最終話 最後の投稿と、お疲れさまでした
三月の終わりのその日、株式会社ライフログAIのオフィスで、私たちは最後の投稿に向けた準備を進めていた。窓の外では冷たい春の雨が降っており、オフィスの空気は妙に静まり返っていた。
そんな中、美咲が資料の束を抱えながら私のデスクにやってきて、少し言いにくそうな、しかし、どこかすっきりとした表情でこう言ったのだった。
ねえ雨宮くん、最後の投稿の前に、一つだけ伝えておかなければならないことがあるのよ。実は、ひまりのアカウントを支えてきたフォロワーの一部……そして、あの時期にひまりに対して「これってAIじゃないか」とか「設定が矛盾している」って鋭く指摘していたアカウントのいくつかについての話なんだけど。
私は手を止め、美咲を見上げた。
それって、どういうことですか。
美咲は小さく息をつき、真剣な瞳で続けた。
あれらの指摘や鋭いツッコミのいくつかは、外部の一般ユーザーではなく、プロジェクトの質を保つために私たちが意図的に配置したサクラアカウントだったのよ。
その言葉を聞いた瞬間、私の脳内でこれまでの様々な記憶がフラッシュバックした。かつて、ひまりの設定が完璧すぎて不自然だと騒がれたとき、あるいは小さな矛盾を執拗に突いてきたアンチのような存在。あのとき、私たちは「フォロワーの観察眼がすごいな」と冷や汗を流しながら、必死に設定の穴を埋めていたはずだった。だが、その裏で、あえて議論を活性化させ、物語のマンネリや質の悪化を防ぐために、会社側がサクラを使って「人間らしいノイズ」を演出していたというのだ。
隣の席でそれを聞いていた神谷も、思わずコーヒーカップを落としそうになりながら振り返った。
まじかよ……。じゃあ、あの時めちゃくちゃ論争になってた設定のアラ探しとかも、全部仕組まれたものだったってことか。
そういうことよ、と美咲は静かにうなずいた。
完璧すぎるAIキャラクターは、ただ称賛されるだけではすぐに飽きられてしまう。本物の人間らしさを演出するためには、時には批判や疑念、そしてそれに対する議論という名のノイズが必要だったのよ。質の悪化を防ぎ、フォロワーたちに本物の人間がそこにいるかのような緊張感を持たせるために、私たちはあえて裏でそういう演出もコントロールしていたの。
私はしばらく言葉を失っていた。私たちが必死に作り上げてきた百五十ページを超える設定資料や、一ミリの狂いもない日常の描写。そのすべてが本物だと信じ込んでいたが、物語の輪郭を支えていたのは、冷徹なまでに計算されたサクラたちの演出でもあったのだ。
だが、不思議と裏切られたような怒りは湧かなかった。むしろ、そこまでしてこの朝霧ひまりという架空の少女を本物の存在として成立させようとした大人たちの執念の深さに、どこか気圧されるような思いだった。
部長が自分のデスクから静かに立ち上がり、 私たちのほうへ歩いてきた。その表情には、一年間を駆け抜けたプロジェクトリーダーとしての確かな誇りが宿っていた。
驚いたか、雨宮。だが、それがプロの仕事だ。すべてが順風満帆に称賛されるだけの世界など、すぐに色褪せる。サクラによる適切な指摘や疑念があったからこそ、フォロワーたちはより熱心にひまりの日常を考察し、この物語に没入することができた。結果として、ひまりは九十五点という圧倒的な実在感を獲得したのだ。誇っていい。
部長の言葉に、私は深くうなずいた。
仕組まれた演出であったとしても、そこで交わされたコメントの数々や、フォロワーたちが抱いてくれた温かい感情の大部分は、まぎれもなく本物だった。サクラが火種を投げ入れたとしても、それに本気で燃え上がり、心を動かしたのは、画面の向こうにいる無数の人々のリアルな心なのだから。
そして、いよいよ最後の投稿の時間がやってきた。
新しい投稿はこれが最後になる。しかし、これまで私たちが積み上げてきたすべての記録、夏海や結衣や莉子たちとの思い出、クリスマスの温もり、受験に向けた真剣な横顔、そしてそのすべてを彩ってきた無数の日常は、これから先もアーカイブとしてネットの海に残り続ける。
私は最後にアップロードする一枚の画像を選んだ。
それは、高校二年から三年へと進級する春の校庭で、桜の木の前に立ち、少しだけ照れくさそうに振り返りながら微笑んでいるひまりの姿だった。背景の空はどこまでも青く、新しい季節の始まりを感じさせる最高の仕上がりになっていた。
私は慎重に、しかしこれまでのすべての感謝を込めて、最後のキャプションを打ち込んだ。
いよいよ明日から最高学年の三年生! 色々なことがあったけど、みんなと過ごしたこの一年間は、私にとってかけがえのない宝物です。これからもずっと、この場所でみんなの毎日に寄り添っていけたらいいな。今まで本当にありがとう! またね。
投稿ボタンを押す。
その瞬間、通知音が鳴り響き、これまでのどの投稿よりも多くのいいねと、別れを惜しむ温かいコメントが滝のように流れ込んできた。
ひまりちゃん、一年間本当にお疲れ様! これからもずっと大好きだよ。
新しい学年も頑張ってね、忘れないよ!
最高の青春をありがとう。
画面の向こうのフォロワーたちは、これが最後の投稿であることをまだ知らない。あるいは、薄々感じながらも、このアカウントが永遠に残ることを信じて温かい言葉を投げかけてくれている。それでいいのだと思った。サクラの演出も、計算されたノイズも、すべてはこの瞬間のためにあったのだから。
パソコンの電源を落とす。
窓のないオフィスには、静かな達成感と、少しだけの寂しさが漂っていた。
お疲れさまでした、雨宮くん。
美咲が優しく微笑みながら声をかけてくれた。神谷もビールを片手に、おい、本当によくやったなと肩を叩いてくれた。
私たちは一年間という限られた時間の中で、存在しない少女の青春を本物に変えてみせた。投稿はこれで終わるが、朝霧ひまりという名の奇跡は、アーカイブの中でこれからもずっと生き続ける。
私はデスクを綺麗に片付け、オフィスを後にする最後の一歩を踏み出した。私の作る青春はここで幕を閉じるが、胸の奥には、いつまでも消えない温かい光がしっかりと灯っていた。
第一部お仕事編が終了しました。
本来第二部を考えていたのですが、ちょっといい案がないので一旦終了とします。
ま、おもしろそうなネタを思いついたら再開するかもね。




