24.この舞台は誰がために
シヴィア・プフダスラは物憂げな吐息を漏らす。
馬車の窓に映る胡乱な目つきをした自分の表情に、シヴィアは己の内心を自覚する。
「シヴィアお嬢様」
「わかっていますわ」
対面に座るメイドに嗜められる。目的地が近付いてきたからだろう。シヴィアは細い指先で銀糸の髪を耳にかけながら居住まいを正す。
優等生の仮面を貼り付けるのなんて慣れたものだった。
程なくして馬車は1つの建物の前で止まる。
学術協会である。
馬車を降りたシヴィアは入口で待っていた案内役に連れられ、協会奥にある会場まで通される。
実を言うと上流階級出身のシヴィアはあまり学術協会になじみがない。魔具や錬金術に用があれば、お抱えの錬金術師を屋敷に呼びつけるのが常だからだ。それはどこの名家も同じだろう。
とはいえ、物珍しいとばかりに目線を彷徨わせていれば品が疑われる。シヴィアは扇子を口元に当て、表情を取り繕う。
辿り着いたのは半円形の講堂だった。
「足元にお気を付けください」
案内役を担っていた学術協会の職員から注意を受ける。足元を見やれば、講堂の中央に向けて階段状に段差が付いている。シヴィアに限らず、こういった場の礼装としてヒールの高い靴を履く令嬢達には危ないだろう。
「ありがとう」
すり鉢の講堂は広さに反して狭苦しく感じる。段ごとに長机や椅子がびっしりと配置されているせいだ。普段は協会内部での講義や議論の際に使う場所らしく、賓客を迎え入れることは想定されていないのだから当然か。
シヴィアがどこに着座しようかと考える間もなく、人影が集まってくる。
「ごきげんよう」
見知った令嬢達の姿にシヴィアは挨拶をする。足場の悪さをものともしない華麗な礼をしてみせる。
少女達はシヴィアを目にした瞬間、浮足立ったように話しかけてきた。
「シヴィアさん。ごきげんよう」
「ごきげんよう。シヴィアさんもいらしてたのね」
「お忙しいでしょうに。流石シヴィアさんだわ」
元気な小鳥が顔を突き合わせて、きゃらきゃらと合唱でも奏でるように令嬢達がさえずり始める。
シヴィアはその中心で優美に佇む。その姿に魅入った令嬢達は更にシヴィアとのおしゃべりに夢中になる。興奮して周りが見えなくなりがちな乙女達の相手をするのもいつものことだ。
「そうなのですね。皆さんもお父上の代わりにご出席されることに。奇遇ですわね」
かく言うシヴィアも当主たる父親の名代である。
軽く見渡す限りでも同年代の若き青年少女ばかりである。この場にいるほとんどが両親の代役と見て取れた。
それを不思議には思わない。この場に招かれた目的を鑑みれば、むしろ子どもといえども人を出す家がこんなにも多いことに驚いたくらいだ。
しかし、言わずもがな、流石に赤薔薇会の派閥は誰もいない。これも当然のことだろう。
それにしても、教会関係者も欠席が多い。そこに近しい家柄も同様だった。
どこの家も夏至祭の前日とあって多忙なのだ。本来であればシヴィアもまたなすべき用事、取り組むべき準備に追われているはずだった。
「とても急でしたから。何を考えていらっしゃるのか」
令嬢のうちの1人が思わず出した言葉に、シヴィアは扇子を開き、軽く笑ってみせた。冗談として受け取ったというポーズだ。
流石に招待された場に来てまで苦言を呈すのは淑女として些かはしたないと思ってのことだ。
文句を言ってしまった令嬢が恥ずかし気に口元を指で抑える。頷いて同意を示していた令嬢達も礼を失したと視線を俯ける。
だが、シヴィアも内心では同じ気持ちを抱いていた。
「これほどまでにお知り合いの方々が多いのもなんとも不思議なことですわね。そう思わなくて?」
意図は伝わったはずだ。シヴィアが比喩的に肯定したことによって、周囲の令嬢達も安堵している。シヴィアもまた例年にはない、急遽執り行うことになった無意味な行事に不満を抱いているのだ。
シヴィアの一言により元気を取り戻した令嬢達は、今度はひそひそと小声での噂話に移っていく。これなら淑女の礼節に適っている。大々的な批判でなければ、小鳥の戯れと受け入れるのもまた常識である。
そこに1人の中年男が近付いてくる。その存在にシヴィアを囲んでいた令嬢達も声を潜めた。
「これはプフダスラ家のご令嬢ではございませんか。ようこそ、お越しくださいました。此度の公開錬成のために、大切なお時間をいただき感謝の念に堪えません」
この学術協会フルクート支部のトップである支部長が挨拶に来たのだ。
シヴィアはこの支部長に良い印象を持っていない。いつも誰かの機嫌を取るようにヘラヘラと笑って必要以上にへりくだっている。それだけなら処世術の1つと受け入れられた。
「ごきげんよう。ご招待感謝いたします。・・・無論のこと、ご承知だと思いますが、貴重な時間を割いているのは、私だけではありませんわ。皆様のためにも、せめて意義ある時間が過ごせることを期待しておりますわ」
シヴィアは人を貶めるような真似が嫌いだ。
名家として政の中枢にいれば綺麗事だけでは済まないのは重々理解している。しかし、大した意義もなく、人を嵌めていたぶるような真似が気に入らないのはシヴィアの本心である。そんなくだらない企みに協力を申し出るような支部長にどうして好意的になれようか。
これがシヴィアなりの意思表明だ。趣味の悪い嫌がらせに付き合わされるのだ。これくらいは言っておかないといけない。
案の定、支部長は困り顔はしたものの、それ以上言い訳も反論もしなかった。プフダスラ家も彼が敬うべき高貴な家柄だからだ。シヴィアの意向を無碍にすることはできず、さりとて今回の事態を招いた首謀者の悪だくみを止めることもできない。苦しい立場なのは間違いないだろうが、自らの信念を持たない日和見主義者らしい振る舞いは非難したいところだ。
せめて少しでも抑止になればと思っての行動だったが、不躾に割り込んできた存在にシヴィアは眉をひそめることになった。
「意義はあるとも!」
シヴィアは不快な表情が出る前に表情を扇子で覆い隠す。
「そう、それこそ大義しかないと言えよう!」
男はやたら演技じみた手振りで、声を張り上げている。ごてごてと刺繍や貴金属で装飾された派手な服装は、この場にはそぐわない。
「ヴェリ・ムタルティロ殿」
今回の公開錬成の発案者だ。
血筋だけを鑑みれば、フルクートの錬金術師家系の中でも旧家に連なっている名門だ。30代前半でありながら当主を務めているが、耳にする評判はすこぶるよろしくない。
今回の件だって自らの失態を覆い隠すための醜聞作りとさえ聞いている。
「やはり舞台に上がるには相応しい資格があると思うだろう?そろそろ三文役者には自覚してもらわねば。立場を弁えない愚か者に教えてやるのも、我々高貴なる者の務めというわけだ」
「・・・高名な錬金術師から学ぶ貴重な機会と伺っていましたが」
「はっ。建前というものですよ。あんなどことも知れぬ者から得るものなどあるはずがない」
男は傲岸な態度で手を差し出してくる。
「この際だ。どうです?ぜひ貴女の『花飾り』も僕に依頼をしてみては?貴女ほどの方からの頼みなら、僕もやぶさかではない。無論、相応の報酬はいただきますが」
シヴィアはその手に冷たい視線を向け、僅かに身体を引いた。明確な意思表示であったが、男には通じないようだった。不躾にも更に一歩距離を詰めようとする男を横から支部長が止めてくれる。
「か、歓談中、失礼をば。ムタルティロ様。どうしても急ぎ伺いたい調整事項がありまして」
「おいっ。この僕が話しているところだろうが」
「そ、そこをなんとか。さっ、あちらに」
「ちっ!」
支部長がシヴィアから男を引き離す。
支部長からの謝罪の目礼にシヴィアは扇子をたたむことで謝罪を受け入れたことを示す。
あの男の協力者の立場にいる支部長には、もっとしっかりと男の言動を制御してもらわないと困る。
シヴィアだけではなく、周囲の令嬢達も同様に思っているはずだ。主催の男と支部長に対する批評をこそこそとささやき合っている。乙女を敵に回したらどうなるかを、彼らは身をもって知ることになるのだろう。
そんな少女達のさえずりがまた急に静まる。いや、少女達だけではない。会場全体に緊張と静寂が急激に浸透する。
シヴィアが会場の入り口を見ると、そこには鮮烈な紅を纏う淑女が立っていた。
喧嘩を売られた相手がそこにいた。
『いと気高き紅薔薇』。
今代の聖女の担い手の1人であり、紛うことなき名家の娘。
この場であえて紹介するのならば、主催者であるヴェリ・ムタルティロが敵視する錬金術師の雇い主となる。
名目上、招待されてはいるだろう。しかし、誰が本当に出席すると思っていただろうか。ティアにとってこの場は敵対派閥だらけ、良くて中立の人間しかいない。
それが正面から堂々と現れた。同じ派閥の仲間すらいない会場にたった1人で乗り込んできたティアの胆力に周りの方が怖気づいていた。
まさにティアの一挙手一投足に注目が集まっている。ティアの足がシヴィアの方を向いた。
「あら。ごきげんよう、シヴィアさん」
直接話しかけられたわけでもないのに、シヴィアの周囲にいた令嬢達は縮こまり、そそくさと距離を取り始める。
ティアの隙のない淑女の礼を受けたシヴィアは同じように挨拶をする。
「ごきげんよう、ティアさん」
ティアは口元に扇子を広げると、シヴィアの脇を通って最上段に位置する椅子に腰かけた。ティアに近寄ろうとする者は誰もいない。
シヴィアは呆れる想いを飲み込んで、少しの間隔を開けてティアの近くに腰掛けることにする。シヴィアにとってティアは知らぬ仲ではないからだ。
シヴィアはティアと同じように扇子を開くとティアに話しかける。
「なぜわざわざ来たのですか?」
「なぜ?招待を受けたのなら赴くのは淑女として当然の義務ですわ」
「貴女ならどうとでも断ることはできたでしょう?」
白を切るティアの言葉を真に受けることなく、シヴィアは切り込む。
ティアはシヴィアを横目で見てから視線を前に戻す。
「断る必要なんてどこにあるのです?ご丁寧にもあちらが名誉を得る機会を差し出してくれたのですから。わたくしにとってはただのありがたいお話に過ぎませんわ。昔から続く利権をみすみす手放そうなどと思い切ったことをなさりますわね。わたくしに利はあれど、不利はありませんもの」
「貴女らしくもない浅はかな考えですわ。こうも無謀に飛びつくなんて」
ティアの鳶色の瞳が再びシヴィアを捉える。
「どう考えてもたちの悪い撒き餌ですわ。貴女だって知っているでしょう?ムタルティロ家の失態を。チール区の大規模街灯不全の件です。あれを誤魔化すための隠れ蓑として、貴女のところの錬金術師が狙われたのは疑いようもないこと。何にせよ、この軽率な判断の代償を受けるのは貴女だけではないのよ。貴女のお抱えの錬金術師の名前にも傷が付いてしまう。わかりきったことでしたのに。それとも、見え透いた罠に飛びつかなければならないほど焦っているとでも言うのかしら?」
「・・・・・・」
「それだけではありませんわ。この際です。『選定の儀』についても触れましょう。庶民を態々『巫女』に推薦するなんてどういうつもりなのです。―――何か?」
「いいえ?わたくしを相手にお説教とは。相変わらずの優等生ぶりですこと」
むっとするシヴィアにティアはからかう様な声色を出す。
「余計なお心遣いをどうも。シヴィアさん」
「貴女という人はまったく。忠告はいたしましたからね」
これから起きる出来事はティアにとって居心地が悪いなんて言葉ではすまないくらいには苦しくなるだろう。
そうは言っても、この段になって公開錬成を止めるすべはない。ティアと付かず離れずの距離に座したまま、シヴィアは始まるのを待っていた。
「おや?これはこれは。麗しき乙女が2人も並んでいると絵になりますね」
そこに学術協会の職員に案内されてきた初老の男性が帽子を取って挨拶をしてくる。
「『名人』」
シヴィアだけでなく、傲慢なティアですら席を立ち、淑女の礼をする。
「ご無沙汰しております。どうぞ。よろしかったら是非こちらに」
「では、お言葉に甘えまして。失礼するといたしましょう」
『名人』はシヴィアとティアのちょうど真ん中ほどの席に腰掛ける。
公の場のマナーとしての会話を兼ねて、シヴィアは隣に座る『名人』に話題を振る。
「此度の錬成について、先生はどう思われますか?」
「ふむ。端的に申し上げるのなら、錬成者であるアルマス・ポルク君は非常に厳しい立場となるでしょう」
『名人』の見立ては、シヴィアと同じであった。
「やはり、『名人』と呼ばれる先生ですらそう思われるのですね。噂では、彼の錬金術師は錬成に成功することすら危うい状況だと聞いています」
専門外ではありつつも、シヴィアは上流階級として少なからず錬金術と関わりがある。当事者でなくとも、多少話を聞けば例の錬金術師がどんな苦境にあるかは理解できる。
『名人』を挟んだ反対側に座るティアは鼻で笑う代わりに扇子を緩く振る。
「噂に踊らされるなんて、淑女の在り方ではありませんことよ。噂は手繰るものですわ」
扇子の下で失笑を浮かべているであろうことが容易に想像できる。あのティアが本当に笑っているのかは知らないが、少なくともティアはそう受け取れるポーズをしてきた。
「ティアさん、貴女こそ現実を直視した方がよろしいのでは?」
シヴィアは冷静さを宿した瞳でティアを見つめる。この程度の挑発に踊らされるシヴィアではない。なにより、シヴィアからしてみれば、ここまでティアが余裕の態度を保っている理由がわからなかった。
まさか自らのお抱え錬金術師が酷い目に遭うのを望んでいるとでも言うのか。シヴィアが耳にした話の中には、ティアは件の錬金術師と関係があまり上手くいっていないというものもあった。今回の事態はそこに付け込まれた面もあると思われる。
どうであれ、このままでは雇い主であるティアも無事では済まないのは明白。その程度のこと、ティアは十分理解しているだろう。
どういった意図があるのかを勘繰るシヴィアの視線が自然と鋭くなる。
しかし、ティアは反応しない。気付いてないはずがないのに気付かない振りをしている。
それを他所に『名人』は続けた。
「錬成を為すだけなら、実はそれほど手間でもありません。この街でも錬成出来る錬金術師は、私を含めて何人か思い当たりますね」
『名人』の口振りはティアの肩を持っているように思えた。だが、その内容自体は十二分に難易度の高さを物語っているとシヴィアは感じた。
それとも、アルマス・ポルクはこの数人に含まれている実力者だと言うのか。ヘレニウス家の名声と財力、なによりティアの余裕に満ちた態度を考慮すればあり得る話だった。
ですが、と『名人』は先ほどの発言を翻す。
「質を求められれば話は別。ヴェリ・ムタルティロ君は既に『二枚鏡』の片割れを準備済みでしょう。聞き及ぶ限りでは、相当品質の高いものだとか。それも、『司祭の銀杖』クラスに届くような代物とも耳にします」
「『司祭の銀杖』・・・!?」
シヴィアの表情に動揺が走る。一等品質の中でも、更に一握りしかない最高の逸品にだけ与えられる位。そこまで用意周到に準備しているとはシヴィアも想像していなかった。
ティアの横顔を伺うが、シヴィアと違って動揺はない。初めから知っていたのか、ただ表情を隠しているだけなのかは読み取れない。
「それは、つまり、最高品質が最低ラインになると?」
「ええ。アルマス・ポルク君はこの公開錬成で、『司祭の銀杖』クラスを錬成しなければならない。それ自体がとてつもなく困難なことなのは言うまでもなく。そのためには何段階もの容易ではない障害が立ちはだかっているのです。特に錬成親和性を乗り越えた先でこそ真価が問われるでしょう。個人的には幾つかの特別な技法を目にすることができればと思っておりますが。・・・・・・おっと」
さすがに専門的な分野となると話についていけないシヴィアに『名人』は柔和な笑みを浮かべる。
「口頭の説明には限度がありますからね。追々補足させていただきましょう。―――さて。お手並み拝見ですね」
『名人』に促されて正面を見れば、1人の若い男性が中央の壇上に立つところだった。
「やあやあ。紳士、淑女の皆さん。ごきげんよう」
いつの間に現れていたのか。シヴィアだけでなく、大多数の人が気付いていなかったようだ。
金髪に灰色の瞳をした、爽やかな好青年。それが彼の第一印象だ。にこりと彼が笑うと何人かの淑女が思わず黄色い声を上げる。
おそらく彼がアルマス・ポルクだ。次の発言でシヴィアは確信した。
「この趣味の悪い見世物小屋へようこそ。歓迎しよう」
「き、貴様っ。なんて口の聞き方をっ。道化の分際でっ!」
ヴェリ・ムタルティロが血相を変えて壇上に上がろうとする。それをアルマスが制した。
「おいおい。あんた達は俺の公開錬成を見に来たんだろうが。脇役が横から口を挟むなよ。今日の主役は俺。お前が決めたことだろ?建前上かもしれないけどな。それでも配役は配役。そこで黙って見てな」
傲慢で、身の程知らず。見た目は秀麗で、腕もあるのだろうが、礼節がまるでなっていない。それともわざとなのだろうか。
人を食ったような物言いが鼻に付く。あれではムタルティロ家の若き当主でなくても反感を買う。場所が場所なら怒号が飛び交うだろう。
そんな険悪な雰囲気さえも気に留めず、アルマスは人差し指を立てる。
「始める前に1つだけ。後悔はさせない。せいぜい見逃さない様に気を付けるんだな」
そう言うとアルマスは錬成の準備に取り掛かる。
会場中の厳しい視線がアルマスに向く中で、シヴィアの近くでも動きがあった。ティアがおもむろに立ち上がったのだ。
「始まりましたわね。では、わたくしはこれにて」
「は?」
「あいにくと忙しい身ですのよ。出席はいたしましたわ。名代としての責は果たしましたもの」
あっけにとられるシヴィアを置いて、ティアは早々に席を離れようとする。
「み、見届けないのですか?」
「ええ。必要ありませんもの。それではお先に」
それだけ残してティアは退室してしまった。
これほどまでに絶望的な状況下にいるのに、まるで心配をしていないかのように。
錬成が始まるとアルマス・ポルクへの印象が一変した。
前評判は多少頭に入っていたつもりだった。それでも、まだ認識が足りていなかったのだとわからされた。
1つ1つの作業に自信が満ちている。どこか人を惹きつけてやまない魅力があった。
ほんのりと頬を染める令嬢達が後を絶たない。
それを軽薄だと切って捨てることはシヴィアにもできなかった。
人を小馬鹿にしたような不遜な態度から打って変わり、錬金術に真剣な眼差しを向けるアルマスの姿には、シヴィアも微かな胸の高鳴りを覚えてしまう。
いけない。惑わされてはならない。
シヴィアは隣の『名人』を仰ぎ見る。
「あれはなんの素材なんですか?」
シヴィアも『二枚鏡』の錬成自体は何度も目にしたことがある。夏至祭の最中に行われるテラスラ家主導の公開錬成―――こちらは街の広場で大々的に催される、文字どおり一般に公開された祭事だ―――では見たことがない素材ばかりが並んでいた。
これこそがヴェリ・ムタルティロが仕組んだ嫌がらせであり、錬金術の難易度を跳ね上げている要因だ。
前方の席でヴェリ・ムタルティロが嫌らしい笑みを浮かべているのが目に入る。
「あれは甲外虫という虫の羽ですね」
「む、虫、ですか・・・」
「因子的には紅燐鉱の代用でしょう。一般的な甲虫と違って外側の固い殻のような羽が成長と共に生え変わる類ですね。あの色艶を見るにおそらく3枚羽、因子の豊富な3度目に生えたものを採集していると見えます。・・・失礼。淑女の前で出す話題ではありませんね。ですが、今は錬金術の最中。お許しくだされば」
「いいえ。見慣れない物に少し驚いてしまっただけですわ」
虫と言われると背筋がゾッとするが、場くらいはわきまえている。だが、今の話が聞こえてしまったであろう周りの少女達の何人かは顔を青くして俯いている。
シヴィアは近くにいた学術協会の職員を呼びつけると彼女達の介抱をするように指示をした。
そんな一幕の間にもアルマスの作業は進んでいる。
『名人』はアルマスの手元を示す。
「ご覧なさい。重要なのは手法です。例え適正な素材ではなくとも、知識と技術があれば十分対処は可能になります。こういった場合に柔軟に結晶錬成を取り込めるかどうかが高位錬金術師としての1種の境目と言えるでしょう。通常、因子の結晶を抽出する際には素材を乾燥させて粉末にし、溶液に混ぜ込み、結晶化へと移行するのが常套手段ですが・・・。ほぅ。まず粉末にしない方法を取りますか」
『名人』はシヴィアへの嚙み砕いた解説をしながらも、同時に楽しんでいるように見えた。どうやらアルマスが珍しい技法を使っているらしい。
アルマスは虫の羽を砕くことなく、濡れた布きんで丁寧に包み込んでいた。そして、素材が十分に潤ったとみると羽を持ち上げて小刻みに揺らす。ポトリと垂れた雫は小皿の上に落下すると同時に固い響きを伴って結晶化していた。
「お見事。簡単そうに見えて、この手法の方が遥かに難易度が高く、因子の質を保ったまま結晶化することができます。湿らせる時間、羽を持ち上げる高さ、垂れ落ちる雫の大きさ、すべてが十全。流石の知識、技術と言えるでしょう。高度な錬成を幾度もこなしてきた証でしょうね」
アルマスが錬成する光景は、次々と目まぐるしく変わっていく。もはやこの場にいる人間のうち、アルマスの行っている作業に付いていけているのは『名人』だけなのではないか。そんな『名人』が珍しく唸り声を上げる。
「ふぅむ。面白い。そんなやり方があるとは。私も知らない技法です」
「『名人』でも把握されていない技術があるのですね」
「『名人』などと呼ばれてますが、実際は一地方で多少名を挙げただけの存在ですよ」
「ご謙遜を」
錬金術に最も精通した者の名を上げろと言われれば、真っ先に『名人』が思いつく。それほどに目の前の初老の錬金術師は、この都市周辺一帯の中でも高名な錬金術師なのだ。
「錬成の話に戻りますか。技術自体は私も習得しています。驚いたのは、その使い方ですよ。聞いたことがない。考えられるとするなら因子のばらつきにあえて方向性を持たせようとしている?そこに利点があるとでも言うのでしょうか?いずれにせよ、凡百の錬金術師であれば失笑を受けるところです。しかし、彼は3級錬金術師。この手法を選んだ意味はきっとあるのでしょうね」
名人は懐から望遠鏡のようなものを取り出してアルマスの手元を覗いている。おそらく錬成の様子を観察するための魔具なのだと思う。
『名人』曰く、アルマスの処置を端的に説明すると、出来るだけ丁寧に素材の因子を結晶化しているのだと言う。その際に因子の密度を高め、少しでも質の高い結晶を生み出していく。
恐るべきことに、およそ考えられる理論値を叩き出しているらしい。
壇上の作業台の上に様々な色の輝石が次々に置かれていく。遠目からはころころと美しい宝石のように見える。どれもそれぞれがそれぞれの力強くも儚い星空を内包しているようで会場中の人々が見惚れている。
その様子にヴェリ・ムタルティロだけが苛立ち、歯軋りをしていた。しかし、不意に不気味な嗤いを浮かべる。
「だが、ここまでだっ!ここからの因子の劣化は免れまい!」
アルマスの手が初めて止まった。ヴェリ・ムタルティロの挑発を真に受けたわけではないだろう。しかし、直前までの流れるような手際が嘘だったかのようだ。
『名人』が神妙に頷く。
「残念ながらこの点はヴェリ・ムタルティロ君が正しい。はっきり言ってここまではあくまで準備段階。錬成親和性の悪影響を取り除くための下処理のようなもの。ここからが正念場です」
アルマスが行っていたのは因子の結晶化による錬成親和性が悪い素材同士の錬金術を可能にするための措置。
しかし、この後の錬成工程で、因子結晶を他の素材と合わせるときに因子の劣化が起こるのは変わらない。
「錬成親和性の脆弱さを結晶錬成で補おうとする代償ともいえるでしょう」
「そんな・・・。やりようはないのですか?」
わかっていたことだが、錬成親和性の悪さが響いている。本当に意地の悪い嫌がらせだ。ヴェリ・ムタルティロが嫌らしく嗤っている。
シヴィアは不愉快になる。なぜ自身の能力を磨くのではなく、他人の足を引っ張るのか。その在り様を好まないシヴィアは、自然とアルマスに肩入れしてしまう。
「一般に因子の劣化反応は珍しくはありません。生身の素材と因子結晶の組み合わせが顕著なだけであって、因子結晶同士のみを合わせる結晶錬成においても多少の劣化は織り込まれるもの。それでも、高位の錬金術師が素材以上の力を引き出した魔具を錬成することができるのは共鳴現象を用いているからです」
「そんなものがあるのですか」
「知らないのも無理はない。これを意識的に再現しようとするのは、ほんの一握りの実力者だけですから。錬成工程の間に受ける様々な外的衝撃による因子の劣化と、共鳴現象による生成因子の強度の向上。高位の錬金術師ほど、この2つの反応の狭間で悩むことになります。一般に1つの工程で掛かる時間が長いほど劣化の幅が大きくなる。外的要因による負担が多くなるわけですからね。しかし、共鳴反応を最大化させるには時間をかけて、結合させる経過の中で因子の錬成反応を観察する必要がある。ここを軽視すれば、錬成そのものが失敗する恐れも出てくる重要な点です。すなわち、どれだけ一つの工程の時間を短くし、なおかつどこまで反応の状態を見極めることができるかが鍵になります」
「あの方は3級錬金術師と聞いています。相当な実力をお持ちでしょう?」
「そうですね。彼ならば現状からでも品質の高い魔具を作り上げられるかもしれません」
「なら・・・」
「ええ。二等品質なら手が届きうる」
二等品質。
上等な品なのは間違いない。どこの店でも自信を持って高級品として勧めるだろう。だが、それでも二等品質。『司祭の銀杖』という一等品質の中の更なる上澄みには届かない。
「これが私の見解です。金属錬成や魔法薬調合といった別系統の錬金術に結晶錬成の手法を組み込む場合、作業中における因子の劣化速度は通常の比ではないのです。時間が経てば経つほど加速度的に因子が衰える。先ほど申し上げた『工程に掛かる時間』と『錬成反応を探るのに掛かる時間』の釣り合いで、現実的に考えられる妥協点がここなのです」
シヴィアは扇子を握る手に力が入ってしまう。
もはや手の打ちようがない。この結末はもとから想定されていたものだった。
「そうですか。結局は3級錬金術師と言えども、できる事には限度があると」
初めからこうなるよう仕組まれていたのだから道理ではある。
やはりシヴィアは陰謀が好きになれない。正当な実力を持つ者が、正当に実力を示すことすら許されない世の中に理不尽さを覚える。それが上流階級の社会なのだと理解していても遣る瀬無さはあるのだ。
人知れず残念がるシヴィアに対し、『名人』は不思議そうに首を捻った。
「ふむ。どうにもこの会場にいる貴人の方々は、3級錬金術師を過小評価しているようですね。シヴィア嬢、貴女も含めてね。何か、そういう噂話を耳にでも?」
「・・・否定はいたしません」
「まぁ、噂に興じるのは麗しい女性達の特権ですからね。そちらには踏み込みませんとも。―――先程の私の答えはこうです。まさか。もし、そうなのであれば、私はここに来ていませんよ。私が示した『現実』とは、あくまで私達の『現実』に過ぎない。だからこそ、見に来ているんですよ。彼の『現実』を」
「それはどういう――――――」
シヴィアが詳しく聞く前に会場にどよめきが走った。
「なんだ?諦めたのか?」
「彼は何をしているんだ?」
どうやらシヴィアが目を逸らしていた間にアルマス・ポルクが奇行に走ったらしい。
なんと因子結晶の全てを燃え盛る炉の中に放り込んだのだ。作業台の上に簡易的に作られた小さな火床の中で因子結晶が火に炙られている。
「はっ!自棄になったか!所詮はただの庶民に過ぎん!前に出過ぎた脇役は引きずり降ろされるものよ!」
ヴェリ・ムタルティロが大声で嘲る。
会場にいる誰もが少なからず同様の考えが過っただろう。すなわち、アルマス・ポルクは錬成を諦め、放棄したのだと。
だが、ただ1人『名人』だけは反応が違った。席から立ち上がり、前のめりになっている。
「これは・・・!」
その声色に驚愕と歓喜が滲んでいるのをシヴィアだけが気付いた。
銀閃が走る。
地から天を逆さまに目指す銀の雷光が幾重にも、絶え間なく連なる。
シヴィアは人生でたった2度目の錬金術の深奥、銀光纏う大錬成に圧倒されていた。
1度目は隣にいる『名人』の非公開錬成に同席させてもらったときだ。
だが、何故だろう。筆舌に尽くし難い感動を得たあの時よりも、今の方が鼓動の高鳴りが激しいのは。
瞬きできないほどに目が離せない。意識が強制的に引っ張られる。
アルマスは熱せられた炉の中から、また1つの因子結晶を取り出す。因子結晶は激しく明滅し、不協和音を奏でながら不規則に震えている。
「あえて負荷を与えることで因子への影響の方向性を限定している・・・?しかし、それも因子の劣化を加速させるだけでは・・・。いや、因子構成の偏りまでも調整しているとすればもしや・・・?」
隣で名人が何かを言っているが、何故かやけに遠くからに聞こえた。
シヴィアはひたすら目の前の光景に見惚れてしまう。
アルマスは赤熱する因子結晶を掴む火ばさみの根元を作業台に軽く叩きつけると、因子結晶の表面の薄膜だけが罅割れて剥がれ落ちる。
「やはりっ・・・!結晶生成時に不要因子のみを外側に誘導し、火入れによる悪影響を集約させ、しかも上手く取り除いている。これならば因子結晶の純度を上げつつ、因子を安定させたまま結晶内部の温度を上げることができる。因子の高純度化はそのまま外的衝撃を受ける防壁の減少とも捉えられるので一概に良いとは言えませんが・・・・・・。それでも、あらかじめ高温にしたこの状態なら熱した金属素材との接触時における因子の劣化が大幅に軽減できるのは大きい!・・・・・・理論はわかります。でも、実践するのはまったく異なる。これは理想を押し固めた机上の空論を無理矢理に押し通そうとするようなもの。なんと、なんとです。身に付けた知識。精妙な技術。見極める才能。なにより失敗の許されない舞台で行う胆力っ。これが、これが彼の現実ですか」
透明な殻を剥かれてなお美しく輝く因子結晶は周囲が歪むほどの熱を帯びている。アルマスはそれを炉から取り出した金属塊の上にそっと載せる。
会場中の空気が止まる。アルマスの動きに連動するように、呼吸を忘れるほどの静寂が場を支配する。
眼前にある膨大な熱を放つ燃ゆる素材はアルマスの瞳に映り、その瞳を紫色に揺らがせている。
やがてアルマスの片手が振り上げられ、その手に握られた金槌が因子結晶ごと金属塊に叩きつけられる。
再びの銀閃が走る。
そのまま2度、3度と金槌の動きに合わせて何条もの白銀の光が吹き上がる。
「綺麗・・・」
シヴィアは感嘆の息を漏らす。それしか、できなかった。
「純度を上げることで、より繊細になった因子結晶は、熱はともかくそれ以外の外的衝撃にはより脆くなっているところ。結合の過程を短時間で無駄なく処理できる自信があっての選択と思っていましたが。それでも、金槌をたった10回にも満たない回数振るっただけで一工程を終えるとは。腕のいい『親方』でさえ四半刻は掛かるというのに」
『名人』にも余裕は無さそうだった。緊張した面持ちでアルマスを見守っている。
シヴィアは痛感する。
いったい誰が、謀に嵌められた哀れな弱者なのか。同情を受けるべき可哀そうな人物なのか。惨めに踊らされる道化などとんでもない。
中央に立つ1人の錬金術は紛れもなく主役だった。誰の否定も受け付けない、堂々と佇む強者に他ならない。
圧倒的な才気で殴りつけるアルマスの錬金術は、他者の妄言を受け付けることはない。
アルマスが金槌を振るう度に、因子結晶は次々に錬成の光へと変換され、金属塊は色形を変えて徐々に丸い鏡が形作られていく。
瞬く間に錬成は進んでいき、とうとう因子結晶は最後の1つとなる。
赤熱した鏡と因子結晶がアルマスの手によって重ねられる。シヴィアは終局を予見して息を呑む。
アルマスは優雅にも見える手つきで、まるで一曲の終幕を告げる指揮者のように腕を振るった。銀の輝きが遂に金へと至る。
『名人』は立ち上がると拍手を送った。
「よもや、一振り。たったの一振りとは。流石は――――――」
シヴィアの耳にはもう誰の声も届かなかった。
シヴィアは生まれて初めて金の円環が弾ける様を目にしたのだ。
講堂中に金の衝撃が波及する。黄金の燐光を纏う『鏡』から目が離せなかった。
気付けば相当な時間が経っていたのだと思う。
心配して迎えに来たメイドに肩を揺らされて、シヴィアはやっとそのことを認識した。
赤面ものの失態を演じたのはシヴィアだけではない。講堂にいた誰もが未だ夢見気分だった。
ふわふわと覚束ない意識のまま、シヴィアはゆっくりと会場中を見渡す。
その場にはもうアルマスは居なくなっていた。




