464 ゲストハウス
「――ほう、ここが『げすとはうす』……」
そこは、庭の植物に囲まれた、教会に並ぶほど凝った意匠の白い屋敷であった。
建物の形状は凹字状になっていて、中央にある玄関前に立つと、左右が白い建物で埋め尽くされる。……まあ、今のイナリは座っているわけだが。
この近辺に何人もの聖騎士が巡回しているあたり、要人を滞在させるための施設といったところだろう。思い返すと、アルテミアでサニーと出会った場所も、それに近い用途の施設だったのかもしれない。
「念のため聞くが、地下に妙な研究施設などはないじゃろうな?」
「普通はございませんから、安心してくださいまし。……ここからは私が引き継ぎますので、下がってよろしいですわよ」
ランティスは車いす係の聖騎士を下がらせ、イナリの背後に回って車いすを押した。
両開きの大きな玄関扉を潜ると、大理石を基調とした広々とした空間が広がっていた。正面から左右へ伸びる大きな階段の上には、大理石を白く照らす豪勢な照明がついている。
「いかにもな豪邸じゃな」
「複数名の聖女が滞在することもありますの。一階は使用人用の部屋や厨房で、二階が居住用の部屋になっているのですわ」
「つまり、上に行く必要があるのじゃな? 神たる我が病室暮らしだというに、お主は良い身分じゃの」
「ええ、それは私も気にしておりまして。実は、貴方をこちらに引っ越させるつもりですの」
「ほえ?」
思わぬ言葉にぽかんと口を開けているイナリを見て、ランティスがくすりと笑う。
「気にしていたというのは冗談ですが、本気ですのよ。……車いすごと運ぶのは無理がありますわね。少しの間、辛抱してくださいまし」
ランティスはイナリの体を抱き上げて階段を上がり、凹の字で言うところの左上にあたる部屋に入った。
そしてイナリはベッドの上に座らされる。病室でイナリが使っているそれとは比べ物にならないほどふかふかとしていて、手を押し込むとしっかり沈んでいく感覚がある。
その感触を堪能していると、頭の上で静かにしていたもちまるが飛び降りてきて、イナリの手の中にずいと体を捻じ込んできた。……柔らかさで張り合うのもよくわからないが、スライムにも嫉妬的な感情があるのだろうか。
妥協案として、左右の手でそれぞれベッドともちまるを揉んでいる間、ランティスが二つの杯に紅茶を注いでいた。茶については一家言ある一方、紅茶についてはさっぱりなイナリでも、直感的に気品を感じられる香りが漂っていた。
「ここは聖女同士での会談などを想定しておりますから、防音性も高いですわ。秘密が漏れることもありませんから、安心してお話なさいませ」
「うむ……じゃが、肝心の話の内容を聞いておらぬぞ? そろそろ説明が欲しいのじゃ」
「そうでしたわね」
イナリが膝をぺちぺちと叩いて訴えると、ランティスが紅茶を啜りながら頷く。
「私がアリシア様と共同で魔の森の調査をしていたことはご存じでしょう。その件でご相談がありますの」
「そも、調査はどうなったのじゃ?」
「『世界庭園創造会』に関しては順次対応を進めております。問題は、貴方が関わった部分ですわ」
「お主には禁言があるから、我に関することは言えぬわけじゃの」
イナリの言葉にランティスが頷く。もともとイナリが己の過去をランティスに見せた理由はこれが狙いだったので、想定通りと言えよう。
……となると、ランティスの用件というのも見当がつく。
「ま、まさか、我が秘密を話すことを許すまで監禁するとでも言うのではなかろうな!?」
「違いますわ。貴方、さっきから教会に対する偏見が酷いですわよ」
身構えるイナリに対し、ランティスは冷めた視線を向けて返した。
「貴方には、魔の森で起こった事件に巻き込まれた当事者として、報告書の作成を手伝って頂きたいのですわ」
「ふむ……もしや、我が居らぬと何も書けぬのか」
「ええ。書けないことはありませんが、誰でもわかる違和感が生まれることは間違いないでしょうね」
「ふうむ。そういうことならば、仕方あるまいな……」
自分で蒔いた種とはいえ、少し面倒だと思った。だが、ランティスの教会に対する報告をイナリ側で制御できると考えれば、むしろ有難い話と言った方がいいだろう。
「ですから、調査のための重要参考人としてこの屋敷へ招き入れるつもりですわ。私は貴方の未来を視るために毎朝散歩する必要もなくなりますし、貴方は聖騎士に警備されたこの屋敷で、三食の食事、ふかふかベッドの昼寝付きの生活ができるのですから、悪くないでしょう?」
「そういうことなら、仕方あるまいな!」
先ほどとはうって変わって、イナリはそれはもう元気に返事を返した。
体調を崩してからは味気ない食事が続いていたことも一つの理由だが、美味な食事は何事にも代えがたいのである。
「――というわけで、我、引っ越すことになったのじゃ」
満面の笑みで報告したイナリに対し、エリスは果物の皮を剥いていた手を止めた。
「それって、私達がイナリさんと引き離されることになりませんか?」
「ほえ? お主は来られぬのかや」
「ゲストハウスは聖女や位の高い方が宿泊される場所です。理由もなく立ち入ることは出来ませんよ」
「しかし、お主は世話役ということで通れるじゃろう?」
「いえ、ゲストハウスの担当者が引き継がれるのではないかと」
「なら、我と謁見するという高尚な理由ではどうじゃ」
「その理由は高尚すぎて、聖騎士には通じないかと」
エリスはふうと息をつくと、手に持っていた包丁と果物を皿に置き、手を拭いた。
そしてベッドの毛布をめくり、流れるような動作でイナリの隣に潜り込み――イナリにがばりと抱き着いた。
「嫌です! イナリさんがいない生活なんて考えられません! イナリさんが! 生きがいなのに!!」
「お、落ち着くのじゃ! 我とて、お主が来られないとは思っておらんかったのじゃ」
「そ、そうだ。ラズベリーさんに侵入経路を探ってもらいましょう。密会。密会ですよ」
「お主、自分が何を言っているのかわかっておるのか……!?」
二人が――厳密には、エリスがベッドの上で暴れていると、病室の窓がとんとんと叩かれる。
その音で正気に戻ったエリスが体を起こし、窓の方に歩み寄ってみると、隙間から一枚の紙きれが差し込まれていた。
「……『ゲストハウスは警備が厳重すぎてムリかも』……見なかったことにしましょう」
紙切れに書かれていたであろう内容を音読したエリスは、それをさっとゴミ箱に捨てた。次にエリスが矛先を向けたのは、イナリの頭上にいたスライムだ。
「もちまるさんは一緒にお部屋に行けるのですよね? どうにかして私と入れ替わったりできませんか?」
『いいえ』
「そ、そうですか……」
エリスの懇願は、もちまるが文字盤を叩いた音一回で突っぱねられた。
「ああ、せめて神託が使えれば少しは安心できるのですが。イナリさん、まだ力は戻りませんか?」
「多分、もう少しなんじゃよな……」
イナリの神の力は、ほんの僅かではあるが戻りつつある。今のところ、神託は無音の空間であればギリギリ子音が聞き取れる程度。しかも、イナリ側から使おうとすると、五文字くらいで疲労が限界を迎え、気絶することになる始末――要するに、役に立たないのが現状である。
「ひとまず、引っ越すときにランティスに頼んでみるとするのじゃ。我もお主と会えぬのは寂しいからの」
応急処置として、イナリはエリスの頭を撫でて宥めた。
普段散々子供扱いされている分、こういう時にイナリの大人としての、神としての風格を出していかねばならないのである。




