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第13話 守護者

「やったぁー!」

 トイレの窓から歓声が上がる。

「とと、わわわぁっ!」

 その勢いが強過ぎたのか、乗り出した上半身がバランスを失い、久里寿は無様な前転をするようにして中庭へと転がり落ちた。制服(白ワンピ)を着ていたので下着が丸見えだったりしたのだが、この場面でそこに注目する者は居なかった。

 当然と言えばあまりに当然のことだ。

 全員の眼差しは、例外なく奇跡の体現者へと注がれているのだから。

「そんな……あり得ない!」

 蹴り飛ばされた右手を押さえ、桃香は愕然とした表情で誠治を見上げる。あまりの衝撃に緊張が抜けてしまったのか、しゃがみ込んだ彼女から先程までのような覇気は感じられなかった。

「現実だよ、これが」

 一歩詰め寄り、誠治は静かに告げる。その言葉には、すでに自信が戻っていた。

「どうして……一体どうやって使ったの! システムは全て私の管理下にあるっていうのに!」

「モモのはどうだか知らないけど、僕のコレは魔法なんだ。使えて当然だよ」

「嘘よっ!」

 彼女は信じない。いや、信じたくなかった。

「嘘じゃない。僕は唯一の魔女の子供……魔法使いなんだ」

 右の拳を握り、その事実を自分に刷り込んでいく。彼もまた揺れている。そうやって自分に言い聞かせなければ、つい疑ってしまいそうになるのだ。いや、もし彼一人だけならば、そんな疑いも受け入れていたかもしれない。肩の重荷が一つ下りて、むしろ楽になっていたかもしれない。

 誠治は少しだけ視線を巡らせ、薄闇で自分の尻を擦っている少女を見る。今の彼を、魔法使いとしての真白誠治を支えているのは、間違いなく彼女の言葉と、その存在があるからこそのものだ。彼女の前でだけは魔法使いでありたかったし、あらねばならなかった。

「もう拳銃はない。形勢は逆転だよ」

「ふふ……ふふふふ」

 俯き、肩の落ちた桃香の口から、地の底から漏れ出てくるような笑い声が響く。それはもう気味が悪いというより、狂気を声に変換したかのような、恐怖を実感させられる声だった。

「な、何で笑うんだよ?」

「だって、当たり前じゃない。形勢逆転? ホントにアンタって子供なのね。確かに少しビックリはしたけど、アンタに魔法が使えたところで何も変わりはしない。せいぜい、実験動物としての価値が上がったってだけのことよ」

「何言ってんだよ。今の僕には魔法だってある。銃を失ったモモに捕まったりするもんか」

「そう、それなら――」

 しゃがんだ姿勢のまま顔を横に向け、その視線を同行してきた自衛官へと向ける。

「そこの貴方、あのトイレから出てきた女を持ってる銃で撃ちなさい」

「おい、何言ってんだ!」

 突然の過激な発言に、誠治の語気が荒くなる。

「別に殺せと言ってるんじゃないわ。少し痛い思いをすれば、ピーチクうるさい小鳥も静かになるでしょ。もちろん、その小鳥を守りたいと思っているアンタもね」

「モモ、お前……」

「さぁどうしたの? さっさと撃ちなさい!」

 やや気乗りしないという表情ながら、自衛官は抱えていた軍用小銃を持ち上げて狙いを定める。

「ひっ……」

 対する久里寿は、いきなりの展開に逃げるどころか立ち上がることも出来ず、顔の前を腕で覆うのがやっとだ。だが無防備に近い彼女に、銃弾の洗礼が訪れることはない。銃口こそ彼女に向けられてはいたが、トリガーに指をかけてすらいなかった。さすがに無抵抗の相手、それも年端もいかない少女を撃つなど、良識のある人間なら躊躇うのも無理はないだろう。しかも、その指示を出している桃香は、確かに上官の指示によって同行を命じられた相手ではあったが、彼女自身が上官というワケではない。基本的な方針に異を唱えるつもりこそなかったものの、全面的な同意をするつもりはなさそうだった。

「おいやめろっ。クリス、逃げるんだ!」

「撃ちなさいっ。早く!」

 怒声が入り混じる。しかし対象となっている二人の男女は、どちらも動かなかった。より正確に言えば、動けなかった。

「チッ」

 停滞する状況に舌打ちをしたのは、桃香である。

 見たところ久里寿が動けないのは、恐怖によるものか安堵によるものかは不明ながら腰が抜けたからなのは間違いない。彼女の本心としては、逃げたい状況であるハズだ。一方の自衛官は、自らの意志で動くことを明らかに拒絶している。つまり、時間の経過と共に好転するのは久里寿の側である。今ここで自由に魔法を操る誠治を取り逃がすことは、やはり良い選択であるとは言えないだろう。

 視線だけを動かして誠治の様子を確認すると、固まったまま動かない二人に意識が集中している。彼女に対する警戒こそ解かれていないが、隙はあった。

 桃香は肩を捻って振り返るフリをしてから、下半身に渾身の力を込めて立ち上がった。彼女が『逃げること』を警戒していた誠治は、自分の方へ迫ってくるという不意打ちに対処し切れず、慌てて踏ん張る。

 その、攻守においてあまりにも無防備な姿勢を、彼女が見逃すハズはなかった。

「ごぉっ!」

 立ち上がりのバネを利用した桃香の膝蹴りが、誠治の股間にめり込む。痛いとか熱いとか、そういうレベルではない。一瞬で意識が飛ぶような一撃だった。魔法使いかどうかという以前に、彼とて男である。急所が急所であることに変わりはなかった。

「ふん!」

 崩れ落ちる苦悶の表情を鼻で笑い、彼女は素早く踵を返して相方へと走り寄る。その表情はもう、かつての穏やかさどころか、人としての尊厳すら失いつつあった。憎しみと恨みと、そして嫉妬にも似た悔しさが混在し、醜く歪ませている。

「その銃をこっちに寄越しなさいっ」

「こ、これは……駄目です」

 奪うような勢いで伸ばされた手を避けるように、自衛官は軍用小銃を大きく持ち上げる。今の彼女に渡せば何が起こるのかなど、予知能力に頼る必要すらない。

「私の言うことが聞けないの?」

「貴女は自分の上官ではありません」

「そう……」

 肩と共に持ち上げた手を下ろし、顔を俯かせる。

 相手がお菓子をねだる子供であったなら、聞き分けの良さに感心すべきところなのかもしれない。しかし彼女は子供ではなかったし、聞き分けるつもりなど毛頭なかった。

「なら、こっちを頂くわ」

 一瞬の隙を突いて、レッグホルスターから拳銃を抜き取る。

「あ、こら!」

 取り返そうと手を伸ばす自衛官から素早く距離を取り、彼へ向けて銃口を向ける。

「動かないで。邪魔しようって言うなら貴方から撃つわよ?」

「……わかった」

 少し悩んでから、自衛官は手を挙げて抵抗を諦めた。ホルスターから鮮やかに抜き取ったばかりか、狙いをつける一瞬で安全装置を外していたことも要因の一つだが、その眼差しがとても冗談を言っているようには見えなかったためだ。好奇心に端を発する悪戯とはワケが違う。そのことを実感せざるを得なかった。

「わかればいいのよ」

 歪んだ笑みを浮かべ、それでも油断なく自衛官から距離を置いた彼女は、肩から水平に伸びている銃口をゆっくりと怯えた少女へと移動した。

「さてと」

 久里寿が相変わらず動けないことを確認してから、薄ら笑いをうずくまっている少年へと向ける。少しはダメージが回復しているようだが、まだ自由に動けるような状態ではなさそうだ。

「ねぇ誠治君、改めて聞くけど、大人しく捕まってくれない?」

「……わかっ――」

「あぁいいの。イエスでもノーでも、どうせ撃つつもりなんだから」

「な、んだって?」

「言ったでしょ。私はこの子が嫌いなの。魔女に似てるだけでしかない、この女がね」

「やめろ。やめてくれ」

 身体を引きずるようにして少しでも近付こうと試みる。しかし怯えた鼠のように丸くなっている少女との距離は、全く縮むことがなかった。

「そんなに嫌なら守ってごらんなさいよ。ご自慢の『魔法』でさ」

 躊躇なくトリガーが絞られる。

「や、やめろおおぉぉぉぉっ!」

 闇を裂くような銃声が、場の全てを支配した。この一瞬が全てを塗り替えてしまうのではないかという錯覚すら、呼び起こさせる。悲劇が、絶望が、慟哭が、その向こう側で手招きをして待っているような気すらした。

「……痛く、ない?」

 その一瞬から最も早く元の姿を取り戻したのは、意外にも久里寿だった。

 衝撃も激痛もなく、派手な音だけが鳴り響いたという印象しかない。単純に運が良かったのだろうかと思いつつ伏せていた顔を上げると、彼女の目の前に奇妙な物体が浮遊していた。

 いや、物体という言い方が正確かどうかは彼女にはわからなかった。ただそれは、少なくとも彼女の目には五角形をした盾のように見えた。厚みはわからなかったが、彼女が両手で輪を作ったくらいの大きさがある。座り込んでいることもあって、それはほぼ彼女の全身を凶弾より守っているように見えた。

「何、これ?」

 光る盾、そうとしか表現のしようのない物体によって視界を遮られ、その向こう側に居る桃香の様子はわからない。しかし彼女は、何となくではあったものの、視界の端に見える誠治と大差のない表情をしているのだろうと判断した。

 そしてその推測は、ものの見事に当たっている。

 いや、二人ばかりでなく傍観者に退いた自衛官の男ですら、同じ顔をしていた。それは、鮮やかと表現すべき驚愕の表情だった。絶対と信じていた予測が数万分の一という偶然によって覆されでもしたかのような顔だ。

 とはいえ、無理もない。

 彼女の放った銃弾は、突如として現れた光る盾に当たり、その進路を外されたように見えたからだ。壁に新しく出来た弾痕は、座り込んだ久里寿の右側、僅か二十センチ程度の場所に刻まれている。しかしその弾丸は本来、彼女の頭部目掛けて飛んでいたように見えたのだ。

「……外れるとは、運が良いわね」

 明確に見える光の盾を視界に納めても、桃香は現実の記憶を受け入れる気になれない。

「でも、そんな幻で私を惑わそうったって、そうはいかないんだからね」

 そう言って今度は慎重に、頭ではなく身体の中心――というより盾の中心へと狙いを定める。見えている盾が誠治の作った単なる幻術であったなら、久里寿が無事であることなどないハズだった。

 引き金に指をかけたところで一瞬止まり、僅かな躊躇の後に勢い良く絞る。

 今度は二発、立て続けに発砲した。

 そして知る。光の盾は間違いなく、久里寿の身を守っているということを。弾かれた弾丸は、一発が地面に突き刺さり、もう一発が隣の部屋の窓を叩き割る。そのいずれもが、九十度近い方向転換を果たした末の着弾だった。

「びび、びっくりしたぁ」

 桃香の姿が見えなかったことで油断していた久里寿が、妙に呑気な感想を口にする。

「……何が起きたの?」

 この場の誰もが驚いている。しかし、その度合いが最も大きいのは、間違いなく桃香だった。彼女は銃口を未だしゃがみこんでいる誠治へと素早く移動させる。

「何をしたのっ。言いなさい!」

 今の彼女は完全にパニックを起こしている。冷静な状態ですら久里寿の命を顧みないのだから、そのトリガーはあまりにも軽い。もう少し彼女が冷静であったなら、彼の驚愕が彼女と大して変わらないことに気付けただろう。しかし残念なことに、困惑から咄嗟の返答が出来ない誠治の態度を、意思疎通の拒絶と受け取った。

「言えよ、この!」

 火薬の破裂音、そしてすぐさま響く金属音、光の流動と収束は次第に形を整え、この場で何が起きているのかという疑問に対する回答を提示していく。

「良く頑張ったね、誠治」

 左手に持った光の盾で彼をかばいつつ、右手に持つ光の槍を桃香へと向けながら、金色に輝く女性が言い放つ。

 声に応じて誠治は顔を上げ、そして息を呑む。

 母が、勝気に微笑む唯一の魔女が、そこに居た。


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