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拍手小話⑨ 「子育て歓躁曲~前奏~」

 今回も最後に描き下ろしがあります。

 その男は、とある部屋の前をウロウロと歩き回っていた。

 

「……ハルカ」


 小さく妻の名前を呼ぶ。

 本当ならば、今すぐにでも部屋の中へと入り傍に付いていてやりたいのだが、それは彼女自身に拒否されてしまったためできない。


 入室を拒否された男にできるのは、こうして部屋の前で妻と子どもの無事を祈ることだけであった。



   ◇◇◇



 例え戦場であっても顔色一つ変えない男――ジークフリートは今、間違いなく人生で最も緊張していた。

 妻にプロポーズしたときも、然程緊張などしていなかったというのに。

 …いや、厳密にいうと、彼は“まっとうなプロポーズ”をしてはいないのだが。


「ジーク様、少し落ち着かれてはいかがですか」 


 そんな、いつも以上に半端ない威圧感の醸し出すジークフリートにノルベルトが声を掛けた。


 尤も、そう言う彼自身も決して落ち着いているとは言えない。

 今も頻りに扉を気にしていた。


「……………………」


 そんなノルベルトの言葉に、ジークフリートは“黙れ”と無言の圧力をかける。


 付き合いの長いノルベルトは、その意味を正確に汲み取り黙った。

 今、下手に逆らったら殺されるかもしれない。


 先程から――といっても、4時間以上前だが――ずっと廊下をウロウロと歩き回っているジークフリートの殺気は、もはや重力にまで影響しているのかと疑う程に強くなっている。

 ……ブラックホールでも出現しそうだ。


 緊張感を増すごとに殺気を強める主を恐れて、ノルベルト以外の使用人達は廊下に近寄ろうともしない。

 そんなに殺気を出していたら、扉を1つ隔てただけの部屋にいるハルカ達にも悪影響を及ぼしそうだ。

 現に、部屋を出入りしているメイド達はジークフリートの前を通るときに“ヒィッ”と悲鳴を上げている。


 ……少しは落ち着け。お前は冬眠明けの熊か。

 今にも人を殺しそうな殺気だぞ。


 ジークフリートの所為で、この廊下には分娩室となっている扉の向こう側とはまた違った緊張感が漂っている。


 そんな緊張感を破ったのは力強い泣き声だった。

 

「「…っ!?」」


 2人の男は、勢いよく扉を見る。


「………………」

「………………」


 穴が開くのではないかと思う程の強い視線に晒されている扉が、不意に内側から開いた。


「おめでとうございます、ジーク様。可愛らしい女の子ですよ」


 部屋から出て来たマーラのセリフに、ジークフリートはホッとした表情になった。


 妻から“絶対入って来ないでください”と言われた部屋の扉を見る。

 そんなジークフリートの視線に気づいたマーラは、微笑みながら彼を部屋へと招き入れた。


「どうぞお入りください。奥様もお待ちですよ」 


  


 その部屋の中には、まだ微かな緊張感と熱気が漂っていた。 


「ハルカ…」

 

 ジークフリートは愛おしげに妻の名前を呼びながら、寝台へと近づいて行く。


「ジーク、可愛い女の子ですよ」


 ハルカは腕の中で眠る赤ん坊を彼へと見せる。


「………小さいな…」

「まあ、生まれたばかりですからね。これからドンドン大きくなりますよ」

「そうだな」


 ジークフリートは赤ん坊の頬を優しく撫でながら呟いた。

 

「抱っこしてみますか?」


 妻のそんな一言にジークフリートは一瞬動揺したが、おそるおそる娘を受け取った。

 ……“抱っこ”というより“持っている”という感じだったが。


 そんな彼の抱き方が不満だったのか、赤ん坊が突然泣き始めた。


「…っ、ハルカ、泣き出したぞっ」


 あからさまに焦った様子の夫に溜め息を吐く。


「……はぁ。そりゃあ、そんな抱き方されたら怖いでしょう。

 もっとしっかり抱いてあげないと」

「……抱き潰しそうだ」

「………………私が抱っこするんで貸してください」


 どうやら夫に渡しておくのは危険だったようだ。


 ハルカの腕に戻った赤ん坊は、泣いていたのが嘘のように大人しくなった。

 やはり母親の方が安心するらしい。……いや、ジークフリートの抱き方が悪かったのだが。


「ハルカに似て美人だ」

「……赤ちゃん相手に何言ってるんですか」


 夫の親バカ全開のセリフに呆れた目を向ける。

 ちなみに、この部屋にはマーラを始め多くの使用人達がいる。

 

 うっ、使用人達の生暖かい目が……い、居た堪れない。

 

 しかし、ジークフリートはそんな視線を気にするような男ではなかった。

 ……彼はもう少し人目を気にするべきだ。


「こんなに美人では……将来が心配だな。おかしな男共が湧いて出そうだ」


 ……この子の恋人や夫となる人は苦労しそうですね。


 そんな、妻の心の声も知らずに、ジークフリートは恐ろしい決意を口にする。


「俺よりも弱い男になど、絶対に嫁にはやらん」


 婿の条件が厳し過ぎる。

 このままでは、娘は一生結婚できないだろう。


 というか、生まれて1時間にも満たない赤ん坊に言うセリフではない。

 どれだけレベルの高い親バカなんだ。

 バカが付くほど愛するのは妻だけにしておけ。周りが迷惑だから。


「……ジークに勝てるとか、もう人間かどうかも怪しいですね」


 ハルカの尤もな意見はジークフリートの耳には届かなかったようだ。

 彼は不穏な言葉を呟き続けている。


「今の中に、危険なヤツら消しておくか…」


 むしろ、危険なのはお前だ。

 何の罪もない善良な一般人を手にかけるのはやめろ。

   



 ―――ジークフリートとハルカの第一子であるシャルロッテの人生は前途多難のようだ。……主に、父親の所為で。



   ◇◇◇



*後日譚



 部屋の中に赤ん坊の泣き声が響く。


「…っ、シャル、なぜ俺だと泣くんだっ」


 ジークフリートは腕の中で泣き続けるシャルロッテを見ながら焦ったように問いかけた。

 もちろん、生後1週間にも満たない娘が答えを返せる訳もなく、むしろジークフリートの声に驚いたのか、シャルロッテはさらに泣き声のボリュームを上げる。


「……ハルカ」

「はいはい。ほら、シャル。お母さんですよ」


 傍で2人の遣り取りを傍観していたハルカは、助けを求める夫からシャルロッテを受け取り、あやすように優しく抱きしめた。

 母親の腕に戻って来たシャルロッテは、先程まで泣いていたのが嘘のようにピタリと泣き止んでいる。

 そんな娘の態度に、ジークフリートは悲しげな表情を浮かべた。


「……シャル…」


 普段の様子からは考えられないような情けない声を出したジークフリートに、ハルカは呆れた目を向ける。


「落ち込みすぎですよ」

「だが、シャルが泣くのは俺だけだ……」

「いや、まあそうですけど」


 そう、2人の第一子であるシャルロッテはほとんど人見知りをしない赤ん坊だった。世話係であるマーラはもちろん、無表情がデフォルトのノルベルトにだって笑いかける愛想の良い子なのだ。

 にもかかわらず、なぜか父親であるジークフリートにだけは懐かない。というか、ジークフリートが抱くと必ず泣き叫ぶのである。


「シャル、一体俺の何が気に食わないんだ……」

「フツーに怖いからじゃないですか?」


 ハルカは落ち込む夫に追撃をかけるかのようなセリフを吐く。

 まあ、彼女の言っていることもあながち間違いではないのかもしれない。実際、ジークフリートの容姿は決して子ども受けするものではないし、中身はその容姿以上に危ないモノだ。赤ん坊ならではの危機回避本能が警鐘を鳴らしている可能性は十分にある。


「……怖いとは、顔がか?」


 妻の意見に納得がいかないのか、一体どこが怖いんだと問いかけるジークフリート。彼には周りから恐れられている自覚はあまりなかった。


「全体的に?」

「……………」

「まあ、シャルに対する態度は優しいと思いますけどね」


 付け足すように言ったフォローは、果して夫に聞こえていたのか。

 ジークフリートは珍しく、愛しい妻と娘を残し、1人部屋を出て行った。 



   ◇◇◇



 男は、“ソレ”を前に何やら深く考え込んでいた。

 

「……少し、小さいか」


 ポツリと呟かれた言葉を聞く者はいない。

 男は意を決したように“ソレ”へと手を伸ばし―――――勢い良く目の前の首を引き千切った。



   ◇◇◇



「…~~っ!?」

「…っ、ヒィッ!?」

「きゃぁ!?」


 ジークフリートを見た使用人達が悲鳴を上げて後退さる。その顔は一様に蒼褪め、引き攣っていた。




「…………ジーク、ですよね?」 


 変わり果てた姿の夫を見て、ハルカは思わずそう問いかけていた。さすがの彼女もこの惨状はスルーできなかったようだ。


 彼女の夫は、なぜか着ぐるみを着ていた。


 着ぐるみ――それは、ハルカがこのハイディングスフェルト王国に来た――所謂異世界トリップだ――ときに身に着けていたものであり、結婚してからは邸の応接室に飾られていたものだった。

 なぜか、それをジークフリートが着ている。いや、着ているという表現は正しくない。

 ハルカが着るのに丁度良いサイズのそれは、ジークフリートには明らかに小さかったのだろう。そのため、彼は着ぐるみの頭の部分だけを被っていた。……着ぐるみは、元々頭を取り外しできるタイプのものではなかったため無理やり引き千切ってしまったらしく、無残にも首との接続部であった場所から“中身(わた)”が飛び出している。

 つまり、首から下はジークフリートの身体なのに、頭部が着ぐるみの顔になっているのだ。


「首だけ千切っちゃったんですか?」

「ああ、俺には小さかったからな」


 なら、サイズが合わなかった時点で諦めて欲しかった。


「なんでそんな格好を…?」

「これなら怖くないだろう?」 

「いや、むしろ怖さが倍どころか、二乗になった気がします」


 どうやらジークフリートは、ハルカの“全体的に怖い”発言を気にしていたようだ。

 それがなぜ、着ぐるみを着ることに繋がったのかは謎だが。

 しかし……これは、怖い。物凄く怖い。

 体格の良いジークフリートの身体に着ぐるみの顔(?)は似合わない……というよりも、“あの”ジークフリートが可笑しな――あるいは間抜けな――被り物をしているという事実が恐ろしい。しかも、無残にも引き千切られた着ぐるみの顔は、どことなく見る者に自らの悲痛を訴えかけてきているような気がする。

 それはもう、見た人が現実逃避したくなる程の破壊力だった。


「これではダメか…。ハルカは以前、“ハリボテを着て子どもの相手をしていた”と言っていただろう?だから、頭だけでも被ってみたんだが」


 娘に怖がられないために着ぐるみを着ることを思い付いたらしい。


「………まあ、一回試してみたらどうですか?意外と、シャルは気に入るかもしれませんし」

「ああ、そうだな」


 妻の助言に従いシャルロッテへと近づいて行くジークフリートの後ろ姿には、何時にない緊張感が漂っていた。着ぐるみを着ている所為で、そのインパクトたるや凄まじいものがある。軽くホラーだ。

 そんな、ジークフリート+着ぐるみという恐怖のコラボレーションを前に泣き出さない赤ん坊などいる訳もなく……。


 数分後、部屋の中に赤ん坊の泣き声が響き渡ることとなった。




 より大きな恐怖に直面した所為なのか、この日を境にシャルロッテがジークフリートに怯えることがなくなったのは、怪我の功名というものなのかもしれない。

 




 まさか、今更着ぐるみの首をチョンパすることになってしまうとは…。

 ジークフリートの奇行に作者もビックリです!

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