
「いや、あの、その」
こういう状況のことを、人間界では死亡フラグが立ったと呼ぶのではなかっただろうか。
恐怖心が強くなり過ぎたせいだろうか。怪人の頭に、今思い出すべきではない余計な知識が浮かんでくる。
「へへへ、覚悟しろよ? この罪は、死んでも償いきれないと思った方がいいぜ?」
「う……うう……」
何故、怪人である自分がこんな目に遭わなければならないのか。どうして、言われた通り戦っただけで罪人扱いされなければならないのか。どういうわけで、この非モテの願望成就のための犠牲として生贄に捧げられなければならないのか!
理不尽な展開に嘆くカニ怪人だったが、残念ながらこの問いに彼が納得できるような答えを用意できる人物は不在だった。
「死ねえええーっ! 俺のリア充ライフのためにいいいいーっ!」
「うわああああーっ!」
常人の域を遥かに逸脱したレッドの斬撃から、クラブソルジャーは怪我をしていることを忘れて無我夢中で逃げ回った。
死ぬ気で危機を回避するか、絵にも言われぬ地獄絵図を身をもって体感させられて本当に死ぬか。普通だったら、確実に誰もが前者を選ぶに決まっている。
否応なしに幕を開けた、赤と黒の狂気の鬼ごっこを観戦することになった三人は、ポカンとしながら顔を見合わせた。
「あれは……想定を大きく上回った暴れっぷりですね」
「うわあ。レッドさん、本物の鬼みたい。てゆうか、それよりすごいかな? クラブソルジャーさん、今度こそ殺されちゃうかも」
「いえ、それは大丈夫でしょう。片足が不自由なこと忘れて光の如く駆け回っておられますし、彼なら生き延びられますよ。何なら賭けますか?」
「いいですね~。じゃあ、負けた人が勝った人に今日の晩御飯をおごるってことで。ねえねえ、ホワイトちゃんはどっちに賭ける?」
「……♪」
こうして今日も、地域の平和は守られた。
ありがとう、トロワーファイブ! これからも、怪人の魔の手から人々を救い続けてくれ!




