黒幕
学園の最奥、学園長室にて、二つの影が会話している。学園長室の扉を開け、一番最初に目に入るのは一面のガラス。日光が燦々と差し込む場所にて、太陽に背を向けるように影の一つは座っている。
机に腕を乗せ、それは口を開く。日光の影になり、その顔を伺い知ることは出来ない。
微かに分かるのは、それが仮面を付けているということだけだ。白い仮面の一部だけが辛うじて影から外れ、顔に当たるものだと認識できる。
「―――さて、ニヒトさん。活動の推移を述べて下さい。」
白仮面の下から、声が聞こえる。この世のものではない。いや、これが人間の出す声であってほしくない、というのがニヒトが感じたことだった。
背筋が凍る。動悸が乱れる。視界が歪む。声を聞いただけで、精神が壊れそうな程の緊張。
扉の前のニヒトは、乾ききった喉からしわがれた声を絞り出す。
「でぃ、Dランクでの脱落者はいません。また、彼らは加護を手にしました。」
「水晶玉はこちらで創ったものですが、扉を閉めたのは間違いないですか?」
無機質な声が、ニヒトの精神を侵す。辛うじて男だとは認識できるが、化け物の声と聞いた方が妥当性がある。
太陽の光を背負い、全身に服を着ていると言うのに、全くそのことを意に介していない。それどころか黒い手袋をして、皮膚の露出が全くない。
「はい、間違いなく、この手で閉じました。ですが一人が手を触れた所、扉が開いた様です。」
「―――ふむ、開けた者の名を教えていただけますか?」
「ロックと、名乗っています。」
返答を聞いた白仮面は、顔の前で手を組んだまま少し思案し、また口を開いた。
「情報の仔細はどうですか?」
「は、はい!幼い頃に魔物により村を無くし、遠縁で一般家庭に養子として貰われました。ですが今は親の財産とその家庭の財政支援を受けて一人暮らし。志望理由は、『より強くなって、魔物を殺したいから』というものです。」
「情報の出所は確かですか?」
「はい。諜報機関も全てクリーンで、その一般家庭の裏も取ってあります。」
ニヒトにそこまで答えさせると、白仮面は姿勢を崩す。
「なるほど。…貴方に落ち度は無いようです。」
張り詰めていた空気が緩む。息も出来ない空間から、息を殺さざるを得ない空間程度の違いだが。
白仮面は徐に右手を握ると、すぐに手を開く。
ニヒトは己の目を疑った。広げた手の中には、輝く欠片が乗っている。無論、閉じる前には無かったものだ。
「貴方に、力を貸しましょう。何、上位のクラスに割り振れなかった贖罪です。」
白仮面は立ち上がるとニヒトに近づき、その手にその欠片を握らせる。
(なん、だこの仮面は…!)
ニヒトは戦慄する。白仮面には、確かに目と口の位置に溝が掘ってある。だが、その隙間からは何も見えない。目も、口も、全て虚無の暗黒。
口の位置の溝は口角が上がるように彫られており、目も同様だ。笑っている。いや、これは笑顔では無い。人が浮かべるものが笑顔だとするなら、これは記号としての笑顔。その違和がニヒトに強い畏怖を抱かせる。
「これを使って、彼等を始末して下さい。そうすれば、この力は貴方に差し上げます。」
(…!?)
手の中に握った欠片は、瞬く間に消え去る。ニヒトが手を開いた瞬間にはその姿は既に無く、残るのは体から溢れてくる力のみ。
圧倒的な全能感。まるで神にでもなったかの様に、体から力が溢れてくる。
「私は計画で忙しいのでね。もうそろそろで詰みなのですが、どうにも難しい。」
だが、その全能感は一瞬にして崩れ去る。目の前のモノには決して勝てない。なまじ力を得たからか、ニヒトはその力量の差を如実に感じる。
「そうですね、この学園はもう少し箱庭であって欲しい。そこで来月、課外学習があります。期待していますよ?」
「―――時間よ。サッサと移動して。」
突如として、虚空から女が現れる。青髪をショートにし、体にはローブを纏っている。
その女は、極大の不気味さを感じさせる白仮面に対して、全く恐怖の色を見せない。それどころか、友にでも話しかける様な気さくさだ。
(化け物か、どいつもこいつも…!)
「それでは。努々力に溺れることが無いように。」
女が呪文を唱えると空間に穴が開き、二人はそこへ消える。残されたのは、燦々と照る太陽の光と、力を手にしたニヒトだけ。
一部の人間は、予期せぬ物事に直面した時、或いは強大な力を目にしたときに無意識に自分より下を見つけたくなるものだ。
難題に当たったら難易度を下げ、簡単な問題で自分の実力を認識する。
高過ぎる天を眺めたならば、足下を確認し自分の立場を確認する。
力を手に入れ、圧倒的強者を仰ぎ見たニヒトは、生徒の命を奪うことに戸惑いはない。むしろいい実験体だと、目を細めて笑った。
「―――おいヨル。調べて欲しいことがある。」
「ロックさんですか。皆さん心配してましたよー。『急にいなくなった』って。」
「何だ、他の連中には知らせてないのか。」
「知ってるのは諸々改ざんした私だけです。全く、女王も人使いが荒いんですから。まあ、漏れる口が少ない方が良い、というのは常道ですよ。」
今ロックは、自室にて札を使い連絡を取っていた。相手は、同じ…いや少し前までは同じだったS級冒険者のヨルだ。
札の向こうからはペンを走らせる音が聞こえる。どうやら文書仕事をしながら応対している様だ。
「あー、アヤノの奴は元気か?」
「え、知らないんですか?」
「…どういうことだ?」
「いや、言わない方が面白そうなので伏せときましょう。私が言わなくてもすぐ分かるでしょうし。」
微妙な言い回しをして答えを濁すヨル。それに対しロックは怪訝に思うも、話を本題に戻す。
「で、調べて欲しいことなんだが。」
「急ぎですか?今はちょっと忙しいんですけど。」
先程から一瞬も手を止めていないヨル。余程切羽詰まっているのか、時々向こうから怒鳴り声も聞こえる。
「いや、急ぎではない。保険みたいなもんだ、手が空いた時でいい。」
「それ当分後ですねー。内容次第ですが。」
「一つは、無色の色を持つ神、或いは加護について。もう一つは―――」
「…前者については、女王にも王女にも危険はありません。理由は言えませんが断言します。後者は…教会も絡んでくるので調査結果は大分後になりますね。」
予想外に早く答えが返ってきたからか、若干戸惑うロック。しかも理由が言えないときた。
「分かった。頼んだぜ。」
「では、状況が本格的に詰みに近くなってきたのでこの辺に。」
そう言うと会話を打ち切るヨル。その声の焦燥から、状況がいかに悪いのかは推察できる。
(あー、酒飲んで寝よ。権謀術数はガラじゃねぇや。俺はエージェントじゃねえんだぞオイ。)
ロックは冷蔵設備を開けると、昨日コップに注いだ酒を口に運んだ。実に1ヶ月と1日ぶりの酒である。
課外学習が始まるまで少し間が空きます。作中だと何分3日しかたっていないので。
黒幕なのに白面とはこれいかに。