婚約破棄
レクスリア王国の王宮の奥深く。
公式の謁見に使用するのではない、王族のプライベート空間にある『白木蓮の間』に、緊張感が走った。
そこには、この国の女王陛下とその王配陛下、そして王国の次世代を担う第一王子にして王太子のアルベールと、テーブルを挟んで向かい合う形で、王国の大宰相であるグラント公爵とその弟であり婚約者の父親ランズターン侯爵、そしてアルベールの婚約者のサリア·スペンティアラが座っており、今まさに侯爵が王家に対しての挨拶を恭しく述べているところであった。
その挨拶が終わるかどうか、と言うところで、いや侯爵の最後の言葉に被さる勢いで、
「王太子殿下との婚約解消を願います」
と告げたのはサリア本人であった。
その言葉に、大宰相の伯父と父はぐわんと風圧を感じる程の勢いで首を右に曲げてサリアを凝視し、向かい側にいる王族たちは、みな一様に、何とも言い難い微妙な表情を浮かべていた。
「サリア、淑女としてみっともない」
父が顔を赤くして震える手をもう一方の手で押さえながら叱責したが、サリアは顔を向けるでも無く、
「当初の契約の通り、速やかな、婚・約・解・消をお願いいたします」
もう一度、はっきりと聞き取りやすく言葉を区切って繰り返した。
「あー、此度のことはアルベールから昨夜聞いていた。確かに非はこちらにある。こちらにあるが、なんと言うか」
王配陛下が言葉を絞り出していたが、チラリと王太子を見て、それから大宰相に視線を送った。
「サリア、王太子殿下の昨日のお戯れについては、確かに非があり、お前の気持ちもわかるが、それですぐに婚約解消としていたらば、この国で貴族は誰も婚姻に至らなくなるぞ。況してや殿下は王族だ、そこを鑑みればこんな騒ぎを起こすほどのことでもあるまい」
父の隣から、伯父である宰相からの重々しい叱責の声が飛んだ。
「ええ、そうでしょう、そうでしょう。
王太子殿下と昵懇なご関係であられる彼の方のことは、社交界では知れた話。とは言え、毎度毎度、その逢瀬を婚約者との親睦の日に合わせることも無いと思うのですよ。
月に日は30日、年に月は12ヶ月。
私と殿下が会うと決まった日に限って、必ず彼の方がはずせない用事を思い出し体調を崩しその都度殿下が駆けつける。
ある日は約束直前に断りの連絡があり、ある日は約束の場へとわざわざ使いがやって来て一緒に帰られ、ここのところは2回連続で、一切合切連絡もなく日がな1日待ちぼうけ。その日数もとうとう昨日で10回目、2桁突入ですわ。
婚約前の顔合わせの1度、婚約式の1度を除いたそれ以外の全部の約束を反故にするとは、色恋としてではなく、人としての常識を疑います。
私がお付き合いするのは1年間と王家より申し入れがあった際にきちんとお約束したはずです。当然、婚約契約書にもその旨記載がございます。
それに基づいて、正しく婚約解消をお願いします。ぜひとも陛下のご英断を心より期待しております」
サリアは持ってきた封の開いた手紙を7通、テーブルに女王に見やすいように並べていった。
「直前キャンセルのお申し出が5通、前日の無断キャンセルの詫び状が2通でございます。残り3回は待ち合わせ場所に彼の方の侍女や侍従が現れて一緒に帰られた時にその場で軽く謝罪を述べられておりましたのでお詫び状は必要ないと言うご判断でしょうか、頂いておりませんので。これが手持ちの全てです」
女王は、冷たい目を息子の王太子に向けた後、その手紙を一つずつ手に取り眺めて、
「お前の字は毎度毎度、ずいぶん癖が変わるのね。難儀なこと」
そう言って、スペルのトメハネを一つずつ指摘した。
当然本人の手によるものでは無く代筆なのは一目瞭然。
その女王の仕草に王太子は唇の端をブルブルと震わせて、目を伏せながら
「すみません」
と囁くような小さな声で呟いた。この謝罪は被害を受けたサリアへと為された物では無いのは明らかであった、だってサリアへは憎しみを込めた目で睨みつけているのだから。
はあああああああああ、と深いながーいながーいため息を吐いてから女王がサリアの目をまっすぐに見た。
「王太子アルベールによる不貞と悪意の遺棄により、サリア・スペンティアラとの婚約の解消を認める」
「「な!」」
「ま!」
「は!」
さすが兄弟、スペンティアラ家の二人は声を合わせて目を見開いて女王を見つめ、王配と王太子は左右からこれまた目が溢れ落ちそうなほど大きく見開いて見つめた。
女王はそんな周囲に全く目もくれず、サリアに向かって
「サリア、貴女がこの国の王妃になってくれれば安泰だと思っていたのに本当に残念。王太子のことに目を配らなかった母である私の落ち度、本当に本当に心底残念だと死ぬまで後悔するわ」
そう声をかけて、肩を落とした。
「まあ陛下、そんな大袈裟な。大丈夫ですわ、スペンティアラの血を王家に入れる必要があるのですよね。我が家にはセリアが居ますから、あの子が嫁いで直ぐに年子で王子を2人生みますよ」
サリアは当たり前のようにそう口にして、ウフフと笑った。
「そんなお前、何を勝手にいい加減なことをぬけぬけと」
隣から父親が大きな声でサリアに怒鳴るが、
「侯爵、煩い。最初に話を持っていった時からサリアはそう言っていたじゃないか。アルベール、お前もセリアが良いと言っていたな、ではそう言うことで」
女王がキッと強い視線で制して、端に控えていた書記官に目配せをした。
「な、ちょっと待って下さい。サリア、君とセリアでは大違いだ。王妃の職務をセリアがこなせるとは思わない。もう一度思い直してくれないか、この通りだ」
ここに来て初めてアルベールがサリアの顔を見て頭を下げた。
「フフ、ご冗談を。昨日も申しましたでしょ、婚約契約書に基づいて粛々と解消致しましょうと。
だいたい殿下ったらお会いした初日に『君の方が僕の隣に相応しい』とセリアに向かって仰ったではありませんか。あの日からあの子は本気にして、何度も何度も父にも母にも。ねえ伯父様、大宰相である伯父様にも随分しつこくおねだりをしておりましたわね」
サリアの唇は綺麗な弧を描いていて、目は細められていたけれども、決してその目は笑みを湛えてはいなかった。
その顔で、王太子をじっと見てから、隣の父と伯父にも同じ顔を向けて見せた。
「そ、それは、そんな言葉なぞ冗談だ、そんなこともわからぬお前じゃないだろう。ちょっとしたリップサービスだろうに、言葉尻を取って」
父がギリリと音がしそうな程強く奥歯を噛み締めながら、サリアを睨み付けて言い募るが、
「侯爵の今の発言を聞くに、間違いなく言ったのだな。それを両親も、本人セリアも聞いていると、そう言うことで相違無いかアルベール」
女王がその言葉をしっかり拾い上げて、横にいる王太子に突きつけた。
「は、はい。言ったのは間違いありません。しかし、それは」
「よい。言ったと言う事実があるのであればその責任を持つのは王族として当然のこと。王族の言葉はそれほど重いと、常々伝えてきたはずだが。良い年をしてそんなことも分からぬ故に、みすみすこの国の宝を逃がすことになったのだ!恥を知れ、痴れ者が」
女王が再度、王太子の言葉を強く遮って厳しく叱責した。
「サリアお前、この後どうするつもりだ。言ってはなんだが、王太子殿下との婚約を解消した侯爵令嬢など傷物以外の何者でもないぞ、お前にこれ以上の縁が結ばれるとは思えないが」
伯父の大宰相が顎を撫でながら、婚約を解消したい令嬢に思い止まらせる言葉、第一位をゆっくりと呟いた。
サリアはうっそりと笑みを深めて、伯父を見てから、姿勢を正して女王へと向き直すとソファから立ち上がり、綺麗な深いカーテシーをして口上を述べた。
「陛下、どうぞ私の、スペンティアラ侯爵家の貴族籍を廃して、平民としてくださいませ」
「え!?」
その部屋に、王配の声だけが響いた。
「面を上げ、説明せよ」
女王の言葉に、サリアは姿勢を戻して真っ直ぐに見やり、
「私は、王太子殿下の婚約を解消した暁には平民として暮らしていくことを希望しています。その為の準備は既に終えてございます」
今度こそ満面の笑みでそう伝えたのだった。
「貴族の婦女子が一般人として暮らせるものか」
父親が立ち上がってまた大きな声で怒鳴ったけれども、
「何度も言わせるな、侯爵煩いと言っているのがわからんのか。静まれ座れ。サリアもだ。もう一度確認するぞ、一度貴族籍から廃籍したら最後、二度と元には戻れない。それを知っていて本気で言っているのか」
女王に叱られて父はすごすごとソファに座り直し、サリアも優雅に腰掛けて、それから真っ直ぐに女王を見つめて、
「存じております。それでも廃籍をお願い致します」
と、言葉を重ねたのだった。
もう一度長く深いため息を女王が吐いて、それから、文官に指示をして書類を纏めさせ、サリアがサインを迷い無くすれば、王印が目の前でドンと押されて、サリアはただのサリアとなった、のであった。
話し合いを終えて王宮を出ると、馬車止めには馬車では無く、まだまだ王国では滅多に走っていない黒い自動車が停まっていて、サリアが前に立つとドアマンが恭しくドアを開けた。
「さ、サリアお前」
「では、大宰相閣下、侯爵閣下。幾久しく健やかであらせますように。これにて御前失礼致します」
元父親の言葉を遮るように口上を述べて、さっさと車へと乗って出ていってしまった。
この日、サリアは待ち望んでいた最善の未来に向かい、自由を得て旅立ったのである。




