戦う理由
ケインは乱入者の不意打ちに当惑していた。フィンと乱入者の二方に注意を払いながら、呼吸を整え槍を構え直し、ケインは考えた。
(屋根の上から俺目掛けて……いつから上に? いや、そもそも……)
その乱入者は思いのほか冷ややかな視線をフィンに向けて歩み寄った。
『そんな軽口叩けるなら、助けなくて良かった?』
フィンはなけなしの力で上体を起こし不服そうに口を尖らせた。
『彼奴の槍は相当の腕前じゃないか。それをかいくぐって逃げてただけ褒めてほしいもんだ』
『罵ってほしい、の間違いでしょ』
リリィはフィンの顔の前でしゃがみ込み、心底不思議そうに首をかしげた。
『私は避けろとは言ったけど反撃するなとは言ってないわ。でも彼奴、目立ったダメージないじゃない。手を抜いたわね?』
『手厳しいな。こっちは丸腰だってのに』
二人の会話を聞いたアンネは、直ぐに目の前の子供がウィルでなくリリィである事に気付いた。
(リリィが知らない人間の前に出るなんて珍しい。何が起きているの……?)
泣きはらした目と冷静さは少しずつ元に戻りつつあった。
*
どうにか起き上がったフィンはゆっくり胡座座りになった。そこでリリィは初めてフィンの右足の怪我に気付いた。
〈地面の爆発跡から察するに、未処理の地雷を踏んだのだろう。出血は止まっている。抗生剤と破トキは必要かもしれないが、多分、まだ猶予はある筈だ〉
そこまで判断した上でリリィは呆れ顔で嘆息した。
『頭を使いなさい。得物を用意するなり、転ばせて隙を作るなり。色々あるでしょうが』
『……この状況じゃ無理だろ』
『言ってもわからないのね』
口を尖らせるフィンにリリィは再び嘆息した。続けてフィンの無能さを静かに罵倒しようと息を吸った瞬間、しびれを切らしたケインの横槍が入った。
『一体君は……何者だ?』
『ああ、御免なさい、危うく忘れるところだった。初めまして』
立ち上がりながらリリィは背中越しに挨拶の言葉を口にした。その癇に障る物言いと態度にケインはカチンときたが、黙っていた。リリィはケインに向き直ると左掌を上へ向け、くい、と手前に曲げて見せた。ケインは目を瞠った。
『……ここから選手交代。私が戦うわ』
『悪いが、君と戦う理由はない』
『私にはある。契約者の代理として戦う、それが私の理由』
『契約者とはフィンの事か?』
『そう』
リリィの淡白な答えにケインはゆるゆると首を横へと振った。
『君はフィンじゃない。フィン以外の人間は現時点で俺が殺すべき人間にはなりえない。だから戦わない。そこをどいてくれ』
リリィの眼が細くなった。
『ああ、貴方、フィンをよく知ってるみたいね……。手負いに止めを刺そうとする執拗さからすると怨恨かしら。聞かせてくれる? 貴方がフィンと戦う理由』
リリィの言葉にケインは針で突かれたように顔を歪めた。
『君には関係ない』
『ある』
間髪入れずにリリィは答えた。
『……何?』
『フィンは過去の記憶を全て失ったと言っている。私はそれを取り戻す為の契約をした。だから彼が過去に何をしたのか、私には知る権利がある』
リリィの言葉にケインは瞠目した。
『彼奴、記憶がないのか!?』
『それも知らずに殺そうとしてたのね。呆れるわ』
侮蔑のこもったリリィの言葉にケインは苦虫を噛み潰したような顔をした。自分は科の記憶なき者を殺めようとしていた。それはケインの正義に反していた。知らなかったとはいえ、自らの主義に背く行為を行うなどケインには考えられない事だった。最悪だ――そう思いながらも、ケインは萎みかけた怒りを奮い立たせた。
『関係ない。彼奴は……敵だ。仇なんだ』
『じゃあ尚更話して頂戴。己の罪を知らない人間を殺しても、誰も救われないでしょ』
『よしてくれっ! 知ったような口を……』
雑念を振り払うかのようにぶんぶん頭を振り叫ぶケインを横目に、リリィはやれやれ、と言いたげにぱちりと指を鳴らした。
『埒が明かないからこうしましょう。私と貴方で簡単な勝負をして、貴方が勝てばフィンは自由にしていいわ。煮るなり焼くなり殺すなり、お好きにね』
(おいおい、殺していいわけないだろが……えぐい奴だな)
青ざめるフィンの事などお構いなしにリリィは続けた。
『……でも私が勝ったら、フィンを仇と言う理由を教えて貰うわ』
ケインは躊躇した。リリィとの勝負などケインには無意味でしかなかった。だがフィンの処刑に余計な邪魔が入る事をケインは望まなかった。ケインは条件付きで承諾することにした。
『君を殺しかねない勝負でなければ、受けよう』
『後悔しないようにね、その言葉』
リリィはニヒルな微笑みを浮かべた。森の木々が冷たい空気にざわめいていた。
*
アンネはフィンに肩を貸し庭の隅に移動した。それを確認するとリリィは人差し指を立てくるりと回しながら切り出した。
『ルールは簡単。私が中庭の内側を逃げ回る。どんな形であれ、私を拘束できたら貴方の勝ち。制限時間は日没まで』
リリィは太陽を見上げ傾きを確認した。
『あと二時間ってとこね。日没までに捕まえられなかったり、貴方が降参したら私の勝ち。武器は使っても構わないわ』
『武器なんか必要ない』
槍を隅に放りケインは言い放った。
『そう。私は別に良いけどね』
妙に可愛らしく微笑んだ後、ふと思い出したようにリリィは続けた。
『言い忘れたけど、私は勿論、あとの二人が庭の外に逃げても貴方の勝ちでいい。そんな終わりはまずないでしょうけどね』
『わかった。いつでも始めてくれ』
膝屈伸しケインは答えたが、リリィは微笑んだまま動かなかった。
『それはこちらの台詞。さ、早く捕まえて』
ケインは顔を顰めた。この少女は俺を相手にこの程度の間合いで逃げられると思っているのか。子供時代から追いかけっこで負けた事のないケインにとって、リリィの態度は侮蔑以外の何物でもなかった。
『……相当見くびられたものだな。面白い』
ケインは軽く地を蹴った。
*
フィンとアンネは木を挟んで背中合わせに座り、リリィ達の様子を見ていた。
『……足、大丈夫?』
『おい、俺達は赤の他人ってことに……』
背後からの小声に思わずアンネの方を見ようとしたフィンを、アンネは手のジェスチャーで止めた。
『こっち向かないで。小声で呟く程度なら気づかれない筈』
フィンははっとして、一瞬ケインを盗み見た。幸いケインはリリィに集中しており此方の動きは気づいてはいなかった。フィンはできるだけゆっくり前に向き直り、幹に頭を預けた。
『……この位平気。爆発は一応回避してたし、破片が刺さったのも偶然だよ』
『……ごめんなさい』
アンネは小さく項垂れた。
『地雷の事なら気に病むなよ。それより、さっきあんな事を言ってしまった俺が謝らないとだ。ごめんな』
『さっきの?』
『ほら、庇ってくれただろ? あんな意地悪な言い方して突き放したけど……本当は、嬉しかったよ。ありがとな』
『あ、あんなの、別に……』
思いがけず感謝され、更に人目も憚らず泣きじゃくったのを思い出したアンネは耳まで真っ赤になった。
(人前で泣いたり人を庇うなんて、いつもの私らしくない……。そ、そうよ、地雷の事で責任感じた、それだけよ‼︎)
アンネの赤面など知る由もなく、フィンは独り言のように続けた。
『……にしても、人任せにしといてなんだけど、リリィの奴、ちゃんと勝算あるんだろうなぁ……』
フィンの言葉にアンネの思考回路は即座に冷静になった。
『リリィの事を知ってるのね』
『あぁ、ペクトラのことは少しだけウィルに聞いた。リリィと話したのは今日が初めてだ』
『リリィ、何て言ってたの?』
『俺が三十分稼いだら三人とも逃げられる……そういって一度森へ消えたんだ。俺を突き飛ばしてな』
フィンは僅かに苦笑しながらさっきぶつけた後頭部をさすった。一方アンネは俯きリリィの行動について考え込んだ。
『……もしかして、ただの勝負じゃないのかも』
『……どういう事だ?』
アンネは顔を上げるとリリィを見つめ言った。
『あの子には勝つ以外の目的がある。よく分からないけど、そんな気がする……』