僕には関係なさそうだな
***〈ロシェリート視点〉
「ロシェ、朝だぞー。そろそろ起きろよ、寝坊するぞー?」
遠くで誰かが僕を呼んでいる。
低い声なのに優しくて、ちょっとからかうようなこの響きは……リツマだ。
「んんー……、いま、おきるぅ……」
目を開くと、真っ白で何もない空間にリツマの黒髪がさらりと揺れて、黒い瞳が僕を覗き込んでいた。
不吉の象徴だとか死を呼ぶ色だとか、そんな風に言われている黒い髪と目も、この5年ですっかり見慣れてしまった。
「おはよう、リツマ……」
上半身を起こして、目をぱちぱちと瞬かせて眠気を追い出そうとする僕の背中をリツマがバシンと叩く。
「いたっ、何するんだよっ」
睨む僕に、リツマは言う。
「目ぇ覚めたか? 早いとこ外に出た方がいーぜ」
そんなに寝坊していたのか、と僕は慌てて自分の体へと意識を向けた。
全身の感覚を取り戻しながら、瞼をよいしょと開いた途端、部屋にノックの音が響く。
「ロシェリート様、朝のお支度に参りました」
その声に、平静を装って「入って」と答えながら、僕は布団を飛び出した。
わあ、ギリギリだった。
間に合ってよかった……。
後でリツマにお礼を言っとかないと……。
侍女が持ってきてくれたワゴンの水を掬って顔を洗う。
覗き込んだ水面には、白金の髪と瞳をした僕の顔が映っていた。
プラチナブロンドは肩下まで伸びていて、そろそろ切ろうか迷っているところだ。
人よりちょっと幼く見えるぼんやりした顔は、キリッとしているリツマとは随分違うなと思う。
僕の名前はロシェリート・エルシュタイン、伯爵家の次男だ。
誰にも内緒だけど、僕は5年前からリツマと一つの身体を分け合って生活している。
いつもと変わらない朝の支度を済ませて、誰の見送りもない扉を出て、僕はいつも通りに馬車で登城し、宰相様の執務室へと向かう。
小さな頃から勉強が好きだった僕は、そこそこ名の知れた貴族の学院を卒業後、城で文官補佐の補佐として働いている。
補佐の補佐の仕事は、主に書類を届けたり、取りに行ったりというお使い業務だ。
3年目ともなれば、僕はすっかり城内を迷わず歩き回れるようになっていた。
城のあちこちでは今日も噂話が飛び交っている。
聞くところによると、どうやら、第二王子のアルシオン様が行方をくらましたらしい。
今月の頭に第一王子のレオンハルト様が病に倒れ、床に伏せるようになったばかりだというのに、今度は第二王子まで消えてしまうとは大変だなぁ。
おそらく第二王子が城からいなくなったのは、倒れた第一王子を呪っているのが第二王子であると疑われているせいだろうな。
第二王子は頭脳も性格も申し分なく、第一王子が亡くなれば次の王になるのは第二王子に違いないと言われているらしい。
……まあ、僕にはあんまり関係なさそうだな……。
そんな事を考えながら、僕は仕事場所である宰相様の執務室へと辿り着いた。
「ロシェリートおはよう。早速で悪いが、話があるので隣の部屋に来ておくれ」
僕が「おはようございます」と部屋の入り口で深く頭を下げる間に、イグナーツ様は僕の手首を掴むと、その勢いのままズンズン進んで隣室に入る。
資料庫となっている狭い部屋にいきなり引っ張り込まれて、一体何事かと思う間に、イグナーツ様はガチャリと後ろ手で部屋に内鍵をかける。
この部屋って内鍵なんかあったんですね。
僕、今まで使った事ありませんでしたよ……。
僕の上司であるイグナーツ様は、水色の髪を肩口でゆるく結んだ、メガネの似合う知的な36歳男性だ。
次期宰相との呼び声が高い方で、彼が宰相様になった暁には僕は宰相様付きの補佐官となれる……といいなと思っている。
まあ、途中でもっと優秀な人が現れて、僕はお払い箱になる可能性も十分あるから、そこまで期待はしていないけれど。
そんな、いつも冷静沈着なイグナーツ様だったが、今日はいつになく焦った様子で前置きもないまま話しかけてくる。
「ロシェリートは第二王子のアルシオン様がお姿を消したという話は知っているかい?」
「あ、はい。噂は耳にしました」
「その理由も……?」
「理由は聞いていませんが、おそらく疑われているからなのかな……とは」
「疑いだなんて甘い甘い、第三王子のザハリアス様がアルシオン様を犯人に仕立て上げようと躍起でね。アルシオン様にしてみれば完全なる冤罪、濡れ衣なんだが、ありもしない証拠や証人までもが出てきてしまうのが、王宮の怖いところなんだよ」
「そ……それは、怖いですね……」
そんな、やってもいない犯罪の証拠や証人まで出てきた日には、僕なら「もしかして自分が犯人なのかな」って思ってしまいそうだよ……。
「そんなわけで第二王子は身柄を狙われているから、現在は国外に逃亡中という事になっているんだ」
『なっている』という事は、本当は国内にまだいるって事なんだろうか?
だとしても、僕には関係のない事だなと思いながら、僕は「へぇ、大変なんですね」と適当に相槌を打つ。
「はぁぁ……。ロシェリートは我関せずでいいねぇ……」
盛大にため息を吐かれて、慌てて背筋を伸ばす。
今のって、皮肉だった……?
もっと自分事として考えなさいと言われているんだろうか。
たとえばこの国の王様がいなくなったなら一大事だけど、まだ王位を継いでいない王子様がどうなろうと、僕の仕事にそこまでの影響はないからなぁ……。
それとも皮肉ではなく、単に蚊帳の外の僕が羨ましいんだろうか。
……イグナーツ様の性格からすると、こっちな気がする。
「ところで、ロシェリートは第二王子のアルシオン様にお会いした事はあるかい?」
「えーと……おそらく殿下の7歳のお披露目会には立場上僕も参加したと思うのですが、その頃僕は4歳程度で全く覚えていません」
王子様のお披露目会には、7歳を迎える王子と年の近い貴族の子ども達は、顔見せという形で全員集められる。
王子様はその立場上、将来の側近候補も早めに見つける必要があるのだろう。
「ふむ、ロシェリートは夜会や新春の謁見にも行ってないのだったかね」
僕は苦笑を浮かべて、なるべく差し障りなくその言葉を肯定する。
「はい、次男の僕にはお鉢が回ってきませんので……」
実際のところは、僕が家で冷遇されているせいなんだけど、こんな事を上司に言えるはずもない。
それに、家によっては次男や三男まで全員連れて参加するところもあるそうだけど、準備にある程度の金額が必要なため、そういった家は稀だと聞いている。
それなら、この発言は不自然には聞こえないだろうな。
お城での夜会も、新春の謁見も、我が家からは父と兄しか行かないし、僕は残念ながら第二王子様のお顔も、第三王子様のお顔も知らないままだった。
第一王子様だけは式典の時に何度か遠目からは見た事があるけど、城内ですれ違って気付くかというと、……状況次第かな。
お供を大勢連れていてくれれば、わかる気がする。
「ふむ……」
イグナーツ様はほんの少し考えるように俯いてから、パッと顔を上げてこちらを見た。
ブルーシルバーの瞳が、切れ長な一重の瞼の間から、僕を値踏みするように上から下までじろりと眺める。
「ロシェリート、君は貴族にしては珍しく料理を作る事ができたね?」
「え? ええ、はい。趣味のようなものですが……」
正確には、料理ができるのは僕じゃなくてリツマだ。
リツマは大衆食堂のような店で働いていた時期があったとかで、料理が上手い。
以前、慈善事業の炊き出しの際に、調理担当の人が急に具合を悪くしたとかで当日来られなくなった事がある。
それで、急遽リツマに助けてもらったんだよね……。
イグナーツ様はその日は参加されていなかったはずなのに、ちゃんと報告書からその内容を把握なさっていたのか……。
「そんなロシェリートに、新しい仕事を頼みたい」
「……なんでしょうか?」
ここまでの話の流れから、嫌な予感しかしないんだけど、これも仕事だと上司が言うなら、引き受けるしかないんだろうな……。
「療養生活を送っている私の知人に食事を作り、書類仕事の補佐を行ってくれ」
えっと……その知人ってまさか第二王子様じゃないですよね?
……なんて、聞くわけにもいかないわけで……。
こうなったらイグナーツ様の言う通り「我関せず」を貫くしかないか、と覚悟を決めて、僕は「かしこまりました」と何一つ詮索する事なく、その仕事を引き受けた。
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