18.幸福はここにある
⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎
あったかい部屋だなあ。
彼女はそう思った。少し開けられた窓から入ってくる風は、陽射しとは反対に涼しい。
うん、いい天気だ。
ん〜っ、と身体を伸ばす。気持ちが良い。
「気持ち良いところですね、アイレイスさん」
ベッドで眠る彼女の肌色も、心無しか穏やかで、今にも起きだしそうだった。多分起きたら真っ先に怒られるんだろうなあ、と思う。無茶苦茶なのよ! とか言われそうだ。くすくすと彼女は笑う。
よいしょ、と立ち上がる。
きゅるる、とお腹が鳴って、彼女は誰にも聞かれていないことを確認しながら、お腹をさすり、恥ずかしそうに頬を染める。無理もない、と言い訳をする。事実、とてもお腹が空いていた。
(何か食べたい)
腹が減っては戦はできぬのだ。その一心で、扉に向かって進む。
ここがどこかは与り知らぬが、食堂はあるだろう。いや、お金を持っていないので、とりあえず知り合いを探さなければ。アイレイスの屋敷だったら執事かメイドを探そう。
先程の陽気な気分はどこへやら、うー、と口を尖らせ眉尻を下げ、お腹を押さえながら歩く姿からは、腹痛を堪えている以外の状況を想像できない。少々情けない。
ガチャリ、と扉が開いた。
「あ……」
意味も無く、声を発する。
入ってきた青年は、雛㮈の記憶にあるよりも少し伸びた金髪を、耳の高さで縛っていた。碧眼が、驚きに彩られている。大人っぽくなった顔立ちの彼は、彼女の目には、二十代後半、あるいは三十代前半に見える。つまりこの世界での年齢に換算すると、二十代半ばから後半の辺りか。
(あれ……もしかして年齢逆転?)
いや、元々そんなに歳上らしいことはしてなかったけれど。そういうことになるかもと、少し気付いていたけれども。
イザなってみると、しょんぼりしてしまう。成長しろ、と望めば身体を願い通り変化できることを、今の彼女は知っているけれど、なるべくならそうしたくはない。その技は、人間らしくないから。
「……ヒナ?」
恐る恐る訊かれ、彼女は──雛㮈は、きょとりと目を瞬かせてから、にっこり笑った。
「はい! ただいま戻りました!」
成長したカーダルは、開け放った扉もそのままに、早足で雛㮈の元まで駆け寄ると、存在を確かめるように抱き締めた。
「消え、ないよな?」
「き、消えませんよ!」
「本物?」
「本物です」
昔よりも更に男らしくなった声と身体に、心臓が高まる。あわあわしていると耳元で、本当に安堵したような「良かった」という呟きが聞こえた。
「また俺の幻覚かと思った」
「へ?」
照れ隠しなのか、悪戯っぽくカーダルが歯を見せ笑った。
「俺がここ五年で見た幻覚の回数を教えたら、多分、お前は驚くよ」
「はあ、ごね…………五年!?」
ぎょっと目を見開く。まさかそんなに経っているとは思わなかった。現実世界との時間の流れに差があるのは知っていたが……。
あんぐりと口を開ける雛㮈に、カーダルは苦笑した。それから、真剣な瞳を向けて、ヒナ、と呼び掛け、
──きゅるるる〜……
雛㮈のお腹が盛大に鳴った。
「し……仕方ないんです! 五年間何も食べてなくて、いえ体感的にはもっと短かったんですが、つまりだからその……!」
この程度で済んでいるのは、雛㮈が精霊だから、というところが大きい。いやむしろ、“お腹が空いている”というのも、雛㮈自身が“人間、そうあるべき”と考えているからなのだ、が。
真っ赤な顔を隠すように俯く。じたじたと自分の腕から抜け出そうとしていた雛㮈を、カーダルはしばらく眺め、──ふっと笑い、思わず相手の肩に顔を埋めた。身体が小刻みに震えている。
絶対、これは、笑っている。
睨むこともできず、うう、と涙目で唇を尖らせる。
「悪い。……うん、そうだな。まず食事をとろう。他のやつにはその後に挨拶に行こう」
優しい顔で、ぽんぽんと頭を撫でられる。でも、と言葉が続いた。
「申し訳ないけど、これだけは先に言わせて欲しい。いつか伝えると、約束したこと」
カーダルがその場で片膝をつき、雛㮈の左手を恭しく取る。真摯な眼差しが雛㮈に向けられる。
「うぁ……」
瞬間的に身体を引いた。日本人なので、こういうことには慣れていない。あまりに恥ずかしくなってうろうろと視線を彷徨わせると、逃げるな、と言わんばかりに手を掴まれた。
「好きだ」
ふ、と息を飲む。
「頼りにならないかもしれないが、この命がある限り護ることを誓う。だから共に生きて欲しい。俺の隣で笑って、俺の腕の中で泣いてくれ。頼むから、これから先、傍にいて」
触れた手から、熱が伝わってくる。緊張も。
返事を待つ瞳に、言葉が出なくなる。自分の気持ちを返したいのに、言葉が喉から出てこない。
何かを返さなければ。
その気持ちが焦りになる。
渇いた唇を湿らせ、言葉を紡ごうとして、失敗して──繰り返し。
カーダルの瞳が伏せられる。
「っ、ぁ……」
咄嗟に右手でカーダルの手を包んだ。想いから力が生まれる。
「わ、たしも……っ、好きです」
本当は、もっと伝えたいことはあったけれど、それ以上は言葉が続かなかった。それでも想いを伝える分には十分だったようだ。
カーダルの、幸せを噛み締めた笑顔を見て、察する。
その笑顔に油断していたのか、一気に立ち上がるカーダルの行動に反応が遅れた。彼はさっと雛㮈を横抱きにする。ひゃ、と悲鳴を上げ、反射的にカーダルの首に手を回す。
「さて、挨拶の前に食事だったか?」
「あ、はい。……ま、待ってください。ここはどこですか?」
どこか、という問い掛けに、カーダルはシレッと「王城」と答えた。
おうじょう、おうじょう。混乱する頭で何度か変換を繰り返し、『王城』がヒットする。ついでに過去にカーダルの発言と手繋ぎによって広まった噂も思い出す。
「ちょっ、まっ……おろ、下ろしてくださっ」
暴れて嘆願する雛㮈のことなどまるで気にせず、カーダルは開け放たれた扉をそのまま潜った。
結局王宮の食事処までそのままだった……どころか、各々への挨拶までその状態だったとか、そうじゃなかったとか。
真偽の程は定かではないが、少なくとも次の日に、相変わらずの噂の広まり具合に机に突っ伏した雛㮈の姿があったことは、事実である。
◆ハッピーエンドの材料はどこにある? 完
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!
自分の未熟さに悶絶する日々でしたが、
みなさまのお陰で、無事に完結まで頑張ることができました。
そうでなければ、たぶん「もうだめ見てらんない、更新できない無理」と投げ捨てていたと思います(苦笑)
本当に、本当に、ありがとうございます!
★キャラ語りは、活動報告にて。
★アイレイスさんが無事に彼と再会できたかどうかは、また気力があれば、後日談として掲載したいと思います……。今のところ、力尽き状態です。