9 トリーと玉葱
「トリーは……違うよ」
「……ミカ」
「だってそうだろ? 絵とぜんぜん似てないじゃないか」
冷静に指摘したつもりだったけど、きっと駄々をこねてるように見えたのだろう。アキは微笑みながら、優しく僕に言い聞かせた。
「それは、トリーがまだ子供だからだろ?」
「…………」
そうかもしれない。だけど。
確かにトリーは「ドラゴン」かもしれないけれど、「マスタードラゴン」とは違うんじゃないだろうか。だってトリーにツノが生えたりあの青い翼がコウモリみたいな羽になるなんて、そんなのとても信じられない。
共通点はたった2つだけなのに、決めつけるのは早すぎる。
「確かにトリーは飛べるようになったし、喋るけど」
「だろ?」
「喋るっていっても。あれは真似てるだけじゃないの?」
「……まあ、そうかもな」
アキは鼻の下を指で掻いた。
やっぱりどこかおかしいって思ってるんだ。
その様子に少しだけ気が楽になる。トリーが飛べるようになったとき、僕もずいぶん考えたんだ。あのときも変だと思ったけれど、アキの話を聞いたいまも違和感はぬぐえない。
「でも大人になるまでに、色々覚えていくんだろ」
「……なら、卵は? トリーは裏山までどうやって来たの」
ぎゅるっ! ぎゃぎゃっ!
「カラスに、さらわれてきたのかもしれない」
「マスタードラゴンは竜骨山脈にいるんだろ? そんな遠くから、カラスが運んで」
ぎゃぎゃぎゃっ! ぎゅるぎゅるるっ!
「……運べないと思うしそれに! 人より賢いドラゴンが、カラスに卵をさらわれるなんて間抜けなことする?」
「でもな、考えれば考えるほど……」
どったん、ばったん
ぎゃふ、ぎゃっふ、かふっ!
「……トリー?」
食料庫の扉から、よろよろ後じさりながらトリーが出てきた。
ぎゃふっ、がふっ!
居間までくるとぶるぶる何度も頭を振って、トリーはごろごろ転がり飛び跳ねる。
遊んでいるのかとも思ったけれど、どうも様子が変だった。鳴き声も楽しいというより苦しそうで、おまけにしきりに口のあたりを掻いている。
「トリー!」
おかしい。
僕はトリーに駆け寄った。
椅子が足に当たって大きな音を立てたけど、そんなの気にしてなんていられない。
トリーが苦しそうに悶えている。
それしか目に入らなくて、慌ててトリーを抱き上げそして、頭の中が真っ白に塗りつぶされた。
「ミカ! どうした!?」
なんだ、これ。
なんでこんなことになってるんだ。
「……どうしよう……」
顎が外れるほど大きく開いたトリーの口に、これまた大きな玉葱がつまっていた。
かふっ、かふっ、ぎゃう
トリーは異物をとろうと懸命に前足で引っ掻いている。けれど大きく開けた口にぴったりはまってしまった玉葱は、微動だにしなかった。
ぎゃううーー、かふっ
涙を浮かべた黒い瞳が「たすけて」と僕を見上げている。
苦しげなその様子を目にしたとたん、僕の頭は全速力で動き出した。
早く、早く助けなきゃ。
「トリー、しっかり! 僕がなんとかするからね! アキ、そこの座布団取って!」
抱き上げられてほっとしたのか、トリーは力を抜いてぐったりと僕にもたれかかってきた。その身体を座布団に乗せ、テーブルの上にそっと寝かせて様子を見る。
唇をめくってみると、トリーの牙は上下とも、しっかり根元まで玉葱に埋まっていた。口はもうこれ以上開かないというのに、どうしてこんなことになってるんだ。
舌打ちしたくなったけど、それより先にまずこれをなんとかしなければ。
「アキ、ナイフと布巾を取ってきて」
「おい! どこ切るつもりだ」
「玉葱だよ。牙の入ってないところを切っちゃえば、口が動くようになるだろ?」
「……あ、ああ。そうか、そうだよな」
きゅうぅ
このままなの? とれないの?
トリーは前足で僕の袖口を握りしめ、不安を一杯にたたえた目で見上げてくる。
「大丈夫だよ、トリー。ちゃんと取ってあげるからね」
アキが持ってきてくれた布巾でトリーの目を覆い、僕はナイフを握りしめた。
「頼むよ、アキ。動かないよう押さえてて」
「……わかった」
トリーの息が荒くなる。布巾で視界を隠されて、アキが上から手を当てているから刃物は直接見えないはずだ。けれど頭と肩を押さえられて怖くないはずがない。それでもトリーは前後の足で丸めた尻尾を握りしめ、震えながらも耐えていた。
狙いを定め、僕はナイフに力を込める。
しゃくっ
きゅんきゅんきゅうぅ
トリーの身体がぴくんと跳ねた。手足がぎゅっと縮こまり、ふっふっふっと胸が荒く上下する。玉葱が切られる感覚が直接身体に響いたのだ。自分も切られやしないかと、生きた心地がしなかっただろう。
怖い、怖い、怖い……
トリーの恐怖が伝わってくる。
それでもここで止めるわけにはいかなかった。アキと二人でトリーの名を呼び、身体を優しく撫でてやる。呼吸が少し落ち着いたころ、僕はアキに合図した。
「もう一度。トリー、これで終わりだからね」
玉葱の臭いが鼻を刺す。目がひりひりするけど知ったことか。
トリーにわずかな傷でもつけないようにしっかりと前を見て、僕は再びナイフを入れた。
「……取れたっ!」
きゃううぅぅ
牙と牙の間の玉葱を取り除き、押さえた身体を自由にする。するとトリーは慌てて前足を動かして、牙がめり込んだままの玉葱を取ろうと必死になってもがきだした。
しゃしゃしゃしゃしゃ
きゅるるるーう、かっかっかっ、がふっ!
爪が玉葱の身を傷つけて、トリーの周りに玉葱汁が飛び散った。トリーももちろん苦しそうだが僕とアキも目と鼻がつんと痛くてたまらない。
「トリーやめて。僕が、ぐすっ。とって、あげるからっ」
「目、目が……うあ」
アキは汁に目を直撃され、うずくまって悶えている。
僕も涙の止まらない目をこじ開けて、トリーを引き寄せ抱きあげた。上あごを押さえて玉葱を左右に揺すり、時間をかけて外してやる。同じように下あごからも食い込んだ玉葱を取ってやった。
ぷしっ、ぷしっ、へぷちっ!
やっと顎を自由に動かせるようになると、トリーは両手を使ってくるくる顔を洗いだす。でも玉葱を引っ掻いたから、手には汁がべったりだ。このままじゃちっとも楽にならないからと、水でトリーの手を洗ってやって顔も濡れた布巾で拭いてやる。僕とアキも顔を洗い、それでやっと一息つけた。
きゃうるる、るるる、ひょりー、きゅーう……
「ごめんね、トリー」
ずっと口を目一杯に開けていたからトリーの声が少しおかしい。まだ鼻水も出ているし、耳と頭の後ろの飾り羽もくたりと力なく垂れている。
全部、僕の不注意だ。
トリーにこんなに苦しくて怖い思いをさせるなんて、なんてダメな父親だろう。
ごめんな、と膝に乗せたトリーの背中を撫でてやると、きゅうきゅう鼻を鳴らしてトリーは僕の胸にしがみつく。
「俺もさ、もっと考えて投げれば良かったんだよな。トリー、悪かった」
きゅるる、きゅるきゅる
アキに頭と喉をくすぐられ、気持ち良さそうに目を細めたトリーはありがとうと言いたげに振り返った。
──へぷちっ!
「っぷ……」
その瞬間、正面からマトモに鼻水を浴びたアキが盛大に顔をしかめた。それでもアキは、顔をぬぐいながらトリーに向かって笑いかける。
「こいつ……ほんっとーにマスタードラゴンか?」
口元をつんとつつかれて、トリーはぺろりと指を舐めた。その様子を見つめるアキの目は愛おしさであふれている。
アキだってトリーを可愛いと思ってくれてる。
それに気がついたら同時にアキの苦しみもわかった気がした。
アキは村長さんの息子だから、「村の人たちの安全を守る」っていう責任がある。だから好き嫌いで無責任なことは言えないんだ。手遅れになる前にトリーをドラゴンの世界に戻してやること、それが最大限の譲歩なのだろう。
でも。
「トリーには関係ないよ。そもそも自分がドラゴンかどうかなんて考えたこともないだろうし」
「……まあな」
きゅうるる、るるるー
喉から胸にかけて撫でてやると、トリーは気持ち良さそうに目を閉じる。そして「もっと」と膝の上で伸びる姿はまるで猫だ。
こんなトリーになにができる?
トリーはなにも悪くない。
昔話でもそうじゃないか。ドラゴンに悪さをするのは、いつだって人間の方なんだ。
その日、僕はトリーと一緒に布団で眠ることにした。いままでも同じ枕を使っていたけれど、一度布団の中でおならをされてからは入っちゃ駄目だとしつけてたんだ。でも、今日だけは特別だ。トリーを精一杯労ってやりたかった。あんな怖い思いは早く忘れて欲しかった。
布団に隙間を作るとトリーはそこからするりと入り、腕と胴の間に身体をすっぽりとはめ込んだ。それから尻尾を僕の胴に巻きつけると頭を僕の胸に乗せ、くるると嬉しそうに喉を鳴らして目を閉じる。抱きかかえるようにして背中を翼の上からゆっくり撫でると、やがて小さな寝息が聞こえてきた。
やっぱり疲れてたんだ。
大変だったね。
ごめんね、トリー。
穏やかな寝息を聞きながら、僕も静かに目を閉じる。
玉葱のせいでさんざん涙を流したせいか、目は腫れぼったいし熱ももっているようだ。それに気持ちが高ぶって、とても眠れそうにない。
目蓋にじくじく脈打つ熱を感じながら、僕は色々なことを考えた。
トリーの幸せってなんだろう。
僕と一緒にいる限り、トリーは仲間に会えないんだ。僕が満足するだけで、それはトリーにとって不幸なことじゃないだろうか。
僕はどうすればいい?
二人で幸せになることはできないの?
ぐるりと周りを見渡せば、まわりは全部真っ暗で、出口はどこにも見えなかった。
僕はどうしたらいいんだろう。
どうすれば……
僕は一歩も進めず立ち尽くすばかりだった。とても眠れないだろうと思ったけれど、意識はいつの間にかぼんやりとして、いつしか闇に覆われていた。
そして次の日、トリーはすっかり元気になっていた。
とても嬉しかったのだけれど、僕もトリーも布団の中まですっかり玉葱臭くなっていて、僕はちょっぴり玉葱が嫌いになった。