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トリーの歌う、愛のうた  作者: らみ
トリーのかなでる愛の調べ
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29/49

6 密かな決意

 


 今年芽吹いた若い葉っぱが外へ外へと広がって、草地に影を落としている。その樹の根元で膝をつき、僕はじっと息を潜めて待っていた。じりじりとした鋭い日射しは柔らかな緑にさえぎられ、ときおり森からの涼しい風が吹き抜けるから暑くはない。けれど緊張のせいかじわじわと汗がにじみ、手のひらはじっとりと湿っている。

 頭の上には枝が伸び、下の草も背が高いから身体は隠れているはずだ。でも合図とともに目の前の原っぱに飛び出して、ウサギを捕まえるなんてできるだろうか。

 手にした魚の網を握りしめ、僕はそっと視線を落とす。

 影の長さは変わっていない。なのに朝からずっとこうしているような、そんな気分になってきた。落ち着かなくちゃいけないのに、胸のどきどきが治まらない。


(……大丈夫、大丈夫)


 一度ぎゅっと目を閉じて、溜まった息をそろそろと吐き出した。それからゆっくり顔をあげ、見上げてみれば枝の向こうに真っ青な空がある。

 トリーの色だ。

 そう思った途端、気持ちがすうっと楽になった。

 急に視界が広がって、遠くが見渡せるようになっていた。小さな葉ずれの音すらも、聞こえるようになっていた。

 青々とした草が茂る原っぱや、その向こうの森の樹々。高く響く楽しげな小鳥の歌。深く、ときに浅く流れてくるのは山全体の息づかい。


 ざわ、ざわ、ざわわ──ざあっ


 葉ずれがまっすぐにやってきた。細い枝をしならせて、大きな葉っぱを引きちぎるようにさらっていく。前方の、太い枝がぐうっとたわみ、次の瞬間青い矢が勢いよく放たれた。


(──危ない!)


 矢は地面に向かって鋭く斜めに伸びていく。しかし突き刺さるその直前に急旋回。直後にどっ、となにかが倒れ、草ががさりと音を立てた。そしてそれっきり、あたりはしん、と静まり返る。

 最後に草の間から見えたのは、激しく振られた青い尻尾。だけどトリーが無事なのか、僕にはさっぱりわからなかった。嫌な予感が脳裏をよぎり、胸がばくばくと音を立てて鳴り響く。様子を見に行かなくちゃ、そう思って腰を上げかけたそのときだ。


 きゃーう! きゃーう!


「きたっ……!」


 合図だ。

 力強い声にほっとした。だけど最初の目的を思い出して僕は急いで立ち上がり、網を広げて獲物を待った。

 せっかくトリーが追い立ててくれたんだ、絶対に逃がさない。必ず捕まえてやるからな。

 そう気合いを入れて構えたけれど、いつまで待っても獲物は来ない。


 ……さわ、さわわ……


 汗が頬を伝い落ち、風がそよいで青葉を揺らす。

 逃げられたかも。そんな予感がしたときだ。


 きゃーう!


 呼ばれてはっと目を向ける。すると少し離れた草むらから、トリーがひょっこり顔を出した。さっき落ちた場所のすぐそばだ。そこで後足だけで立ち上がり、首を伸ばして「こっちだよ!」と急かしている。その元気な姿に安心しながら、僕は慌てて駆け寄った。


「トリー、獲物はっ!?」


 きゃうきゃう、きゃう


「ほら、トリー。ウサギを狩るんだろ? これじゃ歩けないよ」


 足にトリーがまとわりついてきたけれど、狩りはまだ終わっていない。遊ぶのは終わってからね、と喉の下をくすぐると、トリーは軽やかに身を翻して草の中にもぐっていった。


「どうしたの?」


 僕も草をかきわけ後を追う。するとそこには両前足を「なにか」に乗せて、誇らしげに胸を反らせたトリーがいた。なんだろう、とよくよく見れば、それには茶色の毛が生えていて──ウサギだ。


 きゃるきゃるりっ!

 カワイイトリー、ダイスキトリー

 きゃうるるるっ!


「ひょっとして……さっきのアレで……狩った、の?」


 目を丸くする僕の身体を駆け上り、トリーは「そうだよ」と黒い瞳をくりりと動かし頬をなんどもすり寄せた。


「凄いや…… トリー、凄い!」


 僕の出番はなかったけれど、そんなのもうどうでもいい。

 それよりもトリーがちゃんと獲物を狩れた、それがたまらなく嬉しかった。だから僕はトリーを抱きしめいっぱい褒めた。するとトリーはくるくる満足げに喉を鳴らすとひょいと地面に飛び降りて、「帰ろう」っていうように、「きゃう」と鳴いて歩き出す。


「あれ……トリー、ウサギは?」


 きゃるっ!


 さも当然というように、トリーは僕に目を向けた。「もってきて」って、そう言っているようだ。


「なに? 一緒に狩りに行こうって……荷物持ちに来いってことだったの?」


 不安だからついてきて。そして狩りを手伝って。

 トリーはそう言っていたと思ったのに、全部僕の勘違いだったのか。

 あんなに緊張することなかったんだってわかったら、どっと疲れが押し寄せた。身体からはへなへなと力が抜けて、はあっと息を吐いて肩を落とせば握りしめた魚の網が目に入る。

 丸い木の枠から袋状に伸びた網。これでウサギを獲ろうだなんて、どうしてそんなこと考えたんだ。

 頭が冷えたら急に恥ずかしくなってきて、僕は思わず力いっぱい頭を振った。


 きゃるるーう


「あ、なんでもないよ。行こうか」


 荷物をかつぎ、不思議そうに小首をかしげるトリーを誘って歩き出す。長い尻尾はぴんと立ち、頭の飾り羽もふんわり広がりトリーは元気いっぱいだ。それはさっきのすばらしい狩りからも良くわかる。


(僕が助けてあげなきゃいけないのに……)


 見当違いのことをして、ちっとも役に立ってない。

 それがとても情けなかった。


 虹色の羽の1枚が落ちてすぐ、残りの羽もつぎつぎに抜けていった。羽が生えていたその場所は、今はもう薄い皮が張ってしまって跡がかすかに残るだけ。

 屋根の上に登るとき、大きな水たまりを越えるとき。そして狩った獲物を運ぶとき、トリーは虹色の羽を震わせ空中に舞い上がる。それが突然できなくなって、どんなに辛い思いをしているだろう。

 トリーを支えてあげなくちゃ。そのためだったらなんだってしてみせる。

 僕はそう決意したのだけれど。


「ねえ、トリー。僕……ハシゴよりは役に立つよね?」


 きゃるりっ


 トリーがなんて返事をしたのかは、やっぱりよくわからなかった。



 ◇  ◇



 青葉の茂る畑の空を輝く青が旋回する。背中の翼を大きく広げ、風に乗ってトリーはとても気持ち良さそうだ。虹色の6枚羽がなくなってから、トリーは大きな樹のてっぺんから風を捕えて飛ぶようになっていた。

 畑仕事をしていると、ときおり小さな影が目の前を過ってゆく。トリーは鳥のように羽ばたけないから、もう飛べないのかと僕はずいぶん心配した。だけどもう大丈夫。あの独特の音が聞けなくなったのは残念だけれど、トリーが元気ならそれでいい。きっと、最初からこうなる予定だったんだ。


「あ、またあった」


 青豆の下に生えていたのはトリーの好きな謎の草だ。スミレに似た葉のこの草は、あれから他の場所にもちょこちょこ生えているのがみつかった。菜っ葉に混じったわけでもなさそうだから、種は飛ばされてきたのだろう。これが雑草だったら抜くけれど、トリーのおやつになるものだから別の場所に植え替える。


 きゃう、きゃう


 謎の草を植えているとトリーがひらりと舞い降りて、僕に身体をすり寄せた。葉っぱをちょうだいってねだるのに、僕はいつも逆らえない。


「はいはい、わかりました。そうだね……これはまだ小さいから、こっちのはどう? 瑞々しくて美味しそうだよ」


 きゅるるーぅ


「はい。じゃあ、どうぞ」


 柔らかそうな葉っぱを2枚毟って差し出すと、トリーはぱくりと食いついた。もっしゃもっしゃとずっと口を動かしているけれど、飲み込めないわけじゃない。どうも香りを楽しんでいるようで、半分だけ目を閉じながら鼻の穴をぴくぴくと動かして、食べるのが勿体ないって言ってるようだ。おまけにさんざん時間をかけて飲み込むと、「むっふーん」と変な声を出すものだから僕はいつも笑ってしまう。


 ぎゃう


「違うよ。トリーは可愛いなって、嬉しくなったんだよ」


 なにかを察してうろんな目つきになったのを、抱き上げ抱きしめ誤摩化した。これはとても有効で、トリーはすぐに機嫌を直してくれるんだ。それからお返しとばかりに僕の顔を舐めるけど、実はこれがなかなかいい。

 謎の草を食べたあと、トリーの息は良い匂いになっている。草はあんなに苦くて渋くて不味いのに、本当に不思議なことだった。僕も試しに噛んでみようかと思ったけれど、葉を揉んだら青臭さが鼻について口に入れることすら無理だった。


「トリーのお裾分けでじゅうぶん──っ!」


 ぎゃーるるっ!

 けろっ……ぎゃう、ぎゅー


 危なかった。間一髪で防御できてほっと胸を撫で下ろす。だけどトリーは不満なようで、僕の手から木べらを奪うと家の裏手に走って逃げていってしまう。きっと木べらを壊そうと齧っているに違いない。でも、僕にとってはそんなことはお見通しだ。


「まだまだたくさんあるもんね」


 トリーは知らないだろうけど、台所の引き出しには木べらがたくさん眠ってる。時間があるときこつこつ作っていたものだけど、このぶんなら夏の間に使い切ってしまうだろう。


「いつまで保つかな」


 まだまだ夏はこれからだ。トリーを寝かしつけたら木べら作りに励まなくちゃ。

 そんな計画を立てながら、どうやってトリーの機嫌を取ろうかと僕は考えを巡らせていた。



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