痛恨の一撃
※適宜改稿します
ケインは躊躇なくリリィへと突っ込んだ。そして両手をズボンのポケットに入れたまま動かないリリィの肩へ、真っ直ぐ右腕を伸ばした。
――が。
リリィは僅かに肩を引いただけでその手を避けていた。右手は当然のように空をかいたものの、ケインは怯まなかった。相手の動きが僅かならばそのまま上体をひねって両腕でホールド――する事もできなかった。リリィはいつの間にか十分な間合いをとって下がっていた。束ねられたリリィの後ろ髪が垂れ柳の葉のようにたおやかになびいた。リリィの動きにバランスを崩したものの、ケインは即座に右足をダンッ! と踏ん張り体勢を構え直した。
(……成程、勝つ自信はそれなりにあるようだ。だが甘いな……!!)
なおもケインは正面から突進したが、リリィは傍らの木を遮蔽物にするように回り込んで回避した。
(最小限の動きで避けているが、神速というわけではない。十分目で捉えられる速さだ)
リリィの動きを分析しながらケインは一旦離れ、反対側に回り込んだ。するとリリィは幹を駆け上るように蹴り壁宙でケインの背後に回りこむと後ずさり距離を取った。その姿をケインは肩越しに振り仰いだ。
(背後を取れるのにこちらへ攻撃を仕掛けてこない? 攻めに自信がないのか? 戦闘でなく競争を選んだのもそのせいか?)
自らの仮定を確かめるべく、ケインは油断なくリリィを見据え間合いを詰めようと試みた。しかしリリィは軽やかなステップで再び後ずさっただけだった。少なくともリリィから積極的に攻撃してくる気配は全く見られなかった。
(トラップか? 或いはカウンター狙いか……勝負を有利に運ぼうとしたんだろうが、俺には弱みを晒しただけだな。この勝負、頂く……!)
ケインは勝利を確信した。
*
アンネはリリィの軽快な動きに感心していた。フィンが反射神経で無理やり避けていたのに対し、リリィの回避はほとんど無駄がなかった。優れた観察眼でケインの動きを予測しているのだろうとリリィは考えた。だが不可解な点もあった。
『何だか、リリィらしくないわね……』
『リリィらしくないって、どの辺が?』
小声で尋ねるフィンへアンネは言いにくそうに答えた。
『ケインは確かに強いんだろうけど、リリィが一方的に逃げるだけの戦いをするなんて、リリィの性格からは考えにくい。そこが気になるのよ』
気になるといえば、実はフィンにも気になる事が一つあった。しかしそれはアンネの思案とは別件の些事だった。
(リリィ、あんなウエストポーチつけてたっけか? あんなのをつけたままでは動きにくいだろうに……)
首を捻ってみてもその答えが思い浮かぶ筈はなかった。
*
リリィはケインの追尾を躱しながら様子を伺っていた。二人の間合いは確実に狭まりつつあった。ケインの腕がリリィへ伸びる頻度も増えていた。リリィの動きにケインが慣れ始めていた証拠だった。
(……さて、刷り込み完了ね)
そこで突如、リリィはケインに背を向け颯爽と駆け出した。
『……あれ? あの二人……』
『どうした? アンネ』
『……こっちへ向かってきてるんだけど』
土埃を巻き上げ向かってくる二人にアンネは嫌な予感しかしなかった。
*
なかなか捕まらないリリィを追い続けるうちに、ケインは後ろ髪に狙いをつけていた。必ずワンテンポ遅く動く場所。しかも今はリリィを真後ろから追いかけていた。髪を掴むにはベストポジションと言えた。
(今度は逃がさないぞ!)
髪の先が掴める位置まで追いつくとケインは迷わず右腕を伸ばした。まさにその時、リリィはアンネに手が届くところまで来ていた。リリィは肩越しに背後のケインの動きを見やりほくそ笑んだ。
〈……今ね!〉
リリィは即座にアンネの眼前でしゃがみ込み、同時に彼女の胸元のリボンを解き放った。
『きゃ!』
突然リボンを解かれたことに驚き、アンネは咄嗟に胸元へ手を当てた。一方ケインはというと、リリィがあまりに素早くしゃがみ込んだ事、さらにアンネが突然視界に飛び込んできたことに驚いていた。走る勢いを殺しきれず、体勢の立て直しが一瞬遅れた。リリィはすかさず重心が崩れたケインの足を蹴り払った。ケインは無様に前につんのめった。
『危ない!』
ケインにぶつかりそうになっているアンネを助けようとフィンが立ち上がり――かけたのを、リリィは背中から体当たりして遮った。
ケインの右手は空をかき。
――むにっ。
アンネのふくよかな胸を掴んた。
――カシャ、ウィーンガシャッ。
静寂の中、場違いな機械音がした。
『へ……』
アンネは掴まれた胸を見ながらわなわなと震えた。心なしか涙目になっていた。
『まっ……ごか……』
ケインは慌てて手を離し弁解を試みたものの、時既に遅く。
『……変態ぃぃぃぃぃぃぃ!!』
アンネの右フックはケインの左頬にクリーンヒットし、ケインは清々しく吹き飛んだ。
テクニカル・ノック・ダウン。
ケインは気絶した。
まさに痛恨の一撃であった。