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Love or Lover  作者: コイル
9/9

今までの世界と、これからの世界

 それからはひたすら模型室にこもった。

 会社全体が私と基樹さんを応援してるのが分かる。

 そりゃそうだ。音なしの森プロジェクトがポシャったら、この会社は潰れる。

 建築、設計、それこそ美穂は毎日食事を差し入れてくれて、簡易ベッドまで準備してくれた。

「まさかこんなに模型室のドライヤーを使うことになるとは」

 私は髪を乾かしながら呟いた。

 基樹さんは社長辞任したとはいえ、また引き継ぎも多く、模型室に来るのは夜が多かった。

 その前にシャワーを浴びておくのが日課になっていた。

 今日で一週間たった。折り返し地点。

 模型の出来は3割、4割? でも、全体図が見えてるから何とかなる、というか、しなければならない。

「伸びたね」

 振り向くと基樹さんが来ていた。

「おはようございます」

 と言っても時間は夜10時すぎているが。

 基樹さんは、ドライヤーを私の手から取って、髪の毛を乾かしはじめた。

 私の毛先と基樹さんの指が繋がっている。

 それだけで苦しくなった。

「伸ばしてるの?」

 私の髪の毛は今、肩に届く程度だ。

「正直、ゴムで縛れる限界の長さを保ってます」

 仕事するとき邪魔なのだ。

 ショートカットはまめに美容院に通う必要があり、長いと乾かすのが面倒だ。

 基樹さんは乾いた髪の毛を、ブラシで丁寧にといた。

 なにしろ寝不足だ。簡易ベッドは一度も使ってない。

 横になったら起きられないと、経験で知っている。

 気持ち良いと眠くなる。

 基樹さんは髪の毛を束ねて、唇でゴムを噛み、私の髪を結った。

「染めないんだ」

「あまり、似合う気がしなくて」

 ふと脳裏に美織さんの長く美しい髪の毛が浮かんだ。

 そして香ったシャンプーの香りも思い出して、苦しくなった。

「出来た」

「ありがとうございます」

 髪は丁寧にまとめられていた。

 振り向いて、ドライヤーを受け取る。

 基樹さんは、私の目をまっすぐに見ていた。

「基樹さん……?」

「美織と別れてきた」

「え」

 基樹さんはスーツの上着を脱いだ。

「社長として婚約してたから当たり前だけど」

 基樹に何を言ったの? と苦しそうだった美織さんを思い出す。

「でも……美織さんは、基樹さんのこと、好きだったんと、思います」

「俺もずっと、好きだと思ってたよ、月島さんに会うまでは」

 心臓が跳ねる。どうしよう。

 なんだか泣きそうになっている。

 でも、この先を今聞くわけにいかない。

「基樹さん!!!」

 私は大きな声で基樹さんの声を遮った。

「模型、作りましょう、か!!」

「……はい」

 基樹さんは苦笑いした。

 だってこれから一週間、ずっと二人で徹夜するのだ。

 もう一歩進んだら、私は何も出来なくなる。

「さあ作りましょう、さあさあさあさあ!」

「あはははは」

 基樹さんは顔をクシャクシャにして笑った。



「正直、模型作ってる場合じゃないんだけど」

「いや、作れよ」

 時間は深夜。

 私が音なしの森を担当することになったので、私が元々持っていた仕事は美穂がしていた。

「ねえ、なんでここのデータ、ここで切れてるの?」

 私は3Dモデルで作るとき、見える所しか作らない。

「ここまでしか、要らないからさ」

「サイズの変更なんて、いつだってあるでしょう? 大きめに作るのが、当たり前でしょう?」

「じゃあ伸ばしなよ」

「最初から作れよ」

「まあまあ」

 私は模型室から美穂がいるリフォーム課に遊びにきていた。

 ずっとあの部屋にいると、楽しいけど、苦しくてたまらない。

 だって基樹さんとずっと一緒なのだ。

 いつもしている鼻歌も、大声も出せない。

「基樹さん、模型つくるのすごい上手なの」

「昨日も聞いた」

「カッターの使い方が上手なのかな」

「そりゃ照明職人なら、そうでしょうよ」

「指が長いからさあ…、こう押さえてる時の、この親指と人差し指の空間が、でかいの」

「変態か」

「はーー? 大事でしょ?」

「便利だけど、そこって萌えるの?」

「こうだよ、こう?!」

 私は指を限界まで伸ばしてアピールしたが、美穂はこっちも見ない。

「何か怒ってる……?」

 私はおそるおそる聞いた。

「……宮田さんの好きな人も仁奈子で、永遠の片腕も仁奈子なんて、悔しいよ」

「片腕……?」

「宮田さん、仁奈子なら大丈夫だって、仁奈子がやるなら、俺も死ぬ気でやるって、この前飲んだ時、言ってた」

「うん」

「怖いよ、私、仁奈子から引き継いだこの仕事だって、レベルが高すぎて、やり終わる気がしない」

「仁奈子はすごいよ、私は怖いよ。億単位、初めてなの」

 私はやる前はお金を気にするけど、やり始めるとどうでも良くなる。

 それはきっと、全力出す以外、どうしようも無いからだ。

 全力出して、それでどうにもならなかったら、もうどうしようもない。

 でも、怖いのだけは理解できる。

「私も怖いよ、でも、もうやるって決めた」

「そしてこの雑なモデル。でもなんでこんなに魅力的なの。ずるい」

「それが仁奈子だ」

 振り向くと和也がいた。

「宮田さん?!」

 時計は深夜12時を指している。

「モデリング修正なら、手伝えるから、半分よこして」

 和也は差し入れのジュースやお菓子を、今や荷物置き場となっている私の机に置いた。

「でも……」

 美穂は躊躇した。

 和也は朝から晩まで社長について外を回っているはずだ。

 それでこの時間から作業するのは……。

「仁奈子の作るクソデータには慣れてる」

「クソ……」

 私は呟いた。

「確かにクソだわ」

 美穂は断言した。

「でも、神部美穂なら直せるだろ」

「……はい」

「手伝うから」

「はい!」

 私は作業をはじめた二人の背中から、すっと外に出た。

 私は、私の戦いの場所へ。



「基樹さん……私のモデリングデータって……どうですか?」

 模型を作りながら思わず聞いた。

「ああ……、独創的だね」

「独創的」

「モデルだけ見ると、グッチャグチャで、何作ってるのか分からないのに、仕上がりのビューを見るとカッコイイ」

「褒めてますか?」

「詐欺だね」

「あれーー?」

「神部さんが直してるんだって? 同情するよ」

「もうすこし……勉強します」

「これから立場も上がるから、人が見て修正するのが前提の仕事を始めたほうがいいよ。ほら、長さが違う」

 基樹さんは私が作ったパーツを入れようとして、手を止めた。

「ああこれは、こうして、押しこんだほうが、奥行きがでますよ」

 私はねじ込んで、あとスプレーで光影を付けた。

「ほらね」

 なんとも美しくハマった。納得。

「詐欺だ」

「結果が命なんです!」

「ここを、もって」

 指示されて、模型の一部を持つ。

 基樹さんの長い指が、丁寧に仕上げていく。

 切り出されたパーツをどんどん貼り合わせて、らせん状のロングスロープと駐車場ができた。

 すり鉢状の地形を生かして、1番後ろに高層マンション(といっても10階立て)、そこから連結されて低層マンション。

 囲むように立つ高層マンションにスロープを回して、低層マンションの各部屋の横までこれる駐車場をつけた。

 敷地が広いから出来る技だ。

 騒音問題をクリアするために、駐車する空間と住居空間の間に庭を置いた。そこはフリースペースだ。大体道路一本分。

 自転車を止めるのもよし。庭として使うのもよし。

 モデリングしてテストしたけど、騒音は表の道を車が通るくらいのレベルに出来た。

 低層部は、車やバイクを趣味とする人がメインターゲットとなる物件なので、かなりこだわった。

「良いですね」

「面白いよ」

 出来ていく模型が、楽しくてたまらない。

 10階立てのマンションは、すり鉢状の土地を囲むように湾曲している。

 これを作るのが、正直大変だった。

 あと囲むように、あと4つも必要だ。

 基樹さんもそれに気が付いた。

「……コーヒーでも買いにいこうか」

「はい!」

 

 会社の持ち物である自転車に基樹さんはまたがった。

 近くのコーヒーショップは24時間営業で、車に乗るほど遠くない。

 でも歩くほど近くない。

 まさに自転車の距離だった。

「どうぞ」

 促されて、後部にちょこんと座った。

「痛い?」

「大丈夫です」

 基樹さんにしがみつく勇気はなく、背中だけくっつけてバランスを保った。

 大きく吸い込んだ空気は少し冷たくて、それでも夏の余韻を残していた。

 もう10月。模型が終わったら、11月。年末が見えてくる。はやすぎる。

 月には大きな満月。

 それが自転車に揺られて、奥へ奥へ流れていく。

 消えない光。

 包まれる繭のような明るさ。

「きれいな月ですね」

 カタン、カタン、と揺れる自転車の後ろで、私は言った。

「今日は満月か。だから明るいんだな」

 基樹さんは自転車を漕ぎながら言った。

 背中に熱を感じる。

 それは私の熱なのか、基樹さんの熱なのか、わからない。

 そこで溶ける二人の温度は、一つになっていた。

 私はそれを背中で味わった。

 足がブラブラと揺れて、影を伸ばす。

 首まで基樹さんに預けて、空をみた。

「本当に、月がきれい」

 私は呟いた。

「……【藍染めの空に】、読み終わった」

「そうですか」

 私と基樹さんの始まりになった本だ。

「…月がきれいだね」

 基樹さんの言葉に心臓が掴まれた。

 芥川龍之介のオマージュを思い出した。

 好きだなんていうもんじゃない。

 スマートに、月がきれい。

「……月がキレイですね」

 喉の奥が苦しくて、なんとか声を絞り出した。

 もう、このまま溶けてしまいたい。


 残り2日となった。

 もうこうなると椅子から立ち上がるのはトイレのみ。

 飲み物や食べ物は机の周りに配置して、風呂も睡眠も殴り捨てる。

 いわゆるトランス状態で、死ぬほどしんどいのだが、ゴールが見えるので楽しくて仕方ない。

 大量に切り出したパーツが入った小袋を、どんどんつなげる。

 同じ部屋に基樹さんも居るが、もう気にしない。

 ヘッドホンをしてひたすら同じ一曲だけを聴く。

 驚くことに、締切り周辺になるといつも同じ曲を流す。テンションが上がる曲が決まっている。

 もう何十年もそうで、締切りじゃないときにこの曲を聴くと泣きたくなるレベルまできた。

 私の締切りソングだ。

 視界の奥、入り口付近に人影が見えたのでヘッドホンを取ると、そこに美織さんが居た。

 慌てて席を立って、近寄る。

「……大丈夫?」

「なんとかします」

 もうそれしか言えない。たぶんギリギリだ。

「食べてる? 基樹も」

「食べると眠くなるので、最小限です」

 チラリと奥の席を見ると、同じにヘッドフォンをして集中している基樹さんが見えた。

 邪魔すると悪いので、廊下に出た。

「これ……」

 美織さんは紙袋を私に渡した。

「何ですか?」

 開けようとする私の手を、美織さんが制した。

「恥ずかしいけど、基樹と食べて。じゃあ」

 美織さんはカツカツとヒールを響かせて、廊下を消えていった。

 最後に振り返って小さく手をふり

「がんばってね」

「……はい」

 私はそれを基樹さんの机の上に置いた。

「何?」

 基樹さんはヘッドホンをはずした。

 かなり大きなボリュームで威風堂々が流れていた。

「エルガーですか」

「東京フィルハーモニー交響楽団のね」

「ずっと同じ曲……?」

「月島さんも同じ曲聞いてるでしょ」

「えへへ」

 基樹さんは紙袋を開けた。

「……美織さん、来たの?」

 私は覗き込みながら聞いた。

「なんで分かったんですか?」

 基樹さんは袋の中身を出した。

 そこにはまん丸なおにぎりと、漬け物が入っていた。

「俺が照明やってて徹夜してるとき、いつも美織さんが持ってきてくれたんだ、これ」 

「ステキですね」

 私は自分の椅子に移動した。

 そんなの食べるわけにいかない。

 基樹さんは私の横に、ひとつおにぎりを置いた。

「いやいや、食べられませんよ!」

「だってほら、手紙に、こっちは月島さんへって」

 おにぎりにメモが貼ってあった。

「……じゃあ頂きます…」

 食べると、中からとんでもないほど塩辛い梅干しが出てきた。

「これ、塩辛いんですけど!」

 私は食べながら笑った。

「俺のは大好きなオカカだ」

「ちょっと、これって嫌がらせですか!」

「ほら、徹夜続きには梅がいいから」

「じゃあ変えてくださいよ」

 基樹さんはたべかけのおにぎりを差し出した。

「いいよ?」

 大きく口をあけて待っているオカカ。

 それは基樹さんの口のカタチ。

 なんだか恥ずかしくなって黙った。

「……いえ、いいです」

「何だよ今更。もうキスしたのに」

「キャーーーー!」

 私はおにぎりを口にねじ込み、ヘッドホンをした。

 怖い。基樹さんて、かなりのいじめっ子なんじゃなかろうか。



「終わった……」

 もう時計をみる余裕もないが、太陽の高さから早朝だろう。

 基樹さんは数時間前に力尽きて、机で寝ている。

 机でペシャリとつぶれた頬が可愛くて、少し覗き込んでエヘヘと笑った。

 ずれてしまった毛布をかけ直して、机の上に置いてあった差し入れのパンを食べる。

 天窓を少し開けて空気をいれかえて伸びをした。

 机の表面が見えないほど散らかった模型のかけらを全てゴミ箱にいれて、真ん中に出来上がった模型を置いた。

 その大きさ1.5m×1.5m。

 仕掛けが細かく、敷地も広く、地形をいかしてすり鉢状に作っているので、ちょっとしたジオラマだ。

 わたしたちにもっと時間があったら、作り込みたいところはたくさんあったが、もう限界だ。

 パンを水で飲み込み、簡易ベッドに飛び込んだ。

 実はここ二週間、横になってなかった。

 横になったら起きられないと知っていた。

 だから簡易ベッドは荷物置きになっていて、賞味期限が切れた差し入れや、飲み終えたペッドボトルが転がっているが、すべて押し出す。

 もういい、寝たい、もう無理だ。

 あとは和也に任せよう。

 そう思った時には世界がブラックアウトしていた。

 遠くで話し声がする。

 誰かが声をあげている。

 拍手も聞こえる。

 でも体を起こすのは無理だと判断して、何度となくうなずいて、また寝た。

 

 体に毛布がかけられているのを感じる。

 基樹さんから貰った毛布だ。

 暖かくて、毛布とベッドと体が溶けていく。また何度となくうなずいて、また寝た。

 頬に柔らかいものが触れる。ネコ? 犬? 和也の家のネコがまた家に勝手に来たのかな。

「もう……お母さん、和也のネコにご飯あげてよ……」

 そう言って目をあけるといつもと違う天井が見えて、横に基樹さんが転がっていた。

 ネコじゃない。こしがなく触ればしなるネコの毛より細い基樹さんの髪の毛だった。

 あわわ、基樹さんが隣に寝てる……と少しずつベッドから出ようとすると、後頭部がクルリと回って、顔が目の前にきた。

「起きた」

「……はい」

 真っ黒で丸い瞳に動きを止められる。

 心臓がうるさいほどに跳ね動いて、苦しくなる。

 ずるずると後ろに下がって、ベッドから抜けだそうとする私の肩を、基樹さんが引き寄せた。

「もうすこし」

「いやいやいや……」

 もちろん状況的には嬉しいけど、私はもう3日も風呂に入ってないのだ。

 季節は秋から冬になりつつある今日、夏みたいに臭くないけど(たぶん)大好きな人に抱っこされるとき3日風呂に入ってない状態は、さすがにありえない。

「ご褒美」

「いやいやいや……」

 さらに逃げようとする私を基樹さんは首のしたに抱え込んだ。

 基樹さんの鎖骨と肋骨を皮膚で感じる。

 息をすると、基樹さんは臭くない。むしろ洗濯されている匂い。それにこの服は泊まり込みで見たことがない。

 私は両手を張って基樹さんの肋骨から離れた。

「いつの間にお風呂入ったんですか?!」

「さっき」

「いつの間に着替えたんですか」

「さっき」

「ずるい!」

 私はそのまま模型室を飛び出して、シャワー室に行こうと思ったが、着替えが底をついていることに気が付いた。

 時計を確認すると、昼過ぎ。

 プレゼンはもう始まってるし、和也が戻るのは夕方か夜だろう。

 一度家に帰ろう。

 私はリフォーム課に戻った。


 部屋に入ると、美穂が机で寝ているのが見えた。

 そうか、美穂の締切りも今日だったのか。

 大きなデスクには、私がモデルだけ作った家が模型になっていた。

 私が作るより丁寧に、ちゃんとモデル通りだ。

 私は作ってる途中でどんどん変えてしまい、モデルと同じなったことは一度もないけど。

「これがちゃんとして【模型】だなあ」

 思わず呟いた。

 そして机にかけてあった上着を肩にかけて、二週間ぶりに荷物を掴んで家に帰った。

 私の人生には晴れているのか雨がふっているのか、寒いのか暑いのか、どんな大事件があったのか、何も知らない日が何日もある。

 模型室にこもって仕事している日や、この前のようにガラスをひたすら削る日。私はその日がどんな日だったか知らない。

 そしてまた、どんな日だったら知らない日が増えた。

 前はそれが少し悲しかったが、今は胸をはっていいたい。

 何も知らないけど、私は作り上げた。

 ずっとまともに歩いてなかったので、足がかなりむくんでいる。

 少し歩いたほうが良さそうだ。

 私は空を見上げて、歩き出した。

 吸い込んだ空気はもう秋から冬になっていた。

 私が模型を作ってる間に、秋は終わっていた。


 帰宅途中に駅ビルで、高いサラダと、パンを数個買って家で食べた。

 普段昼間に買い物など出来ないので、こういう時は財布が緩む。

 家の布団で、私は沼に落ちていくように眠り続けた。

 枕元に置いたスマホが鳴り響いて、耳にあてた。

「仁奈子、通ったぞ」

「ありがとう、和也」

「元の予算の倍取ったぞ」

「あははは、そんなに使うかな」

「概算計算、やっぱり基樹か。しっかりしてると思った」

 今回私はひたすら模型を作っていた。

「ありがとう仁奈子、音なしも森、なんとかなりそうだ」

「ん」

 私はまどろみながら答えた。

 風が冷たくて布団が暖かくて気持ちいい。

「月島さん、美織です」

「あ、はい」

 電話先で声が変わった。

 布団の中で正座した。

 声の張りが違う。やはり美織さんは社長さんだ。

「ありがとう。助かったわ」

「はい」

「吉永さんに、どうやってオッケー出させたの?」

「え……まあ……色々と……」

 吉永さんがバームクーヘンをプレパークで焼いてると知ったら、美織さんは絶叫しそうだ。

 どんな服装の美織さんも、どんな時の美織さんも、プレパークの雑草が似合わない。

「月島」

「はい?」

「おつかれ」

「はい?」

 電話だと誰だかわからない。

「吉永さんだよ。プレゼンに来てくれた」

 横で話してるらしい、和也の声で納得した。

「模型がなくても、吉永さん来てたらオッケーだったんじゃ……」

「ばーーか。今日はもう寝ろ」

「はい」

 私はスマホをベッドに置いて、窓をあけてベランダに出た。

 すると家の前に見たことある黒い車がとまっていた。

 あれって……。

 急いで着替えて外に出た。

「やっぱり基樹さん!」

「起きた?」

 運転席でにっこりと微笑む笑顔が丸くて優しくて、私は泣きたくなった。

「いつからここに?!」

「コンペ合格の電話がきたから、きっと月島さん、それで起こされるだろうと思って」

「……その通りです」

「じゃあ行こうか」

「え? どこへ?」

「月島さんに、告白をしに」

「ひえええええ……」

「あははは、何その声」

 やっぱりこの人、すごく子供で、すごく強引で、すごくいじめっこなんじゃ。

「さ、乗って」

「ええ……」

 告白するからと言われて、じゃあ乗ります!って……何か変じゃない?

「え、ここで言ったほうがいい?」

 基樹さんは心底不思議そうに聞いた。

「何が正解なのか、わかりません……」

 正直に答えた。

「じゃあ、乗って」

 基樹さんは車を動かし始めた。


「ここ」

 基樹さんが案内してくれたのは、小さなバーだった。

 店内は暗い。部屋の真ん中にテーブルがあって、そこだけ青白く光っていた。

「勝手に入っていいんですか……?」

 私は店員さんもいない状態の店に入るのは初めてだった。

「大丈夫。貸し切り」

 青白く光るテーブルには、白と緑のグラデーションかかった飲み物が置いてあった。

「光ってる…」

 その飲み物は、照明をうけて、光っているように見えた。

 私が椅子に座り、手をテーブルの上に置くと、光が揺らいだ。

 まるで海の中をひとりで進むように波うち、光が外へ広がる。

「え?!」

 基樹さんが前の椅子に座ると、同じように光が動き、波が動いた。

「最近の照明は、デジタルがメインなんだ。ほら上」

 言われて机の上を見ると、カメラが見える。

「それで動きをつねにキャプチャーしてる。それに合わせて、机の上の波が動くんだ」

「すごい…」

 よくみると、机もガラスで作られていて、ガラスは丁寧に彫られていた。

「これって」

「社長やめてから少し暇だったから、作ったんだ、これも」

「きれい……」

「大学の時に、ここのバーのマスターに改装を頼まれてたのに、できないままになってて、ずっと気になってた」

 基樹さんが飲み物を持つと、テーブルに波紋が広がった。

「すごい」

 私も飲み物を持つと、ポチャンと雫が落ちたような動きを見せた。

「おおおおお」

 思わず飲み物を別の場所に置くと、そこから星屑のような光が流れ始めた。

「うおおお」

 飲み物を動かすと、後ろを魚がついてくる。

「すごい!」

 私は無我夢中で遊んだ。

 ふと顔をあげると、基樹さんが小さな子供が砂場で遊ぶのを見守るような笑顔で私を見ていた。

 恥ずかしくなり、飲み物を手にとり、一口のんだ。

 グレープフルーツの味がした。


 机の上に置かれた私の手に、基樹さんの手が重なった。

 すると、そこがほんわりと明るくなり、他が暗くなった。

 なにこれ、もう、全てが演出されてる。

「告白していい?」

「ひえええ……」

 基樹さんが私を見ている。

 苦しくて前が見られない。

「こっちみて」

「はい……」

 なんとかあげた視線に、基樹さんの真っ直ぐな瞳が映る。

 手以外が暗くて良かった。

 ひょっとして、基樹さんも緊張してる?

 だから手以外暗くしたのかな。

 そう思ったら、少し落ち着いた。

「俺はさ、生まれた時から金持ちで、どうしようもなく事なかれ主義だった。運命に逆らう力なんて無かった。だから大学まで、と与えられた自由を満喫して、静かに社長になったんだ」

「はい」

「別に違和感なんてない。この人を好きになれと言われれば、付き合った。女の子はみんな可愛いし、別に誰でも変わらない」

 誰でも。思わず黙る。

「記号に見える。髪の毛が長くて、キレイにされた顔に、色とりどりの服。女の子はみんな記号だ。それは男も変わらないけど」

 美織さんを思い浮かべていた。

 無駄なく美しい人。

「でも月島さんは、最初から強烈だったよ。バラバラになった模型を泊まり込みで作り直して、ランプを見た時のあの瞬発力」

 これは褒められてるのだろうか。

「仕事してると他に何も見えてない。自分が人の視界に入りたいと思ったのは、初めてだ」

「…はい」

「月島さんといくと、何度も行ったことある場所が、はじめて行った場所になる。海ほたるも、普通の買い物も、映画館も。相手が違うだけで、こんなに別の場所になるって、知らなかった」

 私は無言でうなずいた。

 同じことを感じてくれていた。

 もうそれだけでお腹いっぱいだった。

「今まで俺が見てきた世界を、月島さんともう一度見たいと思ってしまう。それは、これから一緒にいたいと願うことの、理由にしてもいいかな」

 何度も頭を動かしてうなずいた。

 声が出ない。

「返事は?」

「はい……」

 なんとか絞り出した。

 私の手の上に置かれた基樹さんの手が私の手を握った。

「……良かった」

 暗闇に目が慣れていて、目の前にいる基樹さんの表情が見えてきた。

 基樹さんは、顔が赤かった。

「……恥ずかしいから、こんな演出したんですか?」

 基樹さんは頭をたれた。

 まんまるなつむじが見える。

「返事は?」

「はい……」

「あははは!」

 私は思わず大声で笑ってしまった。

 基樹さんは私の手を引き、椅子から下ろした。

 基樹さんの両方の掌で、私の頬に触れた。

 そして私の右手を、基樹さんの唇に持って行った。

 私の掌に、基樹さんはキスをした。

 そのまま私も掌で、基樹さんの頬を触った。

 体を基樹さんが密着させてきて、私はお腹に基樹さんの体温を感じて、体が温かくなるのを感じた。

 掌の甲から力が抜けて、おでこに基樹さんのネコっ毛が触れた。

 そして基樹さんは私の唇にキスをした。

 何度も唇を吸い、息を吐いた。

 そしてその唇を、私の耳元に持ってきて、私の耳にキスをして言った。

「大好きだよ」

 私は基樹さんにしがみついた。

 鎖骨に頭をうずめて言った。

「私も、好きです」

 基樹さんは、私の頭の上にアゴを置いて言った。

「良かった」

 さあ、二人で世界を見よう。

 二人でいれば、コンビニだって、深夜のコーヒーショップだって、ちょっとそこまでお散歩だって、全部楽しい。

 一人でいるより、二人のが楽しい。

 明日のことなんて分からない。

 でもとりあえず、今日は一緒にいよう。

 それが私たちの出した答え。



(終わり)


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