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二十八宿

「火? ですか。軍師殿」


 不思議そうに軍師・瀬崎宵(せざきよい)の顔を見つめる姜美(きょうめい)。他の将校達も同様に宵を見つめている。

 どうやら兵法というものが浸透しておらず、戦自体の経験が少ない閻帝国(えんていこく)の軍人達にとって、“火”を戦で使うという事がピンと来ていないのだろう。


「火攻めか。また残酷な策を持ち出したな。軍師よ。まさかお前がそのような策を口にするとは」


 どこか失望したように李聞(りぶん)が言った。

 この中で最も戦の経験のある李聞だけは、火を使った戦術がある事を知っていたようだ。


「火で敵を焼くというのだろ? 確かに、火攻めならば広範囲の敵を巻き込み上手くいけば壊滅させる事も出来るだろう。だが火は、剣で斬られるよりも、矢で射抜かれるよりも辛い苦しみを敵に与えるだろう。お前らしくない策だ。軍師よ。戦に勝つ為とはいえ、無理をしているのではないか?」


 李聞の言葉には、まさに親が子を心配するような慈愛を感じた。こう優しくされると、さらに元の世界へ帰る時が辛くなる。

 宵は表情を一瞬羽扇で隠し、呼吸を整えると再び顔を出し李聞を見た。


「無理はしていませんよ。李聞殿。ご心配頂きありがとうございます。確かに火攻めは敵を火で攻撃するものです……が、私は火を敵兵に掛ける気はありません」


「なに? それはどういう事だ?」


 予想外の返答に李聞は目を丸くする。


「『孫子曰く、(およ)火攻五(かこうご)あり。一に曰く人に火す、二に曰く(せき)に火す、三に曰く()に火す、四に曰く()に火す、五に曰く隊に火す』。このように、火を掛ける対象は必ずしも敵兵だけではありません。私は人を極力殺したくない。それは汐平(ゆうへい)で初めて私の策が人を殺したのを見た時から変わりありません」


 将校達は、宵の話を物音一つ立てずに聴き入っている。

 宵は続ける。


「戦をしているのに何を甘い事を……と、思われる方もいらっしゃるでしょうが、私は人を殺したくない。でも、やらなければならない時はやります。巴谷道(はこくどう)で伏兵を一網打尽にした策を立てた時は、私はその場所には居ませんでしたが本当に心苦しかった。だから今回は何日も入念に考え、極力人を殺さないで済む策を考えたのです」


 将校達は静かに頷いた。

 さらに宵は続ける。


「火は人には掛けません。隊にも掛けません。火を掛けるのは、兵糧庫、武器庫、そして輜重(しちょう)です。これらを燃やし、敵の戦意を奪うと共に、退路を火で塞ぎ、降伏せざるを得ない状況を作り出します」


「なるほど。そういう狙いがあったのか。軍師よ。余計な気遣いをしたようだ。やはりお前は聡明な軍師だ」


 李聞が拱手したので、宵は(かぶり)を振った。


「いえ、李聞殿。お気遣いには感謝してます。でも私はそんな大層な軍師ではありません。“人を殺さずに軍師としての職務を全うする”。それが出来てこそ、私の理想とする軍師になれると、そう思っています」


 宵の言葉に皆頷いた。

 それを見た宵はまた壁の地図に目をやる。


「火を掛けるには、適切な時期があります。『時とは天の(かわ)けるなり』。それは晴天続きで乾燥していて物が燃えやすい時。生憎、最近は曇りがちで適した気象ではありません。これではあまり燃えないかもしれない」


「ではどうするのですか?」


 成虎は目を爛々と輝かせ訊いた。まるで好奇心旺盛な子供のようだ。


「まあ落ち着いてください、成虎殿。全く燃えないわけではありませんが、すぐに消されてしまっては意味がありませんからね。本当は時期をずらしたかったですが、あと半月もすればこの辺りは雨季に入り火が使えなくなります。だから火攻めは半月の内にやるしかない。故に乾燥していないこの気候下でも火を強く起こす必要があります。成虎殿。火を強くするには何が必要でしょう?」


 宵は微笑みながら成虎に問い掛けた。


「えっと……風……ですか?」


「御明答! 風が吹けば火は勢いを増し、簡単には消せなくなりますね」


「しかし、軍師殿。風が吹く時を予め把握しておかなければ上手く事が運ばないのでは?」


「成虎殿! 良い質問ですよぉ!」


 宵は成虎の質問に興奮して神妙な空気の中、1人鼻息を荒くする。


「閻では星を見る時に“二十八宿(にじゅうはっしゅく)”という分け方をしますね?」


「はい、よくご存知で、しかし、それが何か……?」


(きょう)衙門(がもん)にいた頃、お昼休みに天体の書物を読んで知りました。二十八宿がこの世界に存在するならば、風は7日後に吹きます。作戦の決行は7日後です」


「7日後……!?」


 天文学までをも熟知した宵の発言に将校達はザワついた。

 “二十八宿”とは古代中国などで天体観測に用いられた星々の区分で、夜空に見える星を28に分けた事に由来する。

 もちろん、宵は元々天文学になど興味はないのだが、孫子には二十八宿に関する記載が登場する。孫子に記載がある事なら、例え興味がなくとも興味を持ってしまうのが宵の性格。二十八宿について調べるうちに多少の星座には詳しくなった。

 とはいえ、閻の天文学の書物に宵の世界の二十八宿が出て来たのには流石に驚いた。

 星座が同じという事は、それは閻帝国(えんていこく)が地球上の国である事を意味しているに他ならないからだ。

 しかし、宵にはやはり閻帝国が地球上の国で自分のいた世界だとは到底思えなかった。文字は漢字のみの漢文で言葉は日本語が普通に通じる世界。日本語は日本固有の言語であり他の国で公用語として使われているという話は聞いた事がない。

 考えてみれば、そもそも“漢字”も“日本語”も宵の世界のものの筈。

 文字に言葉、そして星座。太陽や月もそうだ。これらが共通でありながらどこか元の世界とは違う不思議な世界。やはりここは異世界なのだろう。だとしたら、何故こんな世界が存在するのか。そして何故、宵はこの世界へ来てしまったのか。

 その理由だけは、祖父の竹簡に文字が浮かび上がり、文章が完成しつつある今も尚分からない。


「兵法には『日とは月、()(へき)(よく)(しん)に在るなり。(およ)()の四宿とは風起こる日なり』とあります。つまり、箕・壁・翼・軫の四宿のいづれかの星に月が掛かる時、風が吹く。私が統計を調べたところ、最も早く閻帝国の空に四宿の星が見え、月が()かるのは7日後」


 宵が言うと、李聞は指先で顎髭を撫でて考える仕草をした。

 ()(へき)(よく)(しん)とは現代でも観測可能な星座の一部を構成する星の事で、箕宿(きしゅく)は射手座、壁宿(へきしゅく)はペガスス座、翼宿(よくしゅく)はコップ座、そして、軫宿(しんしゅく)はカラス座を指す。


「……この時期だと……見えるのは軫宿(しんしゅく)か」


「その通りです、李聞殿。故に7日後に火攻めを行なうのです。7日の内に一度、私の放った間諜と連絡を取りこの策を伝えます。その者には敵陣の兵糧庫や武器庫の床下に燃えやすい物を仕込んでもらいます。万が一、姜美殿と成虎殿、龐勝殿が山を越えられず、火攻めを行えなければその者に火を点けて敵陣を内から混乱させてもらいます」


「私はしくじりませんけどね」


 宵の言い方が気に入らなかったのか姜美は腕を組み強気に言った。


「もちろん、姜美殿達が失敗するとは思っていませんよ。少し急ですが、姜美殿、成虎殿、龐勝殿は7日後には景庸関(けいようかん)奥の敵陣側面の山地に布陣していてもらいたいので明日には出立してください。邵山(しょうざん)琳山(りんざん)の詳細な地形はこの後個別に地図を用いて説明致します」


「御意!」


 姜美、成虎、龐勝の3人は同時に拱手した。


「最後に……許瞻(きょせん)殿にお訊きしたい事が」


「ん? 私ですか?」


 まさかの指名に軍監の許瞻は目を丸くした。


「はい。(りょ)郭書(かくしょ)大都督の軍は現在どの辺に居るのでしょうか?」


「ああ、呂大都督ならまだ遥か西の靂州(れきしゅう)です。豊州(ほうしゅう)にも到達していない。まさに軍師殿の見込み通り、葛州(かっしゅう)に到着するのはまだまだ先。下手すれば軍師殿のご活躍で戦が先に終わるかもしれませんな」


 やはり呂郭書の80万の大軍勢は行軍に苦戦しているようだ。許瞻の言う通り、呂郭書が来る前に葛州の戦は終わるかもしれない。まともに行軍も出来ない軍勢ならば来なくてもいいとさえ思う。


「分かりました。ありがとうございます。許瞻殿。私からは以上となります」


 宵が胸の前で羽扇を抱き一礼すると李聞はうむと頷いた。


「よし。軍師よ、ご苦労であった。各自、自らの役割は理解したな? 姜美殿と成虎、龐勝だけ残り後は解散! 出陣前に兵馬、武具の点検を済ませろ!」


「御意!!」


 李聞の号令で張雄(ちょうゆう)楽衛(がくえい)許瞻(きょせん)は拱手し部屋を出て行った。

 宵は残った3人に歩曄(ほよう)甘晋(かんしん)が作ってくれた邵山(しょうざん)琳山(りんざん)の地図を見せ、詳しい行軍ルートの説明を始めた。

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