あ、そういえばさっき
大学の同級生、日枝薫をその場に残し、俺はスーパーに駆け込んだ。そこには、買い物客のすぐそばを、オークたちがわらわらと歩き回っていた。
少し離れた場所から様子をうかがう。
オークたちは、まるで森の中でも歩くかのように、商品棚の間をうろうろと歩き回っている。
店内の人間には気づいていないらしい。買い物客とすれ違っても、互いに何の反応もない。まるで身体がすり抜けているかのようだった。
だが、神社にいた『キンググローブ』は周囲の植物を揺らしていた。つまり、人間には認識されなくても、周囲のものには物理的に影響を与える。もたもたしているうちに、店内を破壊し始めたら大変だ。
索敵レーダーで数を確認すると、ざっと三十体はいる。しかも、あちこちに散らばっていて、まとめて倒すのは難しそうだ。
魔法が物理現象として作用することは、これまでの経験でわかっている。炎魔法を放てば燃えるし、冷気魔法を使えば氷が生じる。
だからここで広範囲魔法を使うわけにはいかない。ましてや、地震や津波、隕石のような大掛かりな魔法など論外だ。店どころか、町ごと壊しかねない。
ここはまず範囲化した睡眠魔法で眠らせて、視界の外から一体ずつ倒そう。
「すいみ……」
「急に走り出すから、何事かと思って」
俺が詠唱を始めた瞬間、背後から聞き覚えのある、少し甲高い声が飛んできた。
「うおおおお!」
「ええ!?」
動揺して、思わず変な声を出してしまった。睡眠魔法の詠唱が中断され、魔法は発動しなかった。
彼女は俺が急に走り出したので、気になって後をついてきてしまったらしい。
「……日枝さん?」
「は、はい」
俺のただならぬ様子を見て、さすがの彼女も少し戸惑っているようだ。
「後でちゃんと話すから、今は少しだけ外に出ていてもらっていい?」
「ええ~! 何それ!」
「ちゃんと説明するので!」
俺の返答に対し、上目遣いで考え込むような表情を見せる彼女。一瞬だけ何か言いたげだったが、すぐに口をつぐみ、渋々うなずいてくれた。
それでも最後に一度だけ、鋭い目でこちらを振り返ると、店の外へ出ていった。
……後で謝ろう。
いやでも、危ないところだった。彼女の不意の声かけで、結果的に冷静になれたのはよかった。敵対行動をすると実体化するんだから、睡眠魔法も例外ではないはずだ。もう少しで、他の客や店員にモンスターの姿を見られて、大騒ぎになるところだった。
となると、取れる手段は一つ。
オークの知覚範囲ぎりぎりまで近づき、単体魔法で一体ずつ倒すしかない。しかも、ほかのオークに気づかれる前に、迅速に仕留める必要がある。
ソーファンには、火・氷・風・土・雷・水・光・闇の八属性がある。火や氷など、自然の力を利用する魔法では、どうしても周囲に被害が出る。
光と闇の魔法は少々癖が強いが、この状況に一番合いそうなのは――光の力を集めて敵にぶつける『聖球』の魔法だろう。
方針は決まった。オークの知覚は視覚が中心だ。ならば、正面に立たなければ気づかれる可能性は低い。
俺は少しずつ位置を変えながら、知覚範囲ぎりぎりまで接近する。そして、背を向けているオークを狙った。
「聖球!」
ドンッ!
白く輝く光の玉がオークに直撃する。
次の瞬間、その身体は光となって砕け散った。
よし。想定どおり、一撃で倒せた。
下位のオークは知能が低い。統制の取れた動きもしない。なんとなく周囲をうろついているので、棚にぶつかって商品を落とすオークも出始めている。
……さっさと倒さないとだな。
獣人族は攻撃を受けると、近くにいる仲間も反応して一緒に襲いかかってくる。ただし、一撃で倒せば、仲間が反応する前に仕留められる。
ドンッ!! さらに一体。
俺は慎重に狙いを定め、神聖魔法を放ち続けた。
――。
ドンッ……!
ようやく最後の一体を光に変えた。
レーダーを確認する。……よし、敵の反応はもうない。
ようやく一息つくと、俺はゆっくりと店の外へ歩み出た。
日枝薫は腕を組み、しかめ面で立っていた。十分ほど待たせてしまったが、ちゃんとスーパーの前で待っていてくれた。律儀な人だ。少しワンコ感があるかもしれない……。
「お待たせしました」
俺を見ると、彼女は腕をほどき、腰に手を当てながら、ずいっとこちらに身を乗り出してくる。
俺は少し上体を引きながら、おそるおそる口を開いた。
「えーっと、どこから話せばいいかな……」
「なんでお宮に行ったのに、行ってないって言ったの?」
やっぱり、そこからか……。でも誤魔化しようもないよな。
うん。決めた。彼女に細かい嘘をついても無駄だろうし、もういっそ全部言ってしまおう。
「日枝さんさ。ソーマファンタジーって知ってる?」
「え? 急に何の話?」
さすがに面食らった表情だ。だが、すぐに彼女の黒い瞳が好奇心に輝き始めた。
うん。……日枝薫なら、もしかして今の俺の状況も理解してくれるかもしれない。俺は話を続けた。
「ゲーマーなら誰でも知ってる、有名なオンラインゲームなんだけどね」
「知識としては知ってるよ。十年以上も前から続いていて、今なおたくさんのファンがいる、多人数同時参加型のオンラインRPGでしょ?」
「へえ。知識として知ってるだけでも意外だった」
「あら、そう? 勉強ばっかりやってるイメージだった?」
彼女は皮肉っぽく笑った。
確かに意外だった。でも、まあこれは偏見だな。誰がどんな趣味を持っているかなんてわからない。
「いや、まあ、そうでもないけど、ゲームに詳しいイメージはなかった」
「そう? ふふん。それで、そのソーファンがどうしたの?」
……今、ソーファンって言ったよな?
そのことを考えようとした瞬間、俺は別のものに気がついた。
「!?」
日枝さんの背後に、ぼんやりと揺らめく闇が浮かび上がっている。
その闇の中に浮かび上がったのは――。
「『全身皮剥狂』ザクトズルト……」
そいつは、俺の正面に立つ日枝さんの背後に、忽然と姿を現した。
しかも、すでに実体化している。
出現した瞬間に俺を感知しているからか……!
……これはまずい。
背筋に冷たいものが走る。しかし、考えている間はない。
俺は右手の二本の指を静かに伸ばし、ゆっくりとザクトズルトに狙いを定めた。
「え、なに? 何その動き!?」
自分に向けられたと勘違いしたのか、彼女はあたふたとしている。しかし今、それに配慮する余裕はない。
「ゴァァアアア!!」
ザクトズルトの唸り声に、日枝さんがバッと振り返る。
「デス!」
その瞬間、俺の即死魔法が発動した。
一瞬にして闇に包まれたオークは命の灯を刈り取られ、そのまま光となって消えていく。
その光景を目の当たりにした日枝薫は、かつてないほど目を見開いていた。
「な……今の……な、に……?」
「話せば長くなるんですが……」
彼女は言葉に詰まり、ぼそぼそとつぶやいた。俺も真顔のまま立ち尽くし、歯切れ悪く声を絞り出す。
ところが、次に彼女が口にした言葉は、俺にとって意外なものだった。
「オーク……?」
「えっ」
彼女の口から出た言葉に、俺は耳を疑った。
そういえば、さっきソーマファンタジーのことを、ソーファンって略していたよな……?
俺のこわばった表情を見て、日枝薫は少しだけ表情を緩めた。
「実は私、ソーファンプレイヤーだったりするんだ」




