1 朝ごはん
ついと上掛けが引っ張られ、小さな手足が身体を登って顔のそばまでやってきた。首もとから耳の後ろ、そして口元にかけて、すんすん小さな鼻息がかかってくすぐったい。僕は吹き出したいのをぐっとこらえて寝返りを打ちながら、布団を引き上げ顔を隠す。すると手足の主は、耳元をぺろぺろとなめだした。
きゅんきゅん、きゅーう
起きて、起きて。朝だよ、起きて。
こうやって、優しく僕を起こしているのはトリー。たったひとりの僕の家族で輝くような青いウロコと羽の生えた翼を持った、とても賢いドラゴンだ。今朝も僕より早く起きて、僕の目が覚めるのをじっと待っていたに違いない。でもお腹が空いて、我慢できなくなったんだ。はやくご飯を食べようよって、きゅんきゅん切なげに鳴いている。
確かにいつもはそろそろ起きるころだけど、今日はもう少しだけ微睡んでいたかった。だって布団の中はあまりにも気持ちがいい。もうちょっとだけ、こうしていたい気分なんだ。
「うぅん……」
だから僕はさらに布団の中に潜り込む。そしていつものように、トリーが布団の中に入ってくるのを待っていた。背中をくっつけ2人で一緒に二度寝する。これが僕たちの、朝のささやかな贅沢だ。
きゅう……
ところが今朝のトリーは違っていた。
なんどか僕の身体を往復すると、ひょいと軽やかに寝台から飛び降りてしまったんだ。こんなことは初めてで、どうしたんだろうって、僕はそっと薄目を開けてトリーの様子をうかがった。
青くて長い尻尾はぴんと立ち、耳の後ろの飾り羽もふんわりと扇状に広がっている。これなら機嫌も体調も悪くない。ならどうして、とぼんやり考えていたときだ。トリーがくるりと僕の方に向き直り、頭を少し反らせながら息を吸って胸をすうと膨らませた。
──ッケコッコーー!!
「うわああっ!」
文字通り、僕は寝台から飛び上がって転がり落ちた。頭の芯がビリビリ痺れ、きーんと変な音が耳の奥で鳴り響く。
「び、び、びっくりした……」
身体を引きずるようにして寝台に寄りかかり、はーっと大きく息を吐く。するとトリーが僕の膝に手を当てて、心配そうに小首をかしげて僕をのぞき込んできた。
きゃう
大丈夫? と首を伸ばして頬をぺろりとなめてくれるのを、僕はそっと引き寄せ抱きしめる。
「……コッコちゃんの鳴き真似なんて、いつの間に覚えたの?」
耳の後ろをくすぐりながら尋ねるけれど、もちろん答えは返ってこない。きゅるきゅるる、と楽しそうにさえずって、トリーは僕の鼻をぺろりとなめた。
トリーには、いつも驚かされてばかりだ。
産まれたときはまるっきり「鳥のヒナ」だったのに、いつのまにか両手が生えた。人の言葉を真似して喋るし、産毛が抜けてウロコが出てきたと思ったら、クチバシがぽろっと落ちて歯が生えた。あのときはもう、本当に心臓が止まりそうだった。ほかにも綺麗な翼の下に虫のような透明な羽が生えたりと、トリーが家族になってから、僕はずっと振り回されっぱなしだ。
でも僕は、トリーの卵を拾って良かったと思っている。
だってトリーはなんといっても可愛いし、そして思いやりもあって賢くて、おまけに一流の狩人だ。ときどきイタズラはするけれど、ちゃんと「ごめんなさい」もできるから、一緒にいるととても楽しい。
やっぱりトリーが一番だ。
つやつやした青い頭を撫でてやり、ついでに喉の下をくすぐって。息を整えながらトリーを可愛がっていると、小さな前足が僕の頬に添えられて、そしてトリーはひとこえ鳴いた。
ぎゅるっ、ぎゅーるるっ!
けろりっ……ぎゃー
トリーが不満そうに尻尾を振った。
僕はと言えば、落ち着きかけた胸がまたばくばくと音を立て、冷たい汗が頬を伝って落ちていく。
「あ……危なかった……」
また「アレ」を食らうところだった。けれど今回は間一髪で防御できてほっと胸を撫で下ろす。トリーは目の前でぎゃうぎゃう文句を言っているけれど、ダメなものはダメなのだから仕方がない。
「トリー? 僕はトリーが大好きだよ。でもね、お願いだから、『愛の吐き戻し』だけは勘弁して」
ぎゃう、ぎゅるぎゅるぎゃー
「違うって。ちゃーんと気持ちは受け取っているから、ね?」
耳の後ろをくすぐろうとしたけれど、トリーはぱっと後ろに逃げてしまう。
ボクがせっかく吐き戻したのにどうして受け取ってくれないの。
たぶんトリーはそう言いたいのだろう。
アレはトリーの「愛の結晶」だってアキは言う。だけどアレを受け取ってしまうたびに、僕は意識を手放してしまうんだ。そのうえ後味が最悪で、食らった後は口と鼻が馬鹿になってしばらく味も匂いもわからなくなってしまう。
トリーの「好き」って気持ちがアレに詰まっていることはわかってる。それは僕も嬉しいけれど、ずっと受け取っていたら僕のほうがまいってしまう。だからなんとかして防ごうと、僕は木べらを作ったんだ。
いつ来てもいいように、手の届く場所に置いておいたのが今回は役に立った。トリーには悪いけれど、これからアレは、木べらで防がせてもらうことにしよう。
「トリー、機嫌直してよ。ねえってば」
どうにかなだめようとするけれど、初めて「愛の吐き戻し」を防がれて、トリーはすっかり拗ねてしまったようだ。こっちにおいでって手招きしても、ふいっとそっぽを向いてしまうし、抱き上げようと手を伸ばしても、さっと僕から逃げてしまう。
(こうなったらご飯で釣るしか……)
そこでふと、僕は奇妙な事実に気がついた。
起きたばかりでトリーはお腹がすいているはずなのに、あの「吐き戻し」はどこからやってきたのだろう。
あれれ、と首をひねりながら居間に入ると、そこには信じられないものがあった。
テーブルの上にどどん、とぬらぬら黒光りする物体が乗っている。ふたつの紡錘形を描いたそれは、到底こんなところにいるはずのないものだ。
「魚……? まさかっ」
立派なハヤが2匹、ご丁寧にも僕の椅子の前に頭を並べて置いてある。
「これ、ひょっとして……トリーが?」
きゃるるっ
楽しそうな声がしたので振り向くと、居間の入り口からトリーがひょっこり顔を出していた。玄関が閉まっていたから考えもしなかったけど、トリーはすでに朝ご飯を食べていたんだ。それで僕にも食べさせようと──
「──って、あれ? するとこのハヤは……」
あんぐりと口を開け、魚とトリーを交互に見つめる僕の前をトリーがとことこ平気な顔で歩いてくる。そして自分の椅子にひらりと床を蹴って飛び乗ると、口をパカリと大きく開けた。
「……つまり、なに? 僕に、食べさせろって……そういうこと?」
ぎゃーう
これで許してあげるから、ね。
トリーのそんな声が聞こえた気がして、僕ははあっと力が抜けて座りこむ。
やっぱりトリーには敵わない。その賢さに、脱帽だ。




