第39話 俺の未来知識バレの危機と、竹千代の必死の誤魔化し方
「竹千代殿?」
あの時の俺は、今川義元公と太原雪斎和尚との会談の合間にふと《《尾張》》での丁稚奉公……小姓としての日々を思い出していた。
吉法師姫(織田信長)──尾張の悪役令嬢さま……
あの豪胆で、気高くて、やたらと俺に絡んでくる姫君のことを……
俺は叱られ、振り回され、時に褒められ……
《《あの頃の記憶》》は、妙に胸の奥をくすぐる。
そんなノスタルジーに浸っていた俺の耳に、雪斎和尚の声が落ちてきた。
「竹千代殿……。ひとつ不思議なことがあるのじゃが……」
「何でございましょうか、雪斎和尚さま?」
俺が首を傾げると、和尚さまは静かに問いを続けた。
「儂は竹千代殿とは初対面のはず……。それなのに、何故そなたは儂を《《太原雪斎》》と呼んだのでござる? 名乗ってもおらぬのに、じゃ」
──しまった!!
完全に、俺の未来知識が漏れた。
俺は一瞬で顔色が蒼白になった。
吉法師姫のことを思い出してニヤけていた顔が、一気に固まる……。
雪斎和尚さまは鋭い。
この人は、ただの僧ではない。
今川家の宿老であり、怪物……。
あの武田信玄公や北条氏康公と渡り合える、歴史に名を残す名将……。
そんな怪物に見詰められている俺は、必死に言い訳を探すが、頭の中は真っ白だ。
「……和尚の言う通りで、ごじゃる。麻呂も不思議でござる……」
今川の親父さま──氏真姫の父上が、ぽてっとした可愛い仕草で首を傾げる。
「竹千代、どうした? 厠へ行きたいのでごじゃるか?」
──助かった!
俺は心の中でガッツポーズをした。
未来知識バレの危機からの、奇跡の救い船……。
「御方さまの言われる通りでございます……。《《トイレ》》へと行ってもよろしいでしょうか?」
俺は深々と頭を下げた。
だが──。
「……ん? 《厠》ではなく、《トイレ》と言ったでごじゃるな? その《トイレ》とは何でごじゃる?」
「和尚も聞いたことがない言葉でござるな」
──終わった。
俺は未来語を使ってしまったのだ。
吉法師姫の前では普通に使っていたから、つい癖で出てしまった。
吉法師姫は、俺が「トイレ行ってきます」と言えば、
「うむ、行ってこい。汚すなよ竹千代!」
いつも余計な一言をつけてくる姫君だった。
だから俺も自然と《《トイレ》》と言ってしまったのだ。
しかし今は戦国時代……
《《トイレ》》など存在しない。
和尚さまと今川義元公は、完全に不思議そうな顔で俺を見ている。
俺は焦りながらも、なんとか誤魔化すために立ち上がった。
「す、すいません! 案内をお願いできますでしょうか!」
背後に控えていた武士の兄ちゃんが「こちらへ」と案内してくれた。
俺はそのまま厠へ向かいながら、心の中で叫んだ。
──まだ終わっていないでごじゃる!
未来知識バレの危機!
そして回避は、これからが本番だ!
◇◇◇




