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唯一、は永遠に唯一。

「失礼します」


鹿島はノックとともに入ってきた小梅の姿を認めると、慌てて立ち上がって、どうぞ、と声を掛けた。


「ここ、座って、」


小梅が促したイスに腰掛けたのと同時に、自分もそろっと座る。


深水の企みなのか、面接官は自分一人だ。


(くそっ、深水のやつ)


二人の学生の面接をしながら何度も心の中で呟いたのだが、結局小梅の順番が回ってきて、今のこのありさまだ。


(しかも、最後にっ)


面接は一人、十五分程度掛かったが、書類選考で残った候補者は全員で三人だけだった。あっという間に小梅の番が回ってきて、鹿島は心底、深水を恨んだ。


「よろしくお願いします」


緊張した面持ちで、小梅は座っている。


鹿島は最初、小梅にどんな顔で会っていいのかがわからず、混乱した。けれど、小梅はいつもと変わらない様子で、そこに座っている。


(もう、俺のことなんか……忘れたふりでもするんだろうな)


覚悟は決めていたが、小梅のその顔を見て、それが揺らいでしまった。


「……まずは、応募した動機について聞かせてくれないか」


何とかしてテンプレのセリフを言葉に出すと、意外と心も落ち着いてくるように思えて、鹿島はペンを握った。顔は書類から離さず、視線を上げる。


書類には履歴書とともに、小梅が所属する看護学校からの推薦状が挟んである。もう頭には入っているが、その優秀な成績を思い浮かべた。


頑張ったんだな、素直にそう思う。


小梅は真剣な眼差しで、真っ直ぐに自分に向かい合っている。


ああ、笑顔が見たい、正直そう思った。


(小梅ちゃん、)


会いたくて会いたくて、たまらなくなってモリタの外から、見ていたこともある。


結局は皐月に見つかって、サツキフラワーへと連行されたという経緯もあるくらいだ。


(これでは、深水にストーカーと言われても仕方がない……)


小梅を想う気持ちはいつまで経っても消えることなく、ずっと鹿島の身体の奥底に存在する。


この奨学金制度も、小梅の助けになればと、小梅のために創設したようなものなのに。


(いざ、本人を目の前にすると、どうして良いかわからないなんてな)


太ももの上に置かれぎゅっと重ねて握られている小梅の両手から、その緊張が伝わってくる。


泳ぐ視線でその握った手を見た時。


鹿島の心臓がどっと鳴った。


(ゆ、指輪、)


重ねられた右手の指の隙間から、リングがちらっと見えた気がした。


左手の薬指。


鹿島が、指輪をはめるのをあれほどまでに熱望した、その指。その指に、自分の知らない誰かから貰った指輪がはめられている。


頭を何かで殴られたような衝撃があった。頭の中は真っ白になり、何がなんだかわからなくなった。


小梅の唇が何かを喋っているのが見える。


奨学金制度への応募動機を話しているはずだが、耳が全く機能していない。聞きたくないと、この世界の全ての音を拒否したように、閉ざしてしまっているのだろうか。


鹿島は、手元の書類に目線を落とした。


(ああ、そうか、もう恋人が……いるのか)


胸が、潰されそうになるくらいに痛んだ。けれど、息苦しさも何も感じない。全てが麻痺したような感覚。


そこに醜い嫉妬も、焦燥感もない。


ただ。


終わったな、と思った。


「鹿島さん、」


突然、音が戻ってきて、鹿島は顔を上げた。


小梅の怪訝そうな顔。そこにもちろん、鹿島の欲する笑顔はない。


鹿島は再度、書類に目を落とした。


「うん、ありがとう……もういいです」


心にぽっかりと穴が開いたような気もしているし、全ての色が失われていくような気もしている。


自分も真っ白だし、この世界も真っ白だ。


何もかもを失った。いや、何もかもではない。


小梅という存在、ただ唯一無二の存在を。


口を開けた。


けれど、声は出ない。言葉も、一つたりとも。言いあぐねた結果、時が止まった。


世界はもう、ただただ真っ白で、何もない。


「鹿島さん、」


呼ばれて、顔を上げた。


小梅が、唇を真一文字に引き結んだ顔をしている。


(違う、俺が見たいのは、)


「鹿島さん、」


もう一度、名前を呼ばれた。


(俺が、……俺が見たいのは、君の笑顔だ)


小梅が、そのままの顔で続ける。


「おばあちゃんのお葬式をしてくださって、ありがとうございます」


深々と頭を下げる。


「お礼を言うのが遅くなっちゃって、ほんとすみません」


君のその話し方。


「もっと早く言わなくちゃって思ってたんですけど、どうしていいかわからなくて」


変わっていないんだなあ。


「深水さんに伝言をしようかとも考えたんですけど、」


目を伏せる、その表情。


「それじゃ、失礼かなって思って」


はにかんだように、君はようやく笑った。


「直接お会いして、お礼を言いたかったんです」


君は、本当に真っ直ぐで。


俺は君に見合う男になりたかった。君の前に立ち、そして君の隣に並ぶ男として、決して揺らぐことのない男に。


「鹿島さん、本当にありがとうございます」


君を前にして、君を誰かに奪い去られることが、こんなにも辛いとは思わなかった。祝福すらできると、思い込んでいた。いや、自分に言い聞かせていた。


「鹿島さんの世界には行けないけど、私は私の世界で鹿島さんにもおばあちゃんにも恥ずかしくない生き方をしたい」


小梅は、にこっと笑って言った。


「私、頑張りますから」


そして、もう一度言った。


「頑張りますから、今回の奨学金の件も、辞退させてください」


鹿島は力なくよろっと立ち上がり、そして小梅に近づいていった。それに合わせて、小梅も立ち上がった。


そっと、小梅の左手を取る。リングをこの目ではっきりと見たかった。小梅がもう自分のものではないことを、この目に焼きつけたかった。そうでもしないと諦められない、と思ったのもあった。


そして。


鹿島は、はっと顔を上げた。


「小梅ちゃん、これ……」


見覚えのある指輪。


小梅がはにかみながら、「あ、バレちゃいました?」と手を引いた。小梅の体温が離れていって、鹿島の意識は正気に戻っていった。


「ご、ごめんなさい。こんなの、バカみたいなことして、ごめんなさい」


小梅の声が震えている。


「もう、絶対忘れてるって思ってたんですけど……」


鹿島が小梅の言葉を遮って声を上げた。


「忘れるわけないよっ」


鹿島はそう言って、上着のポケットから財布を取り出した。その中から、そっと取り出したのは、鹿島が小梅にと買った同じリング。


同じ指輪が、二つ、揃う。


「小梅ちゃん、だめなんだ。俺には君じゃなきゃ、だめなんだよ」


「鹿島さん、」


「奨学金制度なんかで君を……ストーカーみたいな真似してごめん。こんなことまでして、気持ち悪いって思ってるだろうけど……でも、君が、」


小梅の姿がぐにゃりと歪んだ。


「君が、好きなんだ」


小梅がふるふるっと首を横に振った。その目からも、涙が溢れている。


「……指輪、最初は外してたんです。けれど、順番が近づくにつれ、自分みたいなのでも頑張れば、こうやって指輪も買えて、もしかしたら鹿島さんに少しでも届くのかもって思い始めちゃって。それで思い切って、廊下で待っている時、はめたんです。そしたら……」


「小梅ちゃん、」


「今度は、怖くなっちゃって。鹿島さんにこの指輪を見て見ぬ振りをされるのが、怖くて怖くて。それで直前で、慌てて取ろうとしたんですけど」


泣きながら笑う、ぐしょぐしょの笑顔。


「そ、そしたら、焦っちゃって、それで、なかなか取れなくて。と、取れなくなっちゃっ、て」


左手を右手で包み込むように握り込む。


鹿島は慌てて、その小梅の左手を取った。薬指に、持っていたもう一つの指輪をはめる。


「取らなくていい、取らないでくれ」


鹿島はもう自分を抑えきれなくなって、そして小梅を抱き締めた。


「小梅ちゃん、住む世界が違うって言うなら、小梅ちゃんの世界と俺の世界、混ぜちゃえばいい」


耳元で、囁くように言う。


「混ぜる?」


「そうだよ、そうすればいいんだ。そうすれば、二人にとってちょうどいい世界になるだろ?」


「ちょうどいい世界、」


小梅のくぐもった声に愛しさが増す。


「どんな世界でも、俺はどこだっていいんだよ。君がいてくれたら、それでいいんだ」


ただ一つあって、二つとない。


「どうしても諦められなかった。君が好きなんだ、愛してるんだ」


身体を離すと、小梅の頬を両手で包み込んだ。覗き込むようにしてくる、小梅の黒い瞳が揺れる。


「愛してるんだ、小梅ちゃん、君を愛してる」


唇を寄せると、小梅が目を瞑った。その瞳が閉じた拍子に、涙が流れて消えていく。


鹿島は、声を落として、小梅の耳元で囁いた。


俺の唯一無二には、


君しかいないんだ。


✳︎✳︎✳︎


ありがとう、鹿島さん。


私にとっても、あなたは、……。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 読み終えました。 読んで良かったと思える、心に残る良い物語でした。 最後の方は、「もう小梅ちゃん妥協してあげて」と、お願いしたくなるくらい切なかったです。 でも、その苦しみがあってこその…
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