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Focus -鏡の道化師-【後編】  作者: 関 凛星
Ⅴ. 褪せた赤糸
8/11

ⅶ - 時を止めた砦

 ()みがかったこげ茶色の髪。瞳の茶色はそれよりも明るいもので、あいつのようにぱっちりと見開かれている。そして、大人にしては、背が小さい。


 一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。間違いない。ボクはどこまで、あいつに縛られ続けなければいけないのだろうか。


「……どうしたんだ? こんなところで」


 向こうも少々驚いている。こちらが子供だと分かったからか、声色(こわいろ)を柔らかくした。


「――――っ」


 答えたくない。ボクはどうにか、威嚇(いかく)してやろうと思った。なのに…なぜか、力が入らない。


「…あっ、大丈夫。オレは怪しい者じゃないから――まあ、こんなところにいるけど。な、だから…ちょっと、ここにいて。人 呼んでくるから」


 青年は穏やかながらもあたふたしながら、部屋の外に消えた。嫌な予感しかしなかった。声も喋り方も仕草も、あいつにそっくりだ。確かあいつには子供が……いや、ハルはあいつを招くとき、“自分が死んでから半世紀経っている”と言っていた。とすれば、あの青年は…年齢的に、孫か? そもそも、どうしてこのような場所にいるのか。とにかく、訳の分からないことが多すぎる。


 などと考えている間に、こちらに向かってくる複数の足音が聞こえた。帰ってきた。


「ほら、この子だ」


 先程の青年の後から入ってきたのは……二人の男女だ。


 こんな偶然があるのだろうか。その二人の風貌は、あいつが語る子供の特徴と一致していた。赤毛にオッドアイの次男と、金髪に灰色の大きな目をした娘。特に、次男の左目は…絵の中の“ボク”と同じ、深い青だった。あまり考えなくても察することができた。これは、非常に恐ろしいことが起こっている。


「――そうだ、名乗らないとな。オレはジョー。そして、こっちが弟のビリーと、妹のベルだ」


「…………」


 その名前を、ボクは聞いたことがあった。もはや絶望しかなかった。どうせなら、この場で死んでしまいたい。きっともう、どうしようもないのだ。


「…まあな、怪しまれるのも無理ないよ。こんな“いわく付き”の場所で住んでいるなんて、誰にも言えないからな」


「“いわく付き”…?」


「おう。30年ほど前に、ここの屋敷が燃やされて……それ以来、財宝目当てで地下を探りに来た(ぬす)()たちが一人残らず行方不明になったんだ。そしてそれが、火事で死んだ人々の亡霊によって呪い殺されているんじゃないか…という(うわさ)になって、誰も寄りつかなくなった。ここは、そういうワケありの場所なんだよ」


「だから……要するに、おれたちもワケありということだね」


 あれからもう30年も経つのか。ジョーとビリーが立ち位置を交代した。ビリーはあいつと同じくらいの背丈で、小汚い白衣を着ている。確か、薬か何かの研究者だったはずだ。


「君は、道化鏡だよね?」


 穏やかな口調で、ビリーが(たず)ねる。ボクは嘘をつかないで、小さく(うなず)いた。ビリーの顔は三人の中で一番あいつから かけ離れているが、奥さんや、もしかしたらかつてのボクに近いかもしれない。兄の髪色と、弟の左目と顔立ち。あいつの身体は、もとはボクのものだった。それで、こんな風にボクの面影もうっすら混ざっているのだろうか。そんな…あいつはボクではないし、ボクもあいつではないのに。


「…(あるじ)のもとから、逃げてきたの?」


「……うん」


「そうか…。ところで、とってもよさげな服を着てるね」


「…………」


「まあ、いろいろあったんだろう。ここでゆっくりしていきなよ。なんなら(かくま)ってあげるから」


 ビリーはそっと笑った。ここから逃げ出すことはできなさそうだ。ボクがうつむくと、ジョーがボクの見ていた絵に歩み寄った。


「――――!」


 反射的に振り返った。その絵に触れたら――


「おっと…ごめん。この絵、綺麗だよな。オレもお気に入りなんだ」


「…………―――」


「それから、これも」


 確かあいつは、ジョーのことを芸術家だと言っていた。


「“1569年9月”……そうそう、これこれ」


 ジョーはボクの前に、その絵画を(かか)げた。それは…凛々しい顔をした幼い兄弟が、並んで立っている絵だ。


「仲(たが)いって怖いな。こんな殺し合いになるなんて…」


 ……! なぜ知っている。

「…そうそう。この兄弟がとても仲悪くて、いろいろモメた結果、人が殺されたり、屋敷が燃えたり…な、したんだよ」


 そんなこと、教えられなくてもボクなら知っている。それに、きっとボクの方が詳しいだろう。とはいえ、それを口に出すのはまずいので()み込んだ。


「ねぇ、貴方(あなた)の名前は?」


 と、ベルがボクのすぐ横に来た。その豊かな胸は、母親――あいつの奥さん譲りだろうか。背丈は、ジョーより若干小さいくらいだ。


「……リーゼル」


「へぇ、リーゼルっていうのね。じゃあ、よろしくね」


 ベルは子供のようにニコニコして会釈(えしゃく)した。あいつの子供三人に取り囲まれ、なんだか歓迎されている。面倒なことになった。









***









 彼らは肖像画のあった部屋を少しばかり掃除して、ボクを住まわせた。


「悪いな……ここ、食べ物もないし、着替えも用意できるかどうか微妙なんだ。でも、絶対に誰にも見つかったりしないから、そこは安心してくれたら良いよ」


 地面に三角座りするボクの隣で、ジョーがあぐらをかいて言った。


「えっ、じゃあ…その、三人はどうやって――」


「さあな」


 三人は水浴びをするとき以外、外に出ない。ジョーは三人の中で、(しゅ)としてボクの面倒を見てくれる。研究者であるビリーはほぼ一日中、部外者には入れないはずであるあの研究室に入って何か研究を行っているらしい。ベルは兄たちの間を行き来して、手伝いなどをしているという。


彼らがその両親と同じくらい、とても仲睦(なかむつ)まじいことは十分に分かった。ただ、ボクが一番知りたい疑問などに限って、彼らは絶対に教えてくれなかった。逆にボクのことについても深く掘り下げようとしなかったので、それは助かったのだが。


「食事は取らなくてもいいの…?」


「大丈夫、気にしないで」


「…………―――」


 ジョーは立ち上がって腕を組み、立て掛けてある絵を見た。ボクが来てからは、ずっと表向きにしてある。


「うーん……本来なら歴代の当主の肖像があるはずなんだけど…、分家から出てきたって話はないし、そもそもこんなところじゃなくて、例えば当主の部屋に飾ってあったとか…たぶん、火事でなくなったんだろうな」


 独り言のような形で、この家の一族を描いた絵とその背景についていろいろと解説してくれた。その大半はボクも知っていることだったが、どうしてそんなことまで…というような踏み込んだことも、彼は話した。


 もしかしたら…ビリーあたりがこの家を継いでいたのかもしれない。ならば今、三人が庶民的でみすぼらしい格好をしているのは、火事から逃れた後、落ちぶれたからだろうか。いや……そもそも、彼らの今の暮らしが謎だらけだし、跡継ぎを巡って熾烈(しれつ)な競争をさせるこの家で兄弟がここまで仲良しなのも珍しいはずだ。


あと、あいつと奥さんの会話に、クレメンス家に関する言葉が出てきたことはゼロに等しい。その上で、“弟”であるハルが、あいつに一目置かれている。まさか…逃げた? いや、あの家から逃げるのは難しいだろう。だったら、あいつに、奥さんに、ハルに、そして彼ら三人に、一体何があって、今に至るのだろうか。とても気になる。


 ――そうだ。


「…ねぇ、ジョー」


「うん?」


「家に帰ったりしないの?」


「ああ…いろいろあって、今はここが家みたいなものかな」


「…………」


 少し失敗した。彼らから今までの経緯を聞き出すのに、言いづらいところから入ってしまってはならない。


「――あっ、ごめんごめん、なんだか暗い空気にしてしまって」


「ううん…じゃあ、何か、小さい頃の思い出とか教えてよ」


「思い出か? うーんと……」


 ジョーは口元を(ほころ)ばせて、少し照れくさそうに語り始めた。初めは恥ずかしいからか途切れ途切れに話していたものの、次第にどこか遠くを見つめながら、誇らしげに話すようになっていった。語られる思い出は一つ一つが小さくも、確かな(ぬく)もりがこもった出来事ばかりだった。というのも、彼は一つに限らず、いくつも語ってくれたのだ。まるで魔法のようだった。彼が話す“両親”があの夫婦だということも、話が終わる頃には忘れかけていた。


 ボクも……彼のような思い出が欲しかった。


「――まあ、この通り、大したことはそんなにないけどな。こんなもんだよ」


 ジョーは頬を赤くして笑った。その笑顔で、ボクはまたあいつのことを思い出した。とりあえず明らかになったことは……あいつや彼らは、この家にも、この街にも住んでいなかったということだ。あいつは何かしらの理由で街を追い出されたのか。それにしては、制裁を受けたわけでもなく、豊かで幸せな暮らしをしている。そして彼らは、この家にある意味“戻ってきた”。ますます謎が深まるばかりだ。


「ところで、どうしてオレにそんなことを…?」


「…………」


「…あ、なんとなくか?」


「……うん」


「そうかそうか」


 ジョーは多くのことを話してくれたのだが、正直、ボクが最も知りたいことには迫ることができなかった。さすがにこれ以上のことを根掘り葉掘り訊くと怪しまれる。この日はこれくらいにしておいた。


「…あっ、そうだ」


「ん?」


「リーゼルの主は……この街に住んでるのか?」


「――!」


 思わずビクッとした。いきなり何かと思ったら…。


「ううん…」


「ああ、ここ以外ね」


 と、そこでドアをノックする音がした。


「どうぞ」


 入ってきたのは、ベルだった。彼女はいつも、機嫌がいい。


「何の話してたの?」


「ああ…この絵のこととか、いろいろ。どうかしたのか?」


「ううん、なんとなく気になって」


「……まあ、入っておいでよ」


 ジョーはベルを招き入れた。彼女もお喋りで、主にこの地下の構造について話してくれた。ボクは全部知っているのだが、それは黙って聞いていた。


「――でも、凄いわね。あんな(わな)だらけの迷路をかいくぐって、ここまで来たんでしょ? 見事だわ…」


「うん…」


 そりゃそうだ。何度も念入りに下見をした場所である。間違えるはずがない。


「あれな……オレたちも下手したら餌食(えじき)になってたよな」


「本当にジョーのおかげだったわ」


「ははっ…そんなことないよ」


 二人は顔を見合わせて笑った。そういえば……この家の地下には、被験者(ひけんしゃ)を閉じ込めるための牢獄(ろうごく)があった。そして、(とら)われの彼らが生きて逃げ出せないように、地上への出口までにありとあらゆる罠が仕掛けられていたのである。“ジョーのおかげ”――どういうことだろうか。この三人の言動全てが気になって、仕方がない。思いきって(たず)ねてみた。


「ねぇ、それって…どういうこと?」


「さあね?」


「さあな」


「…………」


 また、(はじ)かれてしまった。彼らは口裏を合わせて、他人に教えてもいいことと隠すべきことをはっきりと決めているように見て取れた。


「…気になるよな、オレたちのこと。でもまあ、秘密だ」


「…………―――」


「――リーゼルは」


「…?」


「アレだったら答えなくても良いけど…造られてから、どれくらいするんだ?」


「……えーっと、今、何年?」


「確か、1657年だったと思うけど…」


「じゃあ…40年くらいするかな」


「へぇ、それじゃ結構なベテランじゃないか」


「…ジョーたちは、いくつ?」


「オレたち? オレは23歳だよ。んで、ビリーが一つ下で、ベルが19歳」


「…………」


 見た目の上では、彼らの言う通りだ。でも……何か、とても不気味なものを感じた。


「…もしかして、嘘だと思ってる?」


「……うん」


「そうか、うーん…」


 ジョーは困ったように首を(かし)げて、ベルの方を見た。兄妹は目で会話した。


《どうかな、ベル?》


《うーん……、いいんじゃないの?》


《そうか、でも…ビリーはどう思ってるかな?》


《そうね…、まあ、この子は口が軽そうでもないから、大丈夫だと思うけど》


《じゃあ、良いってことで》


 二人は頷いて、ジョーが口を開いた。


「――分かったよ。時が来たら教えてあげる」


「…本当に?」


「おう。でも、お願いがあるけどな」


「お願い?」


「他の誰にも喋らないこと、それから…絶対に、信じること」


「…分かった」


「よし。約束だ」


 ジョーとベルは微笑んだ。そのつもりではなかったが、約束を交わしてしまった。




 約束。


 ボクは、自分から交わした約束は守っている。でも、他人から交わされた約束で、果たされたものはあっただろうか。


 それとも…まさか、それはボクの思い込みで、そもそも存在しなかったのだろうか。









***









 彼らとは適度に距離を置き続けた。互いの“踏み込んではならない部分”を避けるように、無難(ぶなん)に関わり合った。


 そのせいか、ここに来てからは、過去の嫌なことを次第に思い出さなくなった。彼ら三人があいつの子供(と思われる)とはいえ、むやみに干渉してこない分、気が楽だった。特にビリーとは、初めの挨拶(あいさつ)以来、ほとんど会っていない。


 楽園から抜け出して、あっという間に半年ほど過ぎた。その間に季節の移り変わりもあっただろうけれども、一切外に出なかったボクには関係のないことだった。この半年という時間の経過も、彼らが教えてくれなければ分からなかったことである。それほど激しく動くこともなかったので、今のところ身体が弱ってきた感じもしない。別に生きながらえる気はない。この身が緩やかに滅びていくのを受け入れながら、死へと向かうまでだ。


「なあ、リーゼル」


 そんな年が明けて間もないある日の朝、ジョーがこんな誘いをかけてきた。


「ちょっとさ、皆で遠出(とおで)しようよ」


「えっ…?」


 今までずっとここから離れようとしなかった彼が目を輝かせて言うもので、ボクは少々戸惑った。


「どうして?」


「もうすぐ、親の命日なんだ。だから毎年この時期に、墓参りしに行くんだよ。父さんも母さんも日付が近いから、町に着いてから二週間くらい滞在するけど」


 彼の――彼らの両親の、墓。埋められているのは……おっと、考えてはいけない。


「もちろん、ビリーとベルも一緒に。リーゼルを一人だけここに置いていくのもアレだからさ…」


「…………」


「――それに」


「…ん?」


「ちょうど良い機会だから、良ければ“あのこと”も教えてあげるよ」


 ジョーは(ささや)いた。“あのこと”――彼らは今のところ、約束を守ってくれるようだ。両親の墓参りに行く…きっとそこでは、ボクの知りたいことがちゃんと聞けるだろう。そう確信した。


「……じゃあ、ボクもついていくよ」


「よし。だったら…今から支度するか」


「えっ、もう?」


「そうだな。まあ…14日までに着こうと思ったら、今からじゃないとギリギリになるから。お金は気にしなくて良いからな」


「…分かった」


「よし、決まりだ」




 そういうわけで、ボクは半年ぶりに外に出ることとなった。道化鏡であることがバレるとまずいため、ボクは彼らと同じくらいの年格好になって、目立たないようにした。ボクは三人と地上に出て、馬車が迎えに来るという場所に足を運んだ。


 それにしても、この街に再び来るとは思ってもみなかったが……景色が、すっかり変わっていた。人や家が、びっくりするほど減っていた。ツタに巻かれた古い屋敷も多く見られる。おそらくそのほとんどが、もう使われていないだろう。その中で、ボクの生家(せいか)であるクレメンス家も地下部分だけが残り、誰も寄り付かない廃墟と化していた。あれからルイスの一家は、どうなったのだろうか。この街の雰囲気からして、まあ繁栄したとは思われないが…。


「リーゼルが造られた頃は、まだ(さか)えていたらしいぜ? それが、こんなに寂しく…」


「…………」


「…あっ、でも……そうか。リーゼルは、あの場所にあった屋敷が燃えたって、たぶん知ってるよな?」


「…うん」


 知っているどころか、ボクはそれを目の当たりにした。あれは大きな事件だったから、ジョーの言い方からして、この街の外にもまあまあ知れ渡っているのだろう。


「――ねぇ、ジョー」


「うん?」


「どこまで行くの?」


「えーと、ここよりもずいぶん北の方かな」


「北…」


「景色の良い田舎町だよ。リーゼルもきっと気に入るだろうな」


 そうこうしているうちに、遠くから馬車の音が近づいてきた。そしてまもなく、ボクたちの前に止まった。


「先にどうぞ」


「うん…」


 四人で座ると、少しせせこましかった。でも、それよりも、彼らのいう故郷がどのようなものなのか、楽しみだと思ってしまった。馬車は(さび)れた街を走り抜けて、ボクを知らない世界へと運んでいった。









 いくつかの宿を経て、その町には一週間ほどで辿り着いた。


「さあ、ここが――」


 ジョーに手を引かれて馬車を降りる。そこに広がっていたのは…あの街よりも、ずっとのどかな景色だった。あの街とその周りしか知らないボクにとっては、この国にこのような穏やかな場所があることに少し驚いた。時間的には、だいたい昼過ぎ頃だろうか。澄んだ空気が心地いい。


「ちょうど14日に着いたね、兄さん」


「そうだな…ちょっと遅れそうだったけど、なんとか」


「ふふ、今年はお友達も一緒ね」


 “お友達”――ボクのことだろうか。ベルをはじめ、彼らにはそう認識されているのか。確か、ハルもボクを“友達”と言って……ボクもまた、あまり彼らに踏み込んではならないのかもしれない。そう考え始めたが、彼らと“約束”をしてしまった以上、それをボクから破るようなことはしたくなかった。


 騎手に代金を払うと、三人は何かに引き寄せられるかのように歩き出した。急いでボクもついていく。


「えっ、さっそく……?」


「そうだよ」


「あの…花は?」


「ああ、今日はベルに任せて、最終日に本物を供えるつもりだよ」


 ……“任せる”。彼らにもおそらく、何らかの魔力があるのだろう。魔力を持つ両親から生まれた子供は、よほどのことがない限り、同じように魔力を授かる。ベルはこの場合…“植物”だろうか。


 家や畑が集まる場所から少しずつ離れていき、小道から丘に(のぼ)る。草花が生い茂るそこは、あの街のものとそれほど変わらないはずなのに、どこか天国に近い場所のように感じた。


「ここだよ、リーゼル」


 三人は迷うことなく足を進め、やがて形の異なる三つの墓標の前に並んだ。向かって左には、さまざまな花が刻まれた少し立派な墓。向かって右には、比較的おとなしいデザインの墓。そして、その間に建てられたのが……これらよりも少し新しい、十字架を(かたど)った墓だ。


「ベル」


「うん」


 ジョーの催促(さいそく)を合図に、ベルは右の手のひらを上にして、胸あたりから顔の高さまで斜めにひょいと滑らせた。すると…その手には、(くき)の長い真っ赤な花がいくつも生み出されていた。(とげ)()ぎ落とされた薔薇と、チューリップの花だった。


「はい、ジョー」


「ありがとう」


「ビリーも」


「ありがとう、ベル」


 それらを半分ずつ兄たちに分け、チューリップが一本余ったところで、ベルはもう一度同じことをした。その手に白い百合が三本増え、三人は目配せをして、墓前に花を手向(たむ)けた。


「――ねぇ、兄さん」


「ん?」


「未だに…このチューリップの意味が分からないね」


「ああ、うーん…でも、父さんには何かしら意図があったんだろうな、きっと」


 彼らが内々で話している間に、ボクは墓標に記された名前と年月を見ていた。左から、




“Hal Ailey ――6.6.1583 - 6.20.1605”

“------ ------- ――×.×.×××× - 1.28.1628”

“Sophia ------- ――4.18.1581 - 1.14.1610”




 ――本来なら、墓に刻まれるのは本名である。ハルには愛称しか与えられなかったのだろうか。また、彼らが本当にこの夫婦の子供であるならば、彼らはかなりサバを読んでいることになる。でも、彼らは自称した(とし)に見合った姿をしている。


「…そうだ、ちょうどリーゼルも一緒だからさ、これはリーゼルだってことにしようよ」


「そうだな、そうしよう」


 知らぬ間に、彼らがボクの話をしていた。


「えっ、何?」


「この薔薇や百合がおれたち三人なら、チューリップはリーゼルだなって話だよ」


「……?」


「まあ、分からなくても良いよ。おれたちの暗号みたいなものだから」


「…………―――」


 (ひら)けているようでとても閉鎖的な彼らに、ボクは試されている気がした。


「今日は母さんの命日だ」


 ビリーがそう言って、母親――ソフィアの墓を見つめる。ジョーとベルもそれをきっかけに(つつ)ましい表情に変わり、同じ方向を向いた。柔らかな風が吹き、草花の揺れる音がボクたちの耳を撫でた。墓場の丘は静寂に包まれていた。









 それから“最終日”が来るまで、彼らは一切この丘から下りようとしなかった。彼らのいう“秘密の場所”で、ボクもずっと野宿をしていた。とはいえ、大きな木の下では雪をしのぐことができ、夜にはたき火をしてくれたので、まあ、どうにかなったが…それでも寒かった。もはや、宿に泊まらない理由も訊かなかった。


 最終日の朝、ジョーが丘を下りて花を買ってきた。ベルが魔力で生み出した花は跡形なく消え去っていたので、彼らは再び、同じ場所に同じ花を置いた。今度は本物だ。


「今日は父さんの命日だな」


「そうだね、兄さん」


 三人はこれもまた同じように、父親の――あいつの墓を見つめた。ボクはそっぽを向いて、丘から町の景色を眺めていた。


「なあ、リーゼル」


 背後からジョーに声を掛けられた。ボクは渋々(しぶしぶ)、振り返った。


「この墓、オレが作ったんだぜ」


 ジョーはボクを、あいつの墓に対して真正面に立たせた。こんなこと、ボクの正体を知らないからできるのだろう。いずれにせよ、用事があるなら早く終わらせてほしい。


「でもな…父さんだけ、ないんだ」


「ない?」


 あいつに“ない”ものなんてあっただろうか。頼れる義弟(ぎてい)に、優しい妻、そして今ここにいる、三人の子供――これだけ揃って、まだ“ない”ものがあるのだろうか。


「まあ、簡単に言ったら――」


 ジョーはやけに悲しそうな笑みを浮かべて言った。




「父さんだけ、遺体がここにないんだ」




「――――!」


「そういえば」


「…………」


「“約束”、あったよな。他の誰にも喋らないこと、そして、絶対に信じること」


「…うん」


「じゃあ――」


 ジョーはシャツの袖をまくって、手首を見せつけた。


「オレたちの脈を取ってみてくれ」


 同じように、ビリーとベルも腕まくりをした。ボクはまずジョーの手を取り、指を当てた。


「…?」


 特に何もなかった。続いてビリーとベルの手首も(つか)んだが、同じく何も感じられなかった。









 ――“何も”?









「…………―――」


「本当は、もっとおおっぴらに言っても良いと思うし、そうしたいんだ。でも…信じてくれなきゃ意味がないから」


 苦し紛れに笑う彼らの姿が、あいつと重なった。これ以上ここにいたら、ボクは気が狂ってしまうだろう。しかし、まだ逃げたくなかった。そして…逃げてはいけないのだ。


「どんなことがあっても…信じてくれるか?」


「……うん、信じるよ」


「よし。じゃあ……」


「話すとするか」


「あたしたちの話を」


 少なくとも…彼らの真実を、知るまでは。

次回:2/20(月)


※私的な都合により、公開が遅れる可能性があります。

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