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密議

興平2年(195年) 冬12月


()の太守府、最奥の執務室。

分厚い扉を閉じると外の喧騒は消え、残るのは硯と紙の匂い、燭台の火が壁に揺らす影ばかりであった。

馬騰(ばとう)が一人座して待っていると、そこへ馬超(ばちょう)が後ろに法正(ほうせい)を従えて入室してきた。

二人が拱手すると、馬騰は胡牀(椅子)に腰をかけ直し、重い声を発した。


韓遂(かんすい)めらを倒す策を練ったとか。詳しく聞かせてもらおうか」

「はっ!まずはこれを」


馬超が促すと法正が卓の上に地図を広げる。

漢陽(かんよう)の冀、金城(きんじょう)允吾(いんご)隴西(ろうせい)枹罕(ほうかん)

そこにはそれぞれが本拠とする城邑(じょうゆう)が墨で結ばれていた。


「まずは宋建(そうけん)ですが」


法正は懐から数枚の竹簡を取り出し、卓に並べる。


「河首平漢王を称し、丞相や百官を置き、暦まで立てております。だがその内情は盤石とは申せません。(きょう)(てい)漢人(かんひと)が交じり合うも和せず、互いに猜疑が絶えない」


馬騰の眉が動く。


「ふん、所詮は狼狗(ろうく)の類よ。群れはしても纏まりは出来ぬ」

「その裂け目を、少し広げさせてもらいました」


法正の口元が薄く笑みに歪む。


「ほう、どういうことだ」

「羌の将には、密かに『利』を。氐の大人には『理』を。漢人の吏には『怨』を。それぞれ密書を送りました。内容は簡単です――宋建に仕え続けても実りはない、己の民を守りたいなら別の道を選べ、と」

「そう簡単に裏切ればよいが」

「人は腹が決まれば動きます。言葉より、やり方で導けばよい。主を恨む者は放っておいても増える。火だけ置いて帰れば、勝手に燃え広がるものです」


法正の声音は淡々としているのに、どこか底冷えするような冷酷さが漂った。

馬超が補足を付け加える。


「父上、加えて我らはあえてその密書を宋建の手にも届くよう仕向けました。宋建は今、部下の誰を信じてよいか分からず、尋問を繰り返しています。忠誠と疑念が交錯し、陣営はじわじわと軋みを立てているはずです」

「なるほど……」


馬騰は唸り、腕を組む。


「小賢しい策だが…しかし確かに、宋建を討つ折に味方が割れてくれるならば好都合だ」

「はい。しかも我らが動かずとも、すでにひびが入っております。時間が経つほどに瓦解は進みましょう」


法正は次の竹簡を示す。


「さて、次に韓遂」


室内の空気が張り詰めた。

馬騰の目が鋭く光る。


「……あやつか」

「はい。韓遂は宋建ほど愚かではなく、謀を好みます。だが猜疑心が強く、部下を責め立て、疑いを植え付けては自ら陣を揺らす癖がある」

「ふん、我らが違えたのも奴が儂をも疑ったからだった」


馬騰が吐き捨てるように言うと、馬超が小さく頷く。


「先の戦に負けてより、閻行(えんこう)にも疑いの目を向けているとか」

府君(馬騰)の軍に撃退されたのを随分と恨みに思っているのでしょう、虎視眈々と次の機会を窺い兵を集めているようです」


金城にも間者を何人か送って情報を集めさせていた。

短い期間では中枢に潜り込むのは難しくとも、人の動きは多く下っ端の兵に紛れさせるのは容易であった。


「そこを突きます。――流言を広めました。『春になれば漢陽から一万を率いて宋建を討ちに行く』と」


馬騰の目が見開かれた。


「……何だと?」

「冬の間に人づてで伝え、韓遂の耳に必ず入るようにしました」

「何故そのようなことを!」


馬騰から怒気が立ち上る。

すかさず馬超が口を開いた。


「父上、お鎮まり下さい。孝直(法正)の策は周到です。我らが韓遂の元に間者を送り込んでいるのですから、謀を好む奴もまた冀に間者を忍ばせている事でしょう。春に宋建を討ちに出るのは我らの動きを調べていれば容易に予測できます。それを逆手に取って韓遂を誘い出すのです」

「……続きを申せ」


馬超は地図を指さしながら説明を始める。


「計はこうです。――春正月、父上は一万を率い隴西に進軍し、宋建討伐の旗を掲げる。その報は必ず韓遂に届きます。韓遂は『宋建を攻めに行けば、漢陽は手薄になる』と考え、兵を出すでしょう。ゆえに深くは攻め入らず、境にて待機してください。」

「……なるほど。そうやって奴を誘い出すわけか」

「その通りです。私は三千を率いて冀に残り、斥候を放って韓遂軍の動きを探ります。韓遂軍が動いたと知れれば、すぐに伝令を父上へ送り軍を呼び戻す」


法正が言葉を継ぐ。


「その間、令君(馬超)の兵は渭水(いすい)を盾に韓遂を引きつけ、時を稼ぎます。韓遂は数に物を言わせて攻め立てるでしょうが、長い行軍で疲労が溜まり兵糧も潤沢ではない。()れれば士気も下がり隙が生まれる」

「そして我が軍が戻り韓遂を挟み撃ちにする、と」


馬騰も計略を理解して得心がいったように頷く。

その様子に馬超が満足げに口角を上げた


「これぞ抛磚引玉(ほうせんいんぎょく)の計にございます」


しばし室内が静まり返る。

蝋燭の火が揺れ、卓上の地図に影を走らせた。

馬騰は顎に手を当て、長く沈思する。


「……危うい策だ。だが成れば韓遂を討ち、宋建も吞み込めば隴右(ろうゆう)を一挙に()ることが出来る」


法正は薄く笑みを浮かべ、低く言った。


「疑いを一つ置けば、仲は勝手に割れます。宋建の城は内から崩れ、韓遂は外で討たれる。――これほどの機は滅多にございません」


馬超は父を真っ直ぐに見据える。


「父上、今こそ涼州(りょうしゅう)を一つにまとめる好機です」


蝋燭の炎が揺らぎ、馬騰の瞳に映った。


「……よかろう。だが、この計、必ず成さねばならんぞ」


馬超と法正は同時に拱手した。


「必ずや」


◇◇◇


兵舎に設けられた会議室の木窓から冬の冷気が差し込む。

そこには馬超麾下の幕僚たち、参謀の法正に騎兵を率いる龐徳(ほうとく)馬岱(ばたい)、工兵を率いる孟達、さらに県の歩兵を率いる姜叙(きょうじょ)らが集められていた。

冀の周辺の地図が広げられ、そこに小さな墨の点が打たれている。

馬超が指で渭水の流れをなぞる。


「戦の大筋は父上に示した。ここからは実際の戦の段取りだ。子敬(孟達)、まずはお前の工兵の動きからだが」

「はっ!承ります」


孟達は膝を折って拱手し、落ち着いた声で答えた。

それを承けて法正が兵を模した駒を置き、説明を始めた。


「工の仕事は二段に分かれます。一つは『築城』、もう一つは『水の扱い』です。先んじて渡河地点に土塁の塞や(ほり)、柵による陣を素早く築き、歩騎が敵を抑えるのを(たす)けます。また上流にて堰を組んで渭水の流れを調えます。そして時機を見て堰を切り水攻めを行います」


孟達が顎髭を撫でながら地図を眺め、


「どうやって渡河する場所を予め知るのだ」

「そのための堰です。冀の近くで水の流れを絞り、敵の目からは渡河しやすいように見せておく。更に念のため軽騎による斥候の姿を見せ、敢えて追わせて引き寄せましょう」

「なるほどな、周到な事だ」


孟達が納得して頷く。


「次いで騎兵だ。まずは内訳だが俺と令明(龐徳)(たい)で五百ずつ領する。馬具も槍も胡式の弓(合成弓)も揃った、主力として活躍してもらうぞ。さて、孝直(こうちょく)


馬超に促された法正が馬を模した駒をいくつか地図上に置いた。


「では、それぞれの動きですが――軍司馬(馬超)が中央、令明(れいめい)殿が左翼、徳巌(とくげん)殿が右翼とします。斥候は練度が一番高い軍司馬の隊から少し割きます。最初は下馬し、土塁の塞より曲射して渡河中の敵兵に矢を射かけ牽制します。渡り終える兵が出始めたら馬に乗って機動し、騎射にて遊撃を行います。そして安狄将軍(馬騰)の軍が到着し敵軍が乱れた機を見計らって挟撃を果たします」

「我らの手で勝利を決めるぞ!」

「はっ!」

「必ずや」


馬超の鼓舞に龐徳と馬岱が応じる。


「最後は歩兵、新兵が多いが出来るだけ鍛えたはずだ。扱いが容易な長矛と盾、弩を用いさせる」

「歩兵は伯奕(姜叙)殿と私とで五百ずつ預かります。主には弩で渡河中の兵を撃ち、近付く敵を長矛で払うのが役となります。万が一、支えきれぬとなったら無理をせず冀の城に戻ります」

「そうならんように綿密に整える。更に詳細な指示は追って書として配す。これを作戦書、と呼称する」

「これほど丹念に重ねるのですな…負ける訳には行きません。しかと拝命いたします」


姜叙が感嘆しながら拱手する。

それに合わせて他の皆も短く拱手した。


こうして着々と決戦までの準備が進められていった。




暦 当時は旧暦(太陰太陽暦)の四分暦を使用。KOEIのシミュレーションをやっている人にはおなじみかもしれないが1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋、10~12月が冬となる。

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