変わらない距離
一瞬、意味が分からなかった。
「……え?」
「一緒にいると楽しいし」
「安心するし」
「好きだよ」
当たり前みたいに言う。
心臓が強く鳴る。
「……いいの?」
自分でも、何を聞いているのか分からない。
結衣は少し考えてから、
「うん」
と、軽くうなずいた。
「付き合うってこと?」
「……たぶん」
「じゃあ、いいよ」
それで決まってしまった。
⸻
部屋の電気を消して、布団に入る。
なのに、目がまったく閉じない。
さっきの帰り道が、何度も頭の中で繰り返される。
駅前で立ち止まって。
結衣が振り向いて。
好きだと言って。
結衣が、少し考えてから、
「私も好きだよ」
と言った。
あのときの顔。
声。
何度思い出しても、胸の奥が熱くなる。
(……付き合うってこと?)
自分で言ったくせに、
まだ実感が追いつかない。
布団の中で寝返りを打つ。
天井を見る。
スマホを見る。
また天井を見る。
眠れる気がしない。
LINEを開く。
結衣とのトーク画面。
最後は、
『また明日ね』
それだけ。
付き合うことになったのに、
何も変わっていない。
なのに。
(……付き合ってるんだよね)
それを考えるだけで、
心臓が落ち着かない。
もし今メッセージを送ったら、
迷惑かな。
もう寝てるかな。
そんなことを考えているうちに、
スマホを胸の上に置いたまま、また寝返りを打つ。
部屋は静かで。
外を走る車の音だけが遠くに聞こえる。
明日、学校で会う。
いつも通り話す。
でも、もう「ただの友達」じゃない。
(……どうしよう)
嬉しいのに、
落ち着かない。
布団を頭までかぶる。
それでも顔が緩む。
結局、その夜は。
ほとんど眠れないまま、
朝を迎えることになった。
⸻
ほとんど眠れなかった。
布団に入っても、目を閉じるたびに昨日の駅前が浮かぶ。
好きだと言ったこと。
結衣が「いいよ」と言ったこと。
付き合う、という言葉が、あまりにあっさり決まったこと。
(……夢じゃないよね)
何度もスマホを見る。
昨夜のやり取り。
『ちゃんと帰れた?』
『うん。ありがと』
それだけのメッセージ。
特別な言葉は何もない。
でも確かに、昨日までとは違うはずだった。
⸻
教室に入る。
結衣の席は、いつも通り前にある。
心臓が強く鳴る。
(今日から……)
何か変わるんだろうか。
呼び方とか。
距離とか。
空気とか。
鞄を机に置いた瞬間、
「おはよ」
結衣が振り向いた。
昨日と同じ顔で。
「……おはよ」
何も変わらない。
「昨日さ、帰ってからちょっとゲームやってて」
普通に話し始める。
恋人同士になったはずなのに、
話題は昨日の続きみたいだった。
「新しい装備出てさ」
「……へえ」
会話も、距離も、いつも通り。
⸻
移動教室も。
「次、理科室だよね」
「うん。一緒に行こ」
並んで歩く。
肩が触れそうな距離。
でも、それは昨日までと同じだった。
手も繋がない。
特別なこともない。
⸻
昼休み。
結衣はゲームの話で他の子と笑っている。
私は、自分の席でパンを食べながら思う。
(……昨日と同じだ)
付き合ったのに。
世界は何も変わっていない。
私だけが、
変わった気になっている。
⸻
放課後。
美術室でも、結衣はいつも通り絵を描いている。
集中すると話しかけても返事がなくなるところも、
昨日までと同じ。
(これって……)
付き合っている、って何だろう。
言葉だけが変わって、
中身は何も変わっていない気がした。
⸻
帰り道。
「また明日ね」
改札の前で、結衣が言う。
それも、昨日までと同じ言葉だった。
「……うん」
手を振って、結衣は改札を抜けていく。
私はその場に立ったまま、ぼんやり考える。
(……でも)
何も変わらないなら、
昨日までと同じなら。
それは、
(……ずっと一緒にいられるってことか)
そう思ったら、
少しだけ胸が軽くなった。
ただ。
ひとつだけ、
昨日と違うことがあった。
改札の向こうへ消える結衣の背中を見ながら、
(……キスしたいって思ってるの、私だけなんだろうな)
そんなことを考えてしまう自分が、
昨日よりもずっとはっきりしていた。




