第1話 変な求人見つけた
給料日前というものは、現代社会における最大のストレス要因ではないだろうか。俺、雨宮悠は、期限の切れた電気料金の督促状と、残高が数千円しかない通帳を交互に見比べて、盛大に溜息をついた。築四十年、家賃五万円のこのアパートは、壁が薄いせいで隣人の生活音が筒抜けだ。隣の大学生が毎晩のように友人を招いて騒いでいる声を聞きながら、俺は冷めたコンビニのカップラーメンをすする。これが二十四歳の現実だ。
俺の本業はAIクリエイターだ。といっても、世間で持て囃されているような最先端の研究者でもなければ、億単位の利益を出す開発者でもない。クラウドソーシングサイトで、企業の依頼を受けてAIに画像を出力させたり、短文を生成させたりして、小銭を稼ぐいわゆる末端労働者だ。画像生成、文章生成、最近ではプロンプトの調整も請け負う。単価は叩かれ、競合は増え続ける一方だ。
最近、AI生成技術の進化は目覚ましい。SNSを開けば、人間と見分けがつかないような美男美女の画像が流れてくるし、流暢な日本語を操るインフルエンサーの投稿も、その大半がAIによるものだと言われている。しかし、皮肉なことに、技術が普及すればするほど、俺のような人間の立場は危うくなる。誰もが安価にAIを扱えるようになった今、特別なスキルを持たない俺の価値は、限りなくゼロに近づきつつあった。
もっと稼がないと、家賃が払えなくなる。食費を削るのも限界だ。俺はスマートフォンを取り出し、深夜の求人サイトを徘徊し始めた。検索条件は、未経験歓迎、在宅勤務、高報酬。そんな都合のいい求人など存在しないことは分かっている。大抵は怪しい情報商材の勧誘か、ネットワークビジネスの入り口だ。それでも、夜の静寂の中で、俺の指は勝手に画面をスクロールしてしまう。
条件を絞り込み、ランキング形式で表示される求人リストを眺める。データ入力、ライティング、テスター、どれもこれも心躍らないものばかりだ。そんなとき、リストの最後尾に、ひときわ異彩を放つ求人が目に留まった。
株式会社ライフログAI。募集職種は、AI人格運営担当。月給三十万円以上。賞与あり。勤務地は東京都内、ただしリモートワーク可。
目を疑った。未経験歓迎で、この高待遇。しかも業務内容はAI人格運営担当という、聞いたこともない職種だ。怪しさ満点だ。クリックした指に力が入る。求人ページには、淡々とした説明文が並んでいた。
業務内容、AI人格制作およびSNS運営。架空の人物のSNSを企業向けに運営し、ファンを獲得する仕事。キャラクター設定管理。AIによる画像生成、文章生成。
さらに、応募条件にはこう書かれていた。
高校生活を懐かしく思える方、もしくは鮮明に覚えている方。想像力が豊かな方。演技力に自信がある方。そして、何より、秘密を守れる方。
俺は思わず吹き出した。高校生活を懐かしく? そんなの、誰でもそうだろう。今の高校生が、SNS投稿を法律で禁止されるというニュースは知っている。近未来の法改正で、なりすましやトラブルを防ぐために、十八歳未満のSNS利用には制限がかかるようになったからだ。その隙間を縫うようにして、架空の高校生を演じる需要が増えているということは、業界の端くれにいる俺も薄々感づいていた。
だが、これほど大々的に募集している会社があるとは思わなかった。しかも、報酬が破格だ。今の俺の月収の三倍はある。
俺は、キーボードを叩いて、会社名で検索をかけた。ウェブサイトは極めてシンプルだった。黒を基調としたデザインに、薄いフォントで文字が浮かび上がる。実績紹介というページがあったが、具体的なSNSのアカウント名は記載されていない。企業向けのシークレットサービスがメインのようだ。怪しい。怪しすぎる。だが、それ以上に、俺の興味を惹いたのは、この会社が何を目的としているのかという謎だった。
応募フォームを開く。住所、氏名、年齢といった基本情報のほかに、記述式の質問が五つ用意されていた。
一番、あなたがこれまでの人生で、最も後悔していることは何ですか。
二番、嘘をつくとき、何を一番大切にしますか。
三番、架空の人物を、現実の人間だと思わせるために必要なものは何だと思いますか。
四番、あなたの演技力を百パーセント満点で自己評価してください。
五番、なぜ、この仕事に応募したのですか。
なんだこの質問は。普通の求人なら、志望動機や経歴を聞くはずだ。まるで、心理テストか、哲学の試験を受けているような気分になる。だが、不思議なことに、俺は不快感を感じなかった。むしろ、妙な高揚感を覚えた。この質問に対する答えを考え始めると、深夜の孤独感が少しだけ和らぐような気がしたからだ。
一番の質問に対しては、適当に無難な答えを書く。二番に対しては、罪悪感の欠如、と書いてみた。三番は少し考えた。ディテール、とだけ入力する。四番には、自信はないが、とりあえず八十パーセントと入力した。五番には、正直に、お金がなくて、と打とうとして、指を止める。そして、こう書き直した。誰かの人生を、もう一度体験してみたいからです。
送信ボタンを押すとき、指先がわずかに震えた。何かが変わるかもしれない、そんな予感がした。画面に送信完了の文字が表示される。俺はスマートフォンを放り出し、再び冷めたラーメンを口に運んだ。結局、ただの暇つぶしだ。期待なんてしていない。そう自分に言い聞かせていたのに、その夜、俺はなかなか眠りにつくことができなかった。
翌日、俺はいつものようにクライアントからの修正依頼に追われていた。画像生成のプロンプトをいじり、細かな修正を繰り返す。単調な作業の合間に、ふと昨日のことを思い出す。まさか返信が来るなんてことはないだろう。そう思っていたその時、スマートフォンが振動した。見慣れないメールアドレスからの受信だ。件名は、株式会社ライフログAI、面接のご案内。
心臓が跳ねた。迷惑メールフォルダを確認する。受信トレイにある。間違いなく、あの求人だ。俺は息を呑んでメールを開いた。面接の日時は明後日。場所は、オフィスビルの一室。俺は、これまでの生活が大きく変わるかもしれない、そんな予感と、それ以上に、奇妙な冒険が始まるのではないかというワクワクした気持ちを抑えきれずにいた。
俺の退屈な日常が、終わりを告げようとしている。あるいは、もっと奇妙で、もっと忙しい日常が、幕を開けようとしているのかもしれない。俺は、デスクの横に置いた冷めたコーヒーを飲み干し、決意を固めた。もし、この仕事に採用されたら、全力で高校二年生を演じてやろう。たとえ、それがどのような形であれ、俺の人生の新しいページをめくる、大きな転換点になるはずだ。
俺は鏡を見た。そこに映っているのは、疲れ切った二十四歳の男の顔だ。数日後には、この顔が、何者かになって、画面の向こう側の誰かに届く言葉を紡ぐことになる。その想像をするだけで、胸の奥が熱くなるのを感じた。怪しい会社、謎の仕事、高報酬。すべてが胡散臭い。だが、今の俺には、その怪しさすらも、輝いて見えたのだ。
よし、行ってやろうじゃないか。俺は面接の準備を始めた。まずは、高校生について調べることからだ。今の高校二年生は、どんな音楽を聴き、どんな言葉を使い、何に悩んでいるのか。俺の調査という名の、新しい生活が、今、ここから始まる。




