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【アストラ・レコーダ】〜VRMMO転移で最弱スタート〜異世界に放り込まれた俺は、敵のスキルを奪い尽くして最強に成り上がる〜  作者: ころん


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第15話 訓練とメタルスライム


「……立て。そんなんでへばってたら、ゴブリン・ロードの前にただの雑魚ゴブリンに食われるぞ」


 エルモアの冒険者ギルド。その裏手に併設されている、土埃の舞う殺風景な訓練場。

 容赦なく照りつける二つの太陽──赤いラエラと青いセラ──の強烈な光の下、俺は地面の砂を舐めるような無様な姿勢で這いつくばっていた。


「ゲホッ……かはっ……っ」


 肺に酸素が入ってこない。喉の奥から、鉄錆みたいな血の味がせり上がってくる。

 見上げると、木剣を片手にだらりと下げた星見のリオさんが、冷ややかな左目で見下ろしてきていた。

 ギルマス執務室で「見学枠で連れて行くから、レベルを上げろ」と無茶苦茶な宣告をされた翌日。

 朝イチでギルドに呼び出された俺を待っていたのは、リオさん直々の「基礎訓練」という名の地獄だった。


「ほら、木剣を握れ。もう一丁いくぞ」

「ま、待って……タイム、タイムです……っ」

「戦場にタイムなんて都合のいい魔法があるなら、私が真っ先に使ってるよ」


 有無を言わさぬ口調。俺はガクガクと笑う膝を両手で無理やり叩いて、どうにか立ち上がった。

 渡されたボロボロの木剣が、今の俺には鉛の塊みたいに重く感じる。

 最初の模擬戦が始まってから、まだ十分も経っていない。

 なのに、俺はもう五十回は地面に転がされている。


「行くぞ」


 リオさんの姿が、ブレた。

 そう見えた瞬間には、もう俺の懐に彼女が入り込んでいる。

 速い。見えない。いや、速さだけじゃない。俺の動こうとする予備動作の、さらに一つ前の筋肉の収縮を完全に読まれている。


「……っ!」


 咄嗟に木剣で防ごうとしたが、俺の腕が上がるよりも早く、リオさんの木剣の腹が俺の右手首を的確に打ち据えた。


「いっ、つぁ!?」


 ビーン!と骨の髄まで響く痺れ。思わず木剣を取り落としそうになった隙に、足を軽く払われる。

 視界が反転し、またしても俺の背中は訓練場の硬い土に叩きつけられた。


「がはっ……ごほっ……」

「……」


 リオさんはため息をつき、木剣を肩にトントンと当てた。


「あのさ、スイ。あんた、レベル10そこそこなんだから、私(Lv.85)と力の差があるのは当然だ。そこは責めない」


 リオさんの左目が、呆れたように細められる。


「でもな。それ以前の問題だ。……あんた、まともに剣なんて振ったことすらないだろ」


 図星だった。

 ぐうの音も出ない。俺はただの帰宅部の高校生だ。剣道だって体育の授業で竹刀を適当に振った記憶しかない。

 この世界に来てから戦い抜いてこられたのは、全部『黒鷲の簒牙』で奪ったスキルのおかげだ。『棍棒殴打』のシステム補正で腕を振り回し、『剣士の怒り』で理性を吹き飛ばして無茶苦茶に暴れ回っただけ。

 自分の頭で考えて、自分の技術で剣を振るったことなんて、一度たりともない。


「……はい。素人です」

「だろうな。足捌きはめちゃくちゃ、重心はブレブレ、剣を振る時の脇の甘さなんて、見てるこっちが不安になるレベルだ」


 リオさんは木剣を投げ捨て、俺の襟首を掴んで強引に引きずり起こした。


「あんたのあの異常なスキルたちは、確かに強力だ。だがな、それを発動させる『器』、つまりあんた自身の基礎が素人以下じゃ、いつか絶対に自滅する。スキルに振り回されて、自分の身体を壊すのがオチだ」

「……自滅」


 ワイルドベアとの戦いを思い出す。あの時、『剣士の怒り』の出力に身体が耐えきれず、俺は自分の筋肉をブチブチに引きちぎって死にかけた。

 リオさんの言う通りだ。システムに依存しているだけじゃ、俺はいつか絶対に限界を迎える。


「今日からロード戦の討伐隊が出発するまでの間、あんたの身体の基礎を徹底的に叩き直す。スキルに頼らない、人間としての素の身体の動かし方をな。……覚悟はいいか?」

「……やるしか、ないですよね」

「いい返事だ。じゃあまずは、あの城壁の外周を十周走ってこい。話はそれからだ」

「じゅっ、十周!? エルモアの城壁って、めちゃくちゃデカいですよ!?」

「十一周にするか?」

「行ってきますッ!!」


 俺は悲鳴を上げながら、重い足を引きずって駆け出した。


 そこからの訓練は、文字通りの地獄だった。

 地球とは微妙に違う重力や空気の濃さにまだ適応しきれていない身体で、長距離のランニング。

 戻ってきたら、息を整える暇もなく木剣の素振りを五百回。

 腕がパンパンに腫れ上がり、指先が痙攣して木剣を握れなくなっても、「システム補正を切れ。自分の力だけで振れ」と容赦なく怒声が飛んでくる。

 体幹トレーニングと称して、重い石を抱えたままスクワット。

 さらに、投げ飛ばされた時のための『受け身』の反復練習。何度も何度も硬い地面に叩きつけられ、身体中が青痣だらけになった。


「う、お、オエェェェェェェ……っ」


 夕方になる頃には、俺は訓練場の隅の樽に顔を突っ込んで、胃液をぶちまけていた。

 昼にアヤネが作ってくれた美味しいお弁当も、全部吐き出してしまった。

 全身の筋肉がブチブチと千切れそうなほどの悲鳴を上げ、立っていることすらできない。


「……今日はこのくらいにしておいてやる。明日も同じ時間に来い。遅れたら腕立て追加だ」


 リオさんは汗一つかいていない涼しい顔でそう言い残し、ギルドの中へ戻っていった。

 俺は樽に寄りかかったまま、ズルズルと崩れ落ちる。

 マジで死ぬ。

 ゴブリンに殺される前に、この鬼教官の訓練で過労死するんじゃないか。本気でそう思った。



     ◆ ◆ ◆



 訓練開始から三日目。


「踏み込みが浅い! もっと腰を落とせ!」

「はいっ!!」


 俺は顔中を泥だらけにしながら、木剣を無心に振り下ろしていた。

 全身がロボットみたいにギシギシと軋む。筋肉痛なんてもう通り越して、神経が麻痺しているような感覚だ。

 それでも、初日よりは少しだけマシになっていた。

 俺の脳が、いや、俺の身体に巣食う『黒鷲の簒牙』というシステムが、俺が「死に直面している」と勘違いして、超回復のようなものを促しているのかもしれない。

 痛いのは痛いが、倒れるまでの時間は確実に延びている。


「……ふふっ。随分と熱が入ってるじゃない」


 不意に、訓練場の端からのんびりとした声が聞こえた。

 木剣を振る手を止めて振り返ると、そこには大きな木製の水筒と籠を持ったサクラさんの姿があった。

 いつものふくよかな笑顔で、エプロン姿のまま歩いてくる。


「サクラさん……! どうしてここに」

「アヤネがね、スイが毎日ボロボロになって帰ってくるから、心配して様子を見に行ってくれってうるさいのよ。ほら、冷たいお茶と、塩漬けの木の実。食べなさいな」

「ありがとうございます……っ!」


 俺は木剣を放り投げ、サクラさんが差し出してくれた水筒に文字通りしがみついた。

 冷たいハーブティーが、カラカラに乾いた喉と胃に染み渡っていく。塩漬けの木の実の強烈な塩っぱさが、疲労困憊の身体に最高のカンフル剤になる。

 生き返る……。


 俺が地面に座り込んで息をついていると、リオさんが腕を組んでサクラさんの方へ歩み寄った。


「わざわざ差し入れとはな。サクラ、あんたも暇じゃないだろうに」

「うちの可愛い従業員がしごかれてるんだもの。おかみとして様子を見に来るのは当然でしょ?」


 サクラさんはクスッと笑いながら、リオさんの顔を覗き込んだ。


「ねえリオ。いくら何でも、あの子を少し追い込みすぎじゃない? たった三日で、あんなに青痣だらけにして。あの子、元々はただの普通の男の子なのよ?」


 サクラさんの言葉は、俺を気遣ってくれている優しいものだった。

 でも、リオさんは全く表情を変えずに、冷たく言い放った。


「……サクラ。この子は、甘やかしたら死ぬ」


 その言葉の重みに、俺はハッとして顔を上げた。


「あいつの持っている力は異常だ。だが、心と身体がそれに追いついていない。ゴブリン・ロードの討伐隊に混ざれば、今のままじゃ確実に命を落とす。……私が甘やかして、あいつが死体になって帰ってくるくらいなら、今ここでゲロ吐くほどしごいて、生き残る確率を1パーセントでも上げるのが、私の責任だ」


 リオさんの左目が、真っ直ぐに俺を射抜いている。

 十年前、自分の甘さで仲間を失った彼女だからこそ、その言葉には血を吐くような本気の重さがあった。


 サクラさんは、リオさんのその顔をじっと見つめ、やがて小さく、けれど深く頷いた。


「……そうね。あなたの言う通りだわ」


 サクラさんの瞳が、一瞬だけ、食堂の優しいおばちゃんのものから、底知れない冷たさを持った『何か』へと変わった気がした。

 この世界は、甘くない。

 優しさだけじゃ生き残れない。俺が地球に帰るためには、血反吐を吐いてでも強くならなきゃいけないんだ。


「スイ君」

「……はい」

「死なない程度に、死ぬ気で頑張りなさい。夕飯、アヤネと一緒にあなたの大好きなシチューを作って待ってるからね」


 サクラさんはいつもの笑顔に戻り、俺の頭をポンと撫でてから、ギルドの裏手へと去っていった。

 残された俺とリオさん。

 俺は地面からゆっくりと立ち上がり、放り出していた木剣を拾い上げた。


「……休憩終わり。次、お願いします」

「いい目になったじゃないか。来い、スイ!」


 俺は、リオさんに向かって、枯れかけた声を振り絞って木剣を振り下ろした。



     ◆ ◆ ◆



 訓練開始から五日目の夜。


「……う、うぅぅ……」


 さくら茶屋の屋根裏部屋。

 俺は狭いベッドの上にうつ伏せに倒れ込んだまま、指一本すら動かせずに呻き声を上げていた。

 今日の訓練はマジで限界だった。最後の方は意識が飛んでいて、どうやってエルモアの路地を歩いてこの部屋まで帰ってきたのかすら覚えていない。

 全身の筋肉が炎症を起こして熱を持ち、呼吸をするだけで肋骨がミシミシと痛む。


 ギィ、と薄い扉が開く音がした。


「スイさん……起きてる?」


 ランプの灯りを持って入ってきたのは、アヤネだった。

 彼女の腕には、薬草の匂いがする湯気を立てた洗面器と、白い布が抱えられている。


「……ごめん、アヤネ。動けなくて……」

「いいよ、そのまま動かないで。今、熱を引かせる湿布を貼るからね」


 アヤネはベッドの横に膝をつき、慣れた手つきで俺の背中や腕の酷い青痣に、冷たい湿布を当ててくれた。

 スーッとしたメントールのような香りと冷たさが、火照った筋肉の痛みを和らげていく。


「……スイさん。ひどい怪我。毎日毎日、ボロボロになって……」


 アヤネの声が、かすかに震えていた。

 顔を横に向けると、ランプの灯りに照らされたアヤネの大きな目が、涙でいっぱいに潤んでいるのが見えた。


「ねえ、スイさん。こんなに頑張らなくてもいいんじゃないかな……? スイさんはもうEランクになったんだし、森の浅いところで安全な薬草採りだけしてれば、十分暮らしていけるよ。……これ以上、危険な目に遭わなくたって……」


 アヤネの言葉は、本心からの心配だ。

 彼女にとって、俺は「謎の異世界から来た、ちょっと変わった男の子」で、できれば平和に一緒に茶屋で働いてほしいと思ってくれている。

 俺だって、本音を言えばそうしたい。

 痛いのは嫌だ。怖いのは嫌だ。毎朝吐き気と筋肉痛で目が覚めるような地獄なんて、今すぐ放り出したい。


 でも。


「……嫌だ」


 俺の口から出たのは、自分でも驚くほどハッキリとした、拒絶の言葉だった。


「え……?」

「俺は、やるよ。……強くならなきゃ、ダメなんだ」


 俺は、アヤネの目を真っ直ぐに見返した。

 思い出すのは、あの『囁きの森』で、月光ウルフの群れに襲われた時のことだ。

 アリシアさんが転び、二匹の狼が彼女の喉笛に食らいつこうとしたあの瞬間。

 俺がもし、あの場に間に合わなかったら。

 俺がもし、『咆哮』や『恐慌の目』のスキルを使えなかったら。

 アリシアさんは確実に食い殺されていたし、アヤネだってどうなっていたか分からない。


「……あの時、俺が弱かったら。アリシアさんも、アヤネも、俺の目の前で死んでた」


 俺の言葉に、アヤネがビクッと肩を震わせた。


「あの恐怖は、もう二度とごめんだ。……俺の手の届くところで、俺が弱かったせいで、誰かを守れないのは……絶対に嫌なんだ」


 地球に帰るため。それは大前提だ。

 でも、それだけじゃない。この世界で俺に向けられた優しさや、共に歩んでくれる人たちの命を、不条理な暴力から守りたい。

 ヒーローになりたいわけじゃない。ただ、後悔したくないだけだ。

 そのためには、リオさんの言う「器」を広げて、この理不尽な力を完全に俺の意思でコントロールできるようにならなきゃいけない。


「スイさん……」


 アヤネは、ぽろりと大粒の涙をこぼし、そして、小さな手で俺の泥だらけの髪を優しく撫でてくれた。


「……そっか。スイさんは、本当に優しいね。でも、バカだよ。自分の身体ばっかり痛めつけて」

「バカでいいよ。俺、元々頭良くないし」


 俺が引きつった顔で笑うと、アヤネも涙を拭いながらフフッと吹き出した。


「わかった。スイさんがそこまで言うなら、私はもう止めない。その代わり……私が作る一番効く湿布と薬湯で、絶対にスイさんの身体を治してあげるからね。だから、死んじゃダメだよ」

「うん。約束する」


 アヤネの温かい手の感触を感じながら、俺は深い眠りへと落ちていった。



     ◆ ◆ ◆



 訓練開始から六日目の夜。


「……よし。今日の基礎訓練はここまでだ」


 すっかり日が落ち、魔法のランタンの灯りが訓練場を照らす中、リオさんが木剣を下ろした。

 俺は膝に手をつき、荒い息を吐きながらも、なんとか倒れずに立っていた。

 初日に比べれば、随分と体力がついた。木剣の振り方にも少しは芯が通るようになり、リオさんの攻撃を十回に一回くらいは防げるようになっている。


「だいぶマシになったな。素人にしては上出来だ」

「はぁっ……はぁっ……ありが……ます……」

「だが、基礎はあくまで基礎だ。実戦の恐怖の中でそれが出来なきゃ意味がない。……というわけで、スイ。追加課題だ」


 リオさんは懐から一枚の古びた羊皮紙の地図を取り出し、俺の胸にバシッと押し付けた。


「今夜、ここに行ってこい」

「ここって……?」

「エルモアの北門を抜けて一時間ほど歩いた森の中にある、廃れた貯水池だ。昔は街の水を供給していたが、今は使われていない」


 地図に赤いインクで丸がつけられている場所。

 夜の森へ行けというのか。この疲労困憊の身体で。


「そこに、『メタル・スライム』が出現したという報告があった」

「め、メタル・スライム……? ゲームとかでよくいる、あの硬くてすぐ逃げる奴ですか?」

「ゲームが何かは知らんが、その通りだ。全身が硬い液体金属で覆われている希少種で、出現率は極めて低い。強さ自体はFランク級だが、物理攻撃に対する異常な耐性と、俊敏な逃走能力を持っている。普通の冒険者じゃ、傷一つつけられずに逃げられるのがオチだ」


 リオさんは、俺の腰に下げられた古剣を指差した。


「だが、あんたのその『異常な力』なら、あるいは倒せるかもしれない。あいつは経験値の塊だ。倒せば、今のあんたのレベルなら一気に『器』が広がるはずだ」

「……俺一人で、ですか?」

「当たり前だ。ロード戦を前にした、あんたの最終試験だと思って一人で狩ってこい。逃げられたら、明日の素振りは二千回追加だ」


 二千回。

 想像しただけで腕がちぎれる幻覚を見た。

 行くしかない。俺は地図をギュッと握りしめ、深く頭を下げた。


「……行ってきます」

「ああ。死ぬなよ」



     ◆ ◆ ◆



 深夜。

 エルモアの北、廃れた貯水池。

 二つの月——白い月オルと赤い月ノクトの光が、鬱蒼とした木々の隙間から降り注ぎ、朽ち果てた石造りの水路と、苔むした広場を幻想的に照らし出していた。

 ひんやりとした夜の空気が、汗ばんだ肌の熱を奪っていく。

 虫の鳴き声すらしない、不気味なほどの静寂。


 到着してすぐに見つかるような甘い相手じゃないと、リオさんから釘を刺されていた。

 俺は『静寂の歩み』のスキルを無意識に発動させ、足音を完全に殺して広場の影に潜む。

 目を凝らし、地面を這いつくばるようにして痕跡を探す。

 石畳の上に、月光を反射してかすかに光る、銀色の粘液のような筋を見つけた。幅は数センチ。これが奴の這った跡か。

 その痕跡を辿り、崩れかけた水路の影で、息を殺して待ち伏せる。

 十五分。三十分。一時間。

 冷え切った石の温度が腹から伝わってきて、体の芯から体温を奪っていく。集中力が切れそうになるのを、奥歯を噛み締めて必死に堪える。


 そして、一時間半が経過した頃。


(……来た!)


 貯水池の中央。月光を反射して、銀色にヌメヌメと光る「何か」が瓦礫の隙間から這い出してきた。

 直径一メートルほどの、水銀のような流体のスライム。

 形を不定形に変えながら、地面の苔や微生物をゆっくりと捕食しているように見える。


『 メタル・スライム(Lv.30 / 希少種) 』


 視界の端のアラート。レベル30。

 Fランク級の強さだと聞いていたが、レベルだけ見れば完全に格上だ。

 俺は腰の古剣の柄をギュッと握りしめ、ゆっくりと鞘から引き抜いた。

 相手は物理攻撃に極端な耐性を持つという。なら、不意打ちで一撃で核を仕留めるしかない。


(逃がすかよ……ッ!)


 俺は地面を蹴り、一気に距離を詰めた。

 スライムは食事に夢中で、俺の接近に気づいていない。

 『静寂の歩み』による完全な奇襲。


(……月光ウルフ戦の、あの感覚)


 跳躍する直前、頭の片隅で思い出す。

 あの夜、無我夢中で両腕の筋肉だけに『剣士の怒り』を流し込んだ感覚。あの時は半ば偶然だった。でも、リオさんに身体の使い方を一から叩き直された今なら、もっと精密にできるはずだ。

 全身に流すんじゃない。片腕だけに。一点だけに。


『 アクティブスキル【 跳躍 】発動 』

『 アクティブスキル【 剣士の怒り 】(部分励起)発動 』


 ダンッ!と地面を蹴り、上空へ跳ね上がる。

 空中で右腕だけに『剣士の怒り』の出力を集中させ、スライムの銀色の身体の中心——透けて見える少し濃い色の『核』めがけて、渾身の力で急降下しながら剣を振り下ろした。


 もらった。完全に急所を捉えた。

 そう確信した、その瞬間だった。


 ニュルッ。


 剣先が触れるコンマ数秒前。メタル・スライムの身体の表面が波打ち、体内の『核』が、まるで水の中を滑るビー玉のように、剣の軌道から横へとズレたのだ。


「なっ……!?」


 ガギィィィィンッッ!!!


 剣を握る両手が、強烈な反発力で弾き飛ばされそうになった。

 核を外した刃が、スライムの硬質な金属皮膜に激突する。まるで分厚い硬質ゴムか、しなる鋼鉄の壁に全力で剣を叩きつけたような異常な反発力。

 なまくらの古剣がギシッと悲鳴を上げ、俺の身体は空中でバランスを崩して後方へ弾き飛ばされた。


「しまっ……!」


 無様に地面に転がり、受身を取り損ねる。

 奇襲に失敗した。

 すぐさま体勢を立て直そうとした俺の目に映ったのは、獲物を仕留め損ねたハンターを、今度は逆に『敵』と認識して反撃に転じるスライムの姿だった。


『ピイィィィィィッ!』


 不快な高周波の鳴き声を上げ、メタル・スライムの流体の身体が瞬時に硬直する。

 表面から、鋭利な槍のような銀色の棘が無数に隆起した。

 そして、そのままバネのように身体を縮め、俺に向かって弾丸のような速度で体当たりを仕掛けてきたのだ。


「うおぉっ!?」


 俺は咄嗟に横へ転がろうとしたが、遅かった。

 ドゴォッ!!

 棘だらけの銀色の塊が、俺の左脇腹に容赦なく激突する。


「がはぁぁぁっ!?」


 内臓が破裂するかと思うほどの衝撃。

 鋭い棘が皮鎧を貫通して肉を裂き、そのまま俺の身体は数メートル先まで吹き飛ばされて、石の壁に背中から激突した。


「ゴホッ、あ……がぁっ……!」


 口から血混じりの胃液がこぼれる。

 痛い。肋骨が何本か確実にヒビ割れた。脇腹からは熱い血が止めどなく流れ出している。

 視界の端で、HPバーが半分近くまで一気に削れ飛んだのが見えた。


(硬い……それに、何だあの質量と威力……!)


 ただの体当たりでこのダメージ。もし頭に食らっていれば、俺の薄っぺらい防御力じゃ一撃でミンチにされていた。

 俺の身体は、あまりにも脆すぎる。敵の攻撃を耐えるための装甲が、決定的に足りていない。

 防御スキルが欲しい。どんな攻撃も弾き返せるような、頑丈な鎧が絶対に必要だ……!


 スライムが再び身体を縮め、二発目の突進の準備に入っている。

 パニックになりかける頭を、必死に深呼吸で押さえ込む。


(落ち着け。リオさんの訓練を思い出せ)


 ただ闇雲に剣を振るな。相手を観察しろ。

 俺は脇腹の激痛に耐えながら、スライムの動きを凝視した。

 最初の急降下突きの時、奴は流体であることを活かして核を移動させた。

 でも、さっき俺に体当たりを仕掛けてきた時はどうだった?

 全体を硬化させ、バネのような反発力を生むために……奴の体内の『核』は、身体のド真ん中で完全に「固定」されていた。


(……なるほど。攻撃の瞬間だけは、流体を維持できないのか)


 なら、狙うべきはその一点のみ。


 俺は痛む足に鞭打って立ち上がり、わざと剣先を下げ、隙だらけの構えを取った。

 スライムが俺の弱り切った姿を獲物と認識し、高周波の音を立てて再び突進を仕掛けてくる。

 銀色の棘が迫る。

 怖い。足がすくむ。避け損ねれば今度こそ死ぬ。

 でも、俺の目は、スライムの中心でピタリと動かなくなった『黒い核』を確実に捉えていた。


(今だッ!!)


 棘が俺の顔面に突き刺さるコンマ数秒前。

 リオさんにしごかれ続けた足捌き。無駄な動きを削ぎ落とした最小限のステップで、俺は突進の軌道から身体を半歩だけ横にズラした。


 ビュォンッ!と、銀色の塊が俺の耳元を掠めていく。

 スライムは急に止まれない。突進の勢いのまま、完全に無防備な背中を俺に晒した。


『 アクティブスキル【 剣士の怒り 】(部分励起)発動 』


 ドクンッ!!

 全身を支配しようとする赤い殺意の波を、右腕の筋肉だけに流し込む。

 右腕の血管が異常に膨れ上がり、皮膚の下で血が沸騰するような激痛が走る。


 一度目で感覚は掴んだ。右腕だけに、限界まで絞って流す。


 俺は古剣を逆手に握り直し、通り過ぎていくスライムの背面——固定されたままの『核』めがけて、渾身の力で剣を突き立てた。


「おおおおおおおおおおおッッ!!」


 ガガガガガガッッ!!


 剣先がスライムの金属皮膜と激突し、激しい火花が散る。

 弾かれそうになる剣を、右腕の筋力が強引にねじ伏せ、金属の表面を無理やり突破していく。


 ピキッ。


 手応えがあった。

 剣先が、スライムの内部にある硬い核を捉え、完全に貫いた感触。


『ピィィィィ……』


 かすかな断末魔の音と共に、メタル・スライムの銀色の身体がドロドロと崩れ落ち、やがて光の粒子となって空中に霧散していった。


「はぁっ……はぁっ……っ、がぁっ……!」


 着地と同時に『剣士の怒り』を解除する。

 右腕が鉛のように重く、ダラリと垂れ下がった。筋肉が悲鳴を上げているが、千切れてはいない。

 倒した。力任せのごり押しじゃない。俺の意思と技術で、失敗から学んで、格上の希少種を完全に仕留めたんだ。


 三十分の泥臭い死闘。

 俺は汗だくのまま、地面に仰向けに倒れ込んで星空を見上げた。



 ――ピィン。



 静かな夜の貯水池に、無機質なシステム音が鳴り響く。


『 撃破:メタル・スライム(Lv.30 / 希少種)を確認 』

『 経験値を獲得しました。レベルが上昇しました 』

『 レベルが 10 から 18 へ上昇しました 』


「……は!?」


 一気に8レベルも!?

 いくら希少種とはいえ、異常な上がり幅だ。これなら確かに、リオさんが特効薬だと言うのも頷ける。

 だが、俺の驚きはそれだけでは終わらなかった。

 目の前に、いつもの『スキル奪取』の半透明なウィンドウが浮かび上がったのだが……そこに表示されていた文字は、今までとは違っていた。


『 スキル奪取(簒奪)が可能です 』

『 対象スキル候補:

 1. 【 金属皮膜】(防御バフ・物理耐性大幅向上)

 2. 【 流体回避】(被弾時、低確率で物理攻撃を完全回避)』

『 スキルスロット(装備枠): 6 / 6 (満杯)』

『 どちらかを選択、または破棄してください 』


 二つ同時提示。

 しかも、どっちもめちゃくちゃ強力なパッシブスキルじゃないか。

 『金属皮膜』があれば、敵の攻撃を食らった時の致死率を大幅に下げられる。さっきの棘の突進で自分の脆さを痛感したばかりの俺には、絶対に欲しい防御スキルだ。

 『流体回避』も、運頼みとはいえ完全回避は魅力すぎる。

 両方欲しい。喉から手が出るほど欲しい。


 だが。


『 スキルスロット(装備枠): 6 / 6 (満杯)』


 その冷酷な文字が、俺の欲望を完全に打ち砕いた。

 枠は、すでに六つ全て埋まっている。

 『棍棒殴打』『剣士の怒り』『跳躍』『咆哮』『恐慌の目』『静寂の歩み』。

 この中から「何か」を捨てなければ、新しい力は手に入らない。いや、片方すら得ることはできないのだ。


(……ついに、来たか)


 リオさんに言われていた、「捨てる」という選択。

 俺は地面に座り込み、じっと自分のステータス画面を見つめた。

 『剣士の怒り』と『跳躍』は、俺の戦闘の要だ。絶対に外せない。

 『静寂の歩み』も、奇襲や逃走に不可欠。

 迷うのは、残り三つ。


 『恐慌の目』。

 相手に強烈な恐怖と威圧を与えるスキル。単体対象だが、効果は確実だ。月光ウルフ戦でもこれで命拾いした。残しておきたい。


 『咆哮』。

 ゴブリン・リーダーから奪った、範囲スタン効果のある叫び声。強力だが、俺の人間サイズの肺活量では威力が知れているし、何より味方を巻き込む危険がある。


 そして、『棍棒殴打』。

 一番最初に奪ったスキル。ただ棍棒を上手く振るうだけの技術。

 剣を使い始めた今の俺には、正直言って一番「不要」なスキルだ。合理的に考えれば、これを真っ先に捨てるべきだろう。


(棍棒殴打を捨てて、金属皮膜を入れる……それが一番正しい)


 頭では分かっている。

 なのに、指先が『棍棒殴打』の破棄ボタンを押すことを、激しく拒絶していた。

 このスキルは、俺がこの狂った異世界で、一番最初に手に入れた力だ。

 右も左も分からず、ただ死ぬのが怖くて、涙と鼻水に塗れながらゴブリンの頭を石でカチ割って。

 震える両手で、気味の悪い力だと怯えながらも、生き残るために必死に縋り付いた、あの最初の絶望と生への執着の結晶。

 これを捨ててしまったら。

 あの時の「ただ生きたかっただけの無力な自分」の記憶まで、システムに消去されてしまうような気がしたのだ。


(……俺は、バカだな)


 自嘲気味に笑い、俺は心を決めた。

 感情的な理由で、不要なスキルを残す。合理性の欠片もない、冒険者としては三流の判断だろう。

 でも、俺は効率だけで生きる機械にはなりたくない。


 俺は、震える指を伸ばし、『咆哮』のスキルを選択した。

 新スキルは、確実な防御力を得るために『金属皮膜』を選ぶ。『流体回避』は運要素が強いので見送りだ。


 ――ピィン。


『 【 咆哮 】を破棄しました。再取得は不可能です 』

『 【 流体回避 】を破棄しました。再取得は不可能です 』

『 【 金属皮膜 】を装備枠にセットしました 』


 視界に浮かび上がった、赤い警告の文字列。

 『破棄』『再取得不可』。

 その無機質な言葉を見た瞬間、俺の胸の奥に、ぽっかりと冷たい穴が開いたような強烈な喪失感が襲いかかってきた。

 俺の中に確かにあった『咆哮』の力が。

 ゴブリン・リーダーから奪い、ギルドでの喧嘩や月光ウルフとの戦いで使った、あの獣の叫び声の感覚が。

 喉の奥にこびりついていた振動の記憶が、脳髄から物理的に「引っこ抜かれる」ような感覚と共に、完全に消え去った。


「あ……」


 もう、どうやってあの声を出していたのか、思い出せない。

 手の中にあったはずのものが、システムの都合で一瞬にして無に帰る。

 これが、「捨てる」ということ。

 これが、この『黒鷲の簒牙』というジョブの、本当の恐ろしさ。


 俺は、月光に照らされた自分の両手を見つめた。

 手に入れたのは、より強力な力。

 でも、俺は何か、とても大切なものを削り取られてしまったような気がしてならなかった。



     ◆ ◆ ◆



 エルモアへの帰路。

 静寂の森を歩きながら、俺はもう一度、ステータス画面を開いた。


『 スキルスロット(装備枠): 6 / 6 (満杯)』

『 1. 棍棒殴打 』

『 2. 剣士の怒り 』

『 3. 跳躍 』

『 4. 恐慌の目 』

『 5. 静寂の歩み 』

『 6. 金属皮膜 』


 レベルは18になり、身体の底から湧き上がるような生命力と魔力の高まりを感じる。

 間違いなく、俺は強くなった。

 でも、捨てた『咆哮』と『流体回避』の残骸が、俺の心の奥で小さな棘のようにチクチクと痛み続けていた。

 これから先、もっと強い敵と戦い、もっと多くの力を奪うたびに、俺はこうやって何かを捨て続けなければならない。

 その果てに、俺という人間の形は、一体どうなってしまうのだろう。


「……考えても、仕方ないか」


 俺は一つ大きく息を吐き出し、赤い月と青い月が浮かぶ空を見上げた。

 立ち止まっている暇はない。

 サクラさんとアヤネが待つ、あの温かい茶屋へ帰ろう。

 ゴブリン・ロードとの決戦は、もう目の前に迫っているのだから。


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