表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
トリーの歌う、愛のうた  作者: らみ
トリーのかなでる愛の調べ
PR
38/49

15 戻ってきた日常

 


 少し前まであたりまえだった日常が、やっと僕らに戻ってきた。

 新しい羽が生えそろい、トリーはすっかり元通り。毎日しっかりご飯を食べて、畑の見回りをしたあとは、元気に空を飛び回る。そして山に行って狩りをして、僕にお裾分けをしてくれる。

 トリーが元気でいてくれる。たったそれだけの毎日が、僕を幸せにしてくれる──はずだけど、少し困ったことになっていた。


「トリー、ご飯だよ」


 きゃう!


 朝食は、いつもと同じ茹でた芋と野菜のスープ。トリーは昨日獲ったウサギ肉。

 声をかけて皿を並べ、椅子に座るとトリーもいそいそやってきた。そして僕の膝に飛び乗ると、身体をそっと寄り添わせ、期待に満ちたつぶらな瞳でじっと僕を見つめてくる。

 当然のようにご飯をねだるその眼差しに、つい肉の皿に手が伸びかけた。けれど僕はとっさに拳を握りしめ、ぐっとこらえてトリーを隣の椅子に押しやった。


「……はい、トリーはこっち。ご飯は自分で食べようね?」


 きゅうぅぅ、きゅー


 どうして食べさせてくれないの?

 首を伸ばしてトリーは下から僕をのぞき込む。あえて見ないようにしたけれど、耳を伏せ、悲しそうに鼻を鳴らすトリーの姿がちらりと視界に入ってきた。

 胸が痛い。これじゃあまるで、僕が意地悪しているようだ。

 トリーを悲しませるぐらいなら、こんな可愛い「おねだり」ぐらい、叶えてやってもいいじゃないか。

 頭の奥からそんな声が聞こえてきて、僕は危うくよろめきかけた。けれどその誘惑を断ち切って、トリーを無視して茹でた芋にかじりつく。


 ……きゅう


 しばらく恨めしそうな顔をしていたけれど、諦めたのかトリーもやっと自分の食事に取りかかる。でもひとくち食べては「どお? 食べたよ」って僕の顔をのぞき込むから、相手をするのが大変だ。


「えらいね。じゃあ、もう少しいける?」


 きゃう!


「トリー、凄い! ちゃんとひとりで食べられたじゃないか」


 きゃるっ


 時間をかけて皿の肉を綺麗に腹に収めると、トリーは僕の膝に乗ってきて、身体をすり寄せ甘えてきた。僕もこのときばかりは「いい子だね、えらいね」ってたくさん褒めてなでてやる。するとトリーは満足したのか、ひょいと飛び降り足取り軽く玄関へと歩いていく。

 今日は先に外に出て、畑の見回りをするらしい。僕はその後ろ姿を見送って、大きく息を吐き出した。

 まだ朝なのに、なんだかひどく疲れてしまった。理由はひとつ。元のように飛べるようになったのに、トリーはなぜか前より甘えん坊になったんだ。

 飛べなくなった辛い時期、僕はずっとトリーのそばに寄り添った。文字通り、僕らは一心同体だったんだ。それを羽が生えたからって急に止めたらトリーは不安になるだろう。そう思って少しずつ距離を置いて元に戻そうとしたのだけれど、トリーは逆に、ますます僕にべったりだ。

 昼間はまだいい。ひどいのが朝と夜の食事どき。僕が食べさせるのが当たり前だというように、トリーは膝の上に乗ってくる。無視すると、あの手この手で僕の食事の邪魔をする。苦労してやっと並んで食べるようになったけれど、そのときだって尻尾は僕の腰に巻きついている。

 トリーはたったひとりの僕の家族だ。だから誰よりも大事だし、いつも「大好きだよ」って伝えている。でもトリーにとってはそれでもまだ足りないらしい。


(そばにいないと不安ってわけでもなさそうだし……やっぱり、わがまま、なのかなあ……)


 そんなことを考えながら皿を洗って籠に伏せ、畑に行こうと玄関に足を踏み入れたそのときだ。


 きゃう! きゅるるっ


 ボク、待ってたんだよ!

 そこには畑に行ったはずのトリーがいた。背負い袋に潜り込み、底の穴に尻尾を通して袋の口から顔を出し、ご丁寧にも靴の上に乗っている。


「なに……背負えって?」


 きゅーう


 頭の飾り羽が広がって、耳がぴんと立っている。鼻の穴がひくひく広がり黒い瞳がきらきらと輝いて、いまかいまかと待ちわびる。

 袋を動かし靴を履くと、トリーの鼻息が荒くなった。けれど僕は、そのまま扉を開けて外に出て、ぐいっとひとつ伸びをした。


「うーっ、今日もいい天気だなっ、と」


 ぎゃーっ!


「トリーはちゃんと歩けるし、飛べるようになっただろ?」


 ぎゃーっ!

 ぎゃーっ!


「僕はね、トリーのことが大好きだよ。でもね、それとこれとは別だから」


 ぎゃーっ!

 ダイスキトリー!

 カワイイトリー!

 ぎゃぎゃぎゃっ、ぎゃーっ!


 家の中ではトリーが必死になって叫んでいる。でも僕は、かまわず畑に向かって歩き出した。

 これはやっぱりわがままだ。ちゃんとけじめはつけなくちゃ。

 けれどトリーの叫びがあまりに必死で、少し可哀想にもなってくる。だから今日の仕事が終わったら、いっしょに遊んで思う存分可愛がろう。


(よし! じゃあ、さっさとやらなくちゃ)


 がぜんやる気がわいてきて、僕はクワを持って駆け出した。



 ◇  ◇



 じりじり強い日差しが照りつけて、じわりと汗がにじんでくる。クワをふるうと地面からは土のにおいが立ちのぼり、草のにおいと混じり合う。まだまだ暑い日が続いているけど、夜になると寒いぐらいに涼しくなるから夏の終わりもすぐそこだ。この時期の畑では、収穫がひといきついて次の準備に取りかかるころだった。

 役目を終えて萎れた葉と茎、太い根っこを取り除く。それからクワで畑を耕し肥料を入れて良く混ぜる。このとき、いつもの堆肥と腐葉土に、少しこえを混ぜておくと苗が丈夫で大きくなるっていうのは最近気づいたことだった。


 ぎゅるぎゅるる、ぎゃうぎゃ!


「トリー、見回りしてくれたの? いつもありがとうね」


 ぎゃーう


「ほら、このこえも堆肥も、トリーのおかげでこんなに上手にできたんだよ?」


 ぎゅー、るるるるーう


「トリー、本当にありがとう。大好きだよ」


 家の中に置いていかれて不機嫌だったトリーだけど、どうやら機嫌が直ったようだ。長い尻尾をぴんと立て、それからするする僕の身体を登ってくると、ちょんと鼻を僕の頬にくっつけて、ぱっと地面に飛び降りた。


 きゃう!


 そのまま僕に背を向け小走りで駆けながら、トリーは青い翼を広げていった。すると虹色の6枚羽が現れて、羽音とともに身体を宙に持ち上げる。そしてトリーは畑の上をぐるりと回って屋根の上に着地すると、楽しそうに歌いだした。


 きゃるきゃるりっ

 トリー、トリー、ダイスキトリー

 ちるちるちるちー、きゃーう

 トリー、トリー、カワイイトリー

 るるりるりるりー、きゃーう

 つーつーぴー、つーぴーつーぴー、つーつーぴー

 きゅるぴーきゅるぴー、きゃるきゃきゃきゃ!


 青い空と緑の山の境目に、澄んだ歌声が響き渡る。

 あの小さな身体のどこから出るのか不思議なぐらいの大きな声。でもちっともうるさいとは感じないし、聞いていると身体の底から自然に力が湧いてくる。

 トリーが元気をくれている。

 そう思ったら嬉しくなった。おまけに歌に合わせてクワをふるうと楽しくなって、仕事がどんどんはかどった。気づけばあっという間に畑の端まで終わってしまい、もう後かたづけをするだけだ。

 いつもならもっと時間がかかるのに、これも歌のおかげに違いない。あとでたくさん抱っこして、トリーを目一杯労ってあげなくちゃ。そんなことを考えながら、僕は納屋で道具の手入れにとりかかった。


 きゃるっ、きゃるっ、きゃるっ、きゃるっ

 くるるるるるるー、きょっ、きょっ、きょっ

 つーぴーつーぴー、つーつーぴー、

 ちるちるちるちー、きゃーう


 トリーは本当に楽しそうだ。

 ここは家の裏手だからもちろん姿は見えないけれど、僕には手に取るように良くわかる。屋根の上で胸を反らしてご機嫌で、そして右に左に踊るように動きながら思う存分歌っている。飛べなくなった辛い時期は歌どころじゃなかったから、こうしてトリーが歌っていると僕の気持ちも軽くなる。

 ふんふんふん、と鼻を鳴らしながら手を動かして、クワの手入れを終えたときだ。


 ──ッケコー!


 はっとした。僕は思わず顔をあげ、家の向こうに目を向けた。

 トリーの歌に、コッコちゃんがあいの手を入れている。しかもこれがまた絶妙で、まさに息がぴったりだ。


 きゃるりっ、きゃるりっ、きゃるりっ、きゃるりっ

 ダイスキトリー、カワイイトリー

 るるりるりるりー、きゃーう

  ──コケーッ!


 きゃるりっ、きゃるりっ、コッケコーコー!

  ──ッケコー!


 きゅるぴーきゅるぴー、ケッケッケッ

  コーッコッコッ、ッケコーコー!


 軽やかに、2人はなんども鳴き交わす。それはまるで楽しくお喋りしているようで、つられて僕も、ついくすりと笑ってしまう。

 2人はずっといがみあっていたけれど、ついに友情が芽生えてくれた。この調子なら、もっともっと仲良くなれる。そしていつか、互いに羽繕いもできるかも。

 そんな未来を想像したら、僕はますます嬉しくなった。そこでそっとクワを置き、息を潜めて歩き出す。仲良くなった2人の姿を想像したら、居ても立ってもいられなかった。どうしても、2人の様子を見てみたかった。


(気づかれないように、そうっと、そうっと)


 気持ちよく歌っているのを邪魔するまいと、僕はこっそり近づいた。早まる足を必死に押さえて気配を消して、家の角まで辿り着く。ここから見えるのは鶏小屋正面。コッコちゃんは僕に気がつくかもしれないけれど、いつも気にしないから大丈夫。

 どきどきしながらそうっと表に顔を出し、そして目にした光景に、僕の顎はぽとりと落ちた。


 コッケコーコー!

  ──コケーッ!


 コーッケコッ、コー!

  ──ッケコォー!


 コッコちゃんの白い身体がはち切れんばかりにふくらんでいる。そしてその目の前、檻の手前でトリーは軽やかに歩いていた。

 長い尻尾をピンと立て、小屋を見ながらコッコちゃんの真似をする。そしてコッコちゃんが首の羽をふくらませると、わざわざ小屋の前まで歩いていってぴょんぴょん跳ねて、またコッコちゃんの真似をする。そのたびにコッコちゃんは怒りで喉を震わせるけど、トリーはそれすら楽しんでいるようだ。


 ッケコーッ、コォー!

  ──ッケコーー! オォーー!


 ついにコッコちゃんが爆発した。小屋の中で飛び上がり、檻に蹴りを食らわせる。白い羽が舞い上がり、がつっ、がつっとぶつかるたびに小屋全体がぐらぐら揺れて、みしっと不吉な音がした。


「こらあっ、トリー!」


 ぎゃっ!

 ぎゃぎゃっ、ぎゃーっ!


 僕がたまらず飛び出すと、トリーは一目散に逃げ出した。そしてぶぶぶぶ、と羽音を立てて舞い上がり、山に向かって飛んでゆく。

 僕に気づいたときのトリーのあの顔。「悪いこと」って知っててコッコちゃんをからかった。これはきつく叱らなきゃ。

 そう思ってトリーを追いかけようとしたけれど、僕はすぐに諦めた。コッコちゃんの激しい怒りがおさまらず、蹴りのほかに体当たりまで始まったんだ。


 ケーッ、ケーッ、コケーッ!


「コッコちゃん、コッコちゃん、落ち着いて! もう大丈夫だからね!?」


 小屋が壊れるかと思うほど、コッコちゃんは中で激しく暴れている。メスたちは隅で小さくなって震えているし、このままではコッコちゃんまで大きな怪我をしかねない。なんとかしなきゃ、どうにかしなきゃと必死になって考えたけど頭は空回りするばかり。結局僕は、「最後の手段」でこの場を乗り切ることにした。




 ──コッコッ、コッ、コッ


「はい。唐黍もろこしも食べるだろ? 今年はね、すっごく美味しくできたんだよ?」


 ……コッ


 コッコちゃんは頭を上下に大きく振って、黄色い粒をなんどかつつくと味わうように大事に食べた。餌で釣るこの方法は、単純だけど効果は抜群。コッコちゃんはすぐに機嫌を直してくれた。それに怪我もないようで、さんざん食べて満足したのかうつらうつらと昼寝に入る。

 ほっとした。檻が少し歪んでいるけど修理はまた後にして、いまはそっとしておこう。


(ごめんね。許してくれて、ありがとう)


 小さく囁き追加の菜っ葉を餌箱にいれ、僕は鶏小屋を後にした。

 ひとまず矛を収めてくれて助かった。やっぱりコッコちゃんは大人だから余裕がある。だからきっと、ヤケ食いしているように見えたのは、僕の気のせいに違いない。



 ◇  ◇



「まったくもう……コッコちゃんが外にいたら絶対そばに寄らないくせに」


 あれからトリーは姿をくらまし僕の前に出てこない。きっとどこかに隠れてこちらの様子をうかがって、ほとぼりが冷めるのを待っている。だけど僕は、今回ばかりは許す気にはなれなかった。

 だってあれは完全に意地悪だ。「悪いこと」をしたら謝らなくちゃならないし、それに意地悪して喜ぶようなこと、トリーにはさせたくない。


(戻ってきたら、覚えてろよ〜)


 苛立つままに、ふかふか花壇に太めの棒をぐさっと突き刺し穴を空け、草の苗を植えつける。それから根っこの周りに土を盛り、両手でぎゅっと押しつければ完成だ。少し力を入れすぎたかもしれないけれど、この「トリーの草」は意外に丈夫だから平気だろう。

 とても貴重な「トリーの草」。アキは「山じゃないと育たない」って言っていたけど、僕の庭では驚くほど元気に育つ。種が飛んでやってくるのか畑に絶えずぽつぽつ生えるし、花壇に移せばのびのび育つ。


「しかもこれ、もう『スミレ』って大きさじゃないし」


 草の根元は親指よりも太くなって枝のように広がって、高さは僕の膝上まで達している。そこに特徴的な青い花がいくつか咲いて、まるで小さなトリーが群がっているようだ。事実トリーはこの草が大好きで、ときどき茂った葉の下に潜り込んでうっとりしながら涼んでいる。


「でも、勝手に食べたりはしないんだよね」


 不思議なことに、僕やアキが摘んだものしかトリーは食べようとしなかった。だけど好物であることに違いなく、うっかり葉っぱのほうを向こうものなら「とってちょうだい」と一生懸命おねだりする。


(ほーら、来た)


 遠くから、トリーの声が響いてきた。

 どこからか、僕が草のそばにいるのを見つけて我慢できなくなったんだ。


 きゃーう、きゃーう


 声がだんだん大きくなってきた。どうやらトリーは後ろの山からこちらに向かっているらしい。でも僕は、「ものすごく怒っている」から返事をしない。無視してひたすら「トリーの草」を植え替える。するとトリーはじれてきたのか「こっちを見て!」と鳴き出した。


 きゃーう!

 トリー、トリー、カワイイトリー

 きゃるりるりるりっ、きゃるりるりっ!


 ぅわあぁぁんっ


「──ぶっ!」


 来た、と思った瞬間だった。背中を蹴られてつんのめり、僕は花壇に頭から突っ込んだ。

 ちょうど苗を取ろうと下を向いたときだったから、衝撃がもろに来た。手を出す間もなく顔は耳まで土の中にめり込んで、強い苦みとひどい臭いが口いっぱいに広がった。


(うへぇ……)


 あまりのショックで動けなかった。口の中のこの感触は腐葉土だ。草にとっては栄養満点の土だけど、こえがたっぷり混ざっている。つまり僕は肥を口に入れたも同然で、しかも肥の元は僕とトリーが出したもの。もう肥料になってるってわかっているけど気持ち悪くてたまらなかった。

 しかも僕をこんな目に遭わせたくせに、トリーはきゅるきゅる楽しそうに喉を鳴らして僕の背中に乗っている。きっと「悪いこと」しただなんて、これっぽっちも思っていない。

 そう思ったらふつふつ怒りが沸いてきて、どんどん腹が立ってきた。

 コッコちゃんのみならず、僕にまで嫌がらせして。もう可愛らしく「ゴメチャイ」って言ったって許してやらない。うんと叱って二度としないように反省させて、コッコちゃんに謝らせなきゃ。それまでは罰として葉っぱはなし、抱っこするのもお預けだ。

 そう決めて、僕はよし、と気合いを入れた。そして起き上がろうと、両腕に力を込めたときだった。


 きゃう!


 トリーが僕の耳をぺろりとなめた。そして背中からひょいと降りると鼻でくいっと肩を押し、起きるように促した。

 ねえ、だいじょうぶ?

 気遣う気持ちが伝わって、せっかく溜めた怒りがあっというまに消えてゆく。


(ううっ……僕は怒ってる! 絶対に許さないんだからな!)


 流されるな。ちゃんと叱るときは叱らなきゃ。そうしないとトリーはこれが「悪いこと」ってわからない。だからいまは、集中して気合いを入れろ。

 僕は土に顔を伏せたまま、腹の底に力を込めた。

 けれどトリーはそのとき、もう自分で考え動いていた。


(なに……?)


 顎の下から光が漏れて、涼しい空気が頬に触れた。

 肩のすぐ下、なにかが土を掘っている。薄目で見ればそれは小さな前足で、猛然と土を掻いている。そして小さな空間を作り出すと、トリーはそこにためらうことなく頭を突っ込みぐいっと肩を入れてきた。身体が浮いて目が回る。僕はあっというまにひっくり返り、気づけば仰向けになっていた。


(え、えぇ──?)


 とても信じられなかった。

 僕を持ち上げたあの力。小さなトリーにあんな力があるなんて。でもいま僕は、確かに上を向いている。さっきまでは顔が土の中にあったから真っ暗で、息をするのも苦労した。なのにいまは眩しい光に包まれて、風がすうっと僕の頬をなでている。


「う、そ──……んむっ」


 きゅんきゅん、きゅん


 呆然としていると、トリーはすかさず僕の顔をなめだした。鼻の穴も口の中も隅々まで丁寧になめて、土を取り除こうとしてくれた。おかげで僕の呼吸は楽になり、こえの臭いももうしない。

 けれどトリー。地面に突っ伏していたのは叱るための作戦で、動けなかったからじゃない。だから心配しなくても大丈夫。それよりも、肥の混じった土をなめてお腹を壊したら大変だ。

 僕はトリーを止めようとしたけれど、トリーはその手を鼻で押しのけなおもぐいぐい汚れた顔をなめ回す。


「ん〜〜〜っ! トリー、止めな。汚い、からっ」


 きゅーう、きゅーう、きゅーん

 ゴメチャイ、ゴメチャイ……

 きゃうぅぅ

 ゴメチャイ……


 ぐ、と喉が詰まって僕はなにも言えなくなった。

 トリーは着地の加減を間違えたんだ。なのにそれを嫌がらせだって決めつけて、僕はトリーに意地悪した。

 恥ずかしくてたまらなかった。

 もしトリーが意地悪するなら、それば僕がそうしたからだ。だって僕はトリーの「親」だから。なにも知らない無垢なトリーに、僕が「悪いこと」を教えたんだ。なら、どうしてトリーを叱ることができるだろう。反省するのは僕のほう。僕がトリーのお手本なんだ。「悪いこと」してしまったら、ちゃんと「ごめんなさい」して反省しなきゃ。


「ごめんね……僕が、悪かったね」


 きゅーう、きゅーう

 ダイジョーブ、ジョブ

 きゃうぅ


「うん……うん。だいじょうぶ」


 ぎゅっとトリーを抱きしめて、寝転んだまま頬と頬とをくっつける。それから黒い瞳と目を合わせ、僕はトリーに謝った。するとトリーは僕の口をぺろりとなめて、きゅうきゅう喉を鳴らしてしがみつく。

 胸に乗ったトリーの重みが愛おしい。両手でそっと耳の後ろを掻いてやると、トリーは僕を見下ろし嬉しそうにさえずった。


「ありがとう、トリー。大好きだよ」


 きゅーん

 スキー、ダイスキー、ダイスキー

 きゅーう、きゃう、きゅるるるる

 きゃる、ぎゅーるるっ!

 けろけろけー


「──!!!」


 僕はまったくの無防備で、「これ」が来るとは想像すらしなかった。

 久しぶりにまともに食らったトリーの「愛」は本当に最悪で、僕はしばらくなにを食べても味も匂いもわからなくなっていた。とはいえ、トリーが元気になったとこんなことでも実感できて、ほんの少しほっとしたのもまた事実。

 ──でも、やっぱり──トリーの「愛」はとてつもなく重かった。



 ◇  ◇



 歪んだ檻は修理した。少し長めに散歩をさせて、穫りたて菜っ葉と大きなミミズ、そして美味しい唐黍もろこしもたっぷり餌箱に入っている。おかげでコッコちゃんの機嫌は上々、メスたちもおこぼれにあずかって、とても楽しそうに鳴いている。


「──よし!」


 いまならきっと大丈夫。昨日のことは忘れているかもしれないけれど、それでもケジメはつけなくちゃ。トリーはちゃんと反省したから、きっとコッコちゃんもわかってくれる。それに念のために檻越しでの対面だから、喧嘩にはならないはずだ。


「トリー。……おいで」


 きゅー……


 庭木の下からトリーが恐る恐る顔を出す。そしておっかなびっくりやってくると、「きゅう」と縋るように僕の後ろで伏せをした。少し可哀想になったけれど、トリーが謝らなくちゃ意味がない。がんばれ、と励ましながら背中を押して、鶏小屋の前までいざなった。


「ほら、『ごめんなさい』って……」


 コケーッ!!

  ──がつっ!


 突然コッコちゃんが飛び上がり、檻に激しい蹴りを入れた。さっきまでの上機嫌が嘘のように羽を逆立て激怒して、なんどもなんども蹴っている。その怒りは凄まじく、僕も気圧されてしまうほどだ。


「ぅわっ! コッコちゃん、お、お、落ち着いて!」


 怒り狂ったコッコちゃんに僕の言葉は届かなかった。蹴りは一向に治まらず、蹴られるたびに小屋全体がみしっみしっと不吉な音を立てている。しかもトリーまでが張り合うように威嚇しだして、ますます手がつけられない。


 じゃー! じゃー! じゃー!


 コケケケケッ! コッケー!!


「わーっ! ごごご、ごめんっ!」


 ダメだ、仲直りは失敗だ。

 僕は慌ててトリーを抱えて逃げ出した。

 2人に仲良くなってほしい。

 そんな僕のささやかな夢は、とうぶん叶いそうにない。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ