Ⅱ
「初めまして、神代紡君、君のお噂はかねがね。私は桜秀斗という。『CHERRYQUITESEA』の設立者で現社長だ」
エレベーターで何十階分か高層ビル内を上がり通された部屋には、『CHERRYQUITESEA』の社長と名乗る紳士がいた。濃紺のスーツに身を包み、ベストと黒のネクタイで全体をまとめ上げた桜は柔らかい小じわを笑みで深めて二人をソファに誘った。
銀縁の眼鏡に明るい茶髪がよく映える格好に軽く感心しながら腰を下ろした紡は、桜が向かい合う方に座ったのを確認してから自己紹介を始めた。
「……初めまして、神代紡です。こっちは」
「あ、向山夏菜です。すみません、呼ばれてないのについてきてしまって」
「全然。家はアットホームだから気にしないよ。わざわざご足労かけたね。何か飲みたいものはあるか? 武井に持ってこさせよう」
豪快に笑った桜が武井のほうを見やり、ドア付近で立っていた武井は胸に手を当てて深く礼をする。
「はい、気兼ねなくどうぞ」
「ではブラックコーヒーをアイスで」
「ちょっと紡、そんな投げやりに」
「はは、いいんだよ。向山君は?」
「あ、じゃぁウーロン茶をお願いします」
「よし、頼んだよ。私はブラックをホットで」
「はい、かしこまりました」
深々と礼をして武井が部屋から出ていくのを見た桜は二人に向きなおると、紡の前に書類を広げた。どうやらどこかの学校のパンフレットの様だと紡はふんだ。
「……これは?」
「うちの学園———桜ヶ丘水上学園の仮パンフレットさ。うちの会社では、来年度から新しく学園事業を始めようと思っていてね。コンセプトは恋愛の教育化———クラスで男女間の仲を深め合う時間を設ける特殊学園として売り出す予定なんだ」
「……恋愛」
「恋愛⁉」
驚いた表情の夏菜と対照的に表情筋が動かない紡に何か思うところあるのか一瞬間を置いた桜だが、書類をずいと紡のほうに差し出し一気に言い切る。
「そう。新時代のニーズに合わせるのが僕の流儀だからね。……そこでというのもなんだが。僕はね、神代君。ぜひとも君にこの学園に入ってほしいんだ」
「え?」
「一般募集をかけるつもりではあるが、欲しい人材は僕の方から声を掛けさせてもらっていてね。そのうち僕が最も興味を持っているのが君だ」
「?」
自身のこもった指でぴ、と指さされ紡が首を傾げる。静かに部屋に入ってきた武井が個々に飲み物を配りまたドア付近へはけた。カップを取りひと口コーヒーを飲んだ桜が続ける。
「ふふ、なんでって顔をしているね。無理もない」
「……分かりかねます」
「あはは、堅苦しくなくていいって言ってるのに。……僕はね、この学園で三年間かけて生徒の人間性をこちらが分析し、将来会社の人員にくみ取りたいという考えを持っているんだ。うちの会社の事は、知ってくれていると思うけど、建築、インテリア、ファッション、フード、アート等幅広い分野で傘下のグループを持っているから、学生たちの意向に合わせた就職先を選んでもらうことを強みに多くの生徒を集めてきた」
「はい! うちのお母さんも、『CHYEERQUITESEA』の化粧品にはまってます!」
「はは、ありがとう」
夏菜が元気よく手を上げると、桜は柔和な笑みを返してお礼を言った。その対応のこなれ感というか、返し方の流麗さに、社長の風格を改めて感じるとともに、紡は何かきな臭いものも同時に感じ取っていた。
眼光を鋭くした紡に視線を戻し、桜は言葉を続けた。
「生徒は、将来の商業を早い段階から決定できるチャンスを得ることができる。逆にこちらも欲しい人材を選ぶことができる。お互いウィンウィンなこの状況を作り出すために学園を設置したんだ。仕事の効率化も見込めると思ってね。———そこで、僕は君を会社に欲しいんだ。だから、ここに入ってほしい」
「お断りしていいですか。僕は期待に添えられるような人材ではありません」
紡がにべもなく両断すると、桜の眼鏡が深く光を反射した。
「———いや、君は十分事足りる人材だ。十分、ね」
その一言で、どくり、と紡の心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
「————っ‼」
「紡……?」
紡の右手に座っていた夏菜は、親友が桜のことを見据えながら冷徹な表情に剣呑さをにじませたのを見て表情を強張らせる。
「大丈夫か? 汗すごいけど……」
「まさか」
「うん、そのまさか。君の過去を買い取りたいと思ってね」
「—————————っ」
桜の言葉に紡が勢いよく立ち上がり、机の上でアイスコーヒーが激しく揺れる。
「まぁまぁ落ち着いて」
「落ち着いてられると、思いますか」
絞り出すような紡の声に桜は別にいいけどさ、と一言置いてから顔の前で手を組んだ。それから眼鏡の内奥に潜む獰猛な瞳で紡をねめつける。
「いいのかな? ここで暴れるのは簡単だけど、友達にもばれちゃうよ。勿論交換条件として、入ってくれたらばらすことはしないって約束する————さぁどうする?」
「……!」
「紡、いったい何のこと言って……」
訳が分からないというように夏菜が紡を見やるがそれには答えず、何かをあきらめたようにソファに座りなおした紡は消え入るような声で呟いた。
「—————わかりました。そこに行きます」
「よし、契約成立だね! じゃ、書類を渡すから、それを送ってもらえば推薦で入学できるようにしとくね」
「はい」
「え、え……大丈夫か、紡?」
うなだれた紡に慌てて夏菜が声をかける。
「大丈夫。……ごめん、俺ここ行くことになった」
「あ、うん……」
ごめんとは、先ほどのことを言っているのだろう。緊迫した雰囲気から何かを感じ取った夏菜は軽く頷くが、あまりに一方的に決まった話し合いに動揺の色は隠せなかった。
「本当に紡、納得してるのか……?」
「うん」
「でも、あれじゃ————」
「向山夏菜さん……だっけ。君は東都都立高校へ行きたいんだっけ?」
「え、あっはい」
唐突に話しかけられた夏菜がピクリと反応すると、先ほどの険悪さはどこへやら、すっかり毒気の抜けた表情で笑みを浮かべた桜が、一枚の紙を夏菜に差し出した。
「僕は正直君のことはよくわからなくてね。君がもし紡君を追ってこの学園に来るとしたら、歓迎するってことを伝えておこうかと思って。はいこれ、来週配布予定のパンフレット。よければどうぞ」
「あ……ありがとうございます」
「どういたしまして」
夏菜は受け取ったパンフレットの、白くそびえるチャペルのような建物の写真に視線を下ろす。ポスターのキャッチフレーズは『恋愛の教育化———青春を翔る高校生、心と体の発達を私たちにサポートさせてください————』。大勢の生徒達の笑顔の写真の上に、そんな文字が大きく白抜きで飾られている。
一目で、魅力的だと伝わるパンフレットは、きっと美術の得意な子会社が手掛けたに違いなかった。ほかにも『CHERRYQUITESEA』の技術を最大限駆使したサポートシステムの数々が下のほうに羅列してある。
どう見てもいい雰囲気の学園であることを感じ取れたが、この社長は一癖ありそうだった。悪い人ではなさそうだけど、なんだか怖い……と警戒心を強めた夏菜が、憔悴しきった様子の紡に声をかけ、帰ろうとした時だった。
「あ、そうだそうだ。——————最後に一つ、お願い事があるんだけど、いいかい紡君」
「?」
何かを諦めたのか、幾分か冷静さを取り戻し、夏菜につられるまま立ち上がった無表情の紡に桜が話しかけた。
「入学式のデモンストレーションを、君に頼みたいんだ。この学校がどういう場であるのかを示す、ね」




