第1話 自己紹介
「松村陸です。小説が好きです。仲良くしてくれたら嬉しいです。1年間よろしくお願いします」
我ながら当たり障りのない自己紹介だと思う。本当は好きなゲームとかアニメのタイトルを言えたら良かったのだろう。同じ作品が好きな人たちが話しかけてくれるだろうから。
だけど生憎、僕にそんなことをする勇気はない。ゲームは禁止されていたし、アニメは今どき珍しい専業主婦の母がテレビに張り付いているせいで見ることができなかった。
もちろん、それでも好きなものは好きだが、自己紹介で主張できるほどのものではなかった。
「小説ってどう言うの読むん? あ、俺、和樹」
「あ、松村です。よろしくです」
「おう、よろしく」
「小説って言ってもちゃんとしたのじゃなくて、なろうの作品を読んだりとか、ですね」
「なろうなら少しわかるわ、あれ知ってる? ニート転生ってやつ。最近アニメ化してたよな」
「あー、ごめん見てないや。マイナー厨でメジャーどころはあんまり見てないんだよね」
小説が好きと言って、何が好きなのと声をかけてくれる人もいた。
だがそれもちょっとした会話のきっかけ程度で、話が合わないと分かれば違う人のもとへ向かっていった。
そして僕は一人になる。嫌なことを言ったつもりはない。だが、どこか空気が合わない。そんなのが僕だった。自分では上手くやれてると思っている。だが、現状を見ればそれはまやかしだとすぐに分かった。もとより自身の気質は分かっていたから、半ば諦めの気持ちもある。
僕は友だち作りが下手くそなのだ。色々なことを考えすぎるタチで、自己紹介一つでこうも卑下できる。
初対面でタメ口は失礼ではないのか。これから1年間過ごすのだから失礼のないようにしなくては。そんなことを考えていれば無難で面白みのない人間が完成するというわけだ。
話をしていてもどこか距離がある。自分でも分かっている。分かっているからこそ詰め寄ろうとして、距離の縮め方に悩んで、逃げるのだ。
そもそも共通の話題を持たないというのは、友だち作りのスタートラインにすら立てていない。
「えー! カナもネズミー好きなんだ! 今度一緒に行こ!」
「うん! そういえばアスカもネズミー好きって言ってたなー」
「アスカってどの子?」
「あの子、オウカも一緒に話に行こうよ」
「やった」
休み時間、教室の中は姦しい声と陽気な男の声、距離感を測り合って硬くなった声など様々な声に溢れている。
今もまさに、僕が一人で教室の席に座っている間、恐ろしいほどの速さで人間関係が構築されていく。“オウカ”と“カナ”なる人間が会話をしていて意気投合し、“カナ”の知り合いであろう“アスカ”も現れた。
最終的にどうなるかは分からないが、ひとまず初期メンは構築された。授業で最低限必要なグループワークはこのメンツで集まり、人数が合わなければ他の集団と交わり、いつメンが再構築される。
始まりの人間関係が高校の最後まで残らずとも、人が繋がるキッカケとしては必ず無くてはならないのだ。
逆に言えば、高校生活の始まりに失敗した人間は関係の構築という面において大きな遅れをとる事になる。
僕のように誰に話しかけるわけでもなければ机にじっとしている人間はドンドン置いていかれるというのは分かりきっている。しかし、その例外が隣の席のような人間だ。僕と彼女の違いは何かと問われれば答えはハッキリしている。
顔面だ。
手元のクラスの座席表を確認してみれば、彼女の名前は村雨瑞葉と言うらしい。顔面の美醜というのは人との関わり方に顕著に現れる。どちらが美でどちらが醜かを語るのは悲しくなるのでやめておくが、ともかく彼女の周囲には多くの人が集まっている。
美人の方が得だ、とは言うつもりはない。自分が人間関係を築けないことを悩むように、不必要な人間関係を嫌う気持ちもよく分かるからだ。
話は逸れるが、紀陵高校は県内屈指の進学校で、それは優秀な生徒がこぞって集まる。僕は市立中学出身であり、紀陵に進学する人が出る年はすごいという感じだ。とはいえ名門私立に比べれば吹けば飛ぶような高校である。
自慢ではないが、中学時代に勉強に関しては困ったことはないし、時々勉強を教えたりもした。幼稚園から小中とみんなが流れに乗って進学するため、中学には幼馴染と呼べる友人もいた。
その時はある程度人との関わりが生きていた頃なので、あまり親しくないクラスメイトからも勉強を教えてくれとせがまれる事もあった。
初めのうちはそれでも良いのだが、中には要求がエスカレートしてパシリのように扱われる事もしばしばあった。
何が言いたいかというと、親しくない人間、もっとはっきり言えば利用価値がない人間に付き纏われるのは不愉快という事だ。
村雨瑞葉という人間がどのように感じているのかは知らないが、快く思っているならあのような薄い笑みを浮かべたりはしないだろう。しかし、美人が薄ら笑いしても絵になるのはなんだか釈然としない。
僕が薄ら笑いすれば、周囲から悲鳴が上がるとは言わずとも、少し距離を置かれるのは想像に容易い。
「ねぇ、瑞葉さんは休みの日なにしてるん?」
「うーん、スマホ触ってたら1日終わってるんだよねー」
「うわ、めっちゃ分かるわ。チクタク見てると時間溶けてるんよな。だれ見てたりする?」
「うーん、たぶん押原くんに言っても伝わらないと思うよ?」
「いいから言ってみてよ。もしかしたら瑞葉さんが見てるの知ってるかもだし」
「美容系の姫くんとかは好きかな」
「あー、確かに俺美容系は見ないわ」
面倒な人間関係の一例がまさにこれであろう。新しいクラスになって間もないというのに、下心丸出しの男から声を掛けられるなんて災難に違いない。男の名前は押原というらしい。
村雨と押原の話を聞いていると、聞いているこっち側の背中が痒くなるからやめてほしいと思ってしまう。押原の視点から言えば、趣味という無難な話を聞いて、とりあえず共感しようという魂胆が見え透いているのだ。知らないチクタッカーの名前が出れば『どんなやつ? 見せてよ』などと言って会話を繋げる予定だったのだろう。
しかし村雨もこの手の男の処理の仕方はよく分かっている。趣味で具体的な事に言及せず、相手からの趣味の断定から質問を繋げられたところにも知らないと思うと行ってボカしている。
それでも食い下がられたら美容系という男がついてこれない美容・メイクというジャンルに逃げたのだ。
この返答にさすがの押原も会話の繋ぎに迷いが生じる。僕との会話なら気にもならないような会話の空白であっても、人気の美少女村雨を前でのそれは致命的だ。
「え! 村雨さんも姫くん見てるの!? 私も好きなんだよねー。ボーイッシュシリーズとかマジで好き、カッコいいのに可愛いとかやばいよね。あ、瑞葉って呼んでいい?」
会話の隙を見つけた女子が、押原と村雨の間に割って入り、美容の話を広げ始める。押原もここは引き時と見たのか
「それじゃあ瑞葉さん、また後でね」
後でという不穏な言葉を残して彼の友人の輪に戻っていった。彼の言葉が聞こえたかどうかは知らないが、彼の言葉に反応せず目の前の女子と話していた。
押原と村雨の戦いを見ていた僕はと言えば、周囲を見続ける挙動不審野郎になっていた。僕に話しかける人はいないし、新学期早々机に突っ伏すのは流石に気が引ける。
人に声をかけるのはハードルが高いが、声をかけてもらえれば喜んで対応するつもりだった。コミュ障と陰キャを拗らせてはいるものの、友だちは要らないと強がるつもりはない。
やはり友だちの一人や二人クラスにいた方が、色んなことが円滑に進むし便利なこともたくさんある。
机に突っ伏すのはさすがに会話を拒み過ぎているし、大きな主張はしていないものの目立ってしまう。高校に入って間もない時に異端認定されると、この一年が地獄になるのだ。
村雨は人気者で、その隣にいる冴えない男はずっとキョロキョロしている。するとどうなるかと言えば、村雨を取り巻く群れと目が合うのだ。
物珍しいものを見るような目でこちらを見てくるが、謎のプライドを発揮して負けじと見つめ返す。すると相手は気まずくなったのか、目を逸らして足早に他の群れに混じっていった。
勝った。
陰キャでコミュ障の僕であるが、クラス内での楽しみがないわけではない。僕は創作物で良くあるどもり系陰キャとは訳が違うのだ。もちろん吃音を持っている人を馬鹿にする意図はない。
それはさておき、流暢に話すコミュ障という、ニュータイプである僕にカーストの序列は通用しないのだ。
ここで一つ、僕の自論を紹介しよう。
クラス内カーストを上層、中層、下層の三段階に分けるとする。カーストというとピラミッドの中に全ての人間が入るというのが普通だ。原典では1番下に奴隷階層がピラミッドの外にいるが、僕は実質的にピラミッドの最下層と言っていいと思う。
しかし僕はクラス内カーストにおいて、ピラミッドの外側に平和の民が存在すると考えている。平和の民はカースト制度の外側に存在しており、カーストに支配されていない。
平和の民はその名の通り、中層のような上層への嫉妬も、下層のようなジメッとした空気も存在しない、中立で平和な存在だ。これだけ聞くと上層のように聞こえるが、平和の民は上層のように嫉妬の対象に含まれず、下層に何の干渉もしない存在なのだ。基本的に平和の民同士での交流が主であり、その関係の輪は小さく、大きな影響力を持たないのだ。
平和の民を中層と言っても良かったのだが、カーストと切り離したほうが本質的だと考えて除外している。
ピラミッドの中で、下層は中層の圧を受けながら、下層であるという自覚を持ってクラス内に存在する。それだけ聞くと悲しい存在だが、下層同士の結びつきは強く案外楽しくやっているから慣れれば悪いところではない。
中層は自らが勝ち組かのように振る舞うが、その実上層に対する嫉妬を持ち合わせている。だからこそ下をみて自身の立場を確認し、プライドを保っているのだ。あわよくば上層に食い込めないかと狙っており、中層同士の水面下での軋轢は僕には計り知れない。
真の陽キャである上層は中層のようにカーストにしがみついておらず、その優しさは万人に与えられる。下層は中層からの圧を受けるが上層の優しさで浄化されるのだ。
いわゆる凡庸な陽キャは中層、陽キャの中でも上澄みが上層である。
さて、僕のクラス内カーストに関する持論を述べたところで、ニュータイプ陰キャこと僕の話だ。
下層に位置する僕だが、その性質は中層と下層の合いの子のようなものだ。中層に対して一種の嘲笑の念を抱きながらも、上層に対してはその人間性を羨ましく思っている。
立場としてはカーストの底辺に近いと自認しているため、自己肯定感と周囲の評価はドブのように低い。
村雨を取り巻く群れを見つめ、勝ったと思った時、そこにあるのは爽快感ではなく重くて暗い愉悦だ。それこそ嘲笑と言ってもいい。
自分は上手くやってると思っているくせに集団で群れないと生きていけないような輩だからだめなのだ。挙動不審のコミュ障よりも、よほどのキョロ充だ。
『ザマァ見ろ!』と思うのだが、何に対してザマァ見るのかは分からない。
「なー、松村だよな? 俺松田公平。みんなからはマッツンとかって呼ばれてる。出席番号一個前だからよろしく」
一人である事に慣れると、ついつい脳内の会話が賑やかになってしまう。今のような卑屈な脳内や、いっぱいおっぱいっておっぱいが何個あったらいっぱいおっぱいなのだろう、と言ったくだらない事まで様々である。
そうするとどうなるかと言えば、現実からの反応に鈍感になる。自分が声をかけられるという状態を予測していないため、反応が遅れるのだ。
松田は僕の前に座りながら僕の方へ振り返りながらこちらを見ていた。
「あ、うん。松田くん、よろしく」
「やー、良かったわー。中学の友だちと別のクラスでさ、このクラスでボッチになったらどうしようかと思ったよね」
「僕も友だちいなかったからどうしようかと思ってた」
「わかるー! マジで心細いよな、みんな仲良さそうな人で固まってるし」
「そうだね」
お前はどこにでも入っていけるだろ、と思うがそれを口に出すことはない。彼の人懐っこい陽オーラは陰の者には出せない。
「寂しいと死んじゃうとかじゃないんだから。うさぎかよって」
「あはは」
「てか松田くんっていうのやめようぜ。距離感あるからさ、マッツンじゃなくても良いから」
バレてしまった。マッツンと呼ばれてるのフリをガン無視して松田くんと呼んでいたのに、ここまで早く指摘されるとは思わなかった。
「松田くん」
「違う」
「松田さん」
「違う」
「……マツコ?」
マツコと口に出してから、やってしまったと後悔する。脳内一人遊びの一環で、人の名前でふざけるという遊びがあるのだが、その癖が出てしまった。
「……なんで?」
さすがにマツコは予想外だったのか、彼は呆気に取られる。
「松田公平、まつだこうへい、まつこう、マツコ」
彼の問いに、限りなく簡素な言葉で返すと、彼は目を丸くして
「松村! お前面白いな!」
と僕の肩を叩いて笑った。
「いやー、マツコって呼ばれるの初めてだわ。良いね、マツコ。気に入ったわ。ちゃんとこれからマツコって呼べよ?」
「えー、まぁ分かったよ」
「いいなー、俺も松村のこと変なあだ名で呼びたいな。ちょっと待ってな、良いの考えるから」
「いや、別に良いって」
「うーん……まつむらりく、むらりく……」
松田――マツコが僕の名前を呟きながら唸ること数十秒。さすがに長いだろと思いながらも、会話の始め方が分からずお互いに黙る時間が生まれる。
「……クリスは?」
「なんで…って、っふは、なるほどね」
松村陸に一文字もかかってない名前が飛び出たことに驚くが、少ししてピンと来た。
「ク◯ス松村は古過ぎるでしょ」
あまりにも予想外の所から飛び出してきて思わず笑ってしまう。
「それで言ったらマツコもおかしいだろ」
「ケヒャ!」
「いや、けひゃってお前、おかしいって……!」
マツコの言葉がツボに入り、妙な笑い声を上げてしまう。僕の笑い声が引き金となり、マツコも釣られて笑い出した。お互いにおかしくって、もはや何が面白いのかも分からなくなりながら、それでも笑みは止まらなかった。
チャイムが鳴って先生が前に立った。マツコは未だにニヤついた表情で
「あーあ、笑い疲れたわ。これからよろしくな」
と言った。
「こちらこそよろしく、マツコ」
「ちょ、おま、やめろって、笑い死ぬ」
燻っていた僕も少しは前を向けたら良い。そんなふうに思う1年生の春だった。




