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第2話 魔法とは、あることを認めること

 久里寿が魔道都市に足を踏み入れてから、すでに三日という時間が経過していた。その間にあったことと言えば、新居の整理と各施設の説明や把握、そして昨日行われたささやかな歓迎会くらいのものである。

 もちろん、魔道都市に入ったからと言って、いきなり魔法に覚醒したなどという珍現象は起きていない。彼女は彼女、ポーズを決めても変身はできないし、超能力やチャクラや念能力に目覚めることもなかった。ちなみに時折左腕が疼いたり、額にあると思っている第三の目が開きそうだと感じるのは彼女の気のせいであり、今になって始まったことでもない。

 いや、そもそも自前でそのような能力に目覚めることができるのなら、わざわざこのような場所へ足を運ぶ必要はないだろう。そんな自分を具現化するために、審査をくぐり抜けて遠路はるばるやってきたのである。

「では本日より、魔道の授業を開始いたします」

「はい先生」

 開始するや否や、久里寿が勢いよく手を挙げる。

「個人授業なんですから、わざわざ手を挙げなくてもいいですよ?」

「いつ頃魔法が使えるようになりますかっ?」

 キラキラした眼差しに中年一歩手前の講師――保紫進平ほししんぺいは曖昧な笑みを浮かべて答えに窮した。

「あー、えっと……それはちょっと、今すぐ答えられる質問ではありませんね。授業をちゃんと受けて、基礎的な土台を作ってから間もなくとしか言えません」

「じゃあじゃあ、使える魔法って選べますかっ? 私、できるだけ派手なヤツが使ってみたいですっ!」

「派手なヤツって、どんなのです?」

「そうですねぇ、やっぱり世界を火の七日間に突入させるくらいの魔法を、こうドカーンと――」

「却下します」

「えーーーーーっ!」

 抗議の声を張り上げながら、勢い良く立ち上がる。ちなみに今の彼女、研究生用に用意されている制服である白いワンピースを着込んでおり、頭の左側で跳ねている大きな藍色のリボンと相まってなかなかに可愛らしい。見た目的には、少々痛々しい天使っぽく思えなくもない。

「そもそもそんな危ない魔法、仮に使えたとしても禁止されるに決まっているじゃないですか」

「いやいや先生、それを使わないと世界を救えない苦渋の選択があってですね、止む無くこう、嬉々として使うワケですよ」

 嬉々として使うな。

「全く、君は何と戦うつもりですか……」

 授業初日にして、講師は額を押さえて頭を振る。

「仕方ないんですっ。そういう運命なんですっ」

「……いやなるほど、君がここへ来るべくして来たことはよーくわかりました」

 困惑顔から一転、唖然と何やら意表をつかれたような顔を見せた講師は、少しだけ微笑を浮かべて納得した。

「それで、使えるんですか?」

「まぁ、基本的には君次第ということになるでしょうが、今のところ君が言うところの派手な魔法を使うことができたのは、かの『唯一の魔女』くらいでしょうね。その彼女でも、世界を焼き尽くすような魔法が使えたとは思えませんが」

 唯一の魔女――真白天音の存在は、たかだか十数年前に実在した人物であるにもかかわらず、すでに伝説と化している。破天荒な事実から荒唐無稽の噂まで話題に事欠かない人物でもあったため、実際にどんな人物でどのような力を有していたのか、その実情を知る者は意外なほど少ない。

「唯一の魔女ですか。とりあえず当面の目標ですねっ」

「……ひょっとして、そのリボンは彼女を意識してのものですか?」

 サイドテールに大きなリボンというのは、数多くの顔を持つ唯一の魔女には珍しい共通認識の一つである。ちなみに魔女のサイドテールは頭の右側、久里寿は左側である。

「うーん、まぁそういう意味もこみこみです」

 一瞬、笑顔に翳りが浮かぶものの、それをすぐに引っ込めて表情を改める。魔道都市には、誰もが希望すれば来られるというものではない。それなりの覚悟や、あるいはそれまでの環境に対する嫌悪や逃避といった感情が横たわっていることも珍しくはない。

「……君は、魔法が何で成り立っているのか、わかりますか?」

 彼は、この魔道都市の実情を知っている。知っているからこそ、聞かずにはいられなかった。

「何でって……えーとその、体内にある魔力的な何かじゃないんですか?」

 魔法袋とかが身体の中心にでもあるようなイメージである。

「藍河さん、魔法というのはね、それがあると信じる心に宿るものなんですよ。観念的な話ではありません。理屈として、その存在に疑いを持ったものには使えない代物なのです」

「それなら大丈夫です。信じることになら自信があります」

 ドンとない胸を叩き、鼻息荒く宣言する。

「口先でそう主張するのとは違います。心の底から、あるいは頭の芯からそう思えなければなりません。それは表面上で取り繕えるものではなく、無意識的な拒絶や懐疑ですら阻害の要因となります。君は、魔法を、信じられますか?」

「はい、信じます」

 もしも彼女が、タクシーを用いてここへ入っていたとしたら、どこかに迷いを宿していたかもしれない。しかし今の彼女は、あの炎を目の当たりにした彼女は、この世に魔法という存在が確かに在るということを確信していた。少なくともその瞳には、一片の揺らぎすら見付けることができない。

「良いでしょう。それではその思いを確固たるものにするためにも、魔法とは何であるのかという外堀を少しずつ埋めていくことにしましょう。そのための授業です。わかりますね?」

「はい、先生」

 保紫の言葉に満面の笑顔で応ずる久里寿は、どこまでも真っ直ぐに何かを――眼前にあるホワイトボードとは違う何かを見ているようだった。

 それを未来と呼ぶか明後日と呼ぶかは、各自の自由である。


 聖痕という言葉をご存知だろうか。

 現代の魔法とは、それに近い代物である。

 聖痕というのは、主にキリスト教における奇跡の一つであり、高い信仰心――より正確には盲目的な信仰心に起因して裂傷が自然発生するという不思議現象である。キリストと同じ部位に傷が生ずることから、その状態そのものが一つの徳と扱われることもあり、より神に近付いた証にも見られるのかもしれない。

 ただ、これを一種のパフォーマンスとして自傷するケースもあり、自ら付けた傷であることを忘れることにより自然発生したと思い込む例も少なくない。それ故に、近くはあるが同一の現象であるとは言いがたいのである。

 現代の解釈において、魔法というのは極めて強固な自己催眠によって支えられているというのが通例である。存在を疑わず、在ると強く信じる、あるいは信じられる人間にだけ、魔法という現象は応じるのだ。そのため現状で魔法の使える人物は、盲目的に信じ込むために最も適していると思われる十代の前半から中盤程度の少年少女たちのみとなっている。

むろん、そのメカニズムも含め、まだまだ多くのブラックボックスを抱えているというのが実情だ。

「まぁ難しい理屈や理論的解釈はおいおい憶えていただくとして、まずは実際に見てもらうことから始めた方が良いでしょうね」

 百聞は一見に如かずという言葉があるように、やはり実際に目の当たりにした経験というのは大きな影響を与えるものである。

「とはいえ、藍河さんは初日に真白くんの魔法をすでに見ているんでしたっけ」

「はいっ、凄かったです!」

 拳を握り、興奮気味に言い放つ。彼女に植え付けられた記憶は、時と共に色褪せるどころか、ますますヒートアップして書き換えられているかのような勢いのようだ。発生した炎の大きさが五割り増し(当社比)となっているのは、今更言うまでもないだろう。

「まぁ彼の魔法はメンバーの中でもとりわけ鮮やかでしょうから、見本にするには丁度良いでしょうね。ただ、現実的な話として、あの域に到達しているのは彼だけなのです。他の方達はこう、もう少し慎ましやかな魔法を身に付けています」

「つつまし?」

 今一つイメージに繋がらないのか、小首を傾げて繰り返す。

「貴女流に言えば、派手さに欠けると言うべきでしょうか。藍河さん自身の具体的な目標を定めるためにも、魔法の現実というものを見てもらったほうが良いでしょうね」

 授業二日目にして、見学ツアーへ移行となった。

 ちなみに初日である昨日は、魔法に関する基礎知識の講義がメインであった。興味のある話なので、それなりに意識が傾きはしたものの、やはり聞くだけの授業は退屈なのか、後半は目蓋が半分ほど落ちている状態となっている。ちなみに第三の目は生まれた時からずっと眠っているという設定である。

 とにかくいずれにしても、魔法使いへの道程は望むところながらも、やはり机にかじりついての授業が苦手な彼女としては、どんな形であるにしても課外授業になるのは嬉しい限りであるようだ。遠足に行くワケでもないというのに、見ている彼が浮き足立ってしまうほど歩みが軽い。

「ずいぶんご機嫌ですね?」

「そりゃそうですよ。退く……魔法を見るの、すっごい楽しみなんですから」

 退屈な授業よりはマシだ、ということらしい。

「まぁ、理論より実践が楽しいと思うのは、皆そうですよ」

 くすくすと笑いながら、穏やかな眼差しで保紫は言い放つ。教室でジッとしているのが性に合わないことなど、出会って五分も経たずにわかっていたことだ。今更咎める意味もない。

「それで先生、どんな魔法が見られるんですか?」

「今日は三人が実習を行っているらしいから、順番に回っていこうと思っています。まずはアカくんの所へ行きましょうか」

「アカくん?」

「あぁ、本名は紅藤火山くどうかざんというらしいんですが、皆からアカくんと呼ばれているようで、私もついそう呼んでしまっています。偏執的に赤いものにこだわる以外は、比較的普通の子ですよ」

 その時点でもう普通ではない。

「……ふむ、なるほど。名前といい赤に対するこだわりといい、きっとリーダーっぽい人なんですねっ」

 しかし久里寿は納得したようだ。

「赤いものが好きだとリーダーなんですか?」

「いや、好きとか嫌いとかじゃなくてですね、自分の色というか個性というかが赤いというか……まぁとにかく赤いとリーダーなんです。電気の紐にシャドウボクシングするくらい常識です」

「いや、意味がわからないんですけど」

 保紫は心底意味がわからないとばかりに、思い切り寄せた眉根を彼女へと向けた。どうやら彼は、電気の紐に必殺技を試すというような幼少時代を過ごしてこなかったらしい。

 珍しい人間もいたものである。

「とりあえず、彼は魔法使いの中で年長者でもありますし、キャリアも真白くんに次いで長いですから、リーダーと呼ばれることに特別な違和感はないでしょうけどね」

「……先生ってさ」

「何です?」

「空気読めないって言われたことない?」

「いいえ?」

 どうやら周りの人間が空気を読んでくれているようである。いずれにしても、魔道都市にまともな精神状態で勤務している人間である。どこかしら他人と違っていない方が、むしろ違和感を受けるべきなのかもしれない。

「さぁ、ここですよ」

 すでに話は通してあるのか、ノックをして返事を待つことなく扉を開ける。そこは殺風景ではあるが、パイプ製のラックに雑貨が並んでいる程度の、こじんまりとした物置のような場所だった。強いて気になる部分を挙げるとするなら、壁や床のあちこちに煤でできたような黒い染みがあることくらいだろう。

「おう、良くきたな、新人!」

 真っ赤なツナギを纏った赤毛の男が、狭い部屋には不釣合いな大声で出迎える。ある程度彼の人となりを知っていなかったなら、もう少し驚いていたことだろう。しかし先程の先生の話を聞いて、彼女はアカと呼ばれる人物が初日にエントランスで会ったあの人だろうと予想していた。否、確信していたと言うべきかも知れない。

「あーなるほど、こりゃリーダーだわ……」

 久里寿は彼の容姿と態度を見て、改めてそう呟く。

「何か言ったか?」

「いえ、頼りになりそうな先輩だなぁと思っただけです」

「お、そうなのか?」

 意外と世渡り上手な久里寿である。

「そうか、すでに歓迎会をしていたから、顔は知っているんでしたね。藍河さん、紅藤くんは発火の魔法の使い手でね、壁や床に見える煤による汚れは、全てその結果です」

「へぇ」

 真白の魔法に感嘆の溜め息を漏らした久里寿だったが、あれは本物の炎ではなく幻術である。現実、あるいは物質に対して直接の効果を及ぼす魔法というのは、これが初見であった。

「じゃあやるぞ。メンタマかっぽじってよーく見ててくれ」

 リーダーは失明しろと言っているらしい。

 もちろん、保紫も久里寿も眼球に指を突き入れることはなかった。

 静かな注目を感じ、紅藤火山はいつものようにと意識をしながら、無骨なダンボール箱に収められていた黒い塊――あらかじめ黒く染められた真綿の塊を取り出した。大きさは親指の先ほどだろうか、それを右の手の平に載せて、位置を確かめるように持ち上げていく。

 見た目よりも緊張に弱いのか、指先がピクピクと細かく震えていた。ふとその表情を盗み見ると、真剣というより切迫しているかのような素振りにも映る。

「……じゃあ、いくぞ」

 空気すら動きが硬くなったような雰囲気をこしらえながら、火山の眼差しは右手に乗った黒い塊へと一心に注がれる。その様子を、伝播した緊張に生唾を呑み込んだ二人が、口を真一文字に閉じたまま注視していた。

 音もなく、風も動かず、光すら留まったまま離れないのではないかと思われた矢先、黒い塊に小さな朱色の点が浮かんでくる。それは少しずつ大きくなり、やがて五ミリほどの大きさに成長した瞬間、緊張からくる震えによってコロリと転がった。

「うわちちちちちっ!」

 右手をバタバタと振り、黒い綿毛を払い落とす。しかしその表面に浮かんだ赤い染みは消えず、床に落ちてからもチリチリと黒い部分を侵食していった。火山は慌ててそれを踏み付け、ぐりぐりと消火活動を開始する。

 その様を、二人は呆然と見ていた。

「……以上だ」

 リーダー(笑)が強引に締めくくる。

「えーと……」

「言うな新人。失敗とはどんな達人にも付き物なのだ。失敗を笑うものは、いずれ失敗に泣くことになるだろう」

 良いことを言ったつもりなのか、ちょっと誇らしげである。

「……とりあえず次に行きますか」

「うむ、それが良いな。オレは今、とても一人で集中したい気分だ」

 そして自己嫌悪に陥るんですね、わかります。

 追い出されるようにそそくさと退室した後、うがあああという獣の雄叫びのような声が、背後から聞こえたり聞こえなかったりしたらしいが、二人は気づかないフリをしてあげることにした。

 大人な対応が出来る久里寿は、こう見えて十四歳である。


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