誤算
顔から血の気が引くのがわかった。フィンは自分へ向けられた言葉の意味を理解できなかった。
ナゼ、ウラギッタ?
この男、そう言ったのか?
……俺は、ウラギリモノ……?
激しい眩暈にフィンの世界はフリーズした。
『……お、俺、は……』
――そんなことしない!
その言葉が言えなかった。
喉の奥が急速に乾き、声が上擦った。懸命に言おうとするほど声はただの呻きに変わった。
……何を言えるのだろう。
俺には、記憶がない。
自分の記憶すら自分を無実だと証明できない。
そのことにフィンは気づいてしまった。
フィンは唇を噛んだ。
俯くことしかできなかった。
『……何も言うことはない、ということか?』
ケインの押し殺した声がフィンを現実へ引き戻した。
『ちがっ……』
フィンが顔を上げた瞬間。
ケインは槍を構えフィンの眼前にいた。
――いつの間に!?
考えるより先に左半身が後方へ回避した。
『うあああああああ!』
ケインの身体が構えた槍ごと切り上げられ、その槍先はフィンの長い前髪を掠めた。槍は勢いそのままにフィンの右脇腹めがけて薙ぎ払った。全身のばねに弾かれるようにフィンの身体は槍の軌道外へと飛びのいた。
『割合よく動くな。だが、以前よりキレが悪いんじゃないかっ!?』
ケインの槍は止まらなかった。右から跳ね上げ。胸部へ捻り込み。左から逆袈裟切り。旋回からの突き上げ……。
槍が力強く空を切るたびに風切り音が舞った。次々繰り出される槍技すべてをフィンは紙一重で躱し続けた。
ケインは槍を一旦止めると上体を低く構え直し、そのぎらつく両眼でフィンを睨みつけ独語した。
『……ま、この程度でやられる訳ないわな』
不敵な笑みを浮かべるケインの首筋を汗が伝った。
*
(は、早い……!!)
アンネは突然始まった攻防に釘付けになっていた。ケインの槍捌きには目を見張るものがあった。しかしそれ以上に驚いたのはフィンの方だった。
フィンの動きは全く洗練されてはいなかった。一か月の放浪生活が彼の本来持っていた筋力を奪っていたのだろう。
にも関わらず、だ。
彼はケインの攻撃を食らっていなかった。
視認困難なその槍捌きを。ただの一撃も。
(信じられない……。彼は、ケインの動きを把握できているというの? それに、裏切り者って言われてたけど、どういう事よ……)
アンネは固唾をのんで二人を見守ることしか出来なかった。
*
実際のところ、フィンはケインの動きを把握できてなどいなかった。脊髄反射で全身を動かしているような感覚。それだけがケインの槍を回避させていた。
(俺、何でこんなに動けるんだ……?)
一番驚いていたのは当のフィン自身だった。
「頼むっ、話をっっ、聞い、てくれっっっ!」
フィンは槍を躱しながら必死に話しかけたが、ケインは攻撃を緩めなかった。 もつれそうになる足を神経反射が立て直していたものの、フィンの両足は悲鳴を上げつつあった。
そしてついに、ケインの突きがフィンのこめかみを擦った。ぱっと血が飛び散り、痛覚刺激に一瞬バランスを崩したが、フィンは左足を軸にのけぞった。そこへさらに追撃を試みたケインだが、はっとした顔で即座に飛びのいた。その行動にフィンが戸惑った刹那。
加重しかけた右足先の接地感にフィンは違和感を感じた。
――地雷⁉︎ まだ残っ……
思考切替、 神経反射最高速っ‼︎
右足に懸けかけた体重全てを瞬時に左足に移し、その反動でフィンは後方へと跳んだ。 足元からの突然の爆音に続き、無数の金属片と土煙が四散した。跳ね飛んだフィンの身体は勢い良く地面に叩きつけられた。
「……つっ!」
(フィン!!)
アンネは真っ青な顔を覆った。
*
フィンは辛うじて爆発直撃を免れた。しかし、もう立ち上がることは出来なかった。 爆発で飛散した金属片は右足裏に深々と刺さっていた。欠片を引き抜き起き上がろうとしたが、負傷した右足はもちろん、限界まで収縮弛緩を繰り返した左足も最早フィンの言うことを聞かなくなっていた。
(くそ、リリィとの約束、果たせなかったか……)
フィンは唇を噛んだ。
掘り起こしていない地雷はケインにとっても痛い誤算だった。自分の回避で精一杯になりフィンへ警告する事ができなかった。それは酷く後味の悪い決着だった。しかし、眼前の青年との因縁がケインを非情な死神へと変えた。
『……不本意な形だけどな、お前に引導を渡してやる』
ケインは静かにフィンに歩み寄った。
と、その時。
『待って‼︎』
ケインの行く手をアンネは腕を広げて遮った。
『私に用があったのでしょう⁉︎ 私を捕まえて、さっさとここを出なさいよ!』
アンネは顔を真っ赤にさせて怒鳴った。その瞳は涙で潤んでいた。
『……どけ』
背後からの声に、アンネははっとしてフィンを振り返った。こめかみから流れる血を雑に拭いフィンは言った。
『男の喧嘩に、関係ない人間が口出しなんて野暮だろう。さっさとどくんだ』
フィンの言葉に、アンネの両眼から真珠玉のような涙が次々と溢れ出た。
『でも貴方は、偶々ここにいただけなのに……地雷だって、私の所為で……』
最後の方はすすり泣きに混じり言葉にならなかった。フィンは穏やかに、だが力強く言った。
『良いんだ。こいつは俺に何か恨みがあって槍を構えている。何も知らない人間がそれを咎める事なんか出来ないんだよ。名前も知らない貴女を巻き込んで悪かった。申し訳ないが、どいてくれ』
『その男の言う通りだ。道を開けてもらおう』
フィンの力強い眼差しとケインの尋常ならざる威圧感に気圧され、アンネはゆっくり身を引くしかなかった。ケインはフィンの目前で歩を止めると、顔面に狙いを定め槍を構えた。
『……お前は裏切った。俺達を、シンシアを、そしてJを』
槍を握る手が強くなった。
『お前を裁くのは俺達の役目……俺達が、決着をつけるんだ』
ケインの額には脂汗がにじんでいた。
『覚悟しろ!』
槍が貫かれようとした刹那。
『ヘタレねやっぱり』
頭上からの声と迫る気配にケインはとっさに横へ飛びのいた。間髪入れず、何かがケインの立っていた場所へと墜落した。
もうもうと上がる土煙。
その中から現れたのは……
『三十分稼ぐって言ったくせに。七分足りない』
ウィル、いや、リリィだった。
『……自己申告はクリアしただろ?』
満身創痍の顔でフィンはにやっと笑った。




