至高の顕学・魔術師ノイマンの場合
すべての術式の点検を完了。
──展開、続いて実行。
何も間違えは起きていない。計算違いもない。
かちり、かちり、とあるべきピースがあるべき場所にはまっていく。
自らの肉体が《《バラバラに砕け、再構成される》》のを感じながら、ドルチェ・ノイマンは興奮のあまり声をあげた。
「よっしゃぁああぁ!!!」
成功だ。
目標座標到達、着地まで、3、2、1──。
***
数秒前まで、俺は自分の研究室にいた。
そして、今。
もうもうと立ちこめる麗しき魔力の粒子と灰の向こうに、見知った馬鹿ふたりの顔が見えた。
「……久しいな。クリス、アルル」
なまじ顔が美しく腕がいいだけですべてを許されているクソ女。我らが勇者、クリス・ハルバード。相変わらず、本性が愛情飢饉に喘ぐ女体依存症だとは思えない、塵ひとつ寄せつけないような清廉な笑顔をしている。腹が立つ。
勇者パの姫を気取ったカマトトぶった宗教家気取り、アルル・フランソワーズ──こいつが、いちばん腹立たしい。
……俺は昔から、かわいいものが大嫌いなのだ。
ちいさくて、弱くて、愛くるしい。なんて、虫唾が走る存在なのだ。
こいつらが一番に集まっていたとは、まったくクソだな。
魔王とかいう魔術に研究に邪魔な存在をとっとと排除したってのに、くだらねぇ祭典のために呼び出されるとは業腹だ。だが、魔研費のためなら仕方ない。
「やあ! 久しぶりだね、ノイマン!」
「……おう」
「わ、わ、ど……どうして、暖炉から」
「開発中の転移術式だ。規格のバラツキが少ない暖炉っつー機構を応用して、魔術的に相似した二つの地点を……って、てめぇらに言ってもわかんねーか」
空いている椅子を引きずって、壁際に陣取る。
「ノイマン、こっちに座らないのかい? 積もる話も」
「ねーよ」
「あの。も、もしかして、ノイマン様ってアルルたちのこと」
「そうだよ、嫌いだっつってんだろ」
こいつらと必要以上に口を利くつもりはない。
馬鹿がうつるし、不愉快だ。
アルルが恐る恐る、尋ねてきた。
「ノイマン様、薬草茶……い、りますか?」
「あー……」
「不摂生して、ますよね? 色々、調合します」
「……もらう」
「はいっ! お待ちくださいね」
馬鹿がよ、嬉しそうに笑いやがって。
ふわふわと愛らしいアルルに舌打ちのひとつでも聞かせたくなる。
だが、こいつの薬草茶は、本物だ。悔しいが……今日は、体調が悪い。
こんな日に、月の障りがあるなんて。
股が血まみれになって、腹が痛んで腰が冷える。頭の中がカリカリする。
嫌でも自分の性別を、思い知らされる。
身じろぎをしたら、ずきっと下腹が痛んだ。
どうしようもなく、俺は女だ。
ぬるり、と垢食いスライムが股の間に潜り込んでくる。経血の排出に反応したのだろう。こいつのおかげで、魔王滅却のための長旅でも研究に没頭している期間でも、風呂に入らずとも清潔を保てるのはありがたい。
だが、なんというか……感触が。
「ぐっ……」
思わずうめき声が出たのを、咳払いで誤魔化す。
風景でも眺めて気をそらそうと目をやった窓。
そこにはめ込まれた、よく磨かれた窓硝子に映り込む自分を見て、舌打ちをする。
痩せて骨張った体を、サイズが大きすぎるローブで包み込んでいる。
青白く落ちくぼんだ目で睨めば、だいたいの雑魚どもは散っていく。山脈すらも吹き飛ばし、死者すらも操る当世最強の魔術師様に恐れおののいているのだろう。
……すべて、俺の実力だ。
古びた魔女術から脱し、崇高なものに昇華した魔術を治めるのに適さない賤しい性で生まれたからと、ただそれだけの理由でクソ老害どもが排斥した女の……ドルチェ・ノイマンの実力なのだ。
ざまぁみろ、ゴミを積み上げた猿山に居直るカスどもが。
積年の研究と修行で肌も髪も荒れ果てて、菓子みたいな甘ったるい女らしさなんて残ってない。俺はただの、ひとりの魔術師だ。
親の死に目に会えない兵のために、転移魔術を。
腹を空かせて泣いている子のために、繁茂魔術を。
過酷な世界に対する無力に慟哭する民草のために、あらゆる魔導具を。
俺はそうやって生きていく。
──それが俺なりの復讐だ。
かわいらしくて、弱くて、柔らかかった、あの日の俺を。
いとも簡単に見捨てた奴らに対する、報復だ。
「ノイマンは、いつ会ってもかっこいいな。一匹狼ってかんじで」
王子様然として微笑むクリスを、無視。
アルルに差し出された薬草茶には、小さく「ありがとう」と礼を言った。相手が誰であっても、挨拶と礼は欠かさないほうがいい。最低限のマナーだ。
こいつらは、俺が男だと思い込んでいるらしい。馬鹿め。
だが、そんなことはどうでもいい。
よしんば俺が女だとわかっても、魔術界のやつらはもう俺を追い出せない。
至高の顕学、ドルチェ・ノイマンを魔術界から追放することは奴らにとっては看過できない痛手のはずだから。
痛みをやり過ごそうと目を閉じる。
薬草茶が効いたのか、じんわりと腹の痛みや寒さが和らいできたころ、「あ、そうだ!」とクリスが楽しげに声をあげた。
「聞いたよ、ノイマン。君、研究成果をどんどん民に開放しているんだろう」
「あ? 別に、秘匿するほどのことじゃねーだけだ」
「そんな魔術師、他にはいない。君は本当に、立派な人だよ」
「やめろ、買いかぶりだ」
こういうところだ、このクソアマ。
手放しで人を褒めて、そこには打算もてらいもない。
腹が立つが、こいつが女にモテるのは理解できる。
俺がどう切り返そうかと思案していると、さらにアルルが付け加えた。
「中央教会にも、ノイマン様に助けてもらったという人が、たくさん、きます」
「なんだよ、あんたまで」
「旅してるときも、いつも、そっと助けてくれました」
「気のせいだろ、自惚れんな」
相手が誰であろうと。
困ってるやつを放置するような──俺や家族をないがしろにした連中みたいな真似はしたくなかっただけだ。
「私の知り合いの女の子たちにも、ノイマンの隠れファンは多いよ」
「隠れてたら意味ねーだろ」
つーか、俺は女だ。
……女にモテても困る。色恋なんざしてる時間、ないし。
「ふふ、そうかもね。表立って騒がれるのも、たまに困るけれど」
おーおー。おモテになることで。
やっぱ、こいつ嫌いだわ。
「……つーか、ちやほやされるためにやってねーよ」
お前と違ってな、と口の中で呟いた。
可愛いモノに片端から手を出して、それを愛してると言って憚らない。
クリスはそういうやつだ。
誰にも縛られず、誰よりも強く、誰よりも賢く優しい。
──俺は、そういう風になりたい。
俺は可愛いモノなんて、嫌いだ。
甘いモノも、ふわふわしたものも、大嫌いだ。
至高の顕学。
すなわち魔術師ノイマンの研究には、そんなものは必要ないから。
「……俺なんかより、あいつらのほうがよっぽど人助けに躍起だろ」
俺の言葉が終わるか終わらないかのうちに、「そうだった!」とクリスが声を上げた。旅の仲間は、こいつら馬鹿2人と、俺の他にもいる。
「ガルシアとソウエモンは、いつ頃到着するのかな」
「あ……王都近くに出没した魔物を討伐しているらしく……」
と、今回の手配を請け負っている、唯一の王都住まいのアルル。
「ガルシアか……彼女、元気にしてるかな。S級ドラゴンと殴り合って内臓がひとつ吹っ飛んだって聞いたけど」
「うちの教会で再生したのですが……次の日には元気に出ていかれました」
アルルが惨状を思い出しているのか、さっと顔を青くした。
俺は思わず苦笑した。クリスとタイミングが被ったのが腹立たしかった。
「相変わらずだな、あいつ」
「ソウエモンの盾があっても、その前に飛び出しちゃうからね」
「あいつらがいまだに付き合ってるとはな……」
至高の肉体を持った戦士、ガルシア。
そして、東にある忍耐の国からやってきた「ただの盾役」ソウエモン。
魔王滅却の旅の最中につがうとか、頭にウジでも沸いてんのかと思ったが……まあ、仲良く人助けしてんならいいけど。
結局。
こいつらがやってきたのは、それから数刻後のことだった。
……超巨大なドラゴンの死骸とともに、だが。