12 決意
気がつくと、僕はアキの部屋で座っていた。
いつ、どうやってここまで来たのかぜんぜん覚えていなかった。
外はもうだいぶ暖かくなったというのにとても寒くて、僕はがたがた震えていた。
「ほら。これ飲んで、落ち着け」
ぎこちない指を動かして、差し出された湯飲みを両手のひらで包み込む。すると指の先からじわりと痛みと熱が伝わって、固まった手をゆっくりと溶かしていった。僕は顎の下で湯気を受け、指がなめらかに動くようになってから、そっと中身を口にした。舌も冷えきっていたようで、ぬるくなった茶なのに火傷するほど熱かった。
少しずつ茶を飲んで、空になった湯飲みの底をじっと見た。そのあいだ、アキはなにも言わずに僕を待っていた。
何度か大きく息を吸って、吐いて、それから唇を噛んでから、僕はやっとのことで喉から声を絞り出す。
「トリーが……っ、ヒナさんを、……襲ったんだ」
顔を上げることができなかった。アキはなにも言わなかったけど、視界の端で拳がぎゅっと握られたのが見えた。
アキはずっと、こうなることを心配していたんだ。
ずいぶん時間がかかったけど、あれから僕も考えた。頭が痛くなるほど考えて、そしてやっと決意した。
「考えたんだ」
「……うん」
「トリーは……ドラゴンなんだろ? 鷹とか鷲とか、とにかく鳥じゃない」
「そうだな」
「マスタードラゴンなら……これからどんどんでかくなる。そしたら、腹を空かせて家畜を襲うかもしれない」
そう言いながらも悲しかった。
意味もなく「襲う」んじゃない。
トリーにとっては生きるために必要なことなのに。
僕らが山で獣を「狩る」のと、いったいなにが違うんだろう。
でも、牙の先に人がいたら。
「もしそれが人だったら……トリーにそのつもりがなくても、軽くじゃれつくだけでも大怪我だ」
「…………」
人を傷つけてしまったら、トリーは間違いなく殺される。
そんなの嫌だ。
トリーは僕の家族なんだ。
絶対に、守ってやらなくちゃならないんだ。
「だから……っ。トリーは、人と一緒には暮らせない……!」
「……うん」
「自分でエサが獲れるように訓練する。そしたら……」
トリーの幸せ。
それは、人に怯えながら生きることじゃない。
仲間のドラゴンと一緒に暮らし、楽しく笑っていることだろう。
だから、僕は決心した。
そのひとことを口にするのは辛いけど、それが親の役目だと思うから。
「そしたら、ずっと山の奥に連れてって、そこで。……別れようと、思う……」
つっかえながらもそこまで言うと、アキがそっと頭を撫でてくれた。
よく決断したなとそういうように、優しく髪を梳いてくれる。
「……そうか」
「仲間と一緒に暮らすほうが、トリーは幸せなんだよね?」
「……ああ」
「ちゃんと、北に行けるよね?」
「もちろん。トリーは北を眺めてたんだろ? 大丈夫。ドラゴンは強いんだ。それに仲間同士で呼び合うって話だから、きっと無事に辿り着けるさ」
アキはことさら明るい声を出し、そうだ、と軽く手を叩く。
「旅の途中で、嫁さんなんかもできたりして」
「トリーにはまだ早いよ」
「そうか? あいつ、意外に早熟だろ?」
「まさか。まだまだ甘えん坊だよ」
やっとのことで顔を上げると、アキは優しく微笑んでいた。
どんよりとした気持ちが少しだけ明るくなる。軽口をたたいて気を紛らわせようとしてくれる、その気遣いが嬉しかった。
目を閉じて、僕もトリーの未来を描いてみる。
大きな大きな青いトリー。そこに寄り添う少し小さなメスのドラゴン。
トリーの「つがい」か。どんなドラゴンがお嫁さんになるだろう。
今でもあんなに綺麗なんだ。大きくなったらきっとたくさんモテるだろうな。そして卵が生まれて孵ったら、また水色毛玉になるんだろう。
「トリーの子供なら……きっとすっごい可愛い」
「そうだな」
「トリー、幸せになれるよな……?」
「ああ、マスタードラゴンなら心配ない。きっと幸せになるさ」
◇ ◇
風がだいぶ暖まり、枝の先には緑の新芽が顔を出す。
山からは、春告鳥の綺麗な歌が響いてきた。
ばあちゃんの言う通り、このぶんだと今年も山には獣がたくさんいることだろう。
そこで次の日から、僕はトリーを訓練することにした。
いままで食事は僕と同じで朝晩2回だったのを、まずは量を半分に減らしてみた。トリーは「もっと」とねだるけれど、僕はなにもない両手を見せて「もうないよ」って言ってやる。そして外に連れ出した。
「自分でご飯を獲っておいで」って川のほとりに連れて行くと、トリーは素晴らしい狩りをみせた。
木に登ってじっと水面を見たかと思うと、ぱっと飛び降り滑空して、あっというまに魚を捕まえてみせたんだ。僕の目の前にぽとりと落として自慢するのを大げさなぐらいに褒めてやる。するとトリーはきゅるきゅる喉を鳴らして喜んだ。
「これはトリーの獲物だよ。さ、お食べ」
きゅるるーぅ
「うん。お腹空いてるだろ? 僕はいいから」
いいの?
トリーが首を傾げて僕を見る。
ずいぶんお腹が空いているはずなのに、僕にもわけてくれようとしてるんだ。
ほら、トリーはこんなに優しい。
この姿しか知らなかったら、トリーを手放そうなんて考えもしなかった。でもヒナさんを襲ったことはまぎれもない事実なんだ。
これを、なかったことにはできなかった。
トリーを「訓練」するんだってそう意気込んでいたけれど、僕が狩りについて教えることはほとんどなかった。山に入れば雉を狩り、草原では立派な兎を獲ってくる。もう餌を用意する必要なんてなかった。僕なんておよびもつかないぐらいの、トリーは一流の狩人になっていた。
でもひとつだけ問題があった。
魚は頭から食べるけど、兎や雉を、トリーはそのままでは食べられなかったんだ。
「ほら、トリーのご飯だよ」
ぎゅるぎゅるるー、ぎゃうるるるっ
横たわった兎に顔を向け、トリーはその周りをぐるぐる回ってうなり声をあげていた。
これまでずっと獲物は僕が捌いていたから、まるのままの兎をどうやって食べればいいのか、トリーはわからなかったようなのだ。
ぎゃうーうぅ
恨めしそうな顔で見つめてくるのを僕はぐっとこらえて我慢した。
「僕がやってあげる」って喉まででかかった言葉を飲み込んで、手伝おうとする右手を押さえてことさら冷たくあしらった。
「トリー? 自分で食べな。僕はもう、手伝わないよ?」
ぎゅるぎゅる不満をもらしながらも空腹に負けたのか、トリーはついに兎の腹に噛みついた。
それからはもう、心配するようなことはなにもなかった。
がつがつと、トリーは一心不乱に食事をする。その姿はとても雄々しくて逞しい。
一度経験してしまえばもう大丈夫。それからトリーは、雉も兎も戸惑いなく食べられるようになっていった。
トリーはやっぱりドラゴンなんだ。
その姿にほっとした。
でも少し残念だった。
もしトリーが餌を食べられなかったら、もう少しだけ、トリーと一緒にいられる理由ができると期待したから。でももしそんなことになったなら、僕はもう二度とトリーと離れることはできないだろう。
だから、少し複雑な気持ちだった。
訓練を始めてから、僕らはずっと外で寝た。
これから北の山で暮らすことになるトリーを家に入れることはできなかったし、かといって僕だけ家の中で寝るなんてこともできなかった。
夜はまだ冷えるけど、風の当たらない場所にいれば寒くはない。
毛布にくるまった僕の隣でトリーは僕にぴったり寄り添って丸くなる。だっこはダメだと断ったら、これ以上は譲れないとばかりに離れようとしなかった。
トリーはひとりになってもちゃんと眠れるだろうか。
僕はそれが心配だった。
「トリー、北に行くんだよ?」
くうるるるー、トリー、トリー、きゃるっ
「北にはね、トリーの仲間がいるはずだから。そこで幸せになるんだよ?」
手を伸ばして滑らかな翼を撫でながら、僕は何度も言い聞かせる。
空一面に広がった星を眺めながら、トリーと一緒に野宿するのは楽しかった。
でも、それももう終わりにしよう。
水色毛玉のころはなにからなにまで全部僕が世話をしてやったのに、いつの間にかトリーは立派に成長していた。これならひとりでも大丈夫。ちゃんと、トリーは生きていける。
ひととおり確認して、僕はアキに連絡した。
明日、山に行こう。




