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口を開けば孫子

 軍師・瀬崎宵(せざきよい)は一礼して口を開く。


「まず我々は景庸関(けいようかん)の前に砦の攻略をせねばなりません。ただ、砦を攻めるのは城攻めと同様に兵法では避けるべき戦いです。『上兵は(ぼう)()ち、()の次は交を伐ち、其の次は兵を伐ち、其の下は城を攻む』、さらに『城を攻むるの法、()むを得ずと為す』とあり、城攻めは下策とされ、やむを得ない時にのみするとされています。そこで我々は、砦から敵を誘き出し野戦に持ち込む必要があります」


 宵は皆に背を向けると、壁に掛けられている大きな地図の前に近付き、羽扇(うせん)朧軍(ろうぐん)の砦を指した。


楽衛(がくえい)殿は高柴(こうし)から連れて来た兵3千を率いて、砦を包囲し糧道(りょうどう)を断ちます。この時、砦へは攻撃する必要はありません。ただひたすらに包囲を続け兵糧攻めにします」


「待ってください、軍師殿。敵を砦の外へ誘き出すのではないのですか? 囲むだけと言ってもそれは城攻めと同じでは? それに、そもそもですが、敵は易々と包囲させてくれるでしょうか? ……あ!」


 何かに気付いた楽衛は左掌を右手でポンと叩いた。


「気付きましたね、楽衛殿。そう。敵は包囲させまいと砦から出陣して楽衛殿に攻撃を仕掛けてくるでしょう。その時こそ好機。楽衛殿は私の授けた必殺の陣形を組み、敵を迎え撃ってください。万が一、敵が砦から出て来なければ、静かに砦を包囲するだけです。そうなれば、今度は砦の味方を助けようと景庸関から兵が出て来る。いずれにせよ、敵を誘き出せるでしょう」


「御意! さすがは軍師殿。敵がどう動いてもしっかりと策を立てられていましたか」


 納得した楽衛は拱手して下がった。


「今この場にはいらっしゃいませんが、陳軫(ちんしん)将軍と馬寧(ばねい)将軍は楽衛殿の右翼と左翼に布陣しておいてもらいましょう。砦の包囲、または攻撃中に景庸関からの援軍が来た時の抑えとして2万の軍は威力を発揮するでしょう。将軍御二方には、楽衛殿の援護及び景庸関の軍の抑止力となってもらいます」


「分かりました。2人には私から伝えましょう」


 姜美が拱手して言った。


「ありがとうございます。姜美殿。……次に張雄(ちょうゆう)殿」


「ここに!」


「貴方は兵5千で楽衛殿の背後を守ってください。戦況によって遊撃をお願いします」


「はっ! 軍師殿に従います」


 素直に張雄が楽衛の後方支援を受け入れた事に宵は驚いた。正直、先鋒をやらせろとか言い出すかと思ったがそんな様子はない。


李聞(りぶん)殿は総大将として本陣をお護り頂きます」


「分かった」


 総大将である李聞への指示も終えたところで、宵は地図を見ながら羽扇で顔を扇ぎ始めたので、まだ指名されていない成虎(せいこ)龐勝(ほうしょう)、そして姜美(きょうめい)の3人は同時に一歩前へ出た。

 3人はお互い顔を見合わせると頷き、そして3人の中でも階級の高い姜美が意見を代弁し始めた。


「軍師殿。我々3人がまだ任務を受けておりません。まさか、本陣にて待機……などと言いはしませんよね?」


 強気な態度で問い詰める姜美の圧にも宵は怯まず。一呼吸置くと静かに口を開く。


「もちろん、忘れる筈ありません。ちゃんと3人にはお仕事を考えていますよ」


 口元を羽扇で隠しニコリと微笑む宵。


「それは良かった。して、そのお仕事とは?」


 あからさまに嬉しそうにニヤリと笑いながら姜美が訊いた。成虎も龐勝も自分の任務を聞き逃すまいと真剣な顔を宵に向ける。

 宵は羽扇で地図を指した。その羽根の先は景庸関の脇の山を指している。


「成虎殿と龐勝殿には兵千5百を率いて邵山(しょうざん)へ、姜美殿には兵5百を率いて琳山(りんざん)へ進軍して頂きます」


「え!?」


 姜美は想定外の任務に思わず声を出す。


「邵山と琳山へ兵を入れる? あの山は……見れば分かると思いますが、とても軍など入れる場所ではありません」


 普段は冷静な姜美が困惑気味に言った。

 邵山も琳山も見た目は尖った岩山が無数に連なっているような要害だ。例えるなら、中国安徽省(あんきしょう)にある観光名所・黄山(こうざん)に似た、まさに中国の絶景のような場所だ。

 そんな場所に進軍せよという命令は、宵の頭がおかしいと思われても仕方がない。

 だが、それに対して黙って聴いていた李聞が口を開く。


「確かに、軍師は以前景庸関に朧軍が迫った折も、邵山と琳山を通る策を唱えていた。あの時は景庸関が落とされて状況が変わった故、その策は実行には移さなかったがな」


 李聞の話に姜美は眉間に皺を寄せて宵に説明を求める視線を送ってくる。


「そうです。以前も言いましたが、こちらが絶対に攻めて来ないと思っている場所から奇襲を仕掛ける。『兵の形は(じつ)を避けて(きょ)を撃つ』。そして、この奇襲が私の本当の狙い。楽衛殿の正面からの攻撃は囮です」


「おお……! なるほど!」


 囮と言われた楽衛本人は嫌な顔一つせず、むしろ宵の奇抜な策に興奮しているようだ。

 宵はさらに続ける。


「邵山と琳山を越えて景庸関を迂回、敵の背後を突く。あの険しい山々をまさか越えて来るとは思わないでしょうから、敵の背後は手薄な筈。この策が成功すれば、敵の糧道も退路も絶つ事ができ、必ずや勝利出来るでしょう。その為に、3人には山に入って頂きたいのです」


「……しかし、邵山は通れたとしても、琳山はとても通れるとは思えませんが……」


 不安そうな表情で姜美が言った。

 姜美の言う通り、琳山は邵山よりも岩山が密集しており一見人が入れるようには見えない。だが──


「通れるんです。大勢では無理でも少数なら行軍可能です。これは楽衛殿の斥候が調べてくれた地元民しか知らぬ極秘情報です。詳細な地図もありますので、後ほどご覧に入れます」


「なるほど。そうでしたか」


 宵が自信を持って断言すると姜美の表情が和らいだ。


「成虎殿はまだ山地の行軍には慣れていないでしょうから龐勝殿とお2人で協力し合って行軍してください。お2人の絆の強さならば必ず乗り越えられます」


「御意!」


 成虎と龐勝は迷いなく返事を返した。


「姜美殿は問題ありませんよね?」


「無論です。軍師殿が通れると断言されるなら必ず通れるのでしょう。私は軍師殿を信じます」


 姜美がニコリと微笑んだので宵も微笑み返す。

 すると龐勝が難しい顔をして手を挙げた。


「軍師殿。仮に奇襲が成功したとして、成虎殿と(それがし)、そして姜美殿の兵を合わせても高々2千。景庸関には3万近く兵が居るのですよね? 倒しきれますか?」


「いいですよ〜龐勝殿。素晴らしい質問です。軍師の血が騒ぎます!」


 宵はそう言うとおもむろに羽扇を高く掲げた。

 掲げられた白い羽扇に皆の注目が集まる。


「兵法では『およそ軍は高きを好みて(ひく)きを(にく)む』、つまり、布陣は低所を避けて高所にせよとあります。これは高所から低所への攻撃が有利だからに他なりません。邵山、琳山の高みにいるだけでこちらは有利。低所から高所への攻撃には勢いがありませんが、高所から低所への攻撃は勢いがありますよね。景庸関の反対側にある低所の敵陣営に高所である邵山と琳山から一斉に矢を射掛けてやりましょう」


 言って宵は羽扇を上から下に下ろして見せる。


「なるほど。これぞ軍師殿に頂いた兵法書にあった『地形は兵の助けなり』ですか」


 成虎はボソリと呟き、うんうんと頷いた。


「その通りです。成虎殿。有り得ない場所からの攻撃に敵は十中八九混乱します。陣中を逃げ惑う者もいれば、果敢に射返してくる者もいるでしょうが木々や岩肌という天然の盾がある我が軍には矢は届きません。そして、この時こちらが使う矢はただの矢ではありません」


 溜める宵の言葉を将校達は息を呑んで待っている。


「火です」


「火?」と将校達はざわめいた。

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