蝶の羽ばたき(二)
冀の兵舎にて新たに配下に組み入れた涼州義従を併せて調練を行っていた馬超の元に、朝廷からの急使の到来を報せる伝令が駆け込んできた。
「令君!隴より危急の報せあり!朝廷の勅使を伴っておりまして…府庁にて至急応対されたしとの事!」
「朝廷の勅使…?どなたがいらっしゃっておられるのか」
「はっ!侍中賈文和様、議郎董公仁様のお二方だそうです!」
「賈文和殿が…そうか、すぐに参上するとお伝えしろ」
賈詡が訪れてくれたのは良いが、侍中になっており朝廷の勅使として来るのは予想の外だった。
史実であれば確か李傕らに見切りをつけて張繡の元に行っていた頃だと思ったが、己の行動が歴史に影響を及ぼしてしまっているのだろうとそこは納得する。
それに一緒に来たという議郎の董公仁とは誰だろうか。
議郎ということはそれなりの官だが、彼の記憶も字までを網羅している訳ではないので史書に名前の残っている人間かどうか判断がつかなかった。
用向きにしても、ただ官位を与え印綬を送って来ただけにしては使者の肩書が大仰に過ぎる。
おそらく余程の重大事なのだろうと気を引き締めて使者を迎える準備に向かった。
◇
およそ半刻の後、冠服を身に着け身なりを整えた馬超は府庁の広間にて賈詡らと面会した。
「安狄将軍馬騰が嫡子、冀県令、臣馬超。天子より勅使をお迎えし光栄の限り。将軍は金城にて奸賊の征討を行っておりますれば臣が代わってお受けいたします。此度はどのような勅が下されましたでしょうか」
漢官の礼に則り跪く馬超に対し、府庁で待ち構えていた賈詡と董昭は詔勅が記された竹簡を広げる。
「侍中賈詡並びに議郎董昭、天子の詔を代わって拝読いたす。謹んで傾聴せよ」
(董昭…袁紹から曹操の参謀に転じた奴だったか。確か魏の建国に尽力した重鎮だったはずだが)
賈詡の発した言葉で董昭の諱を知り、馬超はようやくその正体に気付いた。
続けて董昭が朗々と詔勅を読み上げる。
「詔に曰く、近ごろ天下は乱れ、戦火が相次ぎ、百姓は塗炭の苦しみにある。奸臣たる李傕・郭汜らは権勢をほしいままにし、百官を離間し、宮中を脅かした。朕は雒陽へ東帰して四方を安んじようとしたが、道はふさがれ軍勢が行き交い、ついに果たすことができなかった。ゆえに今、隴へ行幸し、社稷を守ろうとする。安狄将軍馬騰に命ず。関中の兵馬を総べ、朕の行在を護衛し、士庶を撫育し、義士を糾合して、李傕・郭汜らの姦逆を討ち払い、朝廷を清め、三輔を安定させよ。この旨を天下に布告し、広く知らしめるものとする。もし詔命に背く者あらば、軍法により処断せよ」
(天子は洛陽への帰還に失敗したのか?だいぶ歴史が変わるな、これは。俺の行動が原因なんだろうが…蝶の羽ばたき効果ってやつか。詔である以上受けざるを得ないが…今の状況で李傕・郭汜らに勝てるだろうか)
本来であれば天子は洛陽へ戻り、曹操が迎えて許に遷都する流れだったはずだがだいぶ歴史の流れが捻じ曲がってしまっているようであった。
曹操が天子を迎えられなかった場合の関東の勢力図は一体どのように動いていくのだろうか。
歴史知識による先の予測は困難になってしまったが、そもそも歴史を変えるために色々と手を尽くしているのだからむしろ望むところだろう。
問題は涼州の統一を果たしたばかりの馬騰陣営で李傕らに勝てるかどうか。
「………はっ!臣馬超、安狄将軍に代わりまして、詔勅謹んでお受けいたします」
声に出して頭を垂れた瞬間、肩にのしかかる重みがひとつ増えた気がした。
賈詡と董昭が目を交わし、こちらの腹の据わりを量るように小さく頷く。
「隴まで辿り着けた百官、諸将は少ない。郭汜ははじめ天子に随行したが途中で離反し、華陰にて楊定・董承らが段煨と対立して相争った。そこに郭汜と合流した李傕が攻めかかってきて打ち破られ、天子は張済・楊奉らに連れられて北へ逃れた。そこで私は天子に忠臣たる安狄将軍を頼ることを勧め、馮翊・扶風へと車馬を返して隴まで行幸せしめた次第だ」
賈詡の言葉にも労苦が滲んでいた。
天子一行が東へ帰らず西へ流れてきたのは賈詡の影響が大きかったのかもしれない。
張済も史実では確か李傕・郭汜側に付いていたはずだが、今回は賈詡が留めたのかもしれない。
「途中李傕らの追撃で多くの百官・宮女が命を落とし、張済・楊奉らも戦死してしまった。今は張済の甥の張繡、楊奉の部下の徐晃らが数百の兵を率いて天子と三公をお守りしていが、長い道行で天子も兵馬も疲弊している。直ちに兵を纏めて天子をお迎えせよ」
董昭が一歩、前へ出る。
よく通る声が土壁に反射して、広間の空気を固くする。
数百――天子の警護には心許ないが、逆に言えばこちらが機先を握ることが出来る数でもある。
(冀に残る常備の旧兵、合わせて三千強。義従は千余。父上の主力は金城———騎兵・義従の二千五百にて急げば数日で隴までは着く。父上に急ぎ早馬を送り戻ってもらわねば)
「途中河東の梁興・張横にも使いを送っている。華陰の段煨も健在であれば協力するだろう。力を併せて長安の逆臣どもを討滅し、三輔に安寧を取り戻すように」
賈詡も幾つか策を講じているらしい。
さらに涼州を統一したあと、漢陽と境を接する安定の豪族である成宜や楊秋からも従いたいという使者が来ていたので彼らにも使いを送るべきか。
馬超は深く一礼し、顔を上げた。
「承りました。まずは急使を金城へ飛ばし、安狄将軍に詔を奏聞いたします。同時に冀の騎兵二千五百を急ぎ隴に進発させ、天子の行在に合流次第、旗鼓を改めて三輔へ号令を出しましょう」
言いながら、頭の中で部将の名が次々に並ぶ。龐徳に先導、馬岱に側衛、冀に残す法正には兵站と文告、孟達は伝令線の統一。
(父上が着くまでの空白は、俺が埋めるしかない。怖いのは機を逃すことだ)
賈詡が口元に薄い笑みを浮かべた。
計算と評価の混ざった、あのいつもの笑みだ。
「手並み、見事。では隴へ戻る前に、道中で用いる詔書の写しと、馮翊・扶風へ通達する公文を整えよう。董議郎」
「承知した。写しを起こし、印を添えて各所に飛ばすように整えましょう。兵は速やかに、遅れは漢家の危機となる」
竹簡が巻かれ、紐が結ばれる音が合図になったかのように、広間の空気が一斉に動いた。
外では堂々と太鼓が二度、三度打たれ、府庁の中庭を駆ける兵の足音が土を震わせる。
馬超は二人の使者にもう一度拱手した。
「賈侍中、董議郎。急ぎ準備をさせますが、それまでの間にご相談させて頂きたき議が。また、献じたき書もございます。しばし賓客の間にてお寛ぎようお願いいたします」
「ふむ、よかろう。少し休ませてもらうとしよう」
この二人の謀士と今後の流れについて打ち合わせておきたかった。
また『伏波兵法論』や『三皇秘典』、新たに蔡琰に執筆させた『政戦両略』などの書物を献じて深く語り合い、味方に付けておく必要もあるだろう。
賈詡の返答にもう一度礼をした後、馬超は踵を返し広間を出る。
秋の予感を感じさせる風が袍の裾をはためかせた。
己の行動で歴史が捻じれたというなら、その先を切り開くのも自らの手で――そう胸の内で吐き捨て、次なる一歩を踏み出した。
侍中 官秩(俸給)千石。魏では三品官。皇帝の側近で助言を行う官職。後漢では常置はされていない。
議郎 官秩比六百石。魏では七品官。光禄勲府に属し皇帝の側に仕えて議論応対する官職。こちらは常置されている官。
官秩 漢における官吏の給料の単位。穀物の重さの単位だが全部穀物で支給されるわけではなく半分は銭で払われた。後漢では実際に使われていた重さの単位ともまた違うので割とややこしい。基本的には官秩の高さがそのまま朝廷内の序列になる。有名なのは太守の二千石で、後世の中国や日本においては「二千石」が地方長官の代名詞として使われた。
印綬 朝廷から与えられる官職の証となる印鑑とそれをぶらさげる紐。官職の格によって印の素材や綬の色が異なる。一番格が高いのは三公などの金印紫綬。紫綬褒章の紫綬もこれが由来。
詔勅 天子の名前で出される命令文書。詔が大事、勅が小事みたいな使い分けらしい。正史の三国志にも詔勅や臣下が天子に上奏する際の上表文が結構載っている。
雒陽 後漢の首都。古くは周が東遷した際に洛水のほとりに都として洛邑の城を建設したことに始まる。「陽」は陰陽五行の風水に基づいて川の北、もしくは山の南を指す。つまり洛陽の名称は洛水の北、という意味。陰とか陽がつく地名は割とこの法則で名前が付けられており、潁水の南北で潁陰と潁陽、淮水の南北で淮陰と淮陽、九嵕山の南で渭水の北だから咸陽(みんな陽、という意味)みたいな感じになっている。漢は五行では火徳なのでサンズイが忌まれて雒陽と改名されていた。漢代以外では洛陽だし詔勅以外は面倒なので基本的に洛陽表記にします。
董昭 字は公仁。156年生まれ。済陰郡定陶の人。冀州で県令を歴任した後、冀州牧となった袁紹に仕える。弟が仕えていた張邈と袁紹が不仲になり、讒言されたので出奔して朝廷に仕えようとしたが途中で張楊に捕まり無理やり仕えさせられる。その後張楊が献帝の洛陽帰還に従うと朝廷から官位を貰い議郎になった(作中がだいたいここら辺)。曹操を高く評価していたようで、張楊に曹操と友誼を結んでおくよう進言したり、洛陽到着後に曹操を招き入れるように勧めたり、曹操に諸将を騙して天子を連れて許に遷都するように吹き込んだりしている。その後も曹操の元で活躍して魏公・魏王の就任に尽力し、魏の建国に大きな役割を果たした。陳寿からは優秀な策士だけど徳は無い人と評された。




