10. 季節は巡る
桜子を抱える。
ここに来たばかりの僕では無理だっただろうが、今は軽々と彼女を抱えられる。はらはらと桜の花びらが舞う。その一枚が桜子の頬に落ちた。桜並木の中を僕は地面を踏みしめながら歩いた。満開の桜の木を目指して。桜子の遺言通りに──桜の木の下に埋めるために。
「桜、咲きましたね」
一番大きな桜の木の下に彼女を埋葬した後、その隣に僕は腰を下ろした。結局生きている彼女とはお花見ができなかったが、僕は満ち足りた気分だった。
「明日はエイプリールフールですよ。だから、──赦されますよね?」
あなたに、『嘘』をついても。
4月1日、エイプリールフール。
ちょうど僕が自殺しようとして1年だ。あの日、桜子は僕に『自ら命を絶たないで』と言ったが、桜子がいなくなった今、もうこれ以上生きたいなんて思えない。彼女の傍にいたいと願ったとき、もしそれが叶わなくなるのであれば死のうと決めていたのだ。
2本の木が見える。僕は左を選んだ。もう桜子はいないのだ。だから僕を助ける人もいない。木に縄をくくりつけ、わっかに首をかけた。
「────っつ」
首が絞まり、息ができなくなる。視界がぼんやりとしてきてだんだん暗くなったかと思えば白んでゆく。意識が遠のき始めたとき、視界に『桜子』が映った。
「──!」
思わず目を見開く。彼女は首を横に振った。そのとき、
バキッッ
木がばきっと折れ、僕は地面に叩きつけられた。
「ごはっぐっごほごほっ」
しばらく咳き込んだ後、もう一度あたりを見回す。当たり前だが、誰もいなかった。僕は呆然とする。彼女に会いたいと思うあまり、幻覚が見えたのだろうか。桜子はもう、いないのに。
(……いや、ちがう)
かつての桜子とのやりとりが脳裏をよぎる。
『悪いことは言わない、自殺はやめとけ』
『は?』
何回目だっただろうか。桜子と酒を飲んでいたときだった。
『自殺したらどうなると思う?』
『なんですか、急に』
『楽になれると思うか?……逆だ。自殺した魂は山神さまのものになる、と以前言ったな?山神さまのものになった魂はずっとこの山に留まる。成仏ができずに、一人孤独に耐えなければならない』
『…………』
『だから私が年1回、魂を解放しているってわけだ。それに、山神さまのものになってこの場に留まっている魂はだんだん澱んでくるからな』
『山神さまのものを勝手に解放したりしていいのですか?』
『毎年自殺者はたくさんいる。だから、少しくらい気づきはしないさ。すべてが解放できるってわけでもないしな。1年で解放できる魂もあれば、数十年さまよってやっと解放できるって魂もあるしな』
『はぁ……』
うーん。分かったような、よく分からないような……。
『ていうか、山神さまって何者なんですか?』
『……さぁ?』
この山で死んだ桜子は、山神さまのものになっている。自殺ではないけれど、かつて自殺未遂を図った魂も山神さまのものになると彼女は言っていた。それが本当ならば、桜子は今もこの山に『いる』ということではないか?
(……僕はまた、桜子さんに助けられたのか)
ぽたり。
膝に雫が一滴落ちた。それはだんだん量を増し、温かかった雫がだんだん冷たくなっていく。
(あぁ……)
どうして今になって涙が出てくるのだろう。────どうして、桜子は、もういないのだろう。
風が強く吹き、それに合わせて桜の花びらも流されてゆく。どこまでも、遠くへ。この桜を辿れば、桜子の許へ行けないだろうか──。
名前と同じで桜のような人だった。その色に心を揺らされ、掴もうとしてもひらりと返される。力強く大地に根を張っているかと思えば、消えてしまいそうな儚さを持った人。
愛しかった。くるおしいほどに。この手をすり抜けていくと知っていながらも、手を伸ばさずにはいられなかった。そして──その温もりを感じられた奇跡に。
僕はこれ以上ないほど感謝した。
あふれる涙は止まらない。でも、頬をつたう涙はとても温かかった。
(桜子さんはきっと僕を見守っている……一人で)
それならば、
(僕は、やらなければいけないことが、ある)
季節は春。
冷たい冬も終わり、暖かな季節がやってきた。けれど俺の心はそんなこと関係なく、凍ったままだった。
俺は自殺の名所だと言われる山へ来ていた。何をするかはお察しの通りだ。もう耐えられなかった。俺を馬鹿にし嘲笑するあいつらに。だから、思い知らせてやるんだ。
山を登っていくと開けた場所にたどり着いた。……ここにするか。
最適な木が2本ある。俺はなんとなく、左の木を選んだ。木に縄をくくりつけ、わっかに頭を通す。さぁ、この世ともお別れだ──というときに突然。
銃声音が響いた。
「……うぐっ」
俺は無様に地面に着地した。何が起きたか分からなかった。想いきり尻餅をついてしまい、その痛さと格闘しているとがさごそと茂みから音がして一人の男が出てきた。
「あー、ごめんごめん。まさかあたるなんて思わなかったからさ」
男は悪びれもなく謝る。この場に似合わない軽さだった。まるで、話すことがないからとりあえず天気の話をしようというような適当さ。その男は肩には狩猟用の銃をかついでいた。……まさか、これで撃ったのか?呆然としている俺に、こう言った。
「あんた、自殺しようとしてただろ?だったら──あんたの7日間、俺にくれない?」
男はにやり、と笑った。
桜子さん。今度は僕があなたを解放します。だから、待ってて。
幾つもの桜の季節を巡り、いつか星降る夜に────もう一度会えることを願って。
これにて完結です。
読んでいただき、ありがとうございました。




