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【昔話 兵(つわもの)の掘る穴ー真実その8・中編ー】

(仮に″恋″という気持ちを、グロリオーサが持つとしたら、相手は私には彼女しか思い当たらない)


″早く連れて帰ってきてあげてね″

自分が原因で仲間が″迷子″になったと、思い込んでいる紫の瞳をした女性の親友に再び申し訳なく思った。


(取り急ぎ、トレニアには手紙を書かなければなりませんね)

アングレカムがそんな事を考えながら、最後の1品を箸で摘まんで口に運んだ時、グロリオーサはこの食事で一気に上達した箸使いで先に食事を終えて挨拶をしようとしていた。


『ごちそうさまでした!』

『―――相変わらず、貴方はコツを掴んだのなら、一気に物事を覚えますね。

 御馳走さまでした』

少しばかり呆れながらも、アングレカムも礼儀正しく食事の挨拶をして箸を置く。


『ピーンは、教えるのが上手いよな。

ああ、でもマーサも丁寧に教えてくれようとしたんだけど、俺がいつも腹をグウグウ鳴らしていたから、食べやすいように気を使ってくれたんだと思う。

食べるのを最優先してくれたんだと』


『―――ええ、それは判ります。

マーサさんは、トレニアと一緒で、自分の料理を美味しそうに食べてくれるのが、何よりなんでしょう』

少しだけ意識して仲間の名前を出したのなら、グロリオーサはすぐに反応して子供みたいな嬉しそうな笑顔を作った。


『帰ったならトレニアの飯が、久々に食べられるんだよな』

ほんの少しだけ、頬を赤くして心から楽しみしているのが目に見えて分かった。

″恋″というものでグロリオーサを結びつける相手がいるとしたのなら、今も帰りを待っているだろう彼女だとアングレカムは考えている。


(でも、″恋″をして互いに想いあっていても″状況″が許さない)

彼女が望む幸せの形と、彼の目指す夢の場所は、似ているようで違う場所にあるものだから。


『それでは食器を片付けたなら、多分ロブロウで4番目に紅茶をいれるの上手い人、ピーン・ビネガーが、食後の紅茶を淹れようか』

食事が終わったばかりにも関わらず目元を険しくしているアングレカムを見て、まるでその目元の険を拭うようにな明るい声をピーンは出した。


『何で多分4番目なんだ?』

『それは、優しい領主夫人に、どっかの参謀に負けず劣らずの生真面目な執事に、威勢の良い料理人がこのロブロウという領地にいるからだ』

そこまでピーンがキリッとした顔で言った時、客室をノックする音がする。


『うーん、領主命令でも、聞けなかったか。まあ、予定調和ではあるが』

食事を終えたグロリオーサとアングレカムに視線を向けて″構わないか?″と尋ねる。

アングレカムがまずグロリオーサに向かって小さく頷き、グロリオーサが大きく頷いてみせた。



(何やかんやで、アングレカムの最終的な判断はグロリオーサの意志に基づいているわけか)


――――これなら、考えているよりは上手くいくかもしれないな。

客人2人に背を向けて口の端をグッと上げてから、賢者は口を開いた。


『"ロック"、入りなさい』

『失礼します』

静かに執事が入ってきて、先ずは客人2人が頭を下げた後に、まっすぐに自分の背の高い主を見つめる。


瞳に大切な主に、自分が仕事をこなせないが為に手間をかけさせてしまった事への恥を滲ませながら、深く頭を下げた。


『旦那様に給仕をさせるなど、本当に申し訳ありませんでした』

声を聞いただけでも、ロックが心の底から主に対して、客人の世話をさせたことを執事として情けないと考えているのが伝わってくる。

グロリオーサは戸惑い、アングレカムはただ静観する中、頭を下げられた主の方は飄々とし片付けを始めていた。

ロックも静かに側により、そこからは互いに声をかけるまでまでもなく、まるで打ち合わせでもしていたかのように、2人で流れるように片付けを続ける。


『給仕は、気紛れ領主が気紛れに、使用人を急激に減らして、その補填に走り回る大切な執事には申し訳なく思って勝手にやったことだ。

気にするな。

―――これは"命令"だ』

『わかりました』

世間話でもするよう調子で話していたのを、最後に言う言葉だけはきっぱりとしていて、冷ややかに″執事が謝罪する事″は止められた。


『それよりも、ロックは食事をとってきたのか?』

アングレカムはともかくグロリオーサが心配している様子なので、ピーンは話を変える。


『はい。マーサが気を効かせてくれて、食べやすい形で用意をしてくれていたので直ぐに。

カリン奥様も御子様達とご一緒に、マーサと厨房見習いが給仕をこなして、夕食を召し上がっておいでです。

旦那様が仰られた

"メイドが抜けたことの補填と明日からまた募集の支度"と

"身勝手な主について、威勢の良い姐さん料理人と盛大に愚痴る事″

も終わらせて来ましたので、ご安心ください』

滑らかにロックがそう言い終わったと同時に、客人達の食事の後片付けは終わっていた。


『おや、ロック君も愚痴なんていうのですか?。

これは、少々興味が湧きましたね』

ここで、ロックとグロリオーサにしてみたら意外な人物―――アングレカムが話に割って入ってくる。


一斉に視線は、話に割って入った客人の方に集中する。

アングレカムは―――微笑んで、食事が片付けられたティーテーブルの上に手を重ねていた。


『領主殿とロック君がもし良かったのなら、どんな愚痴を仰ったか教えてくださいませんか?。

私も、どちらかと言えば、奔放過ぎる"主"―――リーダーに振り回される身の上です』

緑色の瞳を"振り回してくれるリーダー"の方に一瞬向けて、ロックの方を見詰めた。


『内容も似ているか、確かめたいので』

アングレカムが微笑みを、ニッコリとした作られた笑みに作り替えて浮かべて、早口にそんな事を言ってのけていた。


『―――あっ、えっと』

流石にロックが狼狽えて、側にいる背の高い自分の主を見上げる。

アングレカムは狼狽える執事にはお構い無く、多少わざとらしく首をひねり、形の良い長い指を顎に当てて更に思い付いたように言葉を続けた。


『ああ、そうですよね。

流石にお客様の前では言いづらいですよね?。

と、言うわけで――――グロリオーサ』

『へ?俺か?』

まさか自分の名前を呼ばれるとは思っていなかったグロリオーサが、自分を指差しながら黒い瞳をパチパチとした。


『はい、貴方ですよ、レジスタンス、決起軍のリーダー、グロリオーサ・サンフラワー。

お茶菓子をマーサさんから頂きつつ、お小言煩い参謀の愚痴を言ってきてくれませんか?。

率直に言えば、席を外して欲しいんですよ。

ああ、ロック君、振りかえって時計を確かめるのが億劫なんで、時間を読み上げて貰えますか?。

確か、懐中時計をお持ちでしたよね』

『あっ、はい、少々お待ちください』

矢継ぎ早にアングレカムが口を開いて、誰も口を挟めない。


ロックが胸元から随分と使い込まれた懐中時計を取り出して、彼にしては珍しく辿々しく時間を読み上げて伝える。

アングレカムはロックの手に持っている使い込まれている懐中時計を見て、少しだけ小さく頷いてから、ピーンを見た。


(ロック君への贈り物、時計など如何でしょう?。

いつも身につけるものですし、領主殿のお力があれば、生涯を通して使えそうな立派なものも購入できるでしょうから)

口で喋るのと同じような早く滑らかなテレパシーが、ピーンの頭に届けられる。


『ロック君、時間を教えてくれて、ありがとう。

やはりこの調子では、3時間後位には小腹が空きますね。

グロリオーサ、ちゃんと支度をして、もう一度髪に櫛を通してを結い直して、いってらっしゃい。

私に対する不満を言いながら、マーサさんとお菓子を作れば、あっという間に時間は過ぎていきますよ。

それとも、今一度、一言一句同じ言葉で申し上げましょうか?』

顔は微笑み、丁寧な言い回しではあるのだが、何とも言えない"重圧"を決起軍の参謀殿は(みなぎ)らせながら、親友に語りかける。


『えっ、あ、いいや!分かった!!。行ってくる!!』

幾らか慌てた様子で、グロリオーサは立ち上がった。

立ち上がったグロリオーサに満足そうな笑顔を浮かべた後に、美丈夫は思い出したように言葉を付け加える。


『そうですね、お菓子は昼間に頂いたものを出来ればリクエストしたいのですが。

もし作り置きがなかったなら、無理言って悪いですが、グロリオーサ、マーサさんを手伝って差し上げて、作ってきてくれますか?。

ああ、厨房に行くことになるなら、私達が使った食器も貴方が下げてください、グロリオーサ。

もう一度いっておきましよう。

ロック君は、お客様がいる手前では話しづらい事もあるでしょうから、出て行ってください。

あと、領主殿を交えてゆっくり難しい話をしたい事もあるんですよ。

貴方、難しい話は10分が限界でしょう?。

それならマーサさんを手伝うために起きていた方が、時間の有意義な使い方になりますから』

執事の青年は、時間を教えた時に使った懐中時計を握りしめたまま、正しく呆気にとられていた。


(アングレカム、よく舌が回るなぁ)

賢者が漸く空いた"間"にテレパシーを送った。


(希に決起軍との協定を結ぶ際に、会談をした時に全てを無視して、話を進めようとする方もいましたからね。

トレニアに心を読んでもらって、どういうつもりで、早口をやっているのか尋ねてみたら、

「とりあえずこちらに口を開く隙を与えないで、決起軍を利用して、都合の良いように話を進めていこうとしている」という思惑があったとかで。

力技ならグロリオーサがいけるんですが、頭を使う事は得意ではないですからね。

それならば、こちらはそれを上回って口が回るように努力したまでの事です。

まあ、グロリオーサはどういうわけだか、私がこういった早口を始めると、″アングレカムが怒っている″と勘違いをしている節があるんですがね)

アングレカムが伝えてくる通り、グロリオーサは慌てて、領主邸でも使用人も含めて婦人の方々に出会ってもおかしくない程度の身支度を整え始めていた。


(″アングレカムを怒らせる心当たり″を、グロリオーサは持っているというわけか。

あ、そう言えば)



《あ〜、こりゃ全部着火しちまったな…。アングレカムに何て言おう》

始めて彼と出逢った時、渓流の川辺においてピーンが魔力を使い果たし、ほぼ自力で立てない状況になっていた時の事を思い出した。


そこに、″旦那様″を探しに来ていたロックに居場所を知らせる為に、グロリオーサは狼煙とばかりに思っていた″花火″を使ったのだった。

グロリオーサの言い方を振り返る限り、どうやら彼はアングレカムから″花火″を無断で拝借していた印象をピーンは受けていた。



(―――そうですか、バルサムの為に私がそれなりに一生懸命に作っていた花火。

何処かの荷物に紛れ込ませてしまったと考えていましたが、持っていったのは、グロリオーサでしたか……。

しかも全て着火してしまったということですか……)


(あ)

―――すまない、グロリオーサ。


テレパシーを繋げる魔力の″線″を切断するのを忘れて、ピーンが思い出したグロリオーサの言葉がそのままアングレカムに筒抜けになっていたらしい。


(私が調べ物や、考え事に夢中になっているのがいけない事ですが、それでも気がつかないだけで、やっぱりこの男は色々しでかしてくれてますね……)

わたわたと支度をしているグロリオーサに、アングレカムは何も知らない婦人が眺めたなら、見惚れてしまいそうな頬笑みを浮かべて、親友を見ていた。


伝わり流れて頭に響く声は穏やかなのに、とてつもない怒気を含むというとても器用なバランスを持ったテレパシーに、ロブロウ領主は後頭部をガシガシと掻く。


(これは、結構怒ってはいるなあ)

アングレカムとのテレパシーとの繋がりを切って、ピーンは軽く困る。


一応、グロリオーサが″花火″を使ったのは、自分が原因の一部にはなってもいるので、ロブロウ領主は純粋に申し訳ないという気持ちを持っているのだ。

アングレカムのあまりの早口に呆けていた執事は、″旦那様″が困った時にする仕種を見て、急に早口になった客人と、自分の主が何らかの方法で意思を疎通している事を漸く把握した。


(旦那様。この展開は、旦那様とアングレカム様が、グロリオーサ様が席にいてはなさりにくい話をするという事で、よろしいんでしょうか?)

懐に使い込んだ懐中時計を戻しながら、瞳だけを動かして背の高い主を見上げて、執事もテレパシーを使って語りかけた。


執事のテレパシーを受けてガシガシと後頭部を掻いていた手を、腕を組む形にしてから、ピーンは僅かに顎を小さく下に動かした。


(そういう流れになりそうだな。

食器の片付けは、アングレカムのいう通りグロリオーサに任せて、ロックはここにいなさい。

多分お前も巻き込む話になるから)

自分も巻き込まれるという言葉に、驚き少しだけ目を大きく見開いたが、直ぐに冷静に勤めて小さく頷いた。


(承知しました)

ロックがそう返事を返した後、僅かに視線を感じてその方をみればアングレカムが、俄に目元を優しい形にして、自分の方を見ていることに気がついた。


どうやら自分と主が″会話″をしていたのを判っていたらしい。

形の良い唇が″お話の付き合い、お願いしますね″と声も出さずに素早く動くのを見て、ロックは小さくまた頷いたのだった。


『―――さて。グロリオーサ、私が試験的に作っていた″花火″を勝手に持っていった事は不問にしてあげます』



″花火″という単語を聞いて、殆ど支度が終わっていた図体の大きなグロリオーサが目に見えてビクッとしたのを見た瞬間。

失礼とわかっていながらもロブロウの主従関係にある2人は、思わず吹き出しそうになってしまっていた。

それほど見事(?)なグロリオーサの狼狽えっぷりだった。


『その代わり、あの″絵本″。あれを、話を聞く間、貴方が管理してあげてください』

『え、あの絵本の面倒をみるのか?。あいつに"言い聞かせる"の難しいんだぞ』

グロリオーサにしては珍しく消極的な言葉にも驚いたが、賢者としてのピーンは、先程上がったばかりの笑いの衝動がスッと引くぐらいに客人達の会話に驚いてもいた。


(あの――魔力や記憶を吸い取るという絵本を、扱う事ができるというのか?)

"賢者が驚いた"様子に、少しアングレカムは緑色の瞳を動かし背の高い男を見たが、取りあえずグロリオーサをこの場から離すべく言葉を続ける。


『―――その難しい事と引き換えに、花火に関しては不問にすると私は言っているんですよ?。

私が貴方の可愛い姪っ子バルサムの為に、それなりに苦労して集めた火薬や、本で調べて作った花火。

まあ、無事に出来上がって、湿気がこないように神父バロータに、火の精霊の加護をしておいた紙に、束にして保存しておきましたが……。

まさか勝手に持ち出しておいて"全てダメ"になっているということは、ないでしょうが……』


"全てダメ"というところに、仄かに力を入れてアングレカムが言葉を口に出した。

その言葉聞いた途端、消極的に言っていたグロリオーサはクルッと親友に背を向け、素直に絵本を保管している場所へと直行する。


(花火を使いきってしまった事を知っていながら、ああ言う言い方をするという事は……。

どうやらこれからも花火に関しては、チクチクとグロリオーサをアングレカムはやるつもりらしいな)

驚きの感情を抱えつつも、ピーンはこれからアングレカムに暫く頭が上がらないだろうグロリオーサに、また同情してしまっていた。


『花火と、あの絵本の面倒を見ることでは、大変の度合いは釣り合いはとれませんかね、グロリオーサ』

仕上げと言わんばかりの極上の笑顔をアングレカムが浮かべた時、グロリオーサは自分の懐に例の絵本を、無言で入れていた。


それから振り返って、片付けを済ませた食器を載せている台車の側に立っているピーンの側にグロリオーサはやって来る。

顔色は暗いというわけではないが、恐らく花火を全て使った事がバレた後にくるであろう参謀の報復に悩んでいるようであった。


『―――ピーン、じゃあ食器を下げるから、台車をくれ』

それでも執事が自分と会話をこなす事を躊躇っているのが解るグロリオーサは、ピーンに話しかける気遣いを見せてくれた。


『ああ、宜しく頼む。

そうだ、マーサも今日は急な仕事が今日は多かったから、疲れているだろう。

それからの菓子作りを頼むのもなんだが、楽しい話をしてやってくれ』

ピーンの頼まれ事を聞いた途端に、グロリオーサは自分の都合は頭の隅に押しやって、破顔する。


『マーサは料理を作る時は、いつも笑顔で話してくれるからな。

わかった、マーサが笑顔でも疲れていないか、しっかり聞いておく。

あと、今までの礼を言わないといけないしな。

本当に美味しかった、ありがとうって、伝えないと』

アングレカムから凹まされてばかりだったが、副竈番の料理人を元気付けて欲しいと頼まれると、グロリオーサは破顔を明るい笑顔に変えて了承する。

そんな屈託のない笑顔の中には"友達"に対して、今までの感謝と別れの悲しみが僅かにあるばかりに賢者には見受けられた。


―――ロブロウ領主邸の副竈番にたいして、恋に育ちそうな、そんな気持ちは欠片も、グロリオーサの中にはない――――


"もしかしたら、自分はとても残酷な事をしているかもしれない"

不意にそんな気持ちが賢者の中に浮かんだが、表情にはおくびにも出さない。


『それじゃ、行ってくる。

昼間の菓子を3時間後に持ってくれば良いんだな、アングレカム?』

確認するように言いながら、グロリオーサは台車を押し始めていた。


『ええ、その通りですよ、グロリオーサ。それと私の愚痴を言ってらっしゃい』

アングレカムの返答を聞いた後に、グロリオーサは先程頭の隅に押しやった気持ちを思い出したのか、再び渋い顔となる。


『んじゃ、行ってくる……』

入り口の方に向かい―――途中、部屋と入り口を繋ぐ小さな通路にある武器の安置場所となる場所で、自分の太刀をとり、帯刀していた。


(あの"絵本"を取り扱うには、武器を身につける事は、必要なことなのか?)

ガチャリと、金具が音をたてて太刀をグロリオーサが帯刀した。


(ええ、グロリオーサ曰くですが、"強い状態"の方が言うことを聞かせ安いそうです)

テレパシーでのピーンの質問にアングレカムが答えた時、グロリオーサは部屋を出ていった。


『―――さて、グロリオーサは外に出しましたので、先程から続いて、当人がいたらしにくい話を伺いましょうか?』

また今までとは違う感じの"笑み"を浮かべ、言葉を口にするアングレカムの雰囲気が変わったのを、主のピーンの傍らに控える執事には判る。


それはどことなく"賢者"となった時の、自分の主の佇まいに似ていた。

人の感情も純粋な気持ちも意に介さず、自分の進めていきたい、通したい"計画"の中に全てを組み込んで、それ以上にもそれ以下にも扱いはしない。


揺れ、固まることがないような人の想いや気持ちだって、自分の必要なように切り刻み、要らない部分は排除する。


『―――そうだな、まず訊きたいのは』

主である男の方は、グロリオーサが出て行った時点で、既にその佇まいになっている。

いつものロブロウ領主としての、縛りと優しさと陽気さ。

それをまるで、何処かに落としてきてしまったような、豊かな白髪のがある冴えた横顔を執事は見上げる。


そして執事は、(おのれ)のなすべき事を―――2人の"知恵者"の舌と喉が渇かぬよう、滑らかに弁舌を進められるように紅茶を淹れる支度を始める。

勿論主の影の様に黙って存在する事も忘れず、口は求められるまで決して挟むことはない。


『―――こうやってレジスタンスの活動をする中。

必要とはいえ今までどのくらいグロリオーサを対象とした恋愛の芽を摘んできたんだ、アングレカム?』

『そうですねえ。決起軍の活動も軽く10年近くになりますから。

軽く両手の指を越えるぐらいには』

綺麗な冷たい笑顔で、決起軍の参謀は賢者の質問にスムーズに答えた。


引き続き、綺麗な笑顔を続けたままアングレカムはティーテーブルに置いていた手を、脚を組み、その上に移動させた。


『賢者殿、立ち話もなんなんですので、グロリオーサが座っていた場所にどうぞ。

ロック君も、賢者殿が用意した椅子によかったら座ってください』

アングレカムにそう提案されて、そうさせて貰おう、とピーンは先程までグロリオーサが座っていた来賓用の椅子に――客人の正面に腰かける。


執事は静かに頭を下げるのみで、粛々と紅茶の支度を続けたいた。

彼の反応は判っていたのか、今は正面に座った賢者に向かって視線を向けてアングレカムは口を開く。



『グロリオーサは、あれで結構"モテ"ます』

アングレカムは断言して、少しだけ困った表情をして続ける。


『しかも私に惚れる方みたいに外見の上っ面に惚れるわけではありません。

彼の内面に惚れるのが殆どですから、気障な言い方になりますが、毎度"恋の芽"摘み取るのには苦労しています。

大抵、どれもが、とても、根が深くて、純粋にグロリオーサの事を思って綺麗に芽吹いている』

『ああ、それには大いに賛同させてもらおう』

参謀の言葉に、ピーンは大きくに頷いた。


『何しろロブロウ(いち)の料理人を目指して、料理に一生を捧げるつもりで領主邸に娘の固い恋の種の殻を破かせて芽を芽吹かせてしまうんだ。

ある意味、アングレカムの整った顔立ちよりも、人を惹き付けてやまないカリスマは、(たち)が悪いかもしれない』

名前を直接出したわけではないが、主が自分の同期で友人とも思っている人―――女性の名前を出されても執事の動きには、乱れはない。


ただ驚きは心の中に広がっていったが、考えたのならその驚きはロックの中で見事に消化できる。

先程の書斎において、ロックにしたら不可解のマーサの様子は、今まで主の蔵書で学んだ"恋"に照らし合わせたなら合点のいくものになる。

そして蔵書の数冊の本に書かれている通り、恋をした女性は魅力的になると書いてあったのは間違ってはいないとも思えた。

確かにグロリオーサが訪れてからの数日、仲の良い同期の料理人は、粋でもあったが、今まで以上に料理を楽しそうにつくっていた。


"マーサは料理を作る時は、いつも笑顔で話してくれるからな"

そして、味も今までも十分美味しかったが、ここ数日中、不思議とさらに美味しく感じるものが料理の中にあった。


彼女が作った料理達には、言葉にも文字にも表現しがたい気持ちが込められていて、ただ一人の人の笑顔をみたい為に作られていたのだろう。


"あと、今までの礼を言わないといけないしな。

本当に美味しかった、ありがとうって、伝えないと"


『―――失礼します』

ロックはまず、客人にあたるアングレカムの前に紅茶を置き、次に自分の主の前に置いた。

多分、執事の同期になる志高い料理人の女性の心に芽吹いた、小さな"芽"は2人の知恵者の間では摘み取られる事で話が進められているのも判った。


―――口は挟まない、けれども恐らく心を痛める事になる友人でもある同期を思うと、僅かに唇を噛んでしまっていた。

そして主であるピーンが言っていたように、高い志しを持っている料理人さえを心惹かれる人物に、好意的な気持ちを抱くことがで出来ない自分。


それは、ロックの心に大層大き影をおとしてもいた。


(―――皆が認めて、慕われる人の事をどうしても好きになれない私は、やはりどこかおかしいのだろうな)

それに加えて、口には出してはいけないと判っているロックの中での"決まり"。


彼の人の伴侶と家族とどんなに巧くバランスをとって、この領主邸の執事としての居場所があったとしても。

伴侶の人と時には涙が出る程笑いあっても、同期の友人と茶を飲みながら、有意義な討論をして意見を交わしあったとしても。

ロックの依存の根底にあるのは、目の前にいる"ロブロウ領主"という人の"存在"だけがいればという本音。


『グロリオーサ自身、持ち前のカリスマを発揮すれば誰にでも、惹き付け慕われ好かれる人物であるというのは、私にも判る。

私、ピーン・ビネガー個人としてそうであるからな』

そんな依存しているロックの気持ちを意に介さずに、主は話を進めていく。


でもそれでこそ、自分が依存先として選んだ人らしいとも思う。


(まだグロリオーサ様が本人がいらっしゃらないから、こうやって話を聞く事も耐えられる)

主が、ロックの為を思い、また必要としてくれた"証"に与えてもらったロブロウの領主ビネガー家の執事という″仮面″を必死に被っる。


その下に闇色した(たぎ)るような嫉妬を懸命に隠しながら、給仕をロックは努めた。

客人と主は、"当人がいたのならしづらい話"を続けている。


『それは私も、決起軍の仲間にも共通に感じる所です。

元々、グロリオーサ自身は情に厚い、基本的に良い人という"標本"として当てはまるようなところがありますから。

そして完璧でない。

―――いただきます、ロック君』


グロリオーサの事を語る言葉を区切り、ロックに感謝の言葉をかけて、アングレカムは紅茶をありがたく口に含んだ。

これにも、執事は言葉は出さずに静かに一礼をするに止めた。


思慮深くもある執事は、もしかしたら先程にもあったという書斎での話し合いの場でも、自分の主が客人に、執事が客人の親友の事を好きになれないことを話したのかもしれない、と思い至る。

そんな主は、執事の淹れた紅茶を飲みながら


『やはり私が淹れるよりは、ロックの方が美味しいな』

と、普段の"領主らしい"笑みを浮かべた後に、また"賢者"の顔に戻り、話を再開させた。



『だけれどもその完璧でないところも、グロリオーサの人として愛嬌を引き立たせるのにとても役に立っている。

これが計算尽くしなら鼻にでもつくのだろが、あの鬼神殿はそんな器用な事は出来ない。

だがそれ故に、カリスマを持ちながらも"人らしく"て、心を惹き付けてしまうのだろう。

うちの料理人も、自分では運べないような重たい荷物を運ぶのを助けてもらって、それがきっかけでよく話すようになったらしい。

しかし、多分それだけでは、あの料理人は心まで惹かれはしなかっただろう』


『ええ。それも判ります。

グロリオーサはトレニア曰く、"可愛い素直なおバカさん"ということらしいです。

それに私自身も、彼のそう言った素直な部分に惹かれた一人です。

加えて揉め事があったとしても、彼の持っている力や圧力で押さえつけることなく、極力穏便に物事を片付けようと、単純明快な男なりに努めていますね。

―――まあ、最近は"アクシデント"があった場合は私が言った対処方に従ってくれているので、助かっていますが』

これには綺麗な笑顔の中に、腹黒そうな人の悪いものをアングレカムは含ませていた。

そのアングレカムが言う"アクシデントの対処方"に、実地で遭遇したロブロウ領主は苦笑いを浮かべる。


『―――あれが努めていたというのなら、グロリオーサのするアクシデントの対処方の基準、それを提案した人物には少々個人的に物申したいところがあるのだがな』

ロックが心配するだろうから口に出しては言えないが、"鬼神のグロリオーサ"と対峙して命がけの戦いをするハメになってしまったピーンにしてみたのなら、言いたくもなる。

ただ文句も言いたくはなるが、そのやり方を間違ってはいないとも思う。


グロリオーサ・サンフラワーという名前や身分、そして姿までを知っている人物を、仲間でもなく、協定も結んでもいない土地で遭遇しておいて、何もしないのは剣呑だ。


『それなら、それに関しても"花火"を全てダメにしてしまったという事で、ドローにしていただけますかね?。いかがでしょうか?』

相変わらず腹に黒いものを抱えつつも、綺麗な笑顔を浮かべてたまま、参謀は新たな提案をする。

『ほう、そうくるか。

ドロー、まあ"貴重な経験"だったから、それも悪くないかもしれない』

アングレカムの言葉を聞いて答えるピーンは、よく研がれた刃物の切っ先とその輝きにも似た光を瞳に浮かばせて、目を細めて鋭い笑みを浮かべてみせる。


(死ぬかもしれない経験をしたのに、私も物好きなものだな)

自嘲の思いも笑みに含ませ、残り少ない紅茶を口の広いカップから飲み干して、空にしてソーサーに載せて執事の方を見向きもしないで渡した。

執事は静かに頭を下げてそれを受け取り、阿吽の呼吸で判っている主の要望に応える為に、今一度紅茶の支度を始める。


(本当、思い返せば、グロリオーサ"鬼神"と対峙したということは、下手をしたら死んでしまったかもしれないだよなぁ)

だが、あの時間を″楽しんで″しまった自覚もピーンには確かにあった。


それに、花火を全て使ってしまった事に関しては、グロリオーサばかりが割りを食っている気もしていたので、こういう風に言われたのなら、少しばかりピーンの気も楽になる。


(どうやら、グロリオーサが花火を使った事に関して私が関わった事は、参謀殿にお見通しというわけか。

……いや、それよりももしかしたら)


正面にある整いすぎている美丈夫の顔の笑顔を観賞するような気持ちで見つめる。

彼が見通すという可能性の他に、もうひとつ思い当たる事を考えた瞬間には、紅茶の支度をする執事からテレパシーが届けられた。


(旦那様、申し訳ございません。

先程アングレカム様と世間話をするような流れで、グロリオーサ様と旦那様の出会いに関して、私が関わったところの話をしてしまいました)


―――成程、見越していたわけではなくて、ちゃんと確認をしていたわけだな。

(……ええ、私はとても小心者で臆病者ですので、確信がないことで動きませんよ)


そんなテレパシーを伝えてくるアングレカムの顔は、先程はあれほど感じた腹黒いものが一切合切取り払われたような、穏やかなものだった。

そして穏やかさに似合う、少し困ったようにも見える、柔らかい笑顔となってもいる。


『―――折角、グロリオーサに席を外して貰っているというのに、テレパシーばかりを使うのも、なんですね。

言葉に出すから、表に出して……表現するからこそ、意味があって通じる事があるというのに』

アングレカムは、小さく息を吐く。



『自分の器の小ささを認めるのは、怖いことですね、賢者殿』

『いきなりどうした?』

ピーンは如何にも驚いたような反応の声を出してみせたが、その実、そんなに驚いてはいない。


障子という和紙越しの柔らかな茜色した、夕焼け包まれる書斎で彼が涙を流したのを見た時から、賢者はアングレカムが自分の気持ちに区切りをつけた事を察していた。


『―――私、一人ではそろそろ限界。

それに、確信してしまうと、器に押し込めてハズの責務が急に、溢れて無様な事になっているのを目の当たりするのが、自分の事ながら辛いです。

でも、私という器の為に、今まで出来ていたことが、出来ない不自由を仲間である親友達に与えることが情けなくもあります。

だから、私は自分という器を認めた上で、その大きさを弁えて行動しなければならない。

そして迷惑をかける前に、迷惑を防ぐ方法があるのなら、取り組まねばならない』

グロリオーサがいたなら吐けない本音を、唯一心から頼っても良いと思える《賢者》という存在に吐露する。


そして、その賢者の影のように寄り添う、依存という《病》を抱える、どことなく自分に(ちかし)いものを感じる執事にもこの気持ちを聞いて欲しいという気持ちもあった。

国の半分を越える勢力に協定や助力をを結び、後はこの国の民も認める決定的な"出来事"を起こせばいい。

まっすぐに正面にいる、白髪の男を見据えてアングレカムは口を開いた。



『賢者ピーン・ビネガー。

セリサンセウム王国、現国王クロッサンドラ・サンフラワーが末子、グロリオーサ・サンフラワーをこの国の王とする為に、決起軍に入っていただけませんか?』

カチャンと、磁器と磁器がぶつかる音が客室に広がる。


『それが"アングレカムの器の小ささ"という意味に繋がるのか?。

それと、先程は確信がないと動かないとテレパシーで言ってはいたが、アングレカムには私が決起軍に入るという確信があったのかな?』

磁器のぶつける音を響かせ、驚きの表情を浮かべて客人を見つめている執事を見向きもしないで、賢者は客人に、朗々と尋ね返した。

美丈夫はカップの取っ手に指を差し込んで、こちらも残り少なくなった紅茶を飲み干す為に持ち上げ、穏やかな表情のまま頷いた。


『ええ。もし、グロリオーサに仲間に入って欲しいと誘われたなら、彼の事だから、先ずは仲間と相談してからと仰有るでしょうが。

グロリオーサ自身、"強い人"が好きですので、きっと貴方から言ってきたのなら、直ぐにでも入れたいと思うでしょう。

勿論、そうなっても先ずは仲間の意見を聞くという態度は変わらないでしょうけれど』

ロックの"依存"に配慮しているのだろう、ピーンとグロリオーサが"戦った"という表現はアングレカムは使わずに話を進める。



『"確信"したという根拠はどこにある?』

アングレカムが薄目の唇に、カップの縁を当てる直前で止めて、口角を上げた。


『残念なら、それは形がないものなので、物証で表現する事は出来ません。

ですが、賢者殿も先程仰った事を使ってはいけませんかね。

グロリオーサは持ち前のカリスマを発揮すれば誰にでも、惹き付け慕われ好かれる人物である、と』

元はただの農家の次男坊のハズなのに、瞳を伏せながら貴族然とした様子も品よく笑みを浮かべて答えてから、紅茶を飲み干した。


それから磁器のカップとポットをぶつけたきり、目にも見えるような動揺を抑える事が出来ず、自分を見ている執事を見つめた。


(やはり、″誘う″言葉をかけるだけでも、ロック君には辛いことになりましたか)

痛ましくも見えるその様子に、僅かに眉間にシワを作り、申し訳無さそうに口を開きながら、飲み干したカップをソーサーの上に置いた。


『―――ロック君、驚かせてすみませんでした。

けれども、私は自分のこの考えが外れてはいないと、やはり確信しているんですよ』


―――"ロブロウ領主ビネガー家の執事"として、主が許可を出すか、客人に促されるまで、言葉を出すまいと、ロックは心を決めていた。


しかし、今は本当に何と言葉を紡ぎ出せばよいのかが、分からない。

自分の病的な"依存"を理解していながら、尚且つ互いに気が合いそうと感じていて、半ば少し尊敬すら始めようとしていた人のあんまりの言葉に―――。


依存先であり、ロブロウという領地から領主であるピーン・ビネガーを"強奪"ともロックには受け取れる言葉に、唇を真一文字にするばかりだった。


(とりあえず、話を進めないことには、ロック君自身が、これからの身の振り方を、判別をしづらいかもしれませんね)

アングレカムの中では、賢者が必ず決起軍の活動に参加すると確信している。

何より、ピーン・ビネガーがそれを望んでいるのを、感じる事が出来ていた。


『ロブロウ領主ピーン・ビネガー殿は、グロリオーサ・サンフラワーという人に、"惚れて"いらっしゃいます。

―――勿論、国を愁いると言うこともありますけれども』

ピーン・ビネガーが複雑な表情を作りながら――――心内では大層楽しみながら"アングレカムからの決起軍への誘い"の言葉を聞いていた。


(―――どうやら、グロリオーサからは、私の方から仲間入りを望んだ話を、アングレカムはまだ聞いてはいないようだな。

まあ、確かに今日の昼に再会してゴダゴタしたから、する時間もなかったか)



《私を、決起軍に加えて頂きたい》

既にグロリオーサと出会い、彼が決起軍のリーダーだと知った時。


この領地が誇る美しい渓流の中で、左膝を水音をと共に立ち上げて、右手を拳にして緩やかに流れる水底につけ、白髪の頭を垂れ―――"臣下の礼"をとって、決起軍に参入することを願い出ていた。


《―――ええ、委細承知で申し上げています。その上での、私の意志です。

もし、宜しければロブロウ領主ピーン・ビネガーを決起軍への参入を認めてください》

ただそれは、グロリオーサ、ピーンという2人の間でだけで交わされた会話にも等しかった。


衝動的ともとられても仕方のない、参入への意志表示だったが、ピーン・ビネガーの本心から出た言葉でもあった。


『ああ、まあ、確かに人柄に"惚れて"はいる。

それに、決起軍の参謀自ら誘われたことは正直嬉しい事でもあるし、魅力的な話だとも思う。

だが、私はロブロウ領主という立場もあって、おいそれと承諾できる話ではない』

ピーンは執事の方を見向きもしないのに、慎重な返答をする主に、年の離れた弟のようにも感じている存在が心から安堵の息を吐き出している事は、しっかりと把握している。


賢者はが出す"答え"も"行動"もは決めているのに、流れを整えるために、敢えてグロリオーサと自分の間に、既に決起軍に参入する事を願い出たことは伏せておく。



(自分の思った通りにやりたいなら、自分の人生関わってくれている、大切な人達を蔑ろにすることがあってはならない)

蔑ろにした時点で、恐らくはそこから一斉に今まで築き上げてきた、関係も信頼も崩れてしまう。


人の世界で生きる上で避けられない、感情の流れに押し流されないように、確実に着実に賢者は《手順》という道を踏む。


『―――旦那様、お見苦しい所をお見せしました』

執事は直ぐに承諾しないピーンの態度に、いくらか落ち着きを取り戻して、再び紅茶を丁寧に紅茶を淹れ、主に出すのを客人は緑色の瞳で見つめていた。

ただ、執事にはまだどこか動揺の雰囲気は残っており、彼の不安を拭えている状態とは、アングレカムにはとても見えない。



(でも、貴方の旦那様の事を思えば、悪い提案でもないでしょう、ロック君?)

アングレカムの考えている通り、この決起軍の参謀からの誘いが、執事―――ロックからしても"悪いものには思えない"という考えが確かにあった。


(旦那様にとっては、この誘いは本当に"悪い"ものではない)

執事は参謀の青年が考えた通りの事を頭に思い浮かべていた。


毎日を同じように過ごしながらも、緩やかに確実に傾いていく国を、主が愁えているのを執事も知ってもいた。

けれども、このロブロウという土地の領主の仕事をこなしていき、賢者としての役割をこなしてもいて、何より領地を離れる事など、とても出来る事ではなかった。

ただロブロウ領主という人生を受け入れてはいるけれど、主の心が自由を求めた焦がれているのも執事も知っている


併せて現実的な問題で、ロブロウ領主としてピーン・ビネガーが強く平定を望む理由は、ここ数年子どもの成長―――娘達が"年頃"になったことで出てきていた。


病気にや不幸に会うことなく、ある程度成長したならば、貴族社会のはよくある事で、婚約者を年若い内に決められる。

年齢が二桁になったかならないかのぐらいから、領主である"ピーン・ビネガー"の娘達に縁談の話もいくつか来ているのも、書簡をまとめる役割をしている執事は知っていた。


領主夫人であるカリンからしてみれば、彼女が物心がつくまえから"ピーン・ビネガーの嫁"になることが決められていたので、どちらかと言えば、遅い方にあてはまるのかもしれない。


"カリンは、気がついた頃にはピーン・ビネガーの妻になるように言われていたらしくてな。

妻として幸せだ、と言ってくれてはいるが、もしかしたら他の誰かとの縁もあったかもしれないのにと考えてしまうんだ"

結婚の約束を交わす事が可能な、長女以外の娘達宛に送られてきた、執事が振り分けた釣書が同封されていた書簡を眺めながらピーンはそんな事を言う。


ピーンもカリンのような女性が妻であったのは、幸せだと断言できるが、"もしも"を考えて見て、自分の子どもには僅かでも余地を与えてみたくなっていた。


"だから、娘達には結婚するにしても、少しでも自分の意志があったほうが良いだろうと考えているんだ"

書簡と共に送られてきている、娘達の見合い相手となる釣書つまらなそうに見ている主から、そんな話を執事は聞かされていた。


″しかし、こんなご時世には個人の意志の尊重よりは、御家存続、生存競争の方が重要らしいな″

文字が好きなロブロウ領主ではあるが、送られて来た書簡がどれも似たり寄ったり、更に結構な図々しい内容なのには流石に辟易していた。


セリサンセウム国の様々な領地で、民が皆困窮する中で、ロブロウという領地は、他の土地に比べて遥かに安定しているところということで、釣書の返事には″婿入り″を希望もきていたりしていた。

″跡取りは、バンだと公表しているのに、それでも来るのだから他の領地ではやはり切羽詰まった状況にあるんだろうが。


こちらの最初の釣書に子どもの、"嫁入り"させる娘達の意志を尊重したいと、書いたつもりだった。

しかし、婿入りの返事を返してきて、その暁には、ロブロウに入った子はきっとピーン・ビネガーの助けになる。

ゆくゆくはピーン・ビネガーが築いたロブロウ領地を引き継いで……"


そこまで相手の返事を読み上げて、ピーンは盛大な溜め息を吐き出していた。


"まあ、とりあえず最初にこちらの提示した話を聞いて貰えない相手と、縁戚関係を結ぶ気にはなれないな。

こちらの書簡は丁重に断りの言葉と、ロブロウ領主の印を捺して返事を返しておくれ"


口でそんな事を語りながら、"相手にするのも面倒くさい"と目で言っていた。

国の法で跡継ぎは男児であることを決められているし、口が達者な娘達に比べて物静かで幼い頃は病気がちだったが、ロブロウ領主の跡目にはバンという息子もしっかりといる。

補佐するべく、万が一を考えて長女にも領主の教育を行っている。

なので息子を蔑ろに、婿入りというニュアンスを伺わせる釣書付きの手紙は、領主は容赦なく"断り"の返事を執事に書かせた。


"領主本人が手紙を書いてまで断る"という手間も省き、場合によっては絶縁にとられてもおかしくない返事の出し方をとっていた。

そうやって釣書を眺めていたが、結局娘の誰一人として婚約まで続く話が"残らなかった"。


中には″この人物との子息となら″とピーンが思った人物と、娘達も文句を言わなそうな″家″を見つけたとしても、″かっさらわれた″。


見合いの話を進めたいと返事を出した後に、目星をつけた相手を調べてみたのなら、見計らったように、″国″がその子息を臣下と召し上げようとしているという辞令を、まるで先回りするように出していた。


″やれやれ、暗愚だの悪政とは言われているが、《狡賢い》という言葉も付け加えていいんじゃないか?″

皮肉にしたつもりなのだろうが、主が本心で″賢い″とも、そう考えているのが執事にはわかった。


数日後相手側から、


″是非ともビネガー家の子女と、息子を見合いさせ、当人達の気持ちが添ったなら、嫁入りを受け入れたかった。

しかし、嫁いで来たのなら新婚早々に、色々と話を耳にする王都に、夫婦で行かなければならない事になる。

親から見たのならまだ未熟な息子。

恐らくは王都にいったのなら自分の事で手一杯となり、妻となるビネガー殿の子女に辛い思いをさせねばならなくなる。

それでは、折角嫁いで来てくれたピーン殿の子女に申し訳ない。

今回の話は、子女殿の面子もあることも思われますので、我が家の息子が頼りなかったということで、そちらから断った形をとってください。

もし、国が落ち着き、またご縁があったなら、よろしくお願いします″


返事に届いた書簡をまた執事に向かって読み上げながら、賢者は苦笑いをする。


″手紙でもこういった気遣いが出来る優しい相手だったからこそ、集団なら口だけは強いうちの娘を、うまく扱ってくれると思ったんだがな。

まあ、向こう側もうちの娘達の″良くない話″を耳にいれていたかもしれない。

もし、こんなに国が落ち着かない時勢でも、うちの娘が嫁いだ先で、相手に気が使える才があったのなら、夫婦で新天地に行っても、大丈夫だろうだったんだろうが。

国が落ち着いていたなら、この話はまとまっていたかな″

少しばかり残念そうにいう主の言葉を、執事はこの時も静かに聞いていた。


"一人が気楽"

それを信条としている主にしてみたら、いつも姉妹で固まり集団でか、自分の価値観に近かったり、染めやすそうな者を取り巻きにしている娘達を、ある意味では"凄い"とも思っているのが執事には判っていた。


――父が領地の領主ともあって得た情報を、さも立派な口上で、取り巻きに話して、自分の都合の良い方に物事を誘導ていく娘達。

そんな"指揮者"のような娘達の振る舞いには、ある種の感心する視線すらピーン・ビネガー個人として送っていた。


しかし、"賢者"と言う目で見たならば、落ち着きがある者が少しばかり頭が回せば、娘達の言葉の"底の浅さ"は直ぐに露呈すると判った。

さも立派な事を言っているようでも、情報として知っているだけで、それ以上を語れない。

時に自慢げに、そのその道の玄人――絵描きに誉められたと話す絵の技術(恐らくは、ピーンの血の影響だと思われる)を自慢げに話している娘もいたりした。

その時は、絵を描くのが好きな者としては、父親としてもピーンには恥ずかしいものだった。

精々上手いといっても、素人が上達した程度。


旅の絵描きが、その土地の領主の娘に、世辞に言った事を真に受けている。

そして取り巻き達も、口上に関心を持ったという事もあったが"領主の娘だから"ということで、立場の強い者の庇護の元付いて来ている面も見てとれた。

だが、粗を捜せばいくらでも出るような口上でも、領主の娘という立場を利用したとしても、"仲間"に引き込む言葉を出せる事も、ある種の"才能"だとも思った。

ただ、そんな事をして集めた人心など、何があったなら脆く崩れるとも判っている。

ピーンが、そんな事をしている娘達の夫に進めた子息は、落ち着いた思慮深い人物達だった。

そういった面でも、1人になったら途端に気弱になる娘達に、懇懇と説いて言い聞かせが出来そうな人。

嫁がせる相手を考えなければ、恐らくは娘達は"成長"をせずに、今のままで大人になってしまう。


″時勢が時勢だから、相手を選ぶなんていう考え自体が贅沢なのかもしれないなあ″

最後の目星をつけていた人物も、王都に臣下として召し上げられると聞いた時、今度は溜め息をだしながら執事にロブロウ領主はぼやいたのだった。

色々と親と子としてコミュニケーションが難しいところのある娘達だが、決して不幸になって欲しくないという領主の親心は、執事にも伝わって来ていていた。


"まずは人間関係があれこれという前に、国が落ち着かないと嫁ぎ先で、安心して生活出来るかどうかすらも、危ういか"

最後には気を取り直すようにそう言って、その話をピーンは終いにしてしまった。



(確かに国が落ち着いて、御子様達を嫁がせて、跡取りのバン様に奥様を迎えるだけとなったなら、旦那様の気苦労は格段と減る。

それは確かに悪い話ではない、ないけれど)

だが、国を平定させる為に、国王から領地を任されている領主が、その土地を離れ決起軍に参入するという事は、色んな意味で彼辺此辺(あべこべ)になってしまうようにも執事には思えた。


何より、ピーンが決起軍に参入するということは、領民を家族を―――自分を、"置いていく"という事になる。

けれども、ロブロウは離れていた時に出逢った、本当に伸びやかな表情をした旦那様を思い出して、心が揺れる。

まだ髪に白髪など、全くなかった、溌剌(はつらつ)とした顔を思い出して、また僅かに締め付けられるように胸が痛くなる。


(結局、旦那様―――ピーン・ビネガーという自由に最も憧れを抱いている人の人生に、もっとも縛り付けて拘束しているのは、この守っている領地じゃないか)

傾き、民が苦しむばかりで荒れかけている国を平定する為にという考えには、大きく賛同もする。


だけれどもピーン・ビネガーという人が懸命に守っている土地を、彼の人生の時間を費やして守らねばいけない理由が、執事には判らなくなった。

依存する先のピーンに望まれたからこそ、自分はビネガー家の執事としてこの場所にいるだけなのだとも、こうやって考えて改めて気がついた。


(私にしてみたら、ロブロウ領主ではなくて、ピーン・ビネガー様さえいればいいのだから)

不意にロックの心の中に、(かげ)りが広がる。



(コノ"場所"サエナカッタラ、旦那様ハ、ピーン・ビネガーハ自由ニナレル?)

―――だったら、平定の為にピーンがこの領地を出ていかずとも、緩やかに国が傾きこの国がなくなるのを待てばいい。

そうしたら"領主"という存在自体が要らなくなる。


現実で給仕をこなしながら、全く同じ時間を過ごしているはずなのに、別の"場所"からやってきた何かが、ゆっくり自分の足元にやって来ているのが判る。

ロックは給仕をこなしながら、それが酷く"懐かしい感覚"だと思い出していた。

そして少しだけ、意識が混濁するような感覚になった時、綺麗な客人が、美しい緑色の瞳を見開き何かを、ロックの大切な人に呼び掛けていた。

けれど、まだ"ロブロウ"という領地がある"今"は執事でいると決めたから、ロックは口を挟まない。


(ロブロウがなくなったなら、この客人の――アングレカム様とも色々話したいな)

客人が、自分の事を心配して声を出しているとわかっていても、執事としての役目をこなすべく、空になっているカップが乗ったソーサーに手を伸ばす。


(―――アングレカム様にも、お茶の御代わりを出さないと。

紅茶、同じものでいいかな?)

自分の影から、"懐かしく、親しんだ感覚"が影をつくる足元滑らかに這い上がって、腰を上がり腕に絡み、手首に届きそうになった時、


『―――賢者ピーン・ビネガー殿!!』

アングレカムが声を張り上げた時、呼び掛けられた賢者は椅子が音をたてて倒れるのも構わず立ち上がり、執事の手首をグッと掴む。

指先まで伸びようとしていた、影が一気に執事の背中にまで下がる。


『自由はないかもしれない。

それを不満に思う時も正直ある。

それでも、私はこの場所を守りたいし、守らなければならないと思っているんだよ、ロック』


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