4 トリーの尻尾と飾り羽
河原に続く急な坂をアキは小走りで降りてきた。
にこにこ笑いながら手を振って、とても嬉しそうな様子に僕もつられて笑顔になる。
「よかった。家にいなかったからさ、捜してたんだ」
「久しぶり。そんなに急いで、どうしたの?」
「へっへー。リクおじさんから鹿肉貰ったんだ。罠に3頭もかかってたんだって」
「へえー、さすがだね」
リクおじさんは猟師だ。父さんと母さんが生きてたころは、獲物の肉を畑の野菜と交換してもらっていた。でも今は僕ひとりだし、トリーがキジやウサギを狩ってくるからもうずっと顔を合わせていなかった。小さいころはたくさん可愛がってもらったのに、最近は会いにいこうともしなかった。
「ミカは元気かって気にしてたからさ、元気一杯だって伝えておいた」
「うん……ありがと」
気まずくて、顔をあげていられなかった。けれど黙ってしまった僕のことを気にもせず、アキはそのまま用件を切り出した。
「たくさん貰ったからさ、少し持ってきたんだ。台所においておいたから」
「あ、でも……お礼の野菜」
「こないだ芋と青豆くれただろ? あれ、渡しておいた。すっごい美味しかったって、おじさん喜んでたよ」
「……そう。ありがと」
ひとりでは食べきれないからって、アキにあげた芋と豆。それをリクおじさんにも渡しておいてくれたんだ。本当なら僕が持って行かなきゃならないのに、まだ村の人たちと顔を合わせたくないって思っていることを、アキはちゃんと知っている。
僕は、みんなに甘えてばかりだ。なのにそんな気持ちを見透かすように、アキはまた、ことさら明るく喋りだす。
「俺さ、野望があるんだ」
「……え?」
肩をぽんと叩かれて、僕はまじまじと目の前の顔を見返した。するとアキは片方の頬だけを引き上げて、器用に片目をつぶってみせる。
「トリーは鹿肉、食ったことがないだろ? 鹿肉は美味いって覚えさせて、いつか一緒に鹿狩りするんだ」
「ええ? 無理だよ。身体の大きさが全然違うじゃないか」
「大丈夫だって。アイツ、猪狩ったんだぞ? 鹿ぐらいならいけるだろ」
「猪ったって、たった一度だよ?」
「いーや、小さくってもドラゴンだからな。……おーい、トリー!」
きゃるっ!
呼ばれてトリーが水辺から飛び立った。うわあーん、と独特の羽音を立てながら飛んできて、アキの胸に着地する。それから居心地のいい場所に移動すると首を伸ばし、アキの頬をぺろりとなめて「いらっしゃい」の挨拶をした。
「なあ、トリー。おまえさ……」
ずっと笑顔だったアキが急に頬を引きつらせ、がしりとトリーの顔を鷲掴む。流されてくれるかと思ったけれど、やっぱり気がついてしまったか。
「俺の服で濡れた足をふいただろ? 久しぶりに会ったってのに、なんだよこの仕打ち!」
きゃるるーう、ゴメチャイ、るりっ!
「うっ……! か、可愛い顔で誤摩化そうったってダメだからな! ……だから一緒に鹿狩りにいこうな?」
「……ちょっとアキ。どさくさに紛れてへんな約束しないでよ」
「やってみないとわからないじゃないか」
「それはそうだけどさぁ……」
「うっし。トリー、今度試そうな! でもその前に」
トリーの身体を抱きなおし、アキは頭から背中の翼までをゆっくりと撫でている。それからトリーの耳の後ろをくすぐって、心底不思議そうな顔をした。
「……どうしたんだよ、これ。ボロボロじゃないか」
「それはさ、凄く繊細で大切で重大な問題なんだ」
「はあ?」
さっぱりワケがわからない、とアキは顔をしかめている。
そこでじっくり相談に乗ってもらおうと、僕らは家に帰ることにした。
◇ ◇
アキは鹿肉の他にもおばさんが焼いたパンを持ってきてくれていた。それらを片付けお茶を淹れ、腰を落ち着けてから僕は小声で説明した。
トリーがコッコちゃんと喧嘩をしてこっぴどくやられたこと。さんざんに羽を毟られお尻をつつかれ、それからどこか元気がなくなってしまったこと。
アキはとても信じられないって顔をした。でも抜けた羽を見せるとひとこと唸って腕を組む。
(マジかよ……)
(たぶん、ヒナのころに顔をつつかれそうになったこと、覚えていると思うんだよ)
(それですくんじまったのか……?)
でなきゃ負けるはずがないもんな、とアキがぽつりと呟いたのに、僕は両手で蓋をする。
(しーっ! その言葉は禁句!)
(……なんで)
(トリーが聞いてるだろ)
ちり
ネズミのオモチャの音がする。
僕らが食事用のテーブルで顔を突き合わせているその向こう、居間の入り口近くでトリーはひとりで遊んでいた。
(別に聞こえても大丈夫だろ?)
(甘いよ、アキ。トリーはさ、自分が話題にされてるって、わかってるよ)
背中をこちらに向けて、トリーはいかにも「興味ない」って感じで遊んでいる。けれど後ろの音が聞きやすいよう飾り羽をぴったり閉じて、耳の穴をしっかり僕らのほうに向けていた。
(ホントだ。すっげー……どんどん賢くなるな)
(そこがまた可愛いんだけどさ。でもどうにもあれ以来、どこかしょげてて心配なんだ)
(……ミカ、相変わらずだな)
(なにが?)
「……いや。こっちのこと」
はーっと溜息をつきながら、アキはつい声を出してしまっていた。それは呟きともとれるような、小さな小さな声だった。
なのに、ぴくりと尻尾が動いてトリーがこちらをちらりと見た。
ボクのこと、話してたでしょ。
まるでそう問いただすかのように、黒い瞳がじっと僕らを見つめている。
「な、なあ、ミカ! この香草茶、めちゃくちゃ旨いな!」
「そそ、そう? 前に貰った苗を庭に植えてみたんだよ。なんだかいっぱい増えちゃって」
「きっと育てかたがいいんだな! ばあちゃん顔負けだぜ」
はははは。
──ちり、り
トリーがまたオモチャに視線を戻したのに、僕らはほっと胸を撫で下ろす。
本当に気が抜けない。
それをアキも実感したようで、じっとトリーを見つめてなにか考えているようだった。それからちらりと僕のほうに視線を寄越し、両手を上げると頭をガリガリと掻きむしる。
「あー、やめやめ! 俺のほうまで辛気くさくなっちまう」
「ちょっと、アキ!」
「なあ、ミカ。久しぶりにボール投げしようぜ。つき合えよ」
「なにいってんの。それどころじゃないだろ?」
「いーから、いーから。裏の畑が空いているだろ? そこ行こう」
アキはさっさと席を立つ。ボールはないって言ってやったら、寝室からトリーのオモチャを持ってきた。
「これで一度、遊んでみたかったんだ。作ったは良いけどさ、自分では使ったことがなかったからな」
きゅー
「んー? トリーも一緒に遊ぶか?」
オモチャを振ってみたけれど、トリーは気が乗らないようだ。動こうとしないトリーに肩をすくめ、「行くぞ」とアキは顎をしゃくって出て行った。
◇ ◇
「おーい、どこ投げてんだよー!」
「ちゃんと投げてるよ! 勝手に曲がっちゃうんだよー!」
力一杯投げるけど、キジの羽がついているせいかボールは狙った場所まで届かない。そのうえくるくる回りながら落ちていくから変な方向に曲がってしまう。いまさらボール投げなんて、って思っていたけど勝手が違って面白かった。
飛んできたボールを走って受け取りまた投げ返す。
なにも考えずに身体を動かし走り回る。楽しくて、僕はすっかり夢中になっていた。けれどふと、さらりとした風が頬を撫でて気がついた。トリーが家の角から顔を出し、じっとこちらを見つめている。
やっぱり来たんだ。一緒に遊ぼうって、声をかけてみようか。
そんなことを考えながら、アキに向かってボールを投げたときだった。
僕のそばを青い影が凄い早さで駆け抜けて、そして大きくジャンプした。
きゅるっ!
アキが手を伸ばしたその先の空中で、トリーはボールに食いついた。そして翼を広げてふわりと着地、そのままきゅるきゅる喉を鳴らしている。
「なんだ、トリーも仲間に入るか?」
ひょいと腰を下ろしてアキはトリーに微笑みながら手を伸ばす。するとトリーはボールを口にくわえたまま、身を翻して畑のほうに逃げていった。
あっと言う間の出来事で、僕もアキも身動きひとつできなかった。目で追うと、トリーは畑の周りをぐるりと駆けているようだ。やがて一周して戻ってくると、僕の前にボールを落としてきゃうきゃうと訴える。
黒い瞳は生き生きと輝いて、「ボクも遊ぶ」ってそう言っているようだ。
「凄いね、トリー。アキよりも高くジャンプしたよ?」
「おーい、次は俺の番だぞ!」
「よーし、じゃあトリーはアキの次だね。いくよー!」
それから僕はなんどもボールを投げたけれど、アキは一度も受け取ることができなかった。なぜなら全部、トリーが途中で取ってしまったからだ。そのうえトリーは畑の周りを一周すると、必ず僕の前に持ってくる。アキはそのうち腹を立て、僕からボールを奪って走り出した。
きゃうきゃう、きゃうきゃう
「なんだよ、トリー。これは俺が作ったんだぞ」
ぎゃるっ!
「──あっ! こんにゃろ、生意気な!」
ボールを奪い合った2人が草の上に転がった。僕が慌てて駆け寄ると、胸の上でトリーを抱いて、アキが声をあげて笑っている。
「あーっはははっ、おっかし! おまえら、気を使いすぎなんだよ」
「なに? どういうこと」
「つまり。トリーがしょぼくれるだろ、するとミカが心配して気を使う。だけど今度はトリーがいつもと違うって不安になるんだ」
「あ……」
「喧嘩に負けたぐらいでさ、そう深刻になるなよ、な?」
確かにアキの言うとおりだ。僕が気にしていることが、トリーの重荷になっている。
アッハッハー、るりっ
アキの腕から抜け出して、トリーが僕の膝に乗ってきた。そっと抱き寄せ耳の後ろを掻いてやると、トリーは気持ち良さそうに目を閉じる。でもいまは、そうやって頭を挟み込んでも耳の後ろの飾り羽は潰れなかった。僕の手のひらを力強く押し返し、扇状に広がっている。尻尾も先までぴんとして、すっかり元のトリーに戻っていた。
「僕……ごめんね、トリー」
きゃううーう、きゅう
ダイスキー、ダイスキー、トリーハカワイイ
きゅるるるるーう
つぶらな瞳をくりりと動かしトリーが歌う。
「大好き」は最近覚えた言葉だった。アキは初めて耳にして、さっそく僕をからかおうとしたようだ。
「おーお、お熱いこって」
「へへ、いいだろ」
「あーっ、開き直った」
アキは目をまんまるに見開いて、そしてぷーっと吹き出し笑いだす。してやったり、とおかしくなって、僕も腹を抱えて声を出す。トリーも一緒になって歌いだし、アキのおかげで僕らはその日、笑顔で一番星を迎えることができたんだ。
「俺さ、明後日から街に行く。預かった豆とウサギの毛皮、市で売ってくるから」
目尻を指でぬぐいながら顔をあげ、アキは真面目な顔ででそう言った。
もうそんな時期だっけ、とぽかんと口を開けると額を指で小突かれる。
「そうだよ。見てろよ、高値で売ってやるからな」
「えー、無理しなくてもいいよ」
「小刀買うんだろ? 良いヤツは値が張るし、金はいくらあっても困らないから貰っとけ!」
「はいはい、土産話を楽しみにしてるね」
トリーのおかげでずいぶん楽をさせてもらっている。お礼には、なにをあげたら喜ぶだろう。
このとき僕は、のんきにそんなことを考えていた。




