第01話「お兄ちゃんの結婚が早すぎたので、新居で全力の妹アピールを始めます」
法律上は「元はとこ」だからワンチャン結婚を狙えるはずだった――。限界ブラコン妹の極秘計画は、開幕一秒で強制終了!? IT界の絶対女王たる義姉の包囲網を前に、ファミレスの隅で冷や汗を流す一途な少女の恋模様?!
「――みんな、聞いてぇぇえええええ!!」
防音仕様を施した自室のベッドの上で、私、舞阪琴音はお気に入りのクッションを抱きしめたままゴロゴロと激しくのたうち回っていた。
高性能なコンデンサーマイクに向かって、ボイスチェンジャーで微調整した私の「裏の顔」の声が響き渡る。
「私の大好きな、世界で一番尊いお兄ちゃん! 今日もオフィスで難しい顔をしてキーボードを叩いてて、その冷徹な横顔が男らしくて本当に最高だったのよ! しかもね!? 私たち、今は諸事情で同じ籍に入って義理の妹になってるけど、元々は『はとこ』なの! つまり日本の法律上、お兄ちゃんと義妹さんじゃなくて、お兄ちゃんと私が結婚できる権利だって一〇〇%あるわけ!! ああもう、外堀を埋めてお兄ちゃんを私の男にする日が楽しみすぎる――!」
液晶画面の向こう、ネットの海の特定のコミュニティで、私の配信動画のコメント欄がリアルタイムで小さく盛り上がっていく。
『いつものブラコンきた』
『今日も限界突破してんな』
『でもお兄さん(概念)のスペックがガチっぽいんだよな』
『妄想乙と言いたいが声がガチ恋のそれ』
画面に流れる文字を見て、私はふふんと鼻を鳴らした。
そう。これこそが、私の誰にも言えない秘密のライフワーク。
実名はもちろん、お兄ちゃんの具体的な職業や会社の名前も一切伏せ、音声加工を完璧に施した上で、お兄ちゃんへの熱狂的なファンアート的愛を叫び散らす匿名チャンネル――通称『お兄ちゃんねる』である。
「いい? みんな。いつか、私が本物の奥さんになってお兄ちゃんの隣に立つの。その時はみんな、盛大に祝ってよね……! むふふふふ……!」
幸せな妄想の絶頂でベッドに顔をうずめて悶えていた、まさにその時だった。
コンコン。
上品で、しかし恐ろしく規則正しいノックの音が、私の部屋のドアに響いた。
「琴音、ちょっとリビングへ来てくれないか。大事な話があるんだ」
「ひゃいっっっ!?」
お兄ちゃん本人の生声だ。
私はバネが弾けたように飛び起きると、音速のハンドサバキで配信の録音を停止し、機材の主電源をブチ切り、液晶画面をスリープに落とした。
ついでに鏡の前でよだれを拭き、乱れた髪を急いで手ぐしで整える。
お兄ちゃんから直々の呼び出し。しかも「大事な話」。
まさか、日頃の私の健気(?)なアプローチや、はとこアピールが実を結び、ついに運命の告白が――!?
「はーーーーーいっ❤ 今行きますっ!」
期待に胸を膨まらせ、スキップせんばかりの満面の笑みでリビングのドアをガラッと開けた。
そこには、いつも通り端正な顔立ちを崩さない、生真面目そのものといった表情のお兄ちゃんがソファーに座っていた。
配置された家具の隙間から差し込む陽光が、なぜか今日の彼の雰囲気をいつもより厳かに見せている。
そして、その目の前のガラステーブルの上に置かれた、見覚えのある緑色の縁取りの紙。
「……え?」
「いつかはと話していたんだがね」
お兄ちゃんは、淡々と、しかし決定的な口調で言った。
「予定を大幅に前倒しして、今月、令堂理久さんと籍を入れることにしたんだ」
お兄ちゃんの長い指先が、机の上の紙をトントンと叩く。
それは、二人の署名と捺印がバッチリ入った、紛れもない『婚姻届』だった。
「…………え? ええっっっっっッ!!??(大エコー)」
世界が崩壊するような大絶刻がリビングに響き渡る。私の脳内は一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
理久さんというのはお兄ちゃんが学生時代から十数年以上苦楽を共にしてきた恋人で、今のお兄ちゃんの会社も一緒に立ち上げて副社長として常に支えている女性である。そんなことからかなり早い時期から付き合っていて将来結婚することを約束していた、あたしにとっての天敵である。いい人には違いないのだが、女としての本能がどうしても彼女のことを受け入れられない。そんな彼女がいよいよ公私共にお兄ちゃんを支えるということだ。つまり、あたしにとってチェックメイトということだ。
嘘でしょ!? いつかは結婚するって聞いてたけど、あと数年は猶予があるって言ってたじゃん! なんで今なの!? 早すぎる!! これじゃあ、私が女としてお兄ちゃんを落とするチャンスが永遠にゼロになっちゃうじゃないのよォォオーー!!
「会社の急成長スピードを考えるとね」
お兄ちゃんは私のパニックを「きょうだいとしての純粋な驚き」と脳内変換したのか、真面目な顔で言葉を続けた。
「これ以上公私を分けたまま、生活の基盤をバラバラにしておくのはリスクが大きいという結論に達したんだ。だから今月籍を入れて、すぐに理久の側のきょうだいたちも含めて、みんなで一緒に暮らせる家に引っ越す。急で済まないが、そういうわけだから、これから『両家顔合わせ』に行くぞ。支度をしてくれ」
「あ, うあ, は, はい……」
私の恋路のタイムリミットは、一瞬にして強制終了を迎えたのだった。
◇◇◇
若きIT界の巨頭たちの電撃婚。
もし経済ニュースにリークされれば特番が組まれるレベルの歴史的瞬間だというのに、指定された両家顔合わせの場所は、なぜかご近所の庶民派ファミレス『デリデリ』だった。
ドリンクバーの機械がウィーンと炭酸の音を立てる、ごく普通のボックス席。
そこに座っているメンバーの脳内温度差は、もはや宇宙レベルでバグっていた。
「急な予定変更でこんな場所になってすまない。だが、ここから僕たちの新しい家族の歴史が始まるんだ。みんな、よろしくな」
一〇〇%善意の生真面目スマイルを浮かべるお兄ちゃん。
「いいのよ高哉さん。ここならみんなリラックスしてお話できるわ」
その隣で、優雅に紅茶をすすりながら、完全勝利の聖母スマイルを浮かべる新妻・理久お姉ちゃん。
その対面に座る私は、悔しさと絶望の怨念オーラを全身から吹き出しながら、鉄板の上のハンバーグをフォークでギチギチとメッタ刺しにしていた。
(ううう……! 婚姻届なんていう法的絶対防壁を出されて、私の『お兄ちゃん略奪計画』が初手で詰まされた……! 悔しい、悔しすぎる……! でも、お兄ちゃんのあの笑顔、やっぱり世界一尊いぃぃ……!)
そんな私の様子を、理久お姉ちゃんの隣から「死んだ魚の目」で見つめている少年が一人。
理久お姉ちゃんの弟で、私の同級生になるらしい、氷河くんだ。ただ誕生日は私より遅いので義弟になるらしいということで、当の本人は至って不服そう。
(……なんだこの女。新しく義理の姉になるうちの姉貴を、なんであんな泥棒猫を見るような目で睨みつけてるんだ……? 怖……絶対に近づかんとこ)
氷河くんは完全にドン引きし、気配を消してハンバーグを口に運んでいる。その横では、まだ幼い妹の沙弥ちゃんだけが「ハンバーグおいしいねっ! お兄ちゃん、お姉ちゃん、よろしくねっ♪」と天使のように笑って場を和ませていた。
だが、私のブラコン魂は、この程度で完全鎮火するほどヤワではない。
下を向き、フツフツと黒い邪念を煮詰めながら、私は新たな作戦へと瞬時に脳内シフトしていた。
(くっ……! 正妻の座をロックされたならもう仕方ないわ……! こうなったら、新しく始まるシェアハウス生活という圧倒的アドバンテージをフルに活かして、同じ屋根の下で隠密裏にお兄ちゃんの『愛人の座』を狙いに行ってやるんだから……!!)
「あら、琴音ちゃん」
鈴を転がすような優しい声が、私の思考を遮った。
顔を上げると、理久お姉ちゃんが小首をかしげて、目の奥だけがガチのIT女帝の光を帯びた笑顔で私を見つめていた。
「まだ、何か考えているの?!」
「っ!?」
ガタッ、と私の肩が派手に跳ね上がる。
声には出してない。一文字も漏らしていないはずなのに、なぜかピンポイントで私の脳内が迎撃された。
理久お姉ちゃんは、柔らかな、しかし背筋が凍るようなトーンで微笑みを深める。
「この街に住んでいて、あたしにおイタをしたら、どうなるかわかっているわよね?」
(……!!!)
その瞬間、私の脳内の生存本能が、けたたましく警報を鳴り響かせた。
理由は分からない。自分が匿名で、しかもし実名を徹底的に隠してやっている『お兄ちゃんねる』のことなんて、絶対にバレているはずがないのだ。
なのに、野生の小動物が天敵の前に引きずり出されたときのような、圧倒的な敗北感と本能的な恐怖が全身を支配する。
もし、この人相手にこれ以上不穏な動き(愛人計画など)を察知されたら、社会的、あるいは生命的にこの街から存在を消される――!
「。。。っ」
私は冷や汗をびっしょりと流しながら、ただガタガタと震えて固まることしかできなかった。
横でそれを見た氷河くんが、(うわぁ……姉貴のあの『ガチで敵の競合企業を潰す時』の笑顔だ。この琴音っていう女、一体裏でどんなヤバいおイタを計画してたんだよ……)と、さらに戦慄を深めていた。
ちなみに、この時の店舗のバックヤードでは、
「おい、あの経済ニュースのトップ二人が親族連れてうちで会議してるぞ!」
「マスコミの目を欺く国家レベルの秘密調印式か……!? 粗相のないように全員直立不動で待機しろ!」
と、店長たちが泡を吹いて震えていたが、私たちの知る由ではなかった。
◇◇◇
顔合わせの翌週、入籍の手続きをすべて終えたお兄ちゃんと理久お姉ちゃんは、「それじゃあ、私たちは新婚旅行を兼ねた海外のカンファレンスに行ってくるわね。留守中、新しい家でみんな仲良く暮らすのよ♪」と言い残し、爆速で日本を旅立っていった。
正式に夫婦となった大人の二人がいない、新しく用意された大きなシェアハウス。
それぞれの自室に荷物を運び込み、理久お姉ちゃんという「野生の天敵」が一時的に日本からいなくなったことで、自分の部屋に入った私は一気に緊張の糸が切れた。
「はぁぁ〜〜〜怖かった……! 理久お姉ちゃんのあのプレッシャー、一体何だったのよ……」
ベッドになだれ込み、枕に顔をうずめる。
「でも、お兄ちゃんが結婚しちゃった絶望は消えないわ……! 私の心のオアシスはもう、ネットの前のファンのみんなと、お兄ちゃんへの愛を叫ぶこの場所だけよぉぉ!!」
私はむくりと起き上がると、手慣れた手つきで配信機材をセッティングし、すぐさま『お兄ちゃんねる』の録音ボタンをカチリと押した。
「みんな聞いてぇぇええええ!! 私の尊いお兄ちゃん、ついに今月結婚しちゃったのよォォオオーー!! 悔しい、悔しすぎるーー!! でもね、既婚者になったお兄ちゃんって、なんかこう背徳感があって逆にマジで尊いぃぃ!! ああ〜〜っ、いっそ私、このまま同じ屋根の下で、お兄ちゃんの『愛人の座』を狙っちゃおうかなぁぁーー!!❤❤むふふふ、お兄ちゃん待っててねぇぇーー!!」
両手両足をバタつかせ、ベッドの上でゴロゴロとのたうち回りながら、液晶画面に向かってブラコンの限界を突破した奇声を大絶叫する。
その時、閉め切った自室のドアの向こう、広い廊下から幼い沙弥ちゃんの声が響いてきた。
「氷河にぃにー! お腹すいたー! 今日のよるごはん、なにするー?」
「引っ越したばかりだし、近くの店でテイクアウトでもしてくるか。……おい、一応舞阪にも聞いてくるから、お前はリビングで待ってろ」
「はーいっ!」
パタパタと廊下を走る沙弥ちゃんの足音が遠ざかり、代わりに私の部屋の前に近づいてくる規則的な足音。
コンコン。
「……おい」
ドアの外から、低くて冷めた、聞き覚えのある少年の声がした。
氷河くんが、夜ご飯の件を聞きに私の部屋の前に立っていたのだ。
しかし、ヘッドホンを突き抜ける己の奇声と「愛人の座がぁぁーー!!❤」という妄想の濁流に呑まれていた私は、そのノックの音に完全に気づいていなかった。当然、返事などできるはずもない。
「……? 起きてんのか」
中から聞こえてくる不穏な大絶叫と怪しげな嬌声に、ドアの外の氷河くんが不審そうに眉をひそめる。
返事がないため、彼は警戒しながらも、ドアノブに手をかけ――
ガチャ。
と、静かにドアを開けた。
液晶画面に向かって「愛人の座ァァアアーー!!❤」と身悶えしている私の姿と、
ドアを開け、その狂気の現場を寸分の狂いもなく正面から視界に捉えてしまった、氷河くん。
時間が、ピタリと停止した。
「あ」
作業の手を止め、ロボットのようにゆっくりと首を回した私の目に飛び込んできたのは、
今まで生きてきた中で見たこともないレベルで、冷めきった死んだ魚の目をしている氷河くんの、凄まじい「ドン引き」のアップだった。
(第01話「お兄ちゃんの結婚が早すぎたので、新居で全力の妹アピールを始めます」おわり / 第02話へ続く)
完全に「終わった」琴音。次回、第2話! 秒速で身バレした琴音が、生き残りをかけて氷河を『デリデリ』に拉致!? 涙目のポテト口封じ契約が炸裂します!
メインヒロインの舞阪琴音が歌う「いんらぶ 〜 Love between siblings-in-law 〜」の前期OP主題歌です
『いんらぶ』
架空アニメ 「いんらぶ 〜 Love between siblings-in-law 〜」 OP主題歌
歌:舞阪琴音
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