プロローグ
あのときの大聖堂は、色とりどりの人で埋め尽くされていた。
好奇に満ちた視線が四方八方から突き刺さり、どよめきは見えない波となって押し寄せる。そのうえ目の前には枢機卿と大司教、そして王族までもが並んでいた。通常ならば顔を拝することすら叶わない、そんな天上の人々が、辺境のちっぽけな教主の話を真面目な顔で聞こうというのだ。
膝が震えて止まらなかった。なんど逃げ出したいと思ったことか。
しかし手にした綺麗な青い羽が、私をその場に押しとどめた。この機会を失えば、「彼」の存在は消えてしまう。この羽の主がどこにもいなかったことにされるのだけは、どうしても嫌だった。
私はなけなしの気力を振り絞り、つかえながらも証言した。
幼いころに聞かされた祖父の話と形見となった青い羽、そして教会に保管されていた一枚の絵について。「神の遣い」と伝えられていた「彼」は「鳥」ではない。ドラゴンに違いない──
そうやって証言はしたものの、私はなかば諦めていた。
教会では、ドラゴンは神の加護から外れた凶暴な生き物だと教えている。だからこれまで「神の遣い」とされてきた「彼」が、その一種であるとは到底認められないだろう。誰もがそう思っていた。
ところが大方の予想に反し、「彼」は新種のドラゴンとして認められたのだ。
「ピグミードワーフミニチュアドラゴン」
長ったらしいうえに仰々しい名だ。これでは誰も覚えられまい。
案の定、人々は彼を「神の遣い」とは別物の「絶滅した小さなドラゴン」として認識し、価値をその「遺品」に見出した。
確かに証言台で見た彼の皮は、まるで星を封じた宝石のように美しかった。聞くところによると、「遺品」はほんの欠片であっても想像もつかないほどの値がつくらしい。
なるほど。
私の胸に、すとんと理由が落ちてきた。
「彼」は、その価値故に、ドラゴンとして認められたのだ。「神の遣い」ならば売買などもってのほかだが、「ドラゴン」なら問題ない。つまり、教会の「高度な判断」というやつだ。
それからは、まるで夢を見ているようだった。都は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、人々は彼の「遺品」に思いを馳せる。「彼」にまつわる狂乱は、次第に大きく広がっていった。
ああしかし、それになんの意味があるだろう。
もう、この世のどこにも小さなドラゴンはいないのに。
祖父の時代、彼らは「神の遣い」として大切にされていた。しかしその一方で、無惨に狩られ、むごたらしく殺されていたのだ。
古くからドラゴンは「永遠」の象徴ともされている。そしてその肉をひとくち食えば、寿命が10年伸びるという。しかしドラゴン種は凶暴で、「本物」を捕えて肉を得るには相応の犠牲が出てしまう。そこで欲に目がくらんだ愚かな人間どもが、「ドラゴンもどき」として小さな彼らに目をつけた。
「ドラゴンは人に害なす生き物だ。だから退治されるべきである」
そんな詭弁のもとに彼らは狩られ、肉は不老長寿の妙薬として、そして牙や皮、羽はもちろん骨さえも加工され、「ドラゴンの秘宝」として高値で取引されていた。金のために命を奪う、そんな強欲な人間を前にして、小さな彼らにいったいなにができただろう。彼らはあっというまに数を減らし、そして消えていったのだ。
そしていまもまた、彼の「遺品」は「失われたドラゴンの秘宝」となって、人々の欲をあおり、かき立てる。
私は失意の底にいた。
子供のころからの夢──いつか、生きた彼らに会ってみたいという夢は、あっけなく打ち砕かれた。そのうえ私の預かる教会にあった彼の絵さえ、牙や皮といっしょに保管するからと、取り上げられてしまったのだ。
残ったのは祖父の形見の青い羽とあの絵の記憶、そして「神の遣い」として、ひっそり人々を見守っていた石像に与えられた新たな名、それだけだった。
このままでは時間とともに「彼」の存在そのものが消えてしまう。せっかくドラゴンと認められ、名まで貰ったというのにすべてなかったことにされてしまう。
それに気がついたとき、私は恐怖で凍りついた。
早くなんとかしなければ。
小さなドラゴンがこの地で生きていたことを、知っていて欲しかった。
おとぎ話の中でいい。彼らのことを、忘れないで欲しかった。
だから私は決意した。
彼らのことを伝えていこう。きっとそれが、人生最後の仕事になる。
それから私は絵を描いた。画家のようにはいかないが、それでも記憶に残るあの姿を少しでも留めておきたかった。小さな木片を紙替わりにして墨でなんども練習すると、いつしか私の描いた絵は、暖炉にくべるには惜しい出来になっていた。それでも私は描き続け、木片は部屋の中で山になる。そこまでくると、さすがに手元に置いておくには限界だった。そこで私はそれを、お守りとして売ることにした。
もともと彼は「神託を告げる鳥」「神の遣いの聖なる鳥」だったのだ。だから彼の描かれたこの木札を「枕の下に入れて寝るとお告げがあるお守り」としても問題はないだろう。ただ残念なことに、あの長ったらしいドラゴン名は表に出せなかった。中央は彼をあくまでも「鳥」として扱うよう、通達を出したのだ。
悔しいが、忘れ去られるよりはいい。
この絵を見て、石の像となぜ違うのかと誰かが疑問を持ってくれたなら。そうしたら、彼がドラゴンなのだと答えよう。教義には、嘘をついてはいけないと書いてあり、私は敬虔な信徒なのだから。
この試みは成功した。
子供はたちまちこの「遊び」に夢中になって、祭りのたびに小さな硬貨を握りしめてやってくる。そして次の日こんな夢を見たのだと、楽しそうに教えてくれた。さらに不思議なことに、これは若い女性たちにも人気になった。理由など、訊かなくともすぐわかる。彼はいつの間にか、恋を取り持つようにもなっていた。
あの若者が現れたのは、この街で彼らが「幸せを運ぶ不思議な鳥」として徐々に認められるようになっていた、そんなときのことだった。
風はまだ冷たいが空はすっきりと晴れ渡り、絶好の祭り日和となっていた。
春節祭の中日ともなれば通りのあちこちに出店が並び、近隣の村々からも人が訪れ街は一気に賑わいを増す。大人も子供もみな目を輝かせ、日常を忘れて祭りを存分に楽しんでいた。あのときも、私はいつものように教会前の広場のすみに布を広げ、「彼」を描いた木札を並べて行き交う人々を眺めていた。
ふと、ひとりの若者が人ごみから押しだされ、ふらふらと歩いてくるのが目についた。少年から青年にさしかかるぐらいの年ごろだが、どんよりと、そしてどこか荒んだ空気をまとっているのが気になった。
訪れる子供たちに木札を渡しながら注意深く見ていると、若者は人を避けるように漂って、やがて私のそばまでやってきた。そしてしばらく辺りをぼんやり眺めていたが、子供が手にした木札に興味がわいたのか、視線が動いて布の上で留まった。
「ト、リ……?」
若者が呆然と呟いた。
目の下には大きな隈、疲れ切った様子なのに、ぎらぎらした目で「彼」の姿に見入っている。
「きみ、大丈夫……」
「おじいさん。これ……この絵! これは、なんですか?」
若者は、声を震わせ「彼」の絵を指差した。
初めてこの絵を目にすると、誰もが同じような質問をする。
この若者も、見慣れぬ「彼」が気になっただけだろう。だから私はいつものように広場の入り口の石像を指し示し、あれと同じものだと教えてやった。それよりも、具合の悪そうな様子が気掛かりだ。
「顔色が悪い。こっちですこし休みなされ」
「そんなことはどうでもいい! ──っ。す、すみません。怒鳴るつもりじゃ──」
「かまわんよ。どうしたね? なにか気になることでも?」
若者は、なにかを言いかけはっとして口を閉じた。厳しく躾けられているのだろう、すみませんと頭を下げて、それから切羽詰まった様子で身を乗り出した。
「あの! この絵の生き物。これは、マスタードラゴン、でしょうか」
ドラゴン。
そのひとことに、心の臓がひときわ大きく脈打った。
期待に震える声を抑え、私は努めて平静に問い返す。
「──なぜ、そう思うのかの?」
「……あ。だって。この顔……鳥にしてはクチバシがないし。それに尻尾だってウロコに覆われて……」
足の形だって鳥とは違う。とすると、あとはドラゴンぐらいしか思いつかない。それにマスタードラゴンの子供を見た人はいないから、それで。
少々言葉に詰まりながらも若者は、そう結論づけたようだった。
なんと見事な推論だろう。こんな田舎にこんな聡明な若者がいたことは、まさに奇蹟に違いない。
──ああ、神よ。
待ち人は、ここにいた。私の想いを継いでくれる人物が現れた。
伝えなければ。
この若者ならば、きっと「彼」を忘れずにいてくれる。
「確かに。確かにこの絵はドラゴンを描いたものでの。これは小さなドラゴン、名は──」
「彼」の正体を知るにつれて若者は興奮し、みるみるうちに元気を取り戻していった。血の気の失せた頬には赤みが差し、目には驚きと、そして最前には見られなかった希望の光が宿っている。叫びたいのを無理矢理我慢しているような、そんな様子で恐る恐る手を伸ばし、若者は「彼」の絵姿にそっと触れると呟いた。
「そんな小さなドラゴンが、この辺りにいたんですね……」
「そうさの。もうすっかりいなくなってしまったが」
若者は、顔をくしゃりと歪めて俯いた。強く拳を握りしめ、大きく息を吸い込みなにかをぐっと飲み込むと、次の瞬間、ぱっと顔をあげて眩しいばかりの笑顔を見せる。
「俺、帰らなきゃ。おじいさん、これ、ください! いくらですか!?」
「あ、ああ……気持ちさね。神への感謝の気持ちをお願いしとる」
「決まってないんですね? じゃあ、これで!」
若者は小銭入れに手を突っ込んで、最初に指に触れたものを取り出したようだった。
そしてそれを布の上にそっと置くと、嬉しそうに木片を手に取って立ち上がる。
「これはいくらなんでも多過ぎる! ほれ、待ちなさい!」
「いいんです。ありがとうございましたっ!」
「ああ、待て、まだ続きが──」
透き通った青い空からまばゆい陽射しが降り注ぐ。
その中を、すっかり晴れやかな顔になった若者が風のように駆け抜けた。風はあっというまに人に紛れて見えなくなって、私はやれやれ、と腰をもとの場所に落ち着ける。
小さなドラゴンがなぜいなくなったのか、これから話すところだったのに。若さとは、なんとせっかちなことだろう。
「本当に不思議な生き物ですね。小さなドラゴンだなんて……早くこの目で見てみたい。会って、抱っこして、たくさんたくさん撫でてやりたい」
あの若者はそう言っていた。だから、なぜ彼らがいなくなってしまったか、それをきちんと教えておこうと思ったのだ。ああ、しかしこの話はきっと若者を悲しませることになるだろう。あれほど会いたがっていた「彼」はもう、この世のどこにもいないのだから。
どこにも、いない──?
不意に胸の内がざわめいた。
喉に刺さった小骨のように、なにかが頭の隅にひっかかる。
そうだ。あの若者は、「彼」に会いたいと言っていたのに、なぜどこに行けば会えるのか、それを訊いてこなかった? しかも曲がりなりにもドラゴンを、当たり前のように「抱っこして、撫でる」などと──
──まさか。
私はその考えを、頭を振って打ち消した。
そんなことはありえない。もう何十年も「彼」を見た人はいないのだ。
しかしなんど否定しても若者の言葉が頭にこびりついて離れない。
どうしようもなく身体が震え、止まらなかった。
残り少ない人生を前にして、手の届く距離にあるかすかな希望にどうして縋らないでいられよう。
「あれは、そう。確か……メリカ、村……」
言葉は風に乗って消えてゆく。しかしその村の名前だけは、心に深く刻まれていた。




