楽しいお茶会、ですか?
お伽噺を歌う童謡に出てくるような、薔薇の庭園に豪華なティーセット。真っ白いテーブルクロスの上には銀のカトラリーに、飾り皿。三段トレイに盛り付けられたスコーン、サンドイッチ、クッキーにタルトは小さく可愛らしいだけではなく、視覚に入れただけで「これは絶対に美味しいやつだ」と確信させた。
豪華なお茶会、だけれどけして緊張せず、窮屈には感じない。
なぜかと言えば、今この場には私とアレシュ陛下しかいないからだ。
「…………」
これがライラ・ヘルツィーカ公爵令嬢。目下、王妃候補筆頭のライラ嬢としての場であれば、並ぶのはもっと量が多く、仰々しいまでだったのは間違いない。傍らには王室に仕えるロイヤルガードの方々が立ち、侍女やメイドも粛々と畏まった態度で控えていたはずだ。
けれど今は私と陛下しかいない。
その一番の理由は、私は今、小間みどりの方の体を使っているからだ。
お忍びで離宮にやってきたアレシュ・ウルラ陛下が、王妃候補付きの侍女を呼び出して、王妃について聞いていると、名目上はそうなっている。
「…………………」
「どうした、食べないのか」
「私が食べていいんですか?」
「……………」
反射的に聞き返すとアレシュ陛下の眉間の皴が深くなる。
どう考えてもこの美味しそうなお菓子たちは王族の陛下のために作られたブツだろう。王妃候補付きとはいえ侍女の、正確には家柄不明の「ただ公爵家からついてきただけの昔からのメイド」設定の私が気安く食べてよいわけがない。
食べた途端、あれだろう。アレシュ陛下の側近の騎士たちがやってきて、私を不敬罪でひっ捕らえるんじゃないか?つまり罠の可能性を私は疑う。
「……………貴様の好む菓子であろう」
苦々しく仰るアレシュ陛下。
えぇ、好みのお菓子のラインナップです。ライラ・ヘルツィーカとして動く私はとにかくストレスに晒されていた。もちろん現代社会を生きるジャパニーズ。ストレス社会には慣れたもののはずだった。人間ストレスフリーで生きるのは不可。なので耐性をつけていくしかないと血反吐を吐きながら生き続けた結果、私はわりと精神汚染には耐久性があると自負している。しかし、それはそれとして、脳と体は糖分を摂取したがるので、ライラ・ヘルツィーカとして勤務する条件の一つに、私は「小間みどりの時は好きなお菓子を1つ、王宮のパティシエさんに作ってもらえる」というものを提示した。
ライラ・ヘルツィーカのために作られたのではない、みどりのためのお菓子として所望した物。確かにこの三段トレイに乗っているものはそうだ。
だから罠では?
「毒など入っておらぬわ」
「いえ、それは疑っていませんけど……」
食べたら捕まる、というのは疑っている。
いや、合理的に考えて私にライラ・ヘルツィーカを演じて貰わなければ困る陛下が私を捕まえるわけはないのだが、この人の思考回路はぶっ飛んでいる。気まぐれにお茶会に招待して捕まえるくらいするかもしれない。
「お兄様もいないので……飲食するのは控えた方がいいかと」
「その用心は確かに王宮で生きるには必要だが……今この場においては不要だ」
溜息一つ、アレシュ陛下はトレイの下段のサンドイッチを一切れ掴むと、むんずと食べた。
以前同伴させていただいた、どこぞの伯爵家主催のお茶会の際は見事なテーブルマナーを披露して周囲に「……戦だけの乱暴者ではなかったか」と驚かれていた陛下だが、今はラフにされるらしい。
「これでどうだ。食べる気になったか」
もぐもぐとして紅茶を飲んでから、陛下は再度私に要求する。
毒見や安全確認のおつもりだったのか。ここまでされればさすがの私も断り続けるわけにはいかない。まぁ、とても美味しそうなので食べれる理由があるのなら、食べたいというものだ。
「それじゃあ、遠慮なく……」
こそっと、物音を立てないように気にしながら私はスコーンを自分のお皿に取り分けた。
*
アレシュ・ウルラは不機嫌だった。
目の前には黒い髪に黒い目の平凡な女が、ぎこちない仕草で菓子を食べている。
眼鏡をかけた野暮ったい顔だ。仮にも王妃候補付きの侍女なのだから見目にもう少し気を使うようにと侍女長やメイドたちに言われていることをアレシュは知っている。
けれどこの女が他の侍女たちのように、王妃付きの予算として宝石やドレスを買いあさり、控えの間で贅沢を満喫して過ごす姿というのがアレシュには想像できなかった。
馬小屋より小さなあの奇妙な部屋の中で、珍妙な姿をして寛いでいた姿の方がよほどこの女らしく、そして魅力があるのではないか?
と、そんなことを考える。
ライラ・ヘルツィーカとして、公爵令嬢としてこの女は見事に振る舞った。今のこの体で動いている時はライラ・ヘルツィーカの体の記憶がないから礼儀作法を守るのが難しいなどと言うが、元々の世界での生まれが平民のはずの彼女の所作はそれなりに整っている。
今も緊張しながらも背筋は伸び、顎は引かれている。自分を前にして真っすぐに見返し言葉を返してくる彼女をアレシュはとにかく気に入っていた。
『恐れながら……ライラ・ヘルツィーカ公爵令嬢のお気持ちは図りかねますが……一般的に、女性の関心を引くには、贈り物が良いとか?』
自分はなんの相談をされているのかと困惑している側近の顔を思い出し、アレシュは目を細める。
贈り物というが、アレシュはみどりが何を欲するのかわからない。あの珍妙な部屋には彼女が欲する物がすべてあったように思える。魔法を使わない世界の道具はアレシュには想像できないし、この年齢で男と結婚もせず一人で生きてきたみどりは自分が必要なものは自分で得たいだろうとも思ったのだ。
『または食事の機会を作ることなどいかがでしょう。これは貴族の若者が行うことですが……お茶会でお互いを良く知る時間を設けるようですよ』
と、側近はそうも言った。
ので、離宮の料理長を呼び出して聞き取りを行った。
血の気の失せた顔で命乞いをしながら震える料理長は、アレシュがライラ・ヘルツィーカの侍女の好みの菓子を質問すると、呆気にとられていた。いったいなぜそんなことを態々陛下が質問するのかと、すぐに答えなかったので耳を削ごうとしたが、みどりが厨房に出入りしているようなので料理長が怪我をしていれば気付くだろうと思って止めた。
側近の進言通り好みの菓子を用意して、お互いのことを知る時間を作った。
だがなぜこの女はあまり楽しくなさそうな顔をしているのか。
楽しくないからじゃないですかね('ω')
お知らせ
コミックシーモアさんで先行配信、この作品が漫画になりました('ω')
書籍化しただけでも奇跡なのですが、コミカライズを決定した出版社さんに対して「正気か」と思いました。ありがとうございます。