長安へ
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馬騰から馬超への呼び名を「孟起」から「超」に変えました
興平二年(195年)夏5月
馬超は冀の県令の座で今後の方針について独り沈思黙考していた。
新式の鞍と鐙の配備と練兵は順調に進んでいる。
近代式の効率的な訓練方法を取り入れた効果は目覚ましく、日に日に練度が高まっていることを兵たちも実感しているようだ。
食事もたんぱく質を多く取り入れさせ、体作り法も広めはじめた。
ただ兵士である以上は筋力のみならず持久力・瞬発力との兼ね合いあも大事になってくる。
軍隊の兵士育成方法はどうであったか――過去たる未来の記憶を思い返し、訓練案を構想していく。
騎兵だけでは城攻めも出来ず戦は片付かない。
今後は歩・騎の連携、新式の長槍や盾・弩・弓の開発、工兵の育成なども課題になるだろう。
兵士の数は力だが、増やした分も食わせていく必要がある。
民からの徴発に頼り苛烈な税を掛ければ当然反発を招く。
兵による屯田についても建議していくべきだろう。
穀物は稗・粟が主流だがここ西方では小麦も普及しつつある。
寒冷・乾燥に強い種籾を選抜し、工兵の調練にかこつけて灌漑を整備し、製粉などのために水車・風車の開発なども推し進めたいところだ。
人材の確保も急務。
現代の組織運営理論を応用してそれっぽく教示したところ、冀の官吏たちからの信頼は得られた感触はある。
組織を回す歯車の育成は彼らに任せてもいいだろう。
だがやはり大局を見通す智謀の士に欠ける。
己は歴史知識こそあるが所詮は凡骨、本当の意味での才人を迎え入れたいところだ。
さて、涼州所縁にそのような人材はいたか…心当たりはあったが、それには危険を承知で混乱する長安に行かねばならなかった。
◇
漢陽太守の政庁、大広間。
外では夜警の声が交わり、松明の炎が壁に揺れていた。
主座に腰を下ろした馬騰は、まだ鎧を脱がぬまま険しい顔をしていた。
かつての盟友にして涼州の覇を争う宿敵・韓遂を思うだけで、その眼差しは鋭さを増す。
そこへ馬超が進み出て、深く一礼した。
「父上、申し上げたき議がございます」
馬騰が眉をひそめる。
「何だ、超。申してみよ」
「先の戦では退けましたが、韓遂との争いはなお続きましょう。いずれ東方の騒乱が収まり、西へ手を伸ばすとき、我らが分裂していては飲み込まれるのは必定。――ゆえに私は、長安に赴き、李傕との関係を改めて探るべきと考えます」
その名が出た瞬間、馬騰の顔に険しさが走った。
「李傕だと?……あの奸賊と再びか。以前、奴に近づこうとした時、我を侮り、ついには兵を交えて争うことになったのだぞ」
馬超は頭を垂れ、しかし声を強めた。
「父上の御心は承知しております。李傕は確かに信を欠く人物。しかし今、郭汜と相争い、長安は乱れ果てていると聞き及びます。だからこそ中央の実情を見極める機会。朝廷がどこへ流れるかを知らねば、涼州は孤立してしまうのです」
馬騰は黙し、卓を指で叩いた。
「涼州を守るのは力だ。義ではない。それに李傕に近づけば、また恥をつかまされる」
馬超はさらに一歩踏み込み、父の眼を真っ直ぐに見据えた。
「父上、私は李傕に縋ろうと言っているのではございません。あくまで形の上での使者です。内実は、中央の動向を探ること。そして、もし乱世に真に才ある人物がいるならば、我らの側に招くため」
馬騰は目を細めた。
「……超、お前は何を企んでいる」
「この涼州を一つにまとめ、外敵に対抗するための策を探りたいのです。そのためには、中央に近い者と語らい、見識を広めねばなりません」
馬騰は長い沈黙の末、深い溜息を吐いた。
「超、お前も二十を過ぎ、言うことが将のようになったな……。よかろう。だが、李傕の酒席に長居は無用。使者の形も外すな」
「承知いたしました」
馬超は深く頭を垂れた。
馬騰は声を低くして続ける。
「一人で行くわけではあるまい?誰を連れていくのだ」
「令明を伴います。兵の調練は岱に任せられます」
馬騰はうなずき、鋭い眼差しを投げた。
「超、これは命がけの任だ。必ずや無事に戻れ」
「はっ」
応じる馬超の声は揺れなかった。
(行って、見て、選んで、戻る。それだけだ。今は情報と人を掴む時――)
外では鈴が鳴り、冀の空に星がひとつ増えた。
◇
長安の城門が視界に入ったのは、漢陽を出て十日余りを経た黄昏の頃であった。
夕日を浴びて黒ずむ城壁は、かつて天下の中心を守った雄姿を保ちながらも、その表面には戦火の痕が痛々しく刻まれている。城門の楼は焼け落ち、片側の櫓は黒焦げのまま斜めに傾いていた。
高さ十丈を誇るはずの城門は、戦火に焼かれて半ば崩れ、門楼の片側は黒焦げのまま斜めに傾いている。楼上に掛かるはずの漢の赤い旗はなく、代わりに煤にまみれた布切れが風に揺れていた。
馬超は愛馬の鬣を撫でながら、思わず息を呑んだ。
(これが……かつての都か。中央の威容も、内乱ひとつでここまで廃れるのか)
背後で龐徳が唸る。
「若、まるで鬼の巣ですな。これほどまでとは……」
城門前には群衆が押し寄せ、混乱を極めていた。
行き場を失った避難民、財を抱えて逃げようとする商人、剣槍を持ったまま屯する兵士たち。
衣は裂け、髪は乱れ、飢えた者の目は虚ろに光っている。
「どけ、俺が先だ!」
「子が病んでいるんだ、入れてくれ!」
叫び声と罵声が入り乱れ、泣き叫ぶ幼子の声が混ざる。
門を守る兵士たちは鎧を錆びつかせ、槍を乱雑に持ち、まともな検問をする気配もなかった。
ただ通ろうとする者を睨みつけ、露骨に手を差し出す。
「通るなら銅銭を置け」
「銭を持たぬ者は穀や布帛でもいいが二倍だ」
餓えたような目で賂を要求する兵の姿は、秩序の崩壊そのものだった。
龐徳が眉を吊り上げ、腰の刀に手をかけかけたが、馬超は首を振って制した。
鞍袋から小袋を取り出し、銅銭の束を兵の掌に載せる。
兵士は歯の抜けた笑みを浮かべ、粗野に頷いた。
「入れ。ただし命の保証はせんぞ」
人波を抜け、馬とともに城門をくぐる。
その瞬間、腐敗と煙の悪臭が一気に鼻腔を突いた。
石畳には泥と血が黒く固まり、壁際には打ち捨てられた死体が白骨を晒している。
烏が骨を突き、野犬が腸を引きずり出す。
馬の蹄が骨を踏み、鈍い音を立てた。
龐徳は吐き気をこらえ、低声で呟く。
「これが漢の都か……」
馬超は唇を結び、ただ前を見据えた。
(この乱れが、漢の実情。……だからこそ、俺はここに来た)
◇
馬を宿に預け、大路へと進むと、かつて長安の栄華を支えた街並みは見る影もなかった。
瓦屋根は焼け落ち、梁は黒炭となり、崩れかけた家々が軒を連ねる。
石畳には泥水が溜まり、血の痕と灰が混じって黒ずんでいる。
両脇の塀には書き殴られた赤字が乾ききらず、民衆の怨嗟がこびりついていた。
馬超はその光景を見渡し、胸の奥に冷たいものを覚えた。
(中央の都でさえこれだ……辺境の苦しみなど、誰も顧みぬはずだ)
龐徳は肩を強張らせ、刀の柄に手を添えたまま警戒を怠らない。
「若、この有様では盗賊と兵の区別もつきませぬな」
実際、道のあちこちに群れをなす男たちが屯していた。
鎧を纏ってはいるが、槍も盾も揃っていない。
酒に酔い、女を引き立て、笑いながら殴りつける姿は兵士というより暴徒に近かった。
大路の中央には市が立っていた。だがそこにあるのは本来の交易の賑わいではなく、戦乱の泥にまみれた死の匂いが漂っていた。
台に積まれているのは、血の染みた衣や鎧、引き剥がされた装飾品。
盗掘された像の頭部や、半ば焦げた書物まで売られている。
「銭三束だ!この珠玉は三束でどうだ!」
「いや、五束で買おう!これは蔡伯喈の旧蔵だぞ!」
その声に、馬超は思わず耳をそばだてた。
蔡伯喈――蔡邕の字である。
董卓の死を嘆いたとして王允に誅殺された大儒。
龐徳も驚いた表情を見せる。
「若……蔡伯喈とは、あの学識の名高い蔡邕のことにございましょう? 本物ならば大事に扱われるはずが……」
「だがこの混乱では何が流れていても不思議はない」
馬超は低い声で応じ、群衆の間に足を進めた。
市の片隅には、竹簡や帙が泥の上に乱雑に積まれていた。
一部は焦げ、裂け、字も読めぬほどに損なわれている。
だが中には明らかに手の込んだ筆跡や、学者が記した注釈と思しき文字も混じっていた。
馬超は一束を手に取った。
農耕や器具に触れた記述の断片が覗き、心の奥がざわめいた。
(……使える。この断簡をもとにすれば、俺の知識を“古代の秘典”として世に示せる)
売り子の男は、汗で額を光らせながら慌てて言った。
「それは貴重なものだ!蔡伯喈の蔵から流れた品に違いない!」
馬超は涼やかに笑い、銅銭の束を多めに投げ与える。
「大儒の残したものならば、私が預かろう。それと、宣義将軍の屋敷はどっちだ?」
「へへ、まいど。宣義?ああ、それなら向こうの細路の奥さ」
龐徳が怪訝そうに眉を寄せた。
「若、あれほど損なわれた書が何になるのです」
「形こそ壊れても、権威は残る。……これを土台に、新たな知を築けばよいのだ」
そう言いながら、馬超は心の中で計算していた。
(この断簡を根拠に偽書を仕立て上げる。三皇の秘典…“太昊工典”“炎帝稼典”“軒轅保典”とでも名付けようか。誰もが信じる古の権威を借りて、未来の知識を広めるのだ)
市の喧噪の向こうで、女や子供の泣き声が響く。
鎖につながれ、奴婢として競りにかけられる民の姿。
馬超は拳を固め、胸中に熱が走る。
(この都には、もう正義も礼もない。……だからこそ、俺がここで見たものを涼州に持ち帰り、新しい秩序を築かねばならぬ)
彼の目は、乱れ果てた市の奥を超えて、ある人物のもとを目指していた。
蔡邕 字は伯喈。132年生まれ。陳留郡圉の人。博学多才で知られ一代の大儒とされたが当時の士人よろしく宦官嫌いで専横を諌めたために恨まれてたびたび辺境に流された。後にその名声を利用したい董卓が招聘し、脅されてやむなく仕えたもののやたらと重用されて昇進を重ねた。董卓が王允らに暗殺されるとその死を嘆いたため王允によって誅殺された。今や娘の蔡文姫(蔡琰)の方が有名。
王允 字は子師。137年生まれ。太原郡祁の人。若いころ太学の冠たる郭泰から「王佐の才」と評された。硬骨漢で宦官などに忖度しなかったため何度も危地に陥ったが名声があったので周囲のおかげでなんとか助かって来た。董卓政権下で三公の司徒にまで昇ったがその専横を憎み暗殺、その一族や一派も誅殺したがあまりの苛烈さで残党の帰順も許さなかったため李傕・郭汜らの反撃を受けて敗死した。
太昊・炎帝・軒轅 それぞれ三皇の伏羲・神農・黄帝のこと。太昊工典は伏羲の工芸に関わる書、炎帝稼典は神農の農業に関わる書、軒轅保典は黄帝の健康に関わる書くらいの意味としてください。




