10 トリーの牙
外は吹雪。
雪はそれほどでもないけれど、とにかく風が強かった。
がたん、がたたん
窓が音を立てるたび、トリーの耳がぴくりと動く。
けれどその目は閉じたまま、ぷく、ぷく、ぷくくーと軽いいびきまでかいている。
暖炉正面の特等席で、トリーは昼寝を堪能していた。
ふかふか座布団に埋もれながら手足を広げて腹這いになり、顎はあえて床の上までずり下げる。するとお尻の部分が高くなって長い尻尾は上を向き、トリーの背後でゆるやかな弧を描いて先が頭の上で揺れるんだ。こうすれば、背中全体が火に当たる。この角度を発見すると、トリーはこの姿勢で寝ていることが多かった。
トリーはすっかり暖炉のとりこ。
外から帰ればまっさきに暖炉の前に陣取って、火が大きくなるのをいまかいまかと待ちわびる。はては暖炉のすぐそばまで座布団を引っ張っていくものだから、羽を焦がしやしないか僕はいつだってひやひやする。
「本当なら、ドラゴンはもっと寒いところに住んでるんだよ?」
そう言ってもトリーはぜんぜん聞きやしない。それどころか僕の服をかき分けて、中に入ってこようとするほどだ。ダメと言っても「どうして?」と小首を傾げて見上げてくるから、いつも断るのに苦労する。
甘やかしすぎたかも。
今になってそう思うけど、あれこれダメだと言う気にもなれなかった。
ちゃんと、トリーは学んでいるんだ。
あれから食料庫には近づかないし、テーブルや机の上にも滅多なことでは乗らなくなった。ナイフを見ればぎゃるぎゃる不満げに喉を鳴らして距離を取るし、近づいて良いもの悪いものがわかるようになっていた。これまで繕いものをするときには針に近づかせないよう本当に気を使ったものだけど、これで少しは安心できる。
今日は外に出られない。だから僕はトリーの新しいおもちゃを縫っていた。
ちゃちゃっ、ちゃっ
乾いた爪のたてる音に顔をあげればトリーがいつの間にか起きてきて、ひとりで遊んでいるようだった。
なにか白くて細長い小さなものを前足でちょいとつついて転がして、ぴょんと飛んで追いかける。からから軽やかな音が鳴り、なんだかやけに楽しそうだ。
「トリー? ほら、できたよ」
出来上がったばかりのおもちゃを振れば、中からちりんと音がする。ネズミのおもちゃが破れたから新しく作り直してみたけれど、トリーはこれを気に入ってくれるだろうか。
きゅるっ!
ぱっと顔を上げるとトリーが足もとまでやってきて、くんくん新作おもちゃの臭いを嗅ぎだした。高く持ち上げるとトリーも後足で立ち上がり、首を伸ばして後を追う。軽く放るとトリーも小さく飛び跳ねて、落ちたおもちゃに声をあげて噛みついた。ぱったぱったと両手を床に打ちつけ頭を振り、落ちたおもちゃを追いかける。落とすたびにおもちゃの鈴がちりちり鳴って、トリーはとても楽しそうだ。
気に入ってくれたみたい。
ほっとしながらこの隙に、と僕は床から「なにか」を手に取った。さっきトリーが遊んでいた白いもの。長さは親指の半分もないけれど、両端が鋭く尖っている。
こんなもの、いったいどこにあったんだろう。もしトリーが食べたりしたら危ないし、怪我をするかもしれないじゃないか。
「どこかで見たことがある……?」
暖かみのある白いそれは、中央部が少し太くてやや平べったい。表面はとても滑らかで、きらきら光を弾いている。
なんだっけ、と首をひねるとトリーがおもちゃをくわえて戻ってきた。
「気に入った?」
きゃるるっ
はやくはやく、もっと投げて。
待ちきれないというように、トリーはその場でぐるぐる回って僕を急かす。
「はいはい。じゃあ、いくよ?」
きゃるっ、トリー!
──からん
なにかが落ちた。
くるくる床で回っているのは白い「なにか」。いま手にしているものとまったく同じ形をしている。
「これ、どこから……?」
膝をついてそれを拾い、2つを並べ比べてみる。するとトリーがすんすん鼻を鳴らしてのぞき込んだ。
「だめだよ、トリー。危ないからね」
手を上げるとトリーもつられて上を向く。きゃう、とあくびのように口を開け、ぺろりと鼻を舐める仕草に僕はふと気がついた。
「あれ? ……トリー!」
ちょっと、と口をこじ開け見てみると、下あごには小さな穴。ちょうど牙のあるあたりにぽっかりと、2つ穴があいていた。
「まま、ま、まさかっ!」
トリーの歯が抜けた!
しかも下の牙が2本とも!
「玉葱……これってやっぱり、こないだの玉葱のせい!?」
うわあ、と頭を抱える僕のまわりでトリーが楽しそうに飛び跳ねながら歌いだす。
トリー、るるる、きゃるるるるー
チャマエギ、チャマエギ
きゃるりっ!
「……タマネギって、言いたいの?」
きゅるきゅるきゃー、チャマエギ!
るるーう
「タ、マ、ネ、ギ」
るるりるトリー
きゃるきゃるチャマエギ、るりっ!
「…………」
トリーはすこぶる上機嫌だ。僕がじっと見つめていると、いそいそ僕の身体を登って肩に手をかけ毛繕いしようとする。
大事な牙が抜けたのに、トリーはこれっぽっちも気にしていない。
これは、ひょっとして。
「トリー? もう一度、見せてみて」
耳の後ろをくすぐり機嫌をとって、口を大きく開けさせる。よくよく見れば上下の前歯は短いし、牙の抜けた穴の奥には白い小さな歯が見えていた。いつの間にか、トリーの歯は生え変わっていた。
これはクチバシが取れたときと同じで病気じゃない。僕らと同じように、子供の歯から大人の歯へと成長しているだけなんだ。
ほっと肩から力が抜けた。
トリーはとても元気だし、食欲も旺盛だ。だから大丈夫。
安心したら急にトリーが愛しくなった。そこで翼の上から抱きしめ撫でてやると、トリーは大喜びで耳元できゃるきゃる歌いだす。
チャマエギるるりるチャマネギトリー
チャマエギりるりー、るるるるりっ!
「あー……なんでこんな言葉、教えちゃったんだろ」
僕は深く後悔した。
トリーはこの日、夜遅くまでずっと「タマネギ」と繰り返ししゃべっていたんだ。
◇ ◇
「僕はトリー、メリカ村で生まれました。お父さんはミカです」
きゃーるるる
ボクハトリー、メリカカミカデス! ネギデス!
るるるるるー
「はは、違う違う。『メリカ村で生まれました』」
ハハチガウメリカデミカデス!
ぎゃーるるる、きゃるりっ!
「あー……」
アー! アー!
きゅるきゅるきゅー、トリー!
しまった、と思った時には遅かった。
トリーには「覚えて欲しい言葉」と「覚えなくていい言葉」の区別がつかないんだ。
おまけになにが気に入ってしまったか、「ネギ」はしっかり焼き付いてしまったようで、ところどころに混じっている。
ため息をぐっとこらえて僕は同じ言葉を繰り返した。
「……僕はトリー、メリカ村で生まれました。お父さんはミカです!」
ボクハトリー、メリカデマシタ!
きゃるきゃるりっ、オトーサンりるりっ
「……メリカ村で生まれました。お父さんは──」
何度も何度も同じ言葉を繰り返すから、いい加減疲れてきた。でも止めるわけにはいかないんだ。
トリーは賢い。僕を真似して次々に言葉を覚えてゆく。
だからもし迷子になっても戻って来ることができるように、この村と僕の名前を覚えておいてほしかった。
それにこれからさき、なにかあっても僕のことを忘れないでほしかった。
そんな願いも込めて、僕は本気でトリーに言葉を教えることにしたのに。
きゅるるるぴー、ボクハトリー、メリカムラデミカデシタ! ネギデス!
新しい言葉を覚えて「ネギ」をなかったことにして欲しいのに、どうして忘れてくれないんだ。ひどいよ、トリー。




