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三、は永遠に3。


「お金が少し貯まったので」


私がはにかみながら言うと、くるんと後頭部で上手にまとめ髪にしてある店員さんが、笑って言った。


「自分へのご褒美ですね」


営業スマイルだとしても、その笑顔は美しくて、とても気持ちが良い。


(やっぱり、笑顔が良いに決まってる)


おばあちゃんが亡くなってから、私は少しだけ笑顔をやめた。


無理矢理にも作る笑顔は、自分を追い詰めて傷つけるだけだということを知って、私は驚愕したのだ。


自分の今までの人生に、嘘をついていたような気持ちになった。


(でも、鹿島さんとは……)


公園で遊んだ時も、苺パフェを食べていた時も、たまにモリタで出会って話した時も。


一緒にいる時は、自然に湧き上がってくる笑顔。


がむしゃらに働く日常の中で、鹿島さんはオアシスのようなものだったのだ。


「こちらなんかは新作ですので、まだどなたもお持ちではないですよ」


私は、ショーウィンドウの中を覗き込んだ。


『15万円』


心の中で苦笑いをしたつもりが、店員さんにはバレたみたいで、すぐに隣のショーウィンドウへと移動される。


「これなんかも、可愛いデザインですよ。若い方にとても人気なんです」


緑の宝石がついた細いリング。


「可愛いんですけど、予算オーバーで」


店員さんのアドバイスをかわしながら、すすすっと横へずれていく。


私の中ではもう、これと心は決まっていて、そこへと一直線に向かっていく。結局、一番端っこのショーウィンドウで、目が止まった。


(あ、これだ)


見ると、値札には切りのいい値段が記入されている。今日、私が持ってきたお金でも、もちろん買える金額だ。


シルバーの。


ねじりの入ったデザイン。


シンプルな。


鹿島さんが、買ってくれたリングと同じもの。


(良かった。まだ売っていた)


店員さんが、その安い値段について思っているだろうことは顔に出さずに、ショーウィンドウからリングを出してくれた。


「定番の商品です。シンプルで可愛いですよね」


「はい、」


私の視線が釘づけになっているのを見て、さらに言った。


「お値段もお手頃で、宝石がついたものと重ねづかいもできますよ。ほら、これ、このトパーズのついた……」


店員さんが他のリングを出そうとするので、私は慌てて手を上げながら言った。


「あ、他のは良いです。実は、このリングを探していて……」


ショーウィンドウに突っ込んでいた手を引っ込めると、店員さんは笑って言った。


「あらあ、そうだったんですか。では、これでお決まりですね」


「はい」


私が顔を上げて言うと、店員さんがさらに笑顔で言った。


「このリング、以前同じようにご購入されたお客様がいらっしゃって……」


財布を取ろうと、カバンに手を入れる。


「そうですか、」


財布とは、意外と奥へと潜り込む。手をさらに奥へと入れてごそごそと探っていると、店員さんは話を続けて言った。


「お得意様で、大企業の社長さんなんですけどね。恋人に、」


私は、手を止めた。


「指輪を贈りたいと、」


店員さんはもう向こうを向いてしまっていて、後ろにあるテーブルの引き出しから、ちょうどいい小箱を探っている。


「私がいつも通り、宝石のものをお勧めしても、とにかくシンプルなものでいいんだと仰って……ああ、ありました」


小箱を開けながら、リングを入れる。その小箱にも、薄っすらと見覚えがあった。


もちろん、鹿島さんがくれようとしていたものと、同じものを買おうと思って来たのだから、この小箱も同じもののはずだ。


私は生活費とは別でお小遣いから少しずつお金を貯めて、このリングを自分で買おうと、心に決めていた。


鹿島さんから貰ったものは全て返してしまった。


おばあちゃんの病室に飾ってくれた、カラーとラナンキュラスの写真。その一枚が手元に残っただけ。


目に見えないものはたくさん貰ったけれど、やっぱり目に見えるものがあればと思い、鹿島さんと別れて少し経った頃に、そう決めた。


勝手にだけれど。


私の、隣に。


寄り添って貰えるんじゃないかと、思って。


心細い時や不安な時に、励ましてくれるんじゃないかと、思って。


住む世界が違っても、これくらい許されるよね、と自分に言い聞かせて。


「あれは、相手の彼女さんが代わったんですね、きっと」


小声で低く押さえた店員さんの声が耳に入り込んできて、私の意識を現実へと戻した。


「宝石とか、そういうゴテゴテしたものは邪魔なだけだ、彼女はシンプルで、そういうものが似合うんだって、言い張って。同伴の女性が、呆れておられました」


指の先に触れていた財布を、ゆっくりと引っ張り出す。


一緒に行ったのは秘書の深水さんで、私の指のサイズがわからなかった鹿島さんが頼み込んで同伴して貰ったのだということは、もうすでに知っている。


「……そうですか」


財布を開いて、お札を取る。


早く、この場を去らなければいけない。


聞いてはいけないものを耳に入れてしまいそうで、私は焦ってしまった。気持ちが急いて、お札を持つ手が少し震える。


「で、結局は一番お安いこちらの商品を……あ、失礼しましたっ」


慌てて、口を押さえる。


私が苦笑したのを見て、店員さんの口が止まる。お喋りが終わったのを、ほっと胸を撫で下ろしながらお札を出すと、彼女はレジからお釣りを出して、渡してきた。


その時。


「彼女自身が、宝石のような人だからって」


私は硬貨を握ったまま、え、と顔を上げた。


「だから、指輪には宝石なんか必要ない、って言っていました。同伴の女性は何度も言っていたんですよ。安すぎやしませんかって。でも、値段なんか関係ない、それが彼女の世界なんだ、って……はあああ、今でも思い出しますけど、本当にかっこいい素敵な方でしたよ」


ほうっと、もう一度、嘆息の息を吐く。


どうやらその話は、店員さんの中では、昇華された美しい思い出となっているようだ。他のお客さんやら同僚やらにも、話しているに違いない。『安くとも愛があれば』をこのリングを買った私にも、喋りたかったに違いない。


私は、苦く笑った。


私のそんな苦笑いを見て、店員さんは私が購入した指輪について、「安い」を連呼してしまったことに気づいたのか、気まずそうに紙袋を渡してきた。


私は紙袋を受け取ると、ありがとうございます、と言って店を出た。


そうか。


鹿島さんは、私の世界へ歩み寄ろうとしてくれていたのか。まだ子供だった私が、一生懸命に背伸びをして、そうだったのと同じように。


けれど、店員さんの話が、本当に鹿島さんのことかどうかは、わかってはいない。


ドアから少し離れて、目の前の大通りの向こう側を見る。


(私、あそこら辺から真斗さんと一緒に、鹿島さんと深水さんを見つけたんだっけ)


目に浮かぶ、二人の姿。


あの時は。恋人同士にしか見えなかったその二人の姿が、今は違って見える。


その時の鹿島さんの嬉しそうな顔が脳裏に浮かんできて、私は指で目を押さえた。


ほろほろと、涙が溢れ出てきた。


頬を伝って、拭っても拭っても、それは流れ星のように流れていって重力に任せて、地面へと落ちていく。


「鹿島さん、」


名前を口にしたのは、いつぶりだろう。名前を呼ぶだけで、愛しさに包まれる。


私は、紙袋から出した小箱の包装紙を破ると、中からリングを出して指にはめた。


それは左の薬指。


私は敢えて、その指へと差したのだ。


これがあれば、きっとひとりでも生きていける。


左手を押さえると、涙はその量を増やしていった。声を上げて泣きたかったが、そういうことを私はもう二度とやらないと決めていたから、そうしなかった。


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