三十一、
「すみません、ちょっと良いですか?」
ナースステーションの横にある待合室で、医師と話をしている小梅を待っていると、先ほど挨拶をした年配の看護師に声を掛けられた。
「はい?」
「小梅ちゃんのご親戚の方ですか?」
看護師という仕事柄か、はきはきと訊いてくる。
「い、いえ、友人です」
「ああ、そうですか」
落胆が見て取れたのが気になって、話を続ける。
「親戚なら、何か?」
看護師は少しだけ慌てて、手を上げた。
「いえいえ、良いんです。ただ、小梅ちゃん、仕事大丈夫かなって思ったんですよ」
鹿島は怪訝に思い、どういう意味ですか、と問うた。
「彼女、めちゃくちゃ働いてるでしょ。身体、大丈夫かなと思って」
「忙しそうにはしていますが、体調が悪いとかそういうことは聞いてないですね」
「それなら良いけど。誰か、入院費を少しでも肩代わりしてくれる親戚の人って、本当にいないのかしら?」
「すみません、俺、そこのところの事情は知らなくて……もしかして小梅ちゃん、自分で?」
「そうなのよ。結構な額だから、いっぱいいっぱいなんじゃないかって、みんな心配してて」
「…………」
「会社員ならまだしも、パートだって言うじゃない? ご飯、食べれるのかなって思って」
鹿島は考え込んだ。
「……でも確か、高額医療って、費用戻ってきますよね?」
「そうなんだけどねえ。それ以外にもベッド代とか大人用のオムツ代とか、結構かかるのよ」
「そうなんですか」
鹿島の胸が痛んだ。一生懸命、モリタとメープルで働いているのは知っているが、そんな大変な目にあっているとは思いも寄らなかった。
「こんなこと言うのもなんだけど、おばあちゃん、この先も長くなりそうだから。小梅ちゃんがご飯ちゃんと食べているか、様子見ててあげてね」
「……はい」
それだけ言うと、看護師はナースステーションへと戻っていった。
(だから、あんなにがむしゃらに働いているのか)
モリタのレジで、笑顔で働く小梅の笑顔が、浮かんできた。
「なんだよ、それ」
小梅の親が生きてれば、祖母の面倒はその親が見るはずだ。鹿島は歯噛みしたい気持ちになった。
「鹿島さん、お待たせしました」
その声で振り返ると、小梅が書類を抱えて小走りで近づいてくる。
笑顔だ。
(そうだよ、いつも笑顔なんだ。どんなに辛くても、いつも笑顔で……)
この病院で、鹿島の元恋人の花奈に、花束で顔をぶたれた小梅を思い出す。
『こんな地味な女のどこがいいのっ‼︎ こんな、こんな見すぼらしい、貧乏くさい女のどこがっ』
そんな花奈の罵詈雑言に、震えながらも必死で耐えていた小梅の姿。それどころか、鹿島が怒りで我を忘れ、花奈に手を上げそうになるのを、小梅はだめだと叫んで、自分を止めてくれた。
胸の奥が、じんっと痺れた。
「今日はありがとうございました。おばあちゃんも喜んでると思います」
「うん、」
胸がいっぱいになって、短い返事しかできない。
「じゃあ、行きましょうか」
「ん、」
エレベーターに乗り込む。横に並ぶと、頭一つ低い小梅の髪が、自分の肩にかかる。その身長差を考えるだけで、途端に愛しさがぶわっとせり上がってきた。
鹿島はたまらず、小梅を抱きしめたい衝動に駆られた。
ぐっと、我慢した。けれど、膝を少しだけ折って、そっと小梅の手を握った。
「あ、え、鹿島、さん、」
小梅が驚きの顔から、恥ずかしそうに下を向く。
耳がほんわりと赤みを差し、自分で切ったという前髪が、ゆらっと揺れた。
✳︎✳︎✳︎
小梅のために何かできないかと考える。
けれど、そう思って行動したことが、返って小梅を苦しめることもある。
鹿島は、小梅に贈って返されたブレスレットとスマホのことを思い出していた。
『私、貧乏だから、手が……手が、震えちゃって。バカみたいに、震えちゃって』
まさかの反応だった。小梅の喜ぶ顔を想像しながら、ブレスレットを包んでもらった。スマホも同様に。
「ご家族かどなたかに?」
携帯電話のショップの店員に笑顔で訊かれて、「か、彼女に、」と照れながら答えた。すると店員は、両手を合わせて「あらあ、羨ましいっ。私の彼氏にもこんな甲斐性があったら良いんですけどっ」と言う。
「普通」はそういう反応なのだ。けれど、小梅はそうではない。
ようやく、小梅のことが少しだけわかりかけてきたような気がしている。
何かをしてあげたいと思うが、何も名案は思い浮かばない。
(もどかしいな……)
焦れる心。
落ち込む気持ち。
嫉妬で痛む胸。
けれど。
小さなことでも幸せを感じられる。
小梅と話をするだけで、とても安らかな気持ちになる。
鹿島は、小梅に初めて会った時のことを思い出していた。
(花奈への誕生日の花束を、一生懸命に作ってくれて……)
優しく、しっかりしていて、時には失敗して苦笑いもする。
そして。
(こんなにも相手を思いやる気持ちに溢れている人はいない)
小梅のことを考える。好きだなあと、しみじみと思う。
そうやって何度となく小梅のことを考えるが、結果、全てがそこに繋がっていくのだ。
鹿島は、これが自分の初恋なのではないかとさえ、思った。今までにこんな風に誰かを想い、必死で追いかけたことなど、一度たりとも無かったからだ。
痛みも悲しみも苦しみもあるが、それを凌駕する愛しさが、鹿島を突き動かす。
「君のために出来ることがあれば、何でもしたいのに」
鹿島は今、先走っていってしまう自分の気持ちを必死で抑えていた。




