エピローグ
事件は終わった。
新たな被害者である金井昌子と、状況から見て加害者と判断された飯島詩織。そして行方不明扱いになった春霞八重の三名を追加し、死者五名行方不明者一名を出した荒神高校の惨劇は幕を下ろした。
少なくとも表向きはそうなっている。
僕はそれとは異なる内容の事実を知っているのだけど、それを誰かに話す事はないだろう。静先輩に迷惑がかかるし、話してなんになるわけでもない。
それでクロが笑うのなら話は別なのだけど。
「ようシロ。微妙に湿気た面してんな」
「君ほどじゃないと思うよ。宗也」
言葉だけ聞けば元気そうな宗也だが、さすがに恩師が行方不明になったというのはなかなかに堪えたらしい。目の下にうっすらと隈が出来ており、持ち前の元気さも空元気気味だ。
「春ちゃん、どこ行っちまったんだろうなぁ」
並んで歩きながら、宗也がぼんやりとした感じで空を見上げた。
僕は先生の居場所を知っている。だがそこは、一般人が立ち入れる領域ではない。静先輩に頼んだとしても面会に行く事は叶わないだろう。
「さあね。分からないな」
だから僕は知らない振りをする。あの人の事は、もう僕にとってどうでもいい事なのだから。
「……ん?」
ふと、つい最近までで散々聞いたような気がするのに、さっぱり思い出せない着信メロディーが聞こえてきて、僕は足を止めた。
「おっと俺だ」
そういって携帯を取り出した宗也は、カチカチと携帯を操作してメールか何かを確認している。
それ自体は特になんでもないのだけれど、僕は彼の携帯からあの着メロが流れた事に驚いた。それはあの時飯島詩織の携帯から流れたものと同じ着メロだったからだ
「宗也、その着メロって――」
「んあ? ああ、こいつか? 最近、ってもここ一ヶ月くらい前からかな。新規で情報配信サイトが出来たんだよ。んでそれが結構評判いいらしいんで、ちょっと前に俺も登録したってわけだ」
「情報配信サイト?」
「ああ。登録するとさっきの着メロが自動ダウンロードされて、メールとか着信がある時に流れる設定になってんだよ」
分かり易いだろ、と得意げに語る宗也から具体的なアドレスを聞き出し、僕もその情報は威信サイトとやらに飛んでみる。
そこはシンプルな作りのページで、利用には利用には会員登録が必要とあった。試しに登録ページへ進むと、これが結構な個人情報を入力しなければならないような設定になっている。
どうもエリアの範囲は今シロの住んでいる地方エリア限定のようだが、それはそれとしてやたら怪しいこんなものに登録してなんになるというのだろうか。
「噂によると抜き打ちテストの日付を教えてくれたり、中間・期末試験の高得点問題を予想してくれたりするらしいぜ。しかも的中率八十パーセント以上だ」
他にも不良の待ち伏せしていない安全な帰宅ルートの指示だったり、好みの女の子に声をかけられるポイントを教えてくれたりだとか、個々人に合わせた情報をかなり的確に配信してくれるらしい。
個人情報をやたら書き込ませるのはそういう理由によるものだそうで、利用価値が高いために多少のリスクを負ってでも登録する者は多いという事だった。
「しかも電話サービスにも申し込むと自分好みの音声で情報を伝えてくれるようにカスタマイズも出来るらしいぜ。老若男女も口調も方言も自由自在なんだとさ」
「そこまで来ると確実に機械の複合音声だな。人間じゃ対応しきれないだろ」
「そりゃそうだろうさ。でも例えば死んだ人の音声データを送ればそれを元に声を作ってくれたりもするらしいぜ。奥さんなくした爺さんとかが結構利用するみたいだぞ?」
死者の声を復活させるというのはなかなか有意義そうな使用方法だ。例えば自分の死に際に、愛する者の声を聞きながら逝ければそれはきっと幸せな事だろう。
もう二度と聞けないと思っていた相手から、自分が一番言ってほしい言葉を聞けるというのなら――
「――っ!」
「お? どうしたシロ」
その瞬間、僕の脳裏にあの時の飯島詩織の涙がフラッシュバックした。あれがもしそういう事だとしたらどうなるのだろうか。
あり得ない話ではない。考えてみればこの情報サイトだってやってやれない事ではないだろう。規模の範囲が自分のいる地方エリアに限定されている事からもそれはよく分かる。
自分の影響力の及ぶ範囲がそこまでという事であれば、当然情報を集める事が出来るのもそこまでの範囲になるのだから。
「あら? シロ君に春日野君、だったかしら? お早う」
「あ、朝霧先輩お早うございます」
「……静先輩」
直角に腰を追って頭を下げる宗也の横で、僕は泰然と佇む黒髪の女性を見つめた。
前髪に隠れたその瞳がどうなっているのか分からないが、晒された口元はほくそ笑むというのがぴったり来るように意地悪く吊りあがっている。
たぶん彼女はもっとずっと前から僕と宗也の近くにいたはずだ。そして僕が宗也を通して情報サイトを知り、その後ろに隠れている者に思い当たったところを見計らって現れた。
それがどういう意味を示しているのか。よく分かっている。
静先輩の人差し指がすーっとその綺麗な唇に当てられ、沈黙を、秘密を求めるサインとなって僕に示される。
敵わないな。
内心で大きく溜息を這い出した僕は、小さく頷く事しか出来なかった。
「シズカ!」
「きゃっ」
不意に空から黒い影が降ってきたかと思うと、それはそのまま静先輩に飛び掛り、しかし彼女は慌てる事無く優しい手つきで飛び掛ってきたものを受け止めた。
「にはは」
「もう。クロちゃんはいつも突然ですわね」
静先輩に飛びついた影はクロだった。いつも通りの黒猫スタイルのまま静先輩に抱きついて、そのたわわな果実に挟まるように顔を埋めている。
「なあシロ。俺もあんな感じで先輩に飛びついたら許してもらえると思うか?」
「駄目だろうね。ああ見えて静先輩けっこう強いから怪我じゃすまないと思うよ」
だよなぁ、とぼやきながら天を仰ぐ友人を尻目に、僕は先輩に色々と粗相を働いている黒猫の首根っこを引っ掴みに行く。
「に?」
すりすりを邪魔されて何事かという顔をしているクロをじろりと目で抑え、
「朝からすいません静先輩。この埋め合わせはいずれ何かで」
「構いませんわ。クロちゃんなら大歓迎ですわよ。それに私、負けるほど弱くありませんもの」
それは当たり前のように吐き出された言葉。だから静先輩はその言葉に深い意味を持たせているわけではない。
けれど、僕はその言葉の裏に潜む意味を理解している。だからこそ、出来ればその意味が現実になる事がないように祈るしかない。
「さあ、ホームルームに遅れてしまいますわ。行きますわよ」
「そうですね」
「あ、おい俺を置いていくな」
「に~」
さし当たってはどうという事もない。今日も今日とて一日が始まる。
またどこかでうちの黒猫が興味を示すものが見つかれば、その時がまた非日常の始まりというだけ。
僕と僕の黒猫の物語は、いつか唐突に終わるその時まで、続いていく。