第15話 スッキリしたい人のためのエピローグ
何が起きているのか、もう大体わかったよという方はスルーしていただいてかまいません。
そうでない方は、できるだけスッキリしていただければ幸いです。
エージェント『真白天音』はすでに死亡している。これは公式な記録として残っていることであり、事実でもある。確かに彼女の肉体は失われ、人間としての真白天音はどこにも存在しない。
何分にも初めての試みであるため、彼女の記憶や意識を蓄積したナノロボットの集合体と最新型の義体のリンクは、かなりの時間を要求した。彼女の生まれ故郷――二十五世紀間近の二三九六年に戻ってきてから、すでに三日が経過している。
しかし、いかに冬が長くとも春は必ず訪れる。彼女の長い旅にも、終わりの時が近付いていた。楽しいだけの旅ではなかったし、功績や実績を積み重ねることも出来なかったが、今となっては人生に彩を与える思い出の一つだ。それなりの充足感に浸れてはいる。
最終チェックを終了し、起動のサインが示されるなり、彼女は固く閉じられた目蓋を持ち上げた。同時に解除されたストッパーが全て外されていく様を各部の触覚を用いて確認し、人工筋肉と有機モーターを動かして憑依体を棺桶染みた入れ物から脱出させる。
「やれやれ、やっと出られた」
腕を持ち上げ右手を握り、そして開く。視覚や聴覚が少し遠く、まるで夢の中にでもいるかのような感覚はあったものの、ナノロボットを集めて肉体を構築した時に比べれば遥かに人間の肉体に近い印象だった。精神や意識の安定感も完全に勝っている。つい先日まで十年以上もナノの集合体に意識を固定していた、人間よりも幽霊に近い存在であった彼女にとって、この安定感は安堵を与えてくれると同時に窮屈でもある。元々意識一つでナノロボットを操作する特殊なエージェント、光を纏う者と呼ばれた彼女ですらこうなのだから、普通の人間ならまさしく生まれ変わったに等しい感覚と言えるだろう。
「お目覚めですか、姫様」
声に応じて振り向くと、入り口付近の壁にもたれる一人の男性が視界に入った。生真面目な彼らしくもない軽口が、その心情を表している。
「えぇ、たっぷりと休ませてもらったわ」
「気分はどうです? どこか調子の悪いところはありますか?」
「今のところは平気そうね。こういうの初めてだし、もうしばらく様子を見ないとわからないでしょうけど」
「全人類で初めての試みです。何かあれば遠慮なく言って下さい」
「ありがと、シンちゃん」
「もういい歳なんですから、さすがに『シンちゃん』はやめて下さいよ」
照れ臭そうに頭を掻きながら、三十路も半ばに突入しようとしている保紫進平が弱々しく抗議する。そんな様子を、彼女は昔と何一つ変わらないニヤニヤ顔で眺めていた。
「別にいいじゃないの。何年経とうと、私とシンちゃんが幼馴染みなことに変わりはないでしょ。それとも、もう昔とは違うんだーとか、言っちゃったりするワケ?」
「いや、そんなことは……」
「なら、今の私達に相応しい挨拶があると思わない?」
腰に手を当てて胸を張り、彼女はその言葉を待つ。対する保紫は困ったように眉根を寄せ、若干俯いてしばらく悩んでから、仕方ないとばかりの溜め息を吐いた後、口を開いた。
「……お帰り、アマ姉」
「ただいま、シンちゃん」
この瞬間、二十年近くにも及んだ一つの事件は、ひっそりと幕を下ろしたのである。
そもそもの発端は、彼女の過失によるとされている。
しかし実際には、当時成功を収めつつあった彼女に対する嫉妬や憎しみといったものに起因する策謀が絡んでいたことは、非公式ながら認められている。そして皮肉にも、そういった策謀に加担した者達のほとんどは、彼女が居なくなったことによって生じた余波や彼女によって引き起こされた事件の顛末に翻弄され、当時の職を追われている。因果応報とはいえ、その見事過ぎる結末に『魔女の呪い』だと揶揄されたものである。
彼女の家系がこの地、時間管理局と時間観光局のある『羽咋』に暮らしているのは、上記の二つが設置される以前からのことである。もしも彼女が、二十光年とも三十光年とも言われている人類の先端地で生を受けていたなら、空間的な開拓者に名乗りを上げていたことは疑いようがない。彼女が人類の中心地である地球に生まれていたことが、時間的な開拓者を目指した一番の理由だった。
基礎教育が二十五年から三十年を費やすことが当然となりつつある二十四世紀において、彼女は高等義務教育を終えた直後からエージェントへの道を選択していた。かつての高校を飛び級によって十五歳で卒業した彼女は、すでに技術者や研究者として相応の地位にあった両親のコネもあり、時間管理局への採用を獲得する。そして両親が止めるのも聞かずに、実体のまま時間を行き来するエージェントへと名乗りを上げることになる。
この当時、時間旅行というのが道楽者のレジャーとして定着しつつあった。とはいえ、時間旅行などと謳ってはいるが、実際には感覚器官をリンクさせたアンドロイドや小型端末などを目的の時代に飛ばすだけのもので、その大半が上空から地上を眺めるだけの代物である。実の所はバーチャルリアリティによる疑似体験と大差はない。実際、時間旅行を売りにしながらバーチャル映像を見せるだけの悪質な業者が後を絶たないほどだ。それでも、時間旅行には太陽系から脱する程度の料金が必要になることもあり、金持ち連中にとっては自慢出来るプランとして、それなりの人気を博している。
一方、生身の人間がそのまま過去や未来へダイブすることは滅多にない。あるとしても何かしらの工作――例えば過干渉の原則に反するような出来事を修正するなどの理由により、最低限の人数が、もちろん専用の訓練を経た上で送られる程度だ。基本的に確定した歴史には自己回復力があり、それが大きくブレることはない。というより、それが大きく揺るがされた時に起きる現象というのは、現在進行形で研究されているテーマの一つである。
そんな時代背景に彼女、真白天音の事件が起きたのである。
エージェントのほとんどは、自らもナノロボットを制御する力を武装として利用したが、それ以外に『番犬』と呼ばれる不定形のバイオロイドを使役させていた。これは観光用の飛行物体にも常備されており、システム的な下地はほぼ完成された物だ。しかしその日、調子が悪いと時間管理局の施設に預けられていた真白天音所有の番犬が、突然暴走したのである。
研究員三名を殺害、五名に重傷を負わせた番犬は施設からの逃亡を果たし、隣接していた観光局の建物へと逃げ込んだ。その先で二名の職員を殺害、十名の職員に重軽傷を負わせた後、すでに時間移動のスタンバイ状態に入っていた観光船へと入り込んだのである。後になってこの番犬が、ナノロボット用に作られたウィルスに感染していたことが判明し、観光船に常備されていた四体の番犬も感染していることが発覚する。番犬達は行き着いた先、西暦2028年の羽咋に降り立ち、以降の消息は途切れてしまう。この事態に管理局はウィルス対策を施した三体の番犬を送り込むものの、一体が返り討ちにあって消滅、残る二体は感染してしまい悪化させる結果となってしまった。
過去への過干渉を恐れた管理局はエージェントに依頼することになるワケだが、あまりにも厄介な事案であるためにほとんどのエージェントは首を縦に振らなかった。そんな中、自らの番犬が発端となったばかりか、その事件によって両親を犠牲にしてしまった真白天音が、名乗りを上げる。謹慎中であり、失意の只中にもあった彼女の精神面を危惧する者も少なくはなかったが、これまでの鮮やかな実績が評価されて同時代へと派遣されることが決まった。
こうして唯一の魔女は、その姿を二十一世紀へと現したのである。
「あの頃はもう、今思い出してもドキドキするほど大騒ぎでしたね。過干渉から世界が滅ぶなんていう終末論まで噂になるくらいでしたから」
住宅街の一角を歩きながら、保紫は呆れたように言い放つ。見た目には教師と生徒、あるいは青年実業家と援助交際でもしている女子高生的な二人ではあるが、生きてきた年数では彼女の方が年上である。
「何言ってんの。私を放置したのは管理局の方でしょ」
「まぁ、結果から見ればそうなんですけど……」
同時代に送り込まれた後、ある意味番犬以上に暴れまくった彼女に対して、管理局サイドからも危惧する声が上がったのは言うまでもない。まして、番犬全てを退治するまではともかくとして、現地人に捕獲されるという醜態まで晒してしまったのである。今度は彼女を抹殺するためにエージェントを送るべきという意見も、当然ながらあった。しかし結局、この提案は見送られることになる。
それは単純な利害関係や効率的な理屈による産物というより、社会や風潮に左右される一種のイメージ戦略に近いところに起因するものではあったが、いずれにしても彼女の番犬の暴走を引き起こしたウィルスが、管理局職員の人為的な悪意によってもたらされたという事実は少なからず影響している。
最終的に管理局の選択した結論は、同時代以降への不干渉というものだった。彼女の出現と顛末は怪奇現象の一つとして片付けられ、現代に及ぼす影響は皆無に等しいというのがその理由だ。
「というか、よく連中がシンちゃんの派遣を許したわね。抹殺することすら躊躇ってたってのにさ」
「もちろん、アマ姉を助ける為だなんて理由で志願してないですよ。より現代に影響の少ない形で修正するという妙案を提示したまでのことです」
「妙案?」
「別に難しいことじゃありませんよ。元々管理局の飛行物体はUFOに見間違われることを前提としている形じゃないですか。この羽咋だって、かつては『UFOの町』なんて呼ばれていた頃もあったらしいですし」
「なるほどね。それを増長したってワケだ」
「そういうことです」
笑顔が交錯し、それと同時に二人は足を止める。
目的地――真白天音の実家へと到着したからだ。赤い屋根の小さな一戸建てではあったが、親子三人と旧式のメイドロイドが暮らすには十分な大きさだった。既に両親の居ない今の彼女にとっては、むしろ広過ぎると思えるほどだ。
「ねぇ、ちょっと寄っていかない? お茶くらいなら出せると思うし」
「……いや、やめておきます」
少しだけ考えてから、保紫は誘いを断る。
「まだ仕事が残ってますし、それに――」
言いかけて、不自然に言葉を止める。
「それに?」
「あ、いえ、とりあえず僕はもう戻ります。アマ姉はゆっくり身体を休めて下さい。人間としての記憶を完全に移植したアンドロイドなんて、それだけで仕事が入ってくることは間違いありません。忙しくなりますよ?」
「そうね。覚悟はしておく」
「すでに新東大の研究機関から招待状が届いています」
その報告に彼女は、間違って梅干の種まで噛んでしまったような顔をする。
「モルモットはちょっと勘弁してもらいたいかな」
「まぁ、しばらくは仕方ないと諦めて下さい。管理局も、失墜したイメージを回復するためになりふり構っていられない状況ですからね」
「はいはい」
おざなりな返事を口にしながらも、笑顔は崩れない。
「じゃあ、これで。今日は送ってくれてありがと」
「いえいえ、アマ姉の為ならこれくらい、お安い御用ですよ」
大袈裟に恭しく頭を下げ、保紫は元来た道を帰っていく。その足取りは昔見た、生真面目で垢抜けない学生時分と何も変わってはいなかった。
「さてと」
毅然とした背中を見送った彼女は、懐かしさより虚しさの漂う我が家へと向き直り、その玄関へと歩き始めた。ここにはもう、語彙の少ないアンドロイドが彼女を待っているだけだ。この家を空けて二十年は経過しているという割には、外装も庭先も小奇麗に整備されてはいるものの、そこに血の通った生活感は窺えない。両親と彼女が一緒に暮らしていた頃は、片付け切れていない小道具――例えば愛用のジョウロなどがそこかしこに散乱していたものだ。
彼女はドアの取っ手に触れ、鍵がかけられていないことを確認しつつ静かに引いた。次いで足を踏み入れると、薄暗い、しかし記憶の彼方にある懐かしい光景と重なる階段や廊下が、彼女の視界に飛び込んでくる。父母がまだ生きていた頃、この家を所狭しと走り回っていた自らの姿を思い出し、そんな彼女を叱咤する母の声が聞こえてくるような気がした。
もちろん、その声が聞かれることは、もうない。
「おかえりなさいませ」
ドアを閉める彼女の背中に、聞き慣れた無機質な声が届く。
「……ただい――」
反射的に挨拶を返そうと振り返った彼女は、台所から顔を覗かせた人物を見て言葉を止める。いや、思考すらも完全な停止状態に陥った。一人、いや一体のハズの出迎えが二人居る、それだけでも驚くには十分だったが、台所から玄関へと歩いてくるその姿は、彼女にとってあまりにも衝撃的過ぎて、感情の選択すらままならない状況だった。
「おかえり、天音」
「ただ……いま、まこ――」
驚きと喜びと少しばかりの怒りが混ざり合い、彼女の顔を歪ませる。涙という機関を持たないアンドロイドであるハズなのに、彼女の感情や意識の根源とも言えるナノロボットが、熱く透明な雫を演出した。
「誠ぉっ!」
靴を履いたまま飛びつき、玄関で折り重なる。咄嗟に受け止めたものの、さすがにその勢いの全て、更に言えば彼女の抱える想いの全てを受け切るには至らず、バランスを崩してしまったことを責めるのは酷というものだろう。
「いたたた……」
後頭部を擦りながら男――蒼田誠は彼女を貼り付けたまま上半身を起こす。
「どうして? 何で誠がここに居るの? いつ未来に来たの?」
「俺がこっちで暮らすようになったのは、今から五年くらい前の話だよ。向こうで黒山の手先に命を狙われていたところを、保紫君という人に助けられてね。以降の手配はよくわからなかったんだけど、こうして不自由なく過ごさせてもらってる」
「……アイツめ、あえて隠してやがったな」
保紫の粋な計らいを、小さな舌打ちと共に罵る。
「とにかく、会えて良かった」
安堵の笑顔を浮かべた蒼田は、一度は諦めた恋人の肢体をしっかりと抱き締める。彼女と決別して約十年、その死を聞いた時は絶望から自ら人生を閉じることすら考えた彼にとって、今のこの状況は奇跡以外の何ものでもなかった。
「にしても――」
苦しそうに顔を持ち上げ、彼女はニヤリと笑う。
「ずいぶんと渋いオジサマになったのね。まぁ四十を越えた割には若く見えるけどさ」
「ほざけ魔女め」
「あはははは、まぁあんなに可愛い姪っ子がちゃんとした女の子になるくらいだもん。名実共にオジサンじゃ、言い訳のしようもないよねぇ」
「……会ったのか、久里寿に」
穏やかに微笑む彼に魔女は小さく、しかし明確に頷く。
「そっか」
「ホント、私に似てて良い子だったわぁ。性格もお茶目だったし、リボンもよく似合ってたしね」
「……まだしてたのか、リボン」
それは彼からのプレゼントだった。いつか自分が話したような魔女みたいになれるかもという、無責任な言葉を添えて。
「だからさ、安心して預けてきた」
「預けた?」
「大事な息子をね」
「そうか」
頷いて、視線を絡ませる。どちらからともなく顔を寄せていき、気付けば二人の唇は軽く触れ合っていた。それがお互いにとって、再会を祝福する最上の言葉だった。
かつても今もこれからも、彼にとっての彼女は魔女ではなく、一人の女性である。
今の彼女には、それが何より心地良かった。
これで完結となります。
長々とお付き合いいただき、本当にありがとうございました。