第4話 特別という異質
世界樹という傘に覆われ、巨大なコンクリートの壁に囲まれた魔道都市は、昼と夜がわかりにくい。というより、もしも照明がなければ、昼でも暗い環境である。
当初、この環境に翻弄されてリズムを崩した久里寿だったが、こだわらない性格故にか、はたまた中学生という適応力の高い年代であるせいか、二週間も過ぎる頃には完全に馴染んでいた。それはもちろん、周囲に溶け込むという意味も含めての話である。
「んー……」
ピンと立てた鉛筆の向こうに並ぶリンゴとバナナを片目で狙いを定めるように睨んでから、提供されたクロッキー帳に円と棒を描き込んでいく。美術というよりはお絵かきと言うべき惨状なのは彼女の絵心に拠るものなので仕方のないことではあるものの、そのお絵かきを二人のいい年こいたオッサンが真摯に眺めている構図というのは、滑稽を通り越して恐怖の対象ですらあるような気がする。
だが、一人の少女を見守る二人の表情はその思惑が絡んでいるためなのか、極めて対照的である。
「藍河さん、単に描くのではなく、頭の中で同一のイメージを創るということを意識しなければ、意味がありませんよ?」
腕を組んで難しい顔をしていた保紫が、柔らかく丁寧な物言いながらも、必要事項を指摘する。
「いやぁ、なかなか無邪気な絵で結構じゃないか」
一方の所長――黒山の表情は孫のお遊戯でも見ているように緩んでいる。完全に授業参観にやってきたお爺ちゃん状態だ。
この魔道都市研究所の所長である黒山才蔵は、研究員達の長であると同時に魔法使い候補達にとっては名誉顧問という立場にある。時折という頻度ではあるが、授業や実習を覗きにくることもあった。
「所長、新人だからといって甘やかさないでください」
「やれやれ、相変わらず保紫くんは堅物だなぁ。彼女に与えられた時間は確かに無限ではないが、それでも十分な猶予は与えられている。もっとじっくり成長を見守りたまえ」
「はぁ……心掛けます」
曖昧に頷く保紫の表情は、もちろん晴れることなどない。
「ねぇ先生」
リンゴの曲線を修正していた久里寿が、その手を止めて発言をする。
「何ですか?」
「これって、本当に魔法使いになるために必要なことなんですか?」
「それはもちろん――」
「藍河さん」
即座に答えようとした保紫の言葉を遮るように、黒山が彼女の名前を重ねる。応じて振り返った先にあったのは、穏やか過ぎる笑顔だった。
「君は、魔法使いに必要なこととは何だと思うかね?」
「えっと……思い込みとやる気?」
保紫が右手で額を覆う。だが、所長の笑顔は曇らなかった。
「それもまた良しだ。しかし私が魔法使いにとって必要だと思っているのは少し違う。それは努力という積み重ねだよ。この授業は、もしかしたら役に立たないかもしれない。でも、この授業を重ねた先に魔法使いへの道は続いている。例え魔法の役に立たなくとも、その道を形作るためには必要だと思わないかな?」
「あ、はい、思います」
「ならば、今はただ目の前にある課題と向き合うことだ。それが必ず、魔法という結果をもたらすことになるだろう」
「はいっ」
難しい理屈は必要ないということがわかっただけでも、彼女にとってはありがたい話なのかもしれない。むろん彼女に教える講師にとっては、頭痛の種にしかならない。
ちなみにこの美術の授業には、二つの意味合いが存在している。
一つは魔道都市らしく、魔法を形作る上で必要なスキルの一つとされているためである。魔法というものが思い込み、すなわち脳内のイメージを具現化することによって発動するというのはすでに述べた通りであるが、単なる願望が叶えられるほど便利極まりない代物でもない。そこには明確な理論と正確なイメージが伴っている必要があるのだ。そのため、ある程度の絵心、少なくとも頭の中に立体を描ける程度のイメージ力は必要であるとされている。そのため、実際に絵を描くことで脳内イメージの構築をより的確にできるようにすることが目的となる。
そしてもう一つ、こちらは社会的な都合ということになるが、魔法使いの性質上、どうしても未成年――特に中学生くらいの年代が対象となるため、相応の義務教育というものを施す必要があるのだ。もちろん美術ばかりでなく、語学や社会学や科学などは当然として、家庭科や音楽といった科目もカリキュラムに盛り込まれている。ただ、これらは一般常識を示す以上の価値はなく、盲目的な思想とは相性の悪い理論形成を促す数学などは、かなり削ぎ落とした状態で提供されている。全てが魔法のために在るというのは、伊達ではないのである。
「……所長、お時間は大丈夫ですか?」
「おっと、そういえばもうこんな時間か」
気味が悪いほどの笑顔で久里寿の背中を眺めていた所長が、保紫の一言で壁にかかっていた時計を見やり、声を上げる。出張に出かけるまでの空き時間を利用しての授業参観で遅れてしまうなど、言い訳にもならない。
「今回はしばらく魔道都市を空けることになるから、しばらくこうして経過を見られないのは残念だな。だがその分、次に会う時までに大きく成長していることを期待しているよ」
「あ、はい」
久里寿の素直な返事に頷き、所長は教室を後にする。残された二人は顔を見合わせ、突然訪れた堅苦しい空気に溜め息を吐いた。
「では藍河さん、とりあえず一枚だけでも仕上げてしまいましょう。土曜日午後のフリータイムを、気兼ねなく楽しむためにもね」
「はーい」
彼女は絵を描く。
それは真剣で、懸命で、どこか危うく見えた。
中二病という言葉がある。
かつては思春期における歪んだ自己アピールの一環として認識されていたが、現在では未熟な自己顕示欲の発現によって生じる精神疾患の一つと位置づけられている。大半の患者が時間の経過と共に症状を緩和させていくのは従来の通りだが、妄想を無理矢理信じ込むことによる暴力行為や破壊行為、あるいは現実とのギャップから逃れるために多く見られる自傷行為などが問題視され、ただでさえ少子化によって少なくなっている子供達を守るためという名目の下に、現代社会では早期の治療が一般的となっている。
イメージ的には、あまり家庭環境に恵まれていない子供が発症するという世間的な認識であるが、統計的な比率では貧富の差や母子家庭か否かによる差異は明確ではない。ただ、重度の発症を見せる患者の両親は不仲、あるいは離婚をしているケースが多々見られ、その因果関係について現在も模索が続いているというのが実情である。
かつて、中二病における理想のゴール地点は『大人』であった。子供という自分を脱却し、大人に近付いているのだという実感を欲するが故の背伸びであったと言える。しかし現在の中二病は、大人という存在すら飛び越えて、特別なもの、唯一無二のもの、あるいは人間を凌駕するものをゴール地点に据え、自分がそこへ近付いているのだと思い込むケースが多い。特に問題なのはその盲目性であり、人の話どころか自分の培ってきた常識や良識すら無視をするため、症状としては解離性同一性障害に近い反応を見せることも少なくない。
このように、過度な自己顕示欲と脳内における現実と虚構の曖昧さから、時間を置く以外の効果的な治療法が未だ明確に確立していない難病に医学会が、こんな患者はもうイヤだ的な意味で頭を抱える中、この特性に別のアプローチから目をつけた人物がいた。
それが魔道都市の研究所の所長である黒山才蔵である。
唯一の魔女の死亡が公表され、魔法研究の発展はもう望めないと揶揄されるようになった十年前、彼は中二病患者こそが魔術の才能を秘めた存在の証であるという論文を発表している。しかしもちろん、医学会どころか一般人の中にすら耳を傾ける者はいなかった。その証明のため、彼は全国から重度の中二病患者を探し、彼らを密かに囲い込んで魔法使いになるためのプログラムを叩き込み始めた。
数年前、子供を実験動物にして弄んでいるという類の記事が週刊誌に記載されたことがあったものの、世間の興味はその程度でしかなく、関心がないというのが世間一般の標準的な反応であろう。極一部の人権団体が抗議の声を上げてはいるものの、本人が望んでいるとされている上に、その親権を持つ大人達が彼らを手放したがっていることが実情として横たわっているため、現状では盛り上がりに欠ける掛け声となっている。
ただ、魔道都市が極めて閉鎖的な環境にあり、どの程度の子供達がどのようなことをされているという実態が見えてこないことは、まともな親であれば気味が悪いと思うのも無理からぬことであろう。実際、あまりワガママばかり言っていると魔道都市に連れて行かれるというのは、最近流行りの躾文句である。
「まぁとにかく、迷ってしまったものは仕方ないよね」
底抜けに明るい笑顔でそう告げる久里寿だが、彼女の家庭環境もあまり楽しいものではなかった。家庭内における孤独から妄想を膨らませるか、妄想の膨らんだ先に家族の無理解が発生するのか、それは各個人によってまちまちではあるだろう。しかしいずれにしても、ここへ集う人間達が家族と折り合わなかったことくらいは容易に想像できる。だから彼女は、ここに来てから一度も家族のことを誰かに聞いたことはなかったし、彼女の家族について問われたこともなかった。
「おいコラ、誰のせいで迷ったと思ってるんだよ?」
「大地くんが道を忘れたから?」
「オメーが道を無視して森の中に突っ込んでいくからだよっ!」
柄の悪いチンピラを小さくしたような、プチギャング的な格好をしている自称オシャレな翠野大地は、ストリートな印象を意識している本人の希望とは対照的に、貧乏で服も満足に買ってもらえない可哀想な男の子のように見えなくもない。まだ十五歳と、睨んでいる相手の久里寿より一つ年上でしかない彼は、できる範囲での精一杯の背伸びを試みているようであるが、どうにも空回り感が否めないというのが周囲の統一した見解である。
ちなみにここは魔道都市の北側に広がっている山林の中腹であり、きのこ狩り用の大きな籠を背負っていることも手伝って、見た目のチグハグさは浮いているを通り越して痛々しいと表現すべき状況にある。
「……キノコ食べる?」
どうやら久里寿は、大地が空腹からカリカリしていると判断したようである。
「別に腹減ってねぇよっ。というか、そんないかにも毒々しいキノコ出すなっ。つーかどっから拾ってきた!」
「大丈夫だよ。魔法のキノコだよ、コレ」
「ただの毒キノコだろっ」
毒キノコの代表格、ベニテングタケそのものである。
ちなみに彼女の背負っている籠の中には、主に見た目重視で狩られたキノコが所狭しと並んでいる。ベニテングタケの他にも珊瑚のような形をしたハナホウキタケ(吐く)唐辛子のような見た目のカエンタケ(大体死ぬ)純白のベールに包まれているようなドクツルタケ(当然死ぬ)などが含まれている辺り、知っててワザと集めているのではないかとすら思われる。もちろん、そんな高度な野外スキルを都会っ子の久里寿が身に付けている道理もない。これは純粋に運とセンスという、隠れた才能の為せる技である。
「……とりあえず、お前の籠に入ってるキノコは全部捨てろ」
「え、魔法の薬を作るのに必要じゃないの?」
「何の為にキノコ集めてんだよ、オレらはっ?」
所長が主だった研究員を引き連れて十日程度の出張に赴いたことに同期して、スタッフも長期休暇に突入している。もちろん彼らの食事を用意する程度のスタッフは残っているが、どうせならと皆で夕食を自炊してみようという流れになったのだ。
基本的には学校のような体裁を整えている研究所ではあるものの、課外授業などという気の利いた企画は存在していない。彼らにとってこれは、林間学校でキャンプをしているかのような感覚に近いものであると言えた。
その役割分担で、大地と久里寿がキノコ狩り担当となったのである。この魔道都市のキャリアが最も短い二人の組み合わせということで危惧する声も上がったが、短いといっても彼のキャリアは一年以上になり、キノコ狩りの経験もあることから、二人での外出が許可された次第である。
「まったく……どうすんだよ、この状況」
迷いながらもしっかり狩り集めていたキノコを傍らに下ろし、苔の生えていない木の根元に腰を下ろす。彼女に翻弄されて歩き回ったことで疲労が倍増しているのか、吐き出される溜め息が漂うことなく地面に落ちる。
「ホントだよね。まさかこんなに綺麗なキノコが食べられないなんて、神様はわかってないよっ」
「そんな話じゃねぇよっ。帰ろうにも帰れない今の状況についてだよ!」
「大丈夫だよ」
「何が大丈夫なんだよ?」
妙に自信たっぷりな久里寿の態度に、大地は少しばかり顔を寄せてその真意を問う。
「だって私、凄い魔法使いになる運命なんだもん。このくらいのこと、乗り越えられるに決まってるじゃない」
「はぁ……そういうことかよ」
僅かな期待を持ってしまった自分に落胆してうな垂れる。
「というかさ――」
ふと気付いて、ふんぞり返って上を向いていた視線を下へと動かす。ワックスで立ちまくっている焦げ茶色の髪は、さながら大きな毬栗のように見えた。
「私と違って大地くんは魔法が使えるんだから、こういう時こそ魔法スゲーってところを見せるべきなんじゃないの?」
ピクリと肩が震え、不機嫌そうな顔が持ち上がる。
「えーと何だっけ。センズリガン?」
「千里眼だよっ」
「そうそう、センリガンだった。うん、センリガン」
「絶対ワザと間違っただろ……」
「そのセンリガンがあれば、森の向こう側とか簡単に見られるんでしょ。それともアレって、教室にいながら今日の日替わり定職のメニューがわかるだけの魔法なの?」
「ちげーよ」
即座に否定しながらも、すぐに表情を改める。憂いと諦めに満ちた、子供にしては大人びた表情だ。
「魔法ってのは、使う環境が必要なんだ。ここでは魔法は使えない」
「じゃあ、どこでなら使えるの?」
「少なくとも研究所の外では使えないし、使ってはいけない決まりになってる」
「ふーん……あれ、でも誠治くんは使ってたよ?」
「いつ?」
「私が魔道都市に来た日。まぁ外壁のすぐ側ではあったけど」
「……まぁ、アイツは特別だからな」
少し首を傾げた大地だったが、さして意味のない思考と判断したのか簡単な結論を口にする。
「特別って、やっぱり『唯一の魔女』の子供だから?」
「まぁな。才能っていうのは、どんなモノにだってあるもんさ」
「魔法が使えるだけで、十分才能あると思うけどな……」
そんな彼女の素朴な言葉に彼は笑う、いや嗤う。
「お前も魔法を使えるようになればわかるよ。コレはそんな、今のお前が思っているような便利で万能な代物なんかじゃない。特に俺達凡人の使う魔法なんて、何の役にも立ちゃしないさ」
「何それっ」
自分の未来を否定されたような気がして、久里寿の眉根が無意識に寄る。
「役に立つか立たないかなんて、使う人次第じゃないのっ。私は確かにまだ魔法が使えないけど、何の役にも立たないなんて思わない。キノコ狩りだって、ちゃんと片付けて見せるもん」
毒キノコハンターの言葉とは思えない力強さである。
「……あんまり騒ぐなって。下手に動いて消耗するより、今は休んで体力を温存しとけよ」
「魔法使いらしからぬ消極的戦法ね、それは」
「お前にとっての魔法使いは目の前の扉を開けずに蹴り破るような奴だよな、絶対」
「ようは研究所がどっちなのかわかればいいんでしょ。簡単じゃない」
そう言ってカラフルな籠を投げ出し、近くの木に張り付く。
「おいバカ、何するつもりだ?」
「木に登って、世界樹を探すの」
アイデアは悪くない。理屈としても通っている。しかしこの状況で下す判断としては微妙なところだ。
「お前、木登りなんてできるのかよっ?」
「してみないとわかんない」
「アホかっ!」
慌てて立ち上がる大地が手を伸ばすより早く、彼女の手は最初の枝を掴んでいた。身体を引き寄せ、より高い場所へと足を――かけようとして滑った。不意に重力に引かれた身体はバランスを失い、唯一の支えだった枝にかかった指が外れる。
「むぎゅっ」
大した高さでなかったことと、とっさに身を出した彼が下敷きになったお陰で、大した怪我もなく着地を果たす。
「あたた……ごめーん」
「お、重い」
「あ、女の子に重いとか言うの禁止っ」
「女の子とか思ってんだったら不意打ちで木登りなんかすんなっ!」
「だって、このままじゃ帰れないじゃない」
「だからってな……ああっ、もういい。わかった。オレが登る」
言うなり枝に飛びつき、反動を利用して身体を持ち上げる。
「わっ、身軽だ」
「いいな、大人しく待ってろよ」
憎々しげに吐き捨てて、大地は自然児よろしくすいすいと登っていく。一つ年上でありながら久里寿と大差ない身長の彼は、見た目通りの身軽さを発揮していた。
「ねえ!」
下から呼び掛ける。
「何だー?」
「凄いねえ!」
「何がー?」
「魔法だけじゃなくて、木登りもできるなんてさー!」
「どっちも役に立たねー!」
否定的な台詞を返してはいたが、誉められて悪い気はしていないのか、声には棘が感じられない。
やがて、何とか方向を確認した大地によって、二人はようやく見知った山道へと復帰を果たす。キノコは何とか、夕飯のメニューに間に合うことができた。
「くそ、オメーのせいで髪も服も汚れるし、散々だったぜ」
などと夕飯の席で文句を口にする彼だったが、その口元には笑顔が浮かんでいた。




