第33話 俺と吉姉さまの物語は、こうして終わった
尾張での人質生活……。
火縄銃ラックが寝所に増設され、毎日が煙と悲鳴と修羅場で満ちていた。
鬼武蔵は嫉妬で火縄銃を片手連射し、成政は泣きながら告白未遂を繰り返し、新介は吉姉さまと本気で衝突し、小平太は火縄銃ブランコを発明し、恒興と利家は毎日泣きながら訓練に参加し――
そんな狂気の尾張の日々は、俺にとっては地獄であり、同時に……どこか楽しい日々でもあった。
なぜなら――
俺の許には吉姉さまがいたからだ。
尾張の悪役令嬢さま……
天下一の美少女……
妹のお市よりも麗しい、尾張の覇王の器……
鞭は痛い。
本当に痛い。
死ぬほど痛い。
でも――尾張の悪役令嬢さまの飴は甘かった。
吉姉さまの飴は、この世の極楽だった。
俺はいつも桃源郷で天女と戯れているような錯覚を覚えた。
だから俺は、痛みも、煙も、修羅場も、全部笑って耐えられた。
だって――吉姉さまが俺を見てくれていたから。
俺は、あの頃の尾張の日々を……まんざら悪くはないと思い始めていた。
吉姉さまと俺は、多分――両想いだった。
◆だが、その日が来た。
「姫さま!! 今川の姫君が――尾張に到着されました!!」
家臣の声で、草原の空気が凍った。
吉姉さまの笑顔が、ゆっくりと悪役令嬢のそれへ変わる。
「……来たわねぇ……。竹千代を取りに来た《《あの女》》が、天下布武を狙うために……」
鬼武蔵は槍を握りしめ、新介は火縄銃を構え、成政は泣きながら俺に抱きつき、小平太はブランコから飛び降り、慶次は豪快に笑い、恒興と利家は震えた。
そして俺は――心臓が止まりそうになった。
(ついに……来た……。戦国ラブコメ最大の修羅場……。今川の姫さま……。未来の本命……。吉姉さまと激突する……)
だが――俺は知らなかった。
この【修羅場】は、俺と吉姉さまの物語の終わりを告げる鐘だったことを……
俺は織田家の小姓よりも身分が低い《《おもちゃ》》だった
そう俺は織田家では小姓よりも身分が低い。
ただの人質……
ただの玩具……
吉姉さまに逆らうことなどできない。
楯突くことなどできない。
飴と鞭……
鞭は痛い……
飴は甘い……
その飴の甘さに、俺は溺れていた。
吉姉さまは天下一の美少女!
妹のお市よりも麗しい!
そんな彼女に愛される日々は、俺にとっては極楽だった。
だから俺は、尾張の日々を悪くないと思い始めていた。
だが――
その日々は突然終わる。
◆今川義元公と軍師太原雪斎の【俺奪還作戦】
「太原雪斎和尚ー! 織田の安祥城を攻め落とせー!」
「はい、義元公……すぐに陥落させましょうぞ」
俺はその軍議にいなかったが、後に知ることになる。
今川義元公は――俺を織田に奪われたことに激怒していた。
俺を返せ!
返却しろ!
俺は今川家の切り札?
今川家の未来?
今川家の天下取りの鍵?
駿府のおおうつけ、今川氏真姫が、父親に進言したらしい。
だから雪斎和尚は田原城を落とし、安祥城を落とし、織田信秀の息子・信広を捕らえた。
そして――
俺との交換を要求した。
俺は知らなかった。
その時の俺はただ尾張で笑っていた。
吉姉さまと……
姫武将たちと……
尾張ヤンキーたちと……
煙まみれで、砂まみれ、泥まみれ、槍まみれで、修羅場まみれで……。
でも楽しかった。
◆織田信秀の【悪魔の囁き】
「竹千代は今川家に返すからな」
織田信秀の言葉に、吉姉さまは不満を漏らした。
「えぇ~、父ちゃん、タヌキを返したらアーシのおもちゃがなくなるじゃん」
だが――
織田信秀は悪魔の囁きをした。
「吉法師……。新しいおもちゃを用意してやる……。今度は没落した狸ではない……。《《天子の落胤》》らしい猿だ」
吉姉さまは驚いた。
「本当に父ちゃん?」
「本当じゃ」
吉姉さまは、その言葉に堕ちた。
俺を捨てて、猿を選んだ。
天下布武の近道……
織田家の未来……
父の期待……
そして――
俺は捨てられた。
だから俺は泣いた。
竹千代という名の子供として……
アラサー男の魂を持つ転生者として……
「今日であんたとアーシの仲は終わりだから」
吉姉さまは冷たい目で言った。
「竹千代、あんたは信広の代わりに今川の人質だから。バイバイ~、サヨウナラ~」
俺は――
その場でへたり込んだ。
「うぅ……ううう……。吉姉さま……」
俺は泣いた。
泣き崩れた。
アラサー男の魂を持つ俺が、子供の体で泣きじゃくった。
情けなく。
惨めに。
みっともなく。
でも――
仕方がなかった。
俺は吉姉さまが好きだった。
◆そして俺は今川家へ送られた
平岩親吉と鳥居元忠が励ましてくれた。
「若、元気を出して行きましょう」
「また姫さまとも逢えますよ」
「若、元気をだして! アーシがぎゅしてあげるから」
酒井の姉ちゃんが、デカパイでハグしてくれた。
俺は頷いた。
「おれ、強くなるよ……絶対に」
だが後日――今川家で服部半蔵から真実を聞いた。
俺は猿と交換された。
吉姉さまは俺を捨てた。
天下のために俺を売った。
俺は叫んだ!!
「あのくそ女!! 絶対に許さない!! 俺は必ず吉!! 貴様に復讐してやる!! お前の天下布武は、この世界では俺が阻止してやる!!」
岡崎衆は笑いながら言った。
「若! 織田家を潰しゃいいんだよ!」
「勝家の首はアーシが落とす!」
「わたしが部将の首をとる!」
「アーシの騎馬隊で、尾張のガキを蹂躙してやる!」
徳川四天王のヤンキー姉ちゃんたちが拳を握り、決意をしようが、俺は地団駄を踏みながら叫んだ。
◆そして今――俺は初陣へ向かう
俺は元服を終え、今川義元の代わりに総大将を勤め、今川家の軍勢二万を率い、尾張へと進軍する。
それは、俺の知る未来の、《《今川家の京への上洛作戦》》ではなく、完全な尾張占領だけが目的の進軍……
そんな中……馬上で……。俺は幼少期の尾張の日々を思い出す。
吉姉さま。
姫武将たち。
尾張ヤンキーたち。
煙まみれの日々。
槍まみれの日々。
修羅場まみれの日々。
そして――俺を捨てた日……。
俺は呟く。
「吉……。絶対に許さないからな……」
馬は進む!
尾張へ!
俺の復讐へ!
◇◇◇




