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初出勤~どこの世界もハラスメント~

 日が昇って間もない頃、劉飛麗りゅうひれいの作ってくれた朝食を済ませた瀬崎宵せざきよいは、歩いてきょう衙門がもんへと登庁した。

 片道40分かかったが、この閻帝国の街並みは宵にとって退屈しない景色で、40分などあっという間だった。


 荷物は肩掛けの鞄が1つ。中には劉飛麗手製の弁当と、好きな物を買うようにと劉飛麗から渡された小遣いの銅銭50枚。宵の下女である劉飛麗から主人の宵が小遣いを貰う構図は不可解だ。だが、その不可解さは、宵の望まない主従関係の消滅に近付いている事を示しているような気がする。

 弁当や小遣いと一緒に鞄にはまだ読んでいない閻帝国の情報が記されている竹簡も忍ばせてある。昼休みにはじっくり読もうと思っている。もしかしたら、元の世界に帰る方法が見つかるかもしれない。

 宵は元の世界に帰る事を諦めてはいなかった。



 ♢



「おはようございます!」


 衙門の人事部の部屋の戸を開けると、宵は笑顔で挨拶をした。


「あ、おはよう。宵」


 部屋の中には3人の男。その内の1人が宵の挨拶に応えた。他の2人も遅れて挨拶を返してくれた。2人は物珍しそうに自分の席から作業の片手間に宵を見ている。

 一応昨日挨拶はしたのでお互い顔も名前も覚えている。


「本日よりこちらでお世話になります、宵と申します。改めて宜しくお願い致します! あの、毛豹もうひょうさんと程燐械ていりんかいさんは……?」


 宵は戸を閉めて中に入るとその場で立ったまま上司2人の居場所を尋ねた。


「ああ、程中正ていちゅうせいはまだ来ないよ。あの人は重役出勤だから。毛功曹もうこうそうはさらに遅い。まあ、今日の官吏かんり登用面接までには来る筈だから、とりあえず君はこっちへ」


 初めに挨拶を返してくれた男が宵のもとへ来て、馴れ馴れしく肩に手を回し部屋の奥へと誘う。

 伊邦いほうという男で、宵と同じく“書佐しょさ”という役職だ。20代後半くらいで宵よりは年上だ。昨日会った時は大人しい真面目な印象だったので、あまり親しくない女性の肩に手を回すような男だとは思わなかった。


「あ、あの伊邦さん。その、あまり女性の身体に手を触れるのは……」


 宵は勇気を出して伊邦の行動を咎めた。これを許すと日常的にセクハラをされかねない。


「ん? ああ、嫌だった? 悪い。君がとても魅力的だからつい。さ、ここに座って」


 伊邦は悪びれる様子もなく、宵を空いている席に座らせると、自分の席に積んであった大量の竹簡を宵の机に置いた。


「それじゃあ早速だけど、宵。面接まではまだ時間あるから、それまでこの仕事を頼むよ」


「これは?」


 宵の机いっぱいに積まれた竹簡を見て、宵は首を傾げる。


「昨日届いた梟郡きょうぐんの管轄する各県の役人達の最新の契約書。これを後ろの棚に入ってる古い役人の契約書と差し替える。それだけだ。簡単だろ?」


 宵は伊邦の指さした後ろの棚を確認すると、目の前に積まれた竹簡の1つを手に取り開いて中を見た。確かに各県の役人の名前と契約内容がつらつらと書き連なっている。


「分かりました。新しい契約書はこれで全部ですね?」


 宵が確認の為に問うと、他の男2人が立ち上がり、自分の机に積んであった大量の竹簡を抱えて宵の机いっぱいに広がる竹簡の山の上に遠慮なく置いた。


「え……? こんなに? 一体何人分……?」


「梟郡管轄の県は16。そして各県には10~50人の役人が働いているんだよ」


「て事は、最大800……!?」


「へぇ、暗算出来るんだ。賢いね。さすが、李聞りぶん殿のお気に入り」


 伊邦は嫌味ったらしく言った。他の2人はすでに自席に戻り我関せずとそっぽを向いている。

 宵は目の前の山のように積まれた竹簡に目をやった。パッと見800はない。せいぜい200前後だろう。


「官吏登用面接はひつじの刻。それまでに終わらせておいてくれると助かる」


 伊邦は宵を見下すように見て言う。きっと李聞の推挙でここに入った事が気に食わないのだろう。職場の雰囲気はいきなり最悪である。


「分かりました。やります」


 宵は落ち着いた声で答えた。作業自体は簡単だ。要は書類の整理。大学のゼミでは良くやったものだ。


「これは頼もしい。頼んだよ」


 伊邦はニンマリと笑って言うと、自席に戻っていった。


 どこの世界も“パワハラ”に“セクハラ”か。

 宵はそんな事を思いながら、先程開いた竹簡から作業に取り掛かった。



 ♢



 この世界の正確な時間はまだよく分からない。感覚的に2時間以上は竹簡の整理をこなしている気がする。

 コツも掴んできて作業スピードも上がってきたので、山のように積まれた竹簡は、半分程にまで減っていた。処理済みの竹簡は宵の机の足もとに積み上げ、新しい竹簡は棚に入れた。

 未だに程燐械も毛豹も出勤して来ない。


 時折他の3人の様子を見ると、茶を啜りながら緩慢に竹簡に何かを書いているだけで差程忙しそうには見えない。

 宵には茶を飲む暇すらないと言うのに。


「どうした? 宵。口を尖らせて、不満そうだな? 俺達が遊んでるとでも?」


 宵の視線に気付いた伊邦が筆を止めて言った。


「いえ、別に」


「ふん、それは君に任せた仕事なんだから、君が責任持ってやるのは当然の事。ましてや下っ端なんだからな。……とは言え、手伝ってやらん事もないよ? 今夜、俺の家にくると約束すればな」


 伊邦が呼吸するようにハラスメント発言をすると、他の男2人も「ずるいぞ、俺もだ!」と言って宵を自宅に誘おうとしてきた。


「行きません。1人で出来ます」


 宵の目は潤んでいた。これ以上喋ると声が震えそうだった。

 何故こんな目に遭うのだろうか。この世界では女が男の仕事を奪うのがそんなにいけない事なのか。

 初めての就職。李聞という好漢のお陰で苦労せずに職を手にしたが、女の宵がここで働くにはあまりにも苦痛だ。

 李聞には悪いが、早くも宵の心はこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていた。


 だが宵は、それでもめげずに作業を続けた。

 机の上の竹簡は残り20巻程に減った。

 喉が乾いた。伊邦達は自分達だけ茶を飲み宵には勧めもしない。いつの間にか伊邦達は3人で集まって笑い声を上げながら談笑している。


 その時、突然戸が開いた。

 宵は竹簡を持ったまま部屋に入って来た人物に目をやった。伊邦達も視線を向ける。


「宵は来てるか?」


 入って来たのは重役出勤の程燐械。部屋に入るやいなや宵を見付けると真っ直ぐに近付いて来た。

 窓から見える日は高く、もう昼時だ。


「あ、お、おはようございます。程燐械殿」


 宵は竹簡を机に置くと、立ち上がり拱手した。


「何やってるんだ? 宵」


「県役人の新しい契約書を古いものと差し替えております……もう少しで終わります」


 宵が説明すると、程燐械は机の足もとに積み上げられた竹簡の山を見た。


「これ全部? お前1人で?」


「はい──」


「よーし、俺もこっち片付いたから手伝うよ、宵」


 宵の返事を遮るように、伊邦が宵の机の竹簡を1巻取ると、他の2人も真似して宵の机の上から竹簡を1巻ずつ取った。


「そうか」


 程燐械は伊邦達の様子を見ながら短く言うと、暖簾の掛かっている部屋の奥へと消えた。そしてすぐに湯気の立つ湯呑みを持って来て宵の机に置いた。


「もう昼だ。休んでいい。とりあえず、茶でも飲め」


 何を言われたのか一瞬分からなかった。

 キツイ言葉を浴びせられるのではと思っていたのに、目の前には水分を欲していた宵が今一番欲しかった茶が差し出されている。

 そして、掛けられたのは優しい言葉。


「あ、ありがとう……ございます」


 数時間、初めての場所で孤独と戦っていた宵には、程燐械の優しい気遣いの言葉が心に響いた。ゆっくりと腰を下ろすと、美味しそうな茶に手を伸ばす。


「昼か、それじゃあ俺達も昼飯に……」


「お前達は宵の残りの作業を片付けてからだ!」


「ぎょ、御意!」


 程燐械のたった一言で、伊邦達は慌てて宵の机の上の竹簡を全て抱えるように持って行き、3人で手分けして整理を始めた。


 宵はその様子を見ながら茶を啜った。その味は今まで飲んできたどんな茶よりも美味しい。


「美味しい……美味しいですね」


「何泣いてるんだ。美味しいなら笑えよ」


 程燐械に言われてようやく気付いた。我慢していた涙がいつの間にか溢れている。


「……だって……」


「変わったヤツだな、お前は」


 程燐械は優しく笑った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ワアアアン(ノД`)・゜・。 これは泣く 宵ちゃん(ノД`)・゜・。 [気になる点] いつの世でもあるんですよ。 そうゆうイジメってかいやがらせ 宵ちゃん負けるな。 [一言] 美味しい…
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