つぶやき
想像だけで
もしかすると
本当はない
と思うものが
たくさんある
例えば
宇宙
原子
電子などの素粒子
深海
地球の中心
恐竜
過去
未来
目の前にあると思い込んでいる
パソコン
スマホも
本当は指と
眼で感じ取っているだけで
虚像かもしれない
現象学的には
自我があるのみだ
今日できることは
今日やってしまおう
明日には
今日できることが
明日の今日になっている
つまり今日は自分の立ち位置だ
自分を確認するには
今できることをやるしかない
過去の中にはいないし
未来が解決することもない
今しかできないことは
知らないうちに通り過ぎることもあるのだ
つぶやきは
罪な機能だ
書き出すと止まらなくなる
こんな凄い機能を
誰が考えたのだろう
記事ほどバイアスがなく
気軽に書ける
つぶやきという
プライベートな感覚を
ただ心の一部分を
大気に吐き出すような感覚を
文字にしてしまうのだ
文字は残る
なのに残らないような気にさせる
冬はつとめて
炭の代わりに
エアコンを急いでつけて
パソコンを起動する
最近は数秒で起動するので
着るものを先に着てから
起動ボタンを押すようになった
そしてchromeを開き
noteを開く
どうしても通知をクリックしたくなるが
心に潜む鬼が
投稿ボタンを押せという
冬はつとめて
炭の代わりに
エアコンを急いでつけて
パソコンを起動する
最近は数秒で起動するので
着るものを先に着てから
起動ボタンを押すようになった
そしてchromeを開き
noteを開く
どうしても通知をクリックしたくなるが
心に潜む鬼が
投稿ボタンを押せという
小説を書き進めると
文章が2つに分かれていく
先の展開が
今書いている文字に
影を落とし
字面と乖離した
意味を醸し出していく
そして
深い部分を描き出すと
「先の展開が読めなくて面白い」
といわれる文章が生まれる
論理を飛び越えるということは
自我の認識を飛び越えることである




